17 思いがけない来訪者
「ごめんください」
表の扉を開けると、中からはむせ返るようなお酒と煙草の匂いが漂ってきた。
「おっ、やっときたか」
「はい?」
「だが、来るときは裏の勝手口からって言われてなかったか?」
「はっ、はい、すみません」
「ま、昼営業もまだだからいいけどよ。
どれどれ……〝茶髪で長髪〞、〝割りと整った顔立ち〞、〝瞳は青みがかった灰色〞っと。
なんか目だけは違う気がするが、まあお前さんだよな」
男性は手元のメモを見ながらぶつぶつと呟いた。
「は、はい?」
理解が追い付く前に、男性に背中を押される。
「さ、女将がお待ちだ」
「お、おい――!」
咄嗟に、後ろにいたリュカへ首を振って応える。
「なんだ?」
「い、いえ……」
「――やっと来たのかい?」
二階へと続く階段の上から声がした。
上を見上げると、深い紫のドレスを纏った熟年の女性が立っている。
その立ち姿や階段を降りる所作一つ一つが艶やかで、低くとも聞き取りやすい声は余計に目が釘付けになった。
「今日から営業だって伝えていたはずだけどね?
まあいい。あたしはこの館の女主人のデューツィアだ」
「えっと、私は――」
「名乗らなくていいよ」
唇に人差し指を当てられる。
「え?」
「あんたもそうだか、ここに来る娘たちは大抵が訳アリでね。
仲間内で妙な詮索をしないためにも、ここではあたしがつけた名前で暮らしてもらうよ」
デューツィアさんは上背があるのに加え高いヒールで私と頭一つ分の差があった。
「そうだね。あんたは〝アイリス〞だ」
「アイリス?」
話が見えない私をよそに、デューツィアさんが言葉を続ける。
「昼営業まで時間がない。まずはホールの仕事から覚えてもらうよ。
あんたの教育はそこのプリムラに任せてるからね」
いつの間にかデューツィアさんの後ろに、一人の女性が立っていた。
明るい青色のドレスを纏い、デューツィアさんとは別の艶やかさがある。
「何かわからないことがあったら、遠慮なく訊いて」
彼女が〝プリムラ〞さんらしい。
「よ、よろしくお願いします。プリムラさん」
「ええ。よろしくね、アイリス」
(つい、〝よろしく〞なんて言っちゃったけど……)
これはアレだ。
完全に人違いをしている。
扉の入り口付近では、入ってきたリュカがこちらを心配そうに見つめていた。
その瞳には〝何かあったら即刻、作戦中止〞という意志を感じる。
(それは解ってるけど……)
もしここで私の身分がバレたら一大事だ。
けれど、ここまできて何の情報も得られぬまま帰ることもしたくない。
「……」
思い出したのはマリアンナ伯母さまの言葉だった。
(……最後は度胸!)
私は心の中で拳をつくり意を決する。
「じゃあ、ざっとだけどこの館の説明からするよ。
まず、一階が食堂。奥のあの扉の向こうには、厨房と嬢らの控え室兼休憩室がある。次の昼営業では館の半分は出るから、
で、二階が接客部屋。奥の青い扉二つは部屋持ちの嬢専用で使えないから気を付けて」
「青い扉?」
「ああ。部屋持ちになれるのは、太い客のついた館の年間売上高上位二人まで。
今はちょうどNo.2を決めてるところだけど、あんたは今日入ったばっかりだし……狙うのはせいぜい半年経ってからだね」
「なるほど」
プリムラさんの言葉に違和感を覚え、私は疑問を口にしていた。
「今二番目の方を決めているってことは、上位お二人のうちのどちらかがお止めになったんですか?」
「いや、辞めたんじゃなくてね……つい先日、この館で一番人気だった嬢が亡くなったんだ」
その人だ。
「……その人はもしかして、リナリアさんという方ですか?」
「ええ。そうだけど……あんたあの嬢の知り合いかい?」
「いえ。知り合いと言うわけではないのですが、リアリナさんの――」
実の息子であるアルフォンスや、その父親について話を聞こうと口を開いた時、後ろで声がした。
「その話、やめてくれる?」
振り向くと、胸元がぱっくりと開いた妖艶な衣装を纏っている女性が階段から降りてきていた。
「もういない女の話なんかして、縁起悪いったらありゃしない」
「ちょっと、カトレア。言い過ぎよ」
「何よ。本当のことでしょう? まあ、そのおかげであたしに客がつくようになったからいいんだけど」
「ほんとにあんたって人は……」
プリムラさんの言葉を鼻で一蹴したカトレアと呼ばれた女性と視線が合う。
「あんたが新入り?」
「えっと……」
「随分と温い顔してるのね。いつまでもつかしら?」
「え?」
「ちょっと、カトレア!」
「ホントのことでしょ?」
「そんな温い態度で、ここでの生活に慣れるわけないじゃない」
カトレアの鋭い視線に、身が引き締まる。
「気分悪くしないで……って言っても無理か。彼女、いっつもああいう感じなんだけど、さっき話した亡くなった嬢とは特に反りが合わなくて毎日口喧嘩ばかりしていてね。
居なくなったら居なくなったで、喧嘩相手がいなくなって寂しいんでしょう、きっと」
「そう、なんですか……」
「さ! 気を取り直して、仕事の話に戻りましょうか」
「まずこの仕事をする上で、一番大切なことを教えるわね。
アタシたちの仕事は接客業よ。だからお客様が帰る時には〝来て良かった〞と思ってもらえるよう最大限のサービスを提供する必要があるの」
私は理解したと言う意味で、小さく頷いた。
「確かにこの館では色を売って、その対価としてお代をいただいている。
でもよく覚えていてね、アイリス。それだけじゃ、来られるお客様を心の底から満足させられないの。
お客様からお金をいただいているから、アタシたちがサービスを提供するんじゃない。アタシたちがサービスを提供してもてなすから、その対価としてお客様からお代をいただいているの。
そして満足の行くサービスを提供する結果として〝また来たい〞と思ってもらうことに繋がるのよ」
「なるほど」
「それに、お客様には色んな人がいる。
仕事の愚痴を聞いてもらいたい人もいれば、自慢話を話したい人もいる。
何を求めているのかは様々なのよ。
だからアタシたちはそれを見極めて、それぞれに最適なサービスを提供しているの」
プリムラが食堂を見渡し、そこにいる嬢たちについて話を始めた。
「例えば、あそこのテーブルに座りながら笑顔で客の話を聞いているミモザは、誰よりも話し上手に聞き上手よ。
んで、今反対のテーブルに皿を運んでいるトレニアはこの館で一番若いけど、その実しっかり者で面倒見もいい。相手の変化によく気付ける娘でもある。
そして、あそこで鼻唄歌ってテーブルを片してるアザレアはこの町で一番の歌い手だし、流行りに敏いから商人のお客に人気よ。
みんなそれぞれ強みをもっていて、それを活かしてお客様に営業してる。
まあ、自分の得意分野や取り柄を活かしてるって聞こえはいいけど、みんな必死なことに代わりはないわ」
「それで、アイリス。あんたの強みは何かあるの?」
「えっと、私は……」
つい先日、エリーから退場の貴族の情報を覚えるように言われた時は、ほぼ丸暗記で当日を迎えたけれど。
(あんなの、毎回出来るわけないじゃない!)
それに初めて会う客の情報なんてわかるわけがないし、対策のしようがなかった。
(第一、私人妻なんですけど!)
この誤解はどう解けば良いか。
そう思案していた私の顔を見て、プリムラさんに背中を叩かれる。
「まあ、あたしから言える言葉、いかに上手く客の要望に応えるかってことくらいかしらね」
「……相手の要望、ですか?」
「そう。でも、なんでもかんでも〝はい〞って受け入れてちゃダメよ。
この店で働く以上、あたしたちがお客に買われることには変わりないけど、自分の性格を大事にすること。
自分を安売りしてちゃ、自分にもお客様にも失礼でしょ。まあ、これはあくまであたしの持論だけどね」
「自分の性格を大事に……」
どんな性格だと人気が出るのか。
これまで出会った人たちを思い出す。
一緒にいて楽しい人。嬉しい人。好きな人。
「まあ、あんたは今日が初日だし、まずは――」
けれどその時。
背後で周囲がざわつく声が聞こえた。
(え……っ!?)
視線を向けた先にいたのは、ブレンドンさまだった。
義父は暗めの髪を頭の上で結び、館の中に入ってくる。
「あら、久しぶりね」
そしてブレンドンさまは奥から出てきたデューツィアさんと二三何か言葉を交わしている。
「あの方はどなたですか?」
「ブランディウスさまよ。デューツィアさんの昔馴染みなの」
「……昔馴染みって、どのくらいですか?」
「さあ? 私がここに来る前のことだから、もう十五年以上前じゃないかしら」
(そんなに前から?)
疑問を抱く私をよそに、嬢たちはなおも黄色い声を上げていた。
「ねえねえ……あの人、カッコよくない!?」
「わかる! 初めて来られた方よね!」
どうやらそれは、今しがた入ってきた男性へ向けられているものらしい。
「……!?」
そこにいたのは、なんとオリバーだった。
ブレンドンは変装はしておらず出迎えたデューツィアさんと二階へ上がっていった。
ブレンドンがなぜ娼館へ来ていたのか。聞きたくても聞けない。
「――なあ、お嬢ちゃん」
振り向くと、壮年の男性が真っ直ぐとこちらを見ていた。
周囲に館の女性はいなかったため、自分のことかと首を傾げた私の耳に男性が次に投げ掛けた言葉は、オリバーが入ってきたことやそれまでの経緯を頭から吹き飛ばされるくらいの衝撃だった。
「お前さん、いくらだ?」




