15 約束
「本日のご予定はいかがなさいますか? 奥様」
一人朝食を終えた私に、そうニコラスが訊ねてきた。
「外はとても良い天気ですよ」
「……」
ニコラスの口調や表情から、特段嫌味を含むものではないというのは理解できた。
けれどこうも単刀直入に訊かれると、答えに困ってしまうのも事実だ。
「特に決まっていないわ。あなたの方こそ、視察に付いていかなくていいの?」
本来、彼はオリバーの従者のはずだ。
「はい。旦那様からのご命令ですので」
「……そう」
なるほど。
今日一日はニコラスがお目付け役ということか。
「それで、今日……あの人はいつ帰ってくるの?」
今朝早く経ったオリバーとは、まだきちんと話せていない。
あのままではダメなことくらいわかっているはずなのに、いざ顔を合わせたら何も言葉に出来なかった。
私の問いに、ニコラスが諳じて口にする。
「本日のご予定はエセットと周辺の事業視察です。
ですががそれが済み次第、火急の用件に対応するとのことですので、本日はお戻りにはならないかと思われます」
「火急?」
今朝の彼に、そんな素振りはどこにもなかった。
(――私には、教えてくれさえしないのね)
ダメだ。
思考も暗くなっている。
そんな私の耳に、ニコラスの言葉が届く。
「気分転換に外に出られてはいかがですか?」
「……え?」
予想外のニコラスの言葉に聞き返してしまった。
「本日私が旦那様より仰せつかったのは、奥様が危険な行為をしないように見張っておくことですので」
そして再度、ニコラスが訊ねてくる。
「本日のご予定はいかがなさいますか? 奥様」
ニコラスの言葉に背中を押されて、私は昨日同様にその場所を訪問することにした。
といっても、今日用があるのは教会でも孤児院でもなく診療所の方だ。
実は昨日リュカが手配した馬車で屋敷に帰ってきたのは私だけで、アルフォンスを含めた子供たちは、エインズワースの屋敷よりも近く、医師のアシュトン先生がいる診療所で様子を見るということになったのだ。
先生は午後からユミンの町にいる数人の患者のもとへ訪問診療しに行くと言っていたし、院長先生たちも教会の仕事がある。
これはあくまで私個人のお見舞い。だから、何も問題はないはず。
そしてお見舞いの品として、昨日結局みんなで食べることが出来なかったのと同じタルトを作って持ってきていた。
(……食べてくれるといいな)
私が診療所へ着くと、盛大に開かれた扉と一緒に中から小さな影が飛び出してくる。
「ライラ?」
「こうしゃくふじん!」
「ニカ様!」
その影の主はライラで、後ろからミリアが追いかけてきた。
「どうしたの? そんなに急いで……」
「助けてお願い! 二人を止めてっ!」
涙目のライラの言葉に、私は眉をひそめる。
「二人?」
ライラに急かされるまま連れられて診療所の中へ入ると、開け放たれた病室の扉の前に立ち往生している子供たちと次々に目が合った。
全員、ばつが悪そうな表情を浮かべている。
「おいおい。院長先生たちを連れてこいって言っただろ。なんでよりにもよって――」
「?」
扉の中からは、喧嘩口調の声が聞こえていた。
中を見ると、その声の正体がわかった。アルフォンスとケヴィンだ。
二人のそれは口喧嘩どころではなく、相手の服に掴みかかるほどの激しい取っ組み合いをしていた。
病室の寝具やシーツは床に落ち、二人が寝ていた寝台は位置がずれている。
「こら! 二人とも何しているの!?」
私は二人を止めようと病室の中へ入って声をかけた。
けれど私の声など耳に入らないくらいに興奮しているのか、二人はこちらを見向きもせずに互いの服を掴んで放さない。
その時。
「――だからっ!!」
ケヴィンが大声で叫ぶ。
「何でおまえにそんなこと言われなくちゃいけねえんだよ!」
「そっちこそ、勝手なことばっかり言うな! 何も知りもしないくせに!!」
そう言い返すアルフォンスは屋敷での彼とは想像もつかないほど、年も背も上のケヴィンに負けずとも劣らない剣幕だった。
「お前だって――」
「二人とも、そこまでよ!」
双方の襟元を掴み、力の限り引き離す。
どちらも男の子ということで抵抗はあったものの、二人の視線が私へと向けられたことでその力は弱められ、その一瞬の隙に引き離すことができた。
「ここは怪我を治すための部屋よ。
これ以上余計な怪我をつくるっていうなら、今すぐ出ていきなさい」
「……」
二人からは沈黙が返ってくる。
少し冷静さを取り戻したのか、掴み合っていた双方の手は解かれた。
「それで……最初に手を上げたのはどっち?」
「……僕です」
私の質問に答えたのは、アルフォンスの方だった。
目を伏せる彼に、私はしゃがんで目線を合わせる。
「私はね、あなたたちが理由もなく人を傷付ける子だなんて、思っていないの。
何か理由があるのでしょう? それを話して。ね?」
僅かにアルフォンスの唇が動いた。
「……って……から」
「聞こえなかったわ。アルフォンス。もう一度、言ってくれる?」
少しの沈黙のあと。
消え入りそうな声だったけれど、今度は確かに聞こえた。
「あいつが〝あんなやつ、公爵夫人じゃない〞って言ったから」
その視線の先にいたのは他でもないケヴィンだった。
「……」
ああ。だから扉の前の子供たちはあんなに気まずそうにしていたのか。
私がケヴィンの方を見ると、彼はばつが悪そうに顔を背けた。
「だって……」
苦しいような、悲しいような、そして悔しいような、沢山の感情がその横顔に映っている気がした。
「だって……俺は、ただ……みんなが……あの人のこと忘れて……あんたと、仲良くしてるから……」
「あの人?」
ここで彼らと会ってから過ごした時間のなかで思い当たる人物。
それは一人しかいなかった。
私はゆっくり唇を開いた。
「もしかして……先代公爵夫人のこと?」
「……」
沈黙を守るケヴィンだったけれど、一瞬揺らめいた瞳は答えを示していた。
「……俺、クリスティアさまと約束したんだ。〝家族を守れるくらい強い男になる〞って。
……でも、そうなる前にクリスティアさまがいなくなっちゃって……。俺が、みんなを守るはずだったのに……っ!」
その声は震えていた。
「でも、ライラを助けたのはあんたで……俺は、ただ震えて待ってることしか出来なくて……それで……」
それで〝あんなやつ、公爵夫人じゃない〞という発言に繋がった、というわけか。
どうしたら、彼の誤解は解けるのだろう。
「……全部、俺が弱かったから悪いんだ。クリスティアさまとの約束も守れなかったから……」
「そんなことないわ、ケヴィ――」
「何でだよ! 何でっ、俺はあんたに、何度も酷いこともしたし言ったのに……何で助けたりなんかしたんだよっ!」
言葉を遮られ、向けられる鋭い言葉。
どうすれば、彼に言葉は届くのだろう。
考えるよりも先に、私の手はケヴィンの頬に触れていた。
彼の頬は少し冷たく、僅かに震えてもいた。
そうだ。
私が動いた理由はひとつだけ。
「だって〝助けて〞って言ってくれたでしょう?」
あの時。
確かに聞こえた声は彼のもので、必死に喉から絞り出された声と想いに私はただ応えたかった。
「……!?」
驚くようなケヴィンの表情に、私はできるだけ優しく口にする
「ねえ、ケヴィン。あなたが言うように、みんなはクリスティアさまのことを忘れているって訳ではないと思うの」
「……」
それは、きっとケヴィンだって気付いているはずだ。
けれど。
それを受け入れるのを躊躇うくらい、彼はクリスティアさまのことが好きだった。
だからクリスティアさまと交わした約束を守ろうと、彼なりに考えて動いたんだ。
今回はたまたまそれが裏目に出てしまったけれど、裏を返せばそれだけその約束を大事にしているということ。
その約束を〝守れなかった〞と思っている彼に、どうしても伝えたいことがあった。
「クリスティアさまがいなくなったことは、みんな寂しいし、悲しいと思っているはずよ。
でもね。だからこそ、私はみんなと仲良くなりたいと思っているの」
「どう、して?」
僅かにケヴィンが口にする。
「私はクリスティアさまと直接お会いしたことはないけれど、みんなから〝あの方のは凄い人だ〞、〝尊敬できる人だ〞って話を聞く度に、実際に会って理解できた様な、嬉しい気持ちになるの。
みんなの話を通じて、私はクリスティアさまに会うことが出来るのだわ。
だからね。クリスティアさまと同じくらい、あなたたちと仲良くなりたい。
仲良くなって、私のことも沢山知ってほしいし、好きになってもらいたい。それがもうひとつの理由よ」
取って付けた理由になってしまったかもしれない。
けれど、これは紛れもない私の本心でもある。
「……」
「それに、あなたは約束をきちんと守れていると思うわ。
だって、馬車からライラを一番先に逃してくれたのは、あなたなのでしょう?」
調書の一部で、ライラを先に逃がしたのは彼の判断だと知った。
彼は、ちゃんと約束を守っていたんだ。
「よく妹を守ったわね、ケヴィン」
彼の頬に触れていた私の手に、彼の温もりが伝わってくる。
「さて。次はあなたよ、アルフォンス」
今度はアルフォンスの番だ。




