11 誘拐
一部、暴力的な表現または描写がございます。
苦手な方はご理解の上、ご承知おきくださいますようお願いいたします。
◆
『それじゃあ、ケヴィン。お願いね。約束よ?』
今日、またあの女が来た。
朝一で知らせを聞いた院長先生は「視察は終わった」って言ってたのに。
それを聞いたみんなは、また会えるんだってはしゃいでいたけど。
――ああ、面白くない。
どうしてみんな、あんなにすぐあいつのことを受け入れられるんだろう。
それに……。
「あなた、こうしゃくさまとお目目と髪の毛の色が一緒なのね!」
ライラが目を輝かせてそいつのことを見ていた。
「う、うん」
あの女が連れてきた、俺たちと同い年くらいの男子――アルフォンスは他の連中に囲まれながら頷いた。
「お名前はなんだっけ?」
「アルフォンス」
「わーい! お兄ちゃんが増えた!!」
「ライラ。今日一日だけだよ?」
「えー」
不服そうな声を上げた様子のライラだったが、すぐにその表情は明るくなった。
「じゃあ、じゃあ! 今日はいっぱい一緒に遊べるってことだよね! アルフォンスお兄ちゃん」
いつも通り、押しが強いライラ。
その様子に少し驚きながらも、そいつはこくりと頷いた。
「うん。よろしくね」
それからみんなで院の裏の丘に移動した。
「じゃあ、次はタニアで……〈一月の戒将〉!」
セットがタニアに持っていたボールを投げて渡す。
「えっと……〈一月の戒将〉にいるのは、雪兎!
次は、ミリアで〈十一月の静姫〉」
タニアは隣にいた妹にボールを渡した。
「〈十一月の静姫〉にいるのは鹿!
次はライラで〈四月の駿将〉」
「〈四月の駿将〉にいるのはイルトン!」
その場のリズムが途絶えた。
「……イルトン?」
もっともな疑問を口にしながら、アルフォンスが黒い目を瞬かせる。
「ああ。下の畑にいる犬のことよ」
イルトンとはブドウ畑を管理するブレストが買っている老犬のことだ。
「……それで結局、犬は……どうなんだっけ?」
「確か、前やった時は〝犬はなるべく言わない〞って、方向になったんじゃなかったか?」
「ダメ?」
「あのねライラ。このゲームは春夏秋冬のうち、指定されたお題の季節にいる動物とか植物を言わなきゃダメなんだよ?」
「まあ、犬は季節関係ないし、アウトじゃね?」
「イルトンは春が一番元気だもん!」
「あのバカ犬は年中元気だろ」
「むー! イルトンは賢いんだよ! おバカさんじゃないもん!」
「誰彼構わず吠えてるじゃねえか」
ブドウ畑への侵入者ならいざ知らず、降りてきた俺たちにまで吠えることがある。
「まあまあ……今回はセーフってことで。ライラ、次は君からだよ」
「うん!」
「次はアルフォンスお兄ちゃんで〈十二月の氷〉ーあっ!?」
ライラが思いきり後ろに振りかざしたボールはそのまま勢いを失うことなく弧を描いていった。
茂みの奥へと行ってしまったボールを、ライラが慌てて追いかける。
「待ってー!」
「大丈夫。僕が取ってくるよ」
「ライラも行くー!」
その場に残った全員の視線が向けられる。
その視線の意味は頭で理解しつつ、つい口から衝いて出たのは悪態だった。
「……なんだよ。間違ったこと言ってねえだろ」
「ケヴィン。なんでそんなに機嫌悪いの? 最近あんた変よ?」
「うっせ」
この孤児院でも付き合いの長いタニアが、溜め息をつきながら言う。
それに続いてミリアも、不安げな表情でこちらを見ていた。
「で、でも、みんなで仲良くしなさいって……院長先生からも言われたでしょう?
それに――」
何の言葉が続くのかと思った。
「それに、ヴェロニカ様だってとってもよい人よ?」
やはり、ミリアはよく人を見ている。
「……あーもうっ、わかったよ! 行けばいいんだろ、行けば!」
この場にいたら、もっと余計なことを言われかねない。
そう判断したケヴィンは、足早に二人の後を追って茂みの方へと向かった。
茂みの向こうはなだらかな丘の下り坂になっており、先に行った二人は既に傾斜の半分を下りていた。
どうやらボールは、丘を下った先の道の近くまで転がってしまったようだ。
ちょうど丘の下では、ブドウ畑で飼われているイルトンの吠え声が聞こえている。
(あーうるせー……)
そこでケヴィンは、ふと街道から来る荷馬車に目が行った。
一応、声を掛けてやるか。
「おーい。荷馬車が通るから気を付けろよー」
その声に反応したのは、ライラではなくアルフォンスの方だった。
彼は頷いて、ライラの許へ駆け寄っていく。
「……ふん」
あとはあの二人がボールを拾って戻ってくれば問題はない。
そのはず、だった。
「……?」
丘から見えた荷馬車は、徐行をしていた。
はじめは子供が近づいてくるから速度を落としたのだと思っていたが、ボールを拾ったライラのすぐ近くで完全に動きを止めたのだ。
妙な胸騒ぎがして、ケヴィンは一歩、足を踏み出していた。
そして、その胸騒ぎは当たってしまった。
二人の目の前で荷馬車が止まると、幌を付けた荷台から御者とは別のもう一人の男が現れた。
「お、おい……っ!!」
足を強く踏み込み、坂を下る。
視界の先では男に腕を口を捕まれて身動きが取れなくなったアルフォンスが、力なくその場に倒れ込むのが見えた。
「まっ、待て……っ!!」
あの二人を助けなければ。
頭にあったのはそれだけだった。
「おい、もう一人来るぞ!」
二人を襲った男と視線が合う。
もう一人の御者の男は御者台から降りて、倒れた二人を荷馬車の荷台に積み込んでいた。
「二人を、返せっ!!」
坂を下る速度を利用して助走をつけたケヴィンは、男に向けて飛びかかった。
しかし。
「おっと」
男の顔面向けて蹴り下ろした足は、すんでのところでかわされてしまう。
「……静かにしててくれよな」
その後覚えているのは、男に伸ばされた手を振り切れなかったということと、腹に入れられた拳の痛み。
そして、布越しに嗅がされた変な匂いとともに襲ってくる睡魔だった。
「……うぅ……」
次に眼を覚ますと、そこは荷馬車の中だった。
腹を殴られた痛みが鈍く響く。
起き上がろうと身体を動かしたところで、足はもちろんのこと、手も後手に縛られていたことに気づいた。口には猿ぐつわまで噛まされている。
「……んう……」
横を向くと、アルフォンスが同じような状態でこちらを見ていた。
「んん、ふふ……」
アルフォンスは背中を向け、縛られている足を動かしている。
その動きから、ケヴィンは何が言いたいのか推測した。
(なんだ……足? いや、靴……靴の踵――靴底か!?)
靴の踵を合わせているということは、それに何かがあるということだ。
ケヴィンは自分も後ろを向き、縛られている手をアルフォンスの靴へと近づける。
距離感や力加減に手こずったが、何度か試していると、アルフォンスの靴底を取ることに成功した。
そして、小さな音を立ててその中に入っていた物が床に落ちる。
(あれは……ナイフ?)
それは、折り畳み式の小さなナイフだった。
どうやら、靴底の空洞に収まっていたらしい。
「……」
相変わらず、荷馬車の御者たちは気づいていない。
アルフォンスはそのまま後ろ手のままで器用にナイフを拾い、その刃を立てた。
そしてそのまま自分を縛る縄に宛がい、手首、足と順に切っていく。
数分でロープから自由になったアルフォンスは、ケヴィンの方を向いて小さく呟いた。
先に口に噛まされていた猿ぐつわが外される。
「ありがとう。今、縄も外すね」
「大丈夫なのかよ。こんなとこをあいつらに見つかったら……」
ケヴィンの不安をアルフォンスは落ち着いた様子で答えた。
「それは大丈夫。君が目を覚ますちょっと前に、あいつら御者台からこっちの様子を見てたんだ。
その時に〝町を通るまでは大丈夫だろう〞って言っていたし、孤児院から馬車で三十分の場所に村はないはずだから、もうしばらくは大丈夫だと思う」
「お前、捕まってからずっと時間を数えてたのか?」
時計なんて高価なもの、子供が持ち歩けるはずがない。
いや、その前にだ。
「それよりお前……奴らから変な匂いのするやつ嗅がされて、眠らなかったのか?」
ケヴィンの問いにアルフォンスは小さく頷いた。
「うん……ちょっと吸ったけどね。あいつらの使ったムライの睡眠薬は、匂いに特徴があるから直ぐにわかったんだ。
でも、あの子は思いきり吸っちゃったみたいだし、一人には出来ないかなって……」
アルフォンスの奥で自分達と同じようにされているライラの姿が目に入った。
「ライラ……ッ」
「大丈夫。眠ってるだけで、呼吸もしっかりしてるよ。
それに、僕たちに危害を加えるつもりなら、もうとっくにやっているはずだ」
アルフォンスの言葉はもっともなものだった。
そうだ。殴られたり縛られたりはしているが、今のところ大きな怪我はない。
「なあ、俺たち……」
「うん……誘拐されたみたいだね」
言葉にされて、ケヴィンはようやく自分の置かれている状況を理解した。
途端、全身に鳥肌が立ち、震える。恐怖か、はたまた武者震いか。
けれど。
「……」
ケヴィンの脳裏にはあの言葉が浮かんでいた。
『それじゃあ、ケヴィン。お願いね。約束よ?』
あの人との約束を、今守らずしていつ守るのか。
そう思っただけで、いつのまにか身体の震えは止まっていた。
「これからどうする? 街道沿いの町までなら、あと三十分も経たずに着いちまうぞ」
「うん。でも僕らが今ここから逃げたとしても、きっとすぐ奴らに気づかれる。
なら逃げる機会は、この荷馬車が次の町に入って、周囲が賑わって来たのがわかって助けを求められる状況になってからが一番良い、と思う」
「そうだな……そいつらも連中のぐるじゃなきゃ、の話だろ?」
「……だね」
一瞬目を丸くしたアルフォンスが苦笑を溢す。
その表情は、同い年の少年のそれだった。
だからこそ、ずっと気になっていたことをケヴィンは口にしていた。
「そういえばお前、なんでナイフなんて持ってるんだよ。しかもあんなところに……」
農民の子供ならまだしも、こいつはあの女が連れてきた子供だ。
ケヴィンのその問いにアルフォンスは笑っていた表情をわずかに曇らせた。
そして返ってきたのは、小さく呟くような答え。
「……〝何かあった時に役に立つだろうから〞って、母さんが持たせてくれたんだ」
「ふうん」
それが今だった、といわけか。
睡眠薬のことといい時間のことといい、目の前にいる彼は自分とは何かが違う。
(ま、今はそんなこと考えてる場合じゃないよな……)
それから逃げる機械を伺いつつ、荷馬車の中で待つこと数十分。
馬車が止まり、御者の男が誰かと話しているのが聞こえた。
そしてわずかに言葉が交わされた後、再び荷馬車が動き出す。
「……もうそろそろ彼女を起こそう。状況の説明は……」
「俺がする」
アルフォンスと場所を交替し、眠っているライラを揺すって起こした。
「ライラ、起きろ。ライラ」
「……お兄ちゃん?」
「しっ。静かに」
いまいち状況が飲み込めていない様子のライラにケヴィンはかいつまんで説明する。
とはいえライラはまだ幼く、不安はなるべくあおりたくない。
「……いいか、ライラ。今、俺たちは間違って院から離れちまってる。
だから、この荷馬車から離れたら近くにいる大人に〝ユミンの孤児院にいるマレイン先生に会いたい〞って伝えるんだ。出来るな?」
努めて自然に告げる。
ライラは小さく頷きながら、二人を交互に見上げた。
「うん……でも、お兄ちゃんたちは?」
「いきなり君が居なくなったら驚くだろうから、僕たちはおじさんたちに事情を説明してから降りるよ」
アルフォンスが言う。
そう。
いくら町に入ったと言えど、三人全員が一度に荷馬車から降りたとしら、さすがに減った重みでバレてしまう。
仮にも人拐いの連中だ。
もし子供が逃げ出し、周囲の大人へ助けを求めたとしても、子供の家出だとかいう理由をつけて連れ戻す手段がいくつも用意されているに違いない。
だから、三人の中で一番軽く幼いライラを逃がす。
これが二人で出した答えだった。
「出来るか?」
再度、ライラに訊ねる。
「うん……ライラ、頑張る!」
やがて、周囲から人の声が多く聞こえてくる。
幌の幕をわずかに上げて外を見た。
午後も暮れに入る中で、町の中には活気が溢れている。
「よしっ、今だ……っ」
後方から馬車がないことを確認し、荷馬車の荷台からライラを降ろした。
「痛いっ」
徐行していたとは言え、固い地面に尻餅をついたライラが声を上げる。
その時。
「――今、子供の声がしなかったか?」
御者台の方から声が聞こえた。
「そうか?」
「ああ。もうそろそろ薬の効果も切れる頃だしよ……」
「お前が薬の量けちんなけりゃ、子供どもはラナンまでぐっすりだってのに――」
御者台側の幌の幕が開き、男がこちらを見ていた。
「てめえらっ、いつの間に!?」
そして、ケヴィンたちを襲った男が荷台の中に入ってくる。
ケヴィンは立ち上がって次の手を考えた。
「どうする!? 逃げるか!?」
「……君、一人で逃げて」
「お前、こんな時に何言って――」
第一候補だった〝二人で逃げる〞と言う選択肢は、アルフォンスの青白い顔で棄却される。
「お前、その足……」
立ち上がることさえ難しいのか、アルフォンスは右足を庇っていた。
「おいおい……もう一人の子供はどこ行った!?」
ライラの姿がないことを知った男の顔つきが変わる。
「なに!? 一人足りねえのか!?」
「ああ、女の子供がいねえ!」
御者の男が舌打ちをしながら言った。
「仕方ねえ! とりあえずその二人だけでも、もう一度ふんじばっとけ!」
大柄な男が腰から縄を取り出す。
二人の前には、武器になるものなんてひとつしかなかった。
アルフォンスが持っていたナイフを半ば強引に奪い、ケヴィンは男と対峙する。
自分と目の前の男の実力さなんて、先ほど痛い目を見て十二分に理解していた。
(ちくしょう!)
ケヴィンは心の中で悪態を着く。
結局、助けようとして逆に自分も捕まってしまった。
もし、あの時――二人が連れ去られれるとわかった時、すぐに大人たちに助けを求めていたら、事態は何か変わっていただろうか。
(だけど……)
あの状況で、二人を置いて行くことなんて考えられなかった。
今も〝自分一人で逃げる〞と言う選択肢は、端から頭にない。
だからこそ。
今度こそ〝全員守る〞と決めたのだ。
「この野郎っ!!」
狭い荷馬車の中で、勢いよく踏み込む。
しかし。
「威勢は良いようだが、残念だったな」
ケヴィンの腕は大男に軽々捻られ、ナイフは床に落ちてしまった。
「刃物なんてアブねえだろ? どこから出した?」
そして。
軽々と胸ぐらを掴まれ、全身を持ち上げられる。
加えて腹に一発拳を入れられた。
「くは……っ」
全身が殴られた痛みを思い出す。
「止め――」
アルフォンスが叫ぼうとした。
しかし、男が一瞥を向けて言い放つ。
「そこの子供。今度勝手に何か一言でも喋ってみろ?
お友だちがどうなっても知らねえからな」
足が中に浮いていて、まともな身動きはおろか呼吸ひとつ満足に出来なかった。
「お前も、大人しくしててくれよ、なっ!」
もう一発。
ダメだ。全身に力が入らない。
「俺たちにもノルマってのがあるんだよ。だから――」
男が嫌々しく溜め息をついていた。
痛みで意識を手放そうと思った、その時。
「そこの荷馬車、止まりなさい!」
聞き覚えのある声が、直ぐ後ろの方から聞こえた。




