16 私に出来ること
私がアルフォンスに向き直ると、彼の小さな声が返って来た。
「……はい」
俯きながらそう頷く彼に、私はしゃがんで視線を合わせる。
「あなたが怒った原因は解ったわ。私のことを想って怒ってくれたってこともね。
でも、暴力でそれを否定してはダメ。どうしてかわかる?」
少しの逡巡を見せた後、私と目を合わせたアルフォンスが重い口を開いた。
「……相手を、傷つけるから」
「ええ、そうね。でもそれだけじゃない。傷ついているのは、あなた自身も同じなのよ」
私は彼の手を取り、その胸元にそっと置く。
「確かに、暴力は相手を傷つけるから良くないわ。
けれどその前に、あなたの心の中には相手を傷つけたくないという気持ちもあったはずよ。
私に対してそう思ってくれたように、あなたは他人のことを思いやれる素敵な人だもの。
でも、あなたの中の秤は自分の心よりも他人に傾いた。自分を犠牲にしていることに代わりないのよ」
幼いのに他人を思いやれる彼なら、きっと葛藤だってあったはず。
私が告げると、一瞬彼の瞳が揺らいだ。
「……だって昨日……僕たちのせいで、公爵と……」
「あなた、もしかして……」
昨日、子供たちの事件の後で私がオリバーと会ったのは、あの時だけだ。
(もしかして、昨日のオリバーが尋ねてきた時、起きていたの?)
「……」
小さな首肯が返ってきた。
「……それは、あなたが気にすることじゃないわ」
「確かにさっきの理論で言えば、私は自分よりもあなたたちを優先した。でもそれはあくまで、私が傷つくことよりも、あなたたちと二度と会えなくなるのが嫌だったの」
「会ってから、まだそんなに経ってないのに?」
不意に、後ろからライラが純粋な声で訊ねてきた。
「あら。長い時間一緒にいることだけが、仲良くなるために必要なことじゃないのよ?
例え短い間だったとしても、考え方や価値観を共有してお互いを知り合えたのなら、長く一緒にいて互いに自分のことを何も話していないよりも、ずっと仲良くなれると思わない?」
「思うー!」
ライラの元気な返事が聞こえてきた。
とは言え、これは修道院時代の友人からの受け売りだった。
彼女とは数年一緒に過ごしたけれど、気の置けない友人というのはまさに彼女のことをいうのだと思う。
「それと同じよ。さっきも言ったけれど、私はあなたたちともっと仲良くなりたい。」
「じゃあ、次は仲直りね。二人とも、やり方を知らないわけではないでしょう?」
「……悪かったよ。夫人をバカにするようなこと言って」
「僕の方こそ、殴ってごめん」
先に謝ったのはケヴィンで、手を差し出したのはアルフォンスだった。
二人が握手を交わしたことで、その場の空気が和らいだ。
「よし。じゃあ、まずはここを片付けるわよ」
その後、焼いてきたタルトをみんなで食べよう。
いつの間にか病室に来ていた院長先生に事情を話し、私たちは病室の現状復帰作業を行った。
そして、エインズワースの屋敷へ帰る馬車の中。
アシュトン先生からも完治のお墨付きをもらったアルフォンスも一緒だ。
「正直、あなたには嫌われてるって思ってた」
隣に座るアルフォンスに、そっと笑いながら言ってみる。
以前は顔を合わせることすら拒絶されているような気がしたけれど、今日のことからそうは思えないような気がしてきたからだ。
「……別に、嫌っては……」
「私のことで怒ってくれて、ありがとう。アルフォンス」
少しは仲良くなれただろうか。なれたならいいな。
「……」
「……」
話題を変えよう。
「あっ、あなたのお母さまって、どんな方だったの?」
「……」
もしかしたら、話題の振り方を間違えたかもしれない。
「ほっ、ほら! さっきまで私あんな偉そうなこと言ってて、あなたのこと何も知らないし、ちゃんと聞く機会も作ってなかったなって――」
「母さんは……僕からみても、館で一番綺麗な人だったと思います。何でも知ってて、必要なことは大抵教えてくれました」
(……あれ?)
「だから、僕は母さんがいてくれたらそれでよかったんです。父親のことなんて、知りたくなかった……」
そう話す横顔に、どこか違和感があった。
「……よし」
悩んでるだけじゃ、なにも解決しない。
私ができることをやるんだ。
視察に来て六日目。
私は花束をとある墓標の前に置いた。
「ご挨拶が遅くなってすみません。お義母さま」
ここはアドコック領グレミゼンの端にある共同墓地。
そして目の前の墓標の下に眠るのは、義母であるクリスティアさまだ。
「あなたと一度、会ってお話ししてみたかったです」
ニコラスの言っていた通り、結局昨日オリバーは帰ってこなかった。
加えて、お義父様も用事があると言って、朝早くに発ったという。
それもニコラスを連れてだ。
「これは好機よね! 今日を逃したらもう二度とチャンスはないわ!」
ということで私は墓参りという口実で外出し、今に至る。
「ジェット。少し町を見て歩くから、ここで止めて」
「はい」
「リリカ。準備をお願い」
「はい。畏まりました」
「ヴェロニカ様」
私の声で準備を始めるリリカを尻目に、その隣にいたリュカが眉間にシワを寄せていた。
ここに来るまでの馬車の中で今日の予定を話したけれど、それからずっとそんな顔をしている。
「危険すぎます。もし、あなたの身に何かあったら……」
「兄さん」
彼の言葉を止めたのは、リリカだった。
「ヴェロニカ様があんな顔している時は、何を言っても無駄なのだわ」
「だが」
「それに、先日のこともあるのだから、ヴェロニカ様もきちんとわかっていらっしゃるはずよ」
「心配ばかりかけてごめんなさい。でも、これは私が知らなきゃいけないことだと思うの」
「それに、私が〝エインズワース公爵夫人〞だってことがバレなければ大丈夫なはずよ」
期限はオリバーが帰ってくる今日の夜まで。
「お化粧はこれでよいかと。
後は髪ですね。少し目を閉じていただいてもよいですか?」
そう言って、リリカは持ってきたバッグの中から例のアレを取り出した。
それは以前、レナードが置いていったものだ。
私は彼女の言う通りに目を瞑る。
纏めた髪にそれが被せられ、少し違和感がした。
「もう目を開けても大丈夫ですよ、ヴェロニカ様」
目を開けると、リリカが同じくバッグの中から取り出した三面鏡の中の自分と目が合った。
茶髪と控えめな服装。
以前、セレステの店でされたような変装だ。
「これで〝エインズワース公爵夫人〞には見えないでしょう? リュカ」
「……」
リュカは無言で目を伏せていた。
「ジェット。帰りはリリカに言ってあるから、あなたたちは少し別のところを回ってきてちょうだい」
「はい」
「……それじゃあ、行ってくるわね」
馬車から降りて歩くこと数分。
繁華街と言える大通りの一角に、その店は構えていた。
軒下に吊るされた看板には、小鹿が花園の花を食む絵が描かれている。
そう。ここが私の目的地――娼館《小鹿の花園亭》だ。




