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レディ・ヴェロニカの秘めやかなご所望  作者: 都辻空
レディ・ヴェロニカは真実が知りたい!

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18 真剣勝負

 

 食堂の一角。

 丸テーブルに向かい合って座る男性を見つめながら、私は静かに手を動かした。


 緊張で手が震える。

 まさか、こんなところでこんなことをするなんて、思ってもみなかった。


「――チェックメイト、です」


 そう宣言し、私はテーブルに置かれているチェス盤に、自分の黒駒を進めた。


 黒のクイーンとルークでのチェックメイトだ。


「くそぅ、負けちまったぜ……」


 男性がうなだれるのと同時に、テーブルを囲んでいた人々の視線が対局していたチェス盤から私へと向けられる。


(はあ……今回もなんとか勝てた……)


 安堵の溜め息を小さく漏らす私の耳には、彼らの口々に呟くような会話が聞こえて来た。


「……おい、見たか? これで十二戦十二勝だぞ」


「すげえな、あの嬢ちゃん。次は誰が相手だ?」


「アイリスちゃん。次は俺と勝負だ!」


「お前はさっき勝負しただろ。また負けるぞ」


 客たちは次の対戦相手は自分だと名乗りを上げている。


(……もうっ! いつになったら終われるの!?)


 どうしよう。本当に大変なことになった。


 始めは私を買おうとした男性に対して、咄嗟に部屋の片隅にあったチェスを見つけて「私にチェスで勝ったら」と勝負を挑んだのがきっかけだった。


 チェスは以前レオと対戦してルールを覚えていたし、彼に何度も負けても挑み続けた甲斐あって必勝法とはいかないでも、定石(パターン)は掴んでいた。


 だから、すぐに終われると思ったのだ。


 けれど対局が終わったと思ったら、次々に客たちから「次は自分だ」と名乗りが上がり、今の今までぶっ続けでチェスの対戦をしている。


 かれこれ約二時間ほどが経っていた。


「なあなあ、アイリスちゃん。次は少しくらい手加減してくれてもいいんじゃないか?」


 これまでの私の戦歴を知る野次馬をしていた男性が、ジョッキを片手に言う。


(手加減って……できるわけないでしょ!?)


 第一、私は手加減ができるような腕を持っていない。


 レオにだって、最後の最後にやっと一勝できたのだ。


 それに正体を明かしていないとはいえ、こちらには貞操がかかっている。


 折を見てプリムラさんに本当のことを告げようと思ったけれど、幾度目かの勝負のあとに姿が見えなくなっていた。


 だからここまで対戦を続けて来たものの、いい加減、体力気力ともに疲弊していた。


 それに、オリバーたちの来店から気を紛らわすこともできる。


「……」


 口を開きかけて、私は自分の設定を思い出した。


 〝自分の性格(キャラ)を大事にする〞。


 脳内にプリムラの言葉が浮かび、咄嗟に思い付いたのは、クレアから教えて貰った小説の中に登場する同名の令嬢だった。


 偶然にもエリーがその本を持っていて借りて読んでみたのだが、面白い内容だった。


 彼女は物語の中で理不尽に主人公へ辛い態度を取る悪役令嬢として描かれていた。


 けれども、実はその裏には彼女なりの葛藤があったというサイドストーリーがあった。


 そんな彼女と同じく、高飛車な態度で対応していれば、自ずと相手から辞退してくると踏んだ私は、〝悪役〞が言いそうな発言をして、わざと倦厭されるようとした。……つもりが「新入りでその据わった根性は大したもんだ」と逆に気に入られてしまったのだ。


 そのあとは勝つ度に挑戦者が増えていき、全員とチェス勝負をしていたらこんなことになってしまった。


 かれこれ約二時間。ぶっ続けでチェスの対戦をしている。


 顔に出さないよう、私は言葉を選んだ。


 今の私は〝アイリス〞。何事も優雅にこなす優等生。


 そんな彼女がこんな時なんと口にするのか。


「私、勝負事に手を抜くのは趣味じゃないの。ベッドの上でもそうだって思われたくないでしょ?」


 声はなるべく冷たく、無機質に。


 ……なんだこれ。私、今途轍もなくとんでもないことを口走っている気がする。


 ああ。壁際にいるリュカ、なるべくこっちを見ないで!


「どなたもいなようでしたら、次は僕が」


 そう名乗りが上がったのは、人だかりの外側からだった。


 野次馬たちが道を退け、テーブルの前に現れたのは一人の青年だった。


 栗色の髪に翠玉(エメラルド)の瞳。


「よろしいですか? アイリスさん?」


「ええ。あなた、お名前は?」


「ルシオです」


 そう名乗る青年は椅子に腰を掛けると私をまざまざと見つめてきた。


 これまでの対戦相手も似たようなことはしてきたけれど、彼のそれは何かが違った気がした。


 そうして始まった、十三戦目。


 先行はルシオで、何のためらいもなく駒が進められていく。

 どうやら盤上遊戯(チェス)には慣れているようだ。


 これまで対戦してきた客たちとはどこかが違う。

 それは、小綺麗な身なりやその所作から感じ取れてはいた。もしかしたら近隣の貴族の子弟かも知れない。


「……」


 この前のキンバリー邸での夜会に来ていたのかも知れないと思うと、駒を握る手に力が入った。


 ここで絶対にバレるわけにはいかない。


「貴女は本当に美しいですね」


 不意に、ルシオが口を開いた。

 私の動揺を誘っているのだろう。


「あら、(ボード)に集中なさったら? 負けた時の言い訳に使われたらたまらないもの」


「ふふ。そうですね」


「けれど、白黒(モノクロ)の盤面だけを見ていては、せっかく貴女が与えてくれたこの世界の(いろ)が勿体ないと思ってしまうのです」


「……」


 周りからの野次が飛ぶ。

 言い馴れている、というよりもどこか本当に嬉々として話しているように思えてしまって、動揺を隠すのが精一杯だった。


「そうだ」


 ルシオが自身のナイトを進めながら口を開く。


「もし、僕が勝ったら……貴女をいただいても構いませんか?」


「……」


(この人――)


 先ほどからずっと感じていた胸騒ぎの正体があと一歩でわかりそうな時。


 (みせ)の奥の扉が開く音が聞こえた。


「なんだい、あんたたち、こんな大人数で囲んだりなんかして……」


「一人チェスでもしてたのかい?」


「いえ、今――あれ……?」


 いつの間にか、テーブルに向かい合っていたはずのルシオの姿がなくなっていた。


 空いた椅子とデューツィアさんを交互に見つめ、私は何をどこまで説明したらよいか考えあぐねた。


 そうだ。


(オリバーはっ!?)


 デューツィアさんが出てきたということは、オリバーたちも近くにいるはず。


 椅子から立ち上がった私が、解散し始める野次馬の群れの合間に彼の後ろ姿を見つけた時。


 その事件は起こった。


「あっ!」


 入り口へ向かうオリバーの背中に、それまで他の客と話していた嬢の一人がよろめいたのだ。物理的に。


 オリバーは振り向いて、その傾いた彼女の身体を支える。

 けれどその代償に、その(ひと)が持っていたジョッキから彼の服へ盛大にビールがかけられた。


(今のって……)


 なるべくなら、人を疑ったり決めつけたりはしたくないけれど。


 ――今のだけはダメだ。絶対わざと(アウト)だ。


「あら、ごめんなさい。今着替えを用意しますので、よかったら上の部屋で着替えていってください。


 お召し物を汚してしまったお詫びに、私もお手伝いいたしますから」


(……ふぁっ!?)


 心の声を何とか抑えたものの、私は全身が固まっていた。


 もともと(みせ)の嬢たちの衣服は布の面積が少ない上に、その(ひと)は豊かな胸がより強調されたものになっている。


 そして自分の武器を心得ているのか、彼女はあろうことか体勢を支えているオリバーに自身の胸を押し付けていた。


 恐るべし、嬢たちの手練手管。


(……じゃなくて!)


 感心なんてしてる場合じゃない。


 胸の鼓動が早くなる。

 今ここで騒ぎ立てるのは絶対に得策じゃない。


 でも、もしこのままオリバーが二階に上がるなんてことになったら――


「お気になさらず。それより貴女は大丈夫ですか?」


 耳に聞こえてきたのは、オリバーのその言葉だった。


 そして彼は静かに嬢を立たせると、その場を立ち去ろうとする。


「えっ? は、はい。でも、お召し物が……」


「安物ですので構いません。それでは、私は迎えの者を待たせていますので」


「せっ、せめて、お着替えだけでも。そうでないと風邪を引いてしまいますわ」


 食い下がる嬢。身を捩らせるその仕草は明らかに彼を誘っている。


 しかしオリバーは顔色一つ変えずにこう口にした。


「それはいい。妻に看てもらう口実ができました」


「……」


 オリバーたちが去ったあとには、呆然と入り口を見つめる者がほとんどだった。


 ――あれって、ほんとにオリバー本人?


 力が抜けてその場にしゃがみこみそうになった私は、先ほどのルシオと対戦した盤面に不意に目が向いた。


「えっ?」


 盤面を見ると、チェックをされていた。


 まだ数手はそれをかわすことはできただろう。


 けれど。


(あのままやっていたら、負けていた……?)


 対戦中にも感じていた僅かな違和感が、また襲ってきた。


 その時。(みせ)の扉が勢い良く開け放たれた。


 こそには息を切らした少女が一人、肩で息をしながら謝罪の言葉を口にする。


「おっ、遅くなって、大変申し訳ありませんっ! ユミンからくる街道の途中で馬車が立ち往生してしまって、到着が遅くなりました!」


 お辞儀の勢いで、三つ編みに編まれた明るい茶髪が宙に揺れる。


 面を上げた彼女のその明るげな声と表情は相手に好印象を与えるはずのものだが、私以外のその場にいた全員からは驚きしか映っていなかった。


 全員の視線が、私と彼女の間を行き交った。


「あれっ!? 私お(みせ)の場所、間違えてませんよねっ!?」


 不安がる少女の瞳は、私よりも濃い青色だった。


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