20 知らぬ想いは抱けまい
「…………それ、今答えなきゃダメ?」
私は座り込んだ膝の間に頭を埋めたまま、彼女へ言葉を返す。
エリーは明るい声でくすくすと笑っていた。
「すみません。でも、自分の心は自分が一番わからないものですから。
今、自分の胸の内に抱える想いや感情を、何の枷もなく言葉や声に出してみるのも時には大切なんですよ」
「……」
すっかり見透かされている。
私は少しだけ顔を上げて、隣に座った彼女へと視線を向けた。
「まあ、私も知り合いからの受け売りなんですけどね」
そう続けながら微笑むエリーの声は、とても優しく穏やかだ。
(自分の心……)
単に、心中を吐露しろと言うことなのだろう。
けれど私はまだ、この胸にある違和感を表せる言葉を見つけられていなかった。
いや、もう答えは出ている。
先ほどオリバーと話したなかで胸に空いた空洞にぽつんと残るこの感情。それがなんであるか、私は薄々気づいていた。
それでも、もしそれを言葉にして認識してしまったら、もう後戻りはできないのだ。
そんなことを考えている私の背中をエリーが押してくれた。
「この庭の植木は背が高く密集していますから、防音効果もあるんですよ。
なのでちょっとやそっと叫んでも誰にもバレません。
あ。勿論、このエリーちゃんも誰にも口外いたしませんので☆」
ご安心を、とウインクする彼女。
「……わかってるもん。あの人が私を大切に想って、大事にしてくれていることくらい。でも……」
これから発する言葉への免罪符のように口にした。
きっと、吐き出すなら今ここなんだ。
そう思って一度言葉を区切り、深呼吸をする。
そして胸の内にあった、小石のような小さなわだかまりと違和感を掬い上げるように、頭に浮かんだ言葉を吐き出した。
「――結婚した途端に隠し子とか、まったく聞いてないんですけど!!」
開口一番に出ていたのは、これまでに累積していた鬱憤だった。
自分でもこんなに大きな声が出るなんて思っていなかったものの、言ったら言ったで堰を切ったように口が止まらない。
「そりゃあ? どうせ私は、何の実績も実力もない、ただの小娘ですけど!!
そんなの……そんなのっ、私が誰よりも一番よーく知ってますーぅ! 今更言われても困りますーぅ!」
嗚呼、なんて卑屈なんだろう。
普段、ここまで卑屈になったことはなかった。
ケヴィンの時と同じだ。
伯母さまもお義母様も、私にとっては尊敬している人たちであって、比べられるいわれがない。
それでも、周囲からはこう思われているのだろう。
〝デルフィーノ女侯爵の姪〞。
〝エインズワース公爵が見初めた女性〞。
そうだとして、私にできることはひとつしかない。
「だから……分不相応だってわかってるから、こっちも精一杯……っ」
頑張るしかないのだ。
思っていたことすべてを吐き出して、嵐が過ぎた後のざわめいていた木々が徐々に静まるように、私の呼吸は落ち着いた。
次第に、涙とは別の熱い何かが胸の奥から込み上げてくる。
それは、悔しいと言う感情だった。
他の誰かに対してではなく、自分自身へ向けたものだ。
義父から言われた言葉に納得してしまった、無知な自分に。
向き合ってくれた彼から逃げ出してしまった、臆病な自分に。
こんなところで愚痴っている、卑屈な自分に。
そして、この状況を何一つ自力では変えられない、無力な自分に。
どれかひとつでも覆せたのなら、きっと何かが変わる。
そう思えているのに、何をどう変えたらよいかわからなかった。
それまでずっと何も言わずにいたエリーが口を開く。
「そうそう! アルフォンス様。オリバー様の小さい頃にそっくりですよね~」
(今、それ言う必要ある!?)
ひょっとしたらエリーは、他人の傷口に塩を塗り込むのが好きなのだろうか。
私の視線を笑顔で迎えたエリーは、さりとて悪びれることもなく言葉を続けた。
「と言っても、私が君主とお会いしたのは、かれこれ七年ほど前になりますので、あの少年より成長されてはいましたけど」
「……そんなに前から?」
オリバーは現在二十二歳。
その七年前というと十五歳前後だから、六歳のアルフォンスよりも大人びてはいるだろう。
その頃の彼を知らない私は、少しだけ興味が出てしまい顔を上げた。
「はい。当時はまだ爵位を継がれてはいませんでしたが、今より口数も多いし、感情も読みやすくて可愛かったんですよ~」
そう話すエリーは、どこか懐かしんでいるようにも見える。
「何はともあれ、今の私がいるのは、すべてオリバー様のお陰です。そしてあの御方をそう変えたのは、あなたなんですよ、ヴェロニカ様」
「……私が、あの人を?」
そんなの初耳だ。
驚く私を尻目にエリーは小さく頷いてあとを続ける。
「ご縁があり、オリバー様に仕え始めた私は、ある時、一人の少女の存在を教えていただきました。
何でも、その方はとある侯爵家の血を引いており、遠方の修道院でご家族とは離れて暮らしているのだとか。
そしてオリバー様は〝善き人ならば、善き人生を〞と、彼女の人生を陰ながら支えたいと仰っていましてね。
初めはおかしいと思いましたよ? だって普通、一度も言葉を交わしたことのない相手にそこまでしますか?」
「普通はしませんよね」と言いながら微笑むエリー。
「けれど、オリバー様が公爵家当主になられる少し前のこと。
ある視察の帰り際、立ち寄った町の豊穣祭へ気分転換にとオリバー様をお誘いしたのです。そこで偶然、彼女と再会されました。
まあ、再会と言っても、言葉も交わすことなく、第一向こうはオリバー様のことをご存じではなかったのですが。
とはいえ君主を誘い、そんな劇的な展開をほんのちょ~っとは期待していた身としましては、なんとかお二人に接点を作ろうかとも思ったのですが……その時運悪くも彼女は、とあるハプニングに遭われたんです。
祭りで酔ったある悪漢に絡まれる子供たちを庇って巻き込まれたようでして。
殴りかかろうとするその男性に――自分よりも体格も力もある大人相手にですよ? 華麗な膝蹴りを決めてたではありませんか。
その場は周囲の大人たちの仲裁もあって事なきを得たのですが、見ていたこちらは冷や汗ものだったんですからね」
確かに、その時のことは身に覚えがある。
祭りへ行きたがる子供たちの引率として町へ出て、酔っぱらいの男性に絡まれた子供たちとの間に入った時のことだろう。
酔った相手に言葉も通じず、ついには子供たちに手を出されそうになったので、咄嗟に足が出てしまったのだ。
「あはは……」
あの後、周囲にいた大人の方々から称賛半分、お叱り半分を受け、さらにその後、院長先生の耳にまで入ってさらにお叱りのお言葉を滔々といただいたことまで思い出した私は、から笑いするしかなかった。
「その時、隣にいたオリバー様がこう言ったのです。
〝今まで変わらないものが尊いと思っていた〞と。
今でも忘れません。あの時から君主の目的は明確に変わられたんです。 〝陰で支える〞のではなく〝隣で守る〞と。
まあ、手紙の差出人名を実名に出来なかった当たり、あの方らしいのですが」
「……」
「貴女は時として、自分よりも他者を優先する癖がある。それを君主は心配しておられるのでしょう」
頭のなかで点と点が緩やかに繋がる。
(だから以前、謹慎だなんてことを言ったの?)
あの時は、ただ単に私を反省させるためだと思っていた。
(でも、本当は私のことを心配して……?)
これまで向けられた彼の言動のほとんどが私自身のため。
それに気づいて、辛うじて口から出たのは次の言葉だった。
「……でも、そんなこと、他の人だって……」
私の言葉を汲んで、エリーは小さく頷いた。
「ええ。確かに、貴女と同じやそれ以上に高潔で、責任感を持つ方は他にも沢山いらっしゃるでしょう。
世界は広いのですから、いて当然、当たり前です。
ですが……あの方が出逢いそして惹かれ、誰よりも守りたいと思ったのは、他の誰でもない貴女なんですよ。ヴェロニカ様」
顔が徐々に熱くなってきた気がする。
両手で頬を包み、その火照りを確認した。めちゃくちゃ熱い。
「……だって、そんなこと一言も……」
「あのオリバー様ですよ? 面と向かって言えるわけないじゃないですか」
エリーはそう言った。
けれど、違う。
私は知ってるはずだ。彼がどれだけ私のことを心配してくれていたのか。
「……そっか」
心配してくれたという事実を知り、私は少しどころか大分嬉しかった。
「ヴェロニカ様」
改まってエリーに名を呼ばれて彼女の方を向くと、そっと手を取られる。
その視線は治りかけていた掌の傷に目を向けられていた。
「あなたをお守りすることが出来ず、申し訳ありません」
「もしかして、あの時も――」
合点がいった。
宮殿での舞踏会。そして、今回の荷馬車での出来事。
その両方とも。
「――あなたが、助けてくれたの?」
エリーは静かに頷いた。
「私はお二人に仕える、お二人だけの騎士ですので」
そう私の手の甲へ口付けすると、静かに言った。
「君主からは〝余計なことはするな〞と言われましたが、あくまでもそれは〝エリオット〞として。
なので、貴女の騎士である〝エリーちゃん〞は知りません」
「エリー……ありがとう」
これまでのことすべてに、感謝した。
言葉だけでは足りない。
「さ、お化粧直し、いたしましょうか?」
そう思っていたのに、また感謝をしなければならないようだ。




