偽りはまことしやかに踊る【2】
ご拝読ありがとうございます。
更新時間については今後は変わるかもしれませんが、基本的には金曜日あたりになるかと思います。
【2020/8/1:修正】他の投稿と合わせるために改行と文体に手を加えました。
(話し声……?)
どうやら、入ってきたのは一人ではないらしい。
窓が閉め切られているせいでくぐもった声しか聞こえなかったが、どうやら二人の男性のものだった。
声色はオリバーよりも年上のようで、低く、苛立ちが含まれている。
いけないと思いつつも、私は茂みにぶつかって音が出ないよう、ゆっくりとしゃがんで窓の隅越しから覗く体勢に移行した。
「――着工は予定通り、来年の春に始めるそうです」
「馬鹿な。このままでは、向こうの思う壺だぞ」
ちょうど窓の方へ来たのか、二つの声が近づいた。
「何が協定だ。あの共和国の若造にいいように使われておって」
「陛下も殿下も、亡国と同じ轍は踏みたくないのでしょう」
「だからと言って、建設費用の負担に加えて人材の負担まで承諾する必要はあるまい」
「しかし、建設予定地のウルトラウムはわが国の領地ですし、対岸のミスクワは共和国きっての商業都市です。
運河が開通すれば、それなりの収益は見込めるかと……」
「そんなもの、向こうの言い分に過ぎん。
民を蔑ろにしてまで隣国に媚を売り、このままわが国の財を流出させる事態になるようなことは断じて見過ごせん」
(……ありゃりゃ……)
声の主たちは憤慨しているせいか、話し声は思ったよりもはっきりと聞こえてしまった。
これは、もしかしなくとも私が聞いてはいけない類いの会話ではなかろうか。
恐らく協定というのは、その内容から去年隣国のストランテ共和国と結ばれた経済連携協定のことだろう。
けれどいくら締結されている協定に基づく国家同士の取り決めで、いずれ世間に流布されるものであろうとは言え、現段階では秘匿事項のはずだ。
非常に気になるが、これ以上ここにいると、誰かに見つかってしまうかもしれない。そうなったら色々不味い。
けれど腰を上げた時、緊張で足の力が抜けて身体が茂みに傾いてしまった。
ざわっ、という音と共に緑の香りが鼻に飛び込んでくる。
「誰だ」
(やばい……っ!?)
部屋の中の声が窓のすぐ近くまで来ていた。
一気に身体中へ熱が帯びる。どうしよう。
急いでその場から立ち去ろうとしたその時。
「……っ!?」
突然、背後から腕を引かれたかと思うと、次の瞬間には身体が誰かの腕の中に預けられていた。
「静かに」
同時に口許を手で塞がれる。
何が起こったから理解できない私の頭を他所にして、耳元から囁かれたのは冷静かつ優しげな男性の声だった。
オリバーのものではなく、聞いたことがない声だ。
(だ、誰っ!?)
「大丈夫。じっとしていて」
敵意は感じられなかったが、振り向いてその顔を確認しようにも、私身体はすっぽり相手の腕の中にいた。
ちょうど、座り込んで背後から抱き締められているような体勢。腕に力をいれてもびくとも動かなかった。
「今は下手に出て行かない方がいい」
私の心情を察してか、その声色はなおも優しかった。
その時、日除けが開けられる音がして、わずかに窓が開く。
そして頭上にする人の気配。
「……」
何がなんだかわからない状況も相まって、鼓動が早鐘のように鳴り響いていた。
「どうだ?」
部屋の中から聞こえた声は、周囲を見渡しているその人物に向けられたものだった。
どうか気づかれませんように。
そう祈っていると――
「にゃあお」
猫が鳴いた。
私がいる茂みよりわずかに前の、中庭の開けた場所に、真っ白な毛並みの猫が優雅に尻尾を揺らしながら鳴いていた。
「大丈夫です。王子の猫でした」
窓から覗く人物は、安堵を含んだような小さい溜め息をつき、その手で窓を閉めた。
しばらくの沈黙のうち、部屋の奥から聞こえた扉の閉まる音。
どうやら、こちらの回廊にも来る気配はないようだ。
「よかった……」
感情を声にしたことで、いつの間にか自分が謎の人物から口も身体も解放されていることに気づく。
「ははは。危なかったね」
そして背後で聞こえた声に、私は改めて心臓が飛び出しそうになった。
私はその場から飛び起きて振り向き、声の主の姿を確認する。
そこにいたのは、とても綺麗な青年だった。
午後の日差しに輝く蜂蜜色の髪に、深い海のような青色の瞳。
整った顔立ちがより一層、青年の存在を輝かせていた。
社交界の令嬢方曰く端整というオリバーの顔立ちは、どちらかといえば精悍な部類に入るのであって、本来は目の前の青年のような人のことをいうのだと思う。
「さっきはいきなりごめんね」
青年は立ち上がり、服についていた土や葉を払っていた。
一挙手一投足がすべて優雅に見える。
「い、いえっ、こちらこそ助けてくださり、ありがとうございます」
彼がいなかったらきっと今頃、先程の人物たちに見つかっていただろう。
そうなっていたら近衛兵は勿論、最悪の場合はオリバーまで呼ばれて、危うく私も彼も人生が終わるところだった。
そんな未来にならなくてよかったと、心の底から安堵する。
「たまたま君が中庭に出るとこを見つけてね。それにしても見かけない顔だ。
女官、というわけではないだろう? どなたの客人かな?」
目的地までご案内しますよ、と微笑みかける青年。
「あ、私はその……エインズワース公爵に届け物を」
宮廷に招かれた分際でありながら、勝手に出歩いた上にもろ国政がらみの話を盗み聞いてしまったとは、本当のこととはいえ口に出したくはなかった。
けれど名乗らないわけにはいかないので、用件と持っていた許可証を青年に見せる。
「なるほど。ちゃんと許可は貰っているんだね」
許可証の中身に目を通した青年は、一瞬思案顔を覗かせたが、すぐに封筒を返してくれた。
「とはいえ、今さっき聞いたことは――」
「勿論、生涯一切、誰にも口外いたしませんっ!」
食い気味に答えてしまったが、相手の返答には笑みが含まれていた。
「わかっているよ。新婚に免じて許してあげよう。
あいつの執務室は、この回廊を右に曲がって、突き当たりを左に行った先の部屋だよ」
青年は、指で回廊の先を指しながらウインクしてみせた。
「ありがとうございます」
私は恥ずかしさで頭が一杯で、お辞儀をしたあと急ぎ足で教えてもらった道を進んでその場を立ち去った。
(……あ、お名前を伺うの忘れていたわ)
少し行った先ではたと気付く。
恥ずかしさのせいで私は名前を名乗らなかったが、青年は私のことを『新婚』と言っていた。
(どうして知っていたのかしら?)
オリバーに訊けば、彼が誰か教えてもらえるかもしれない。
同僚ならば結婚式にも来ていたはずだけれど、あんな素敵な人を一度見たら忘れるはずがなかった。
もし部署が違ったとしても、面識くらいはあるかもしれない。
それにしてもあれだけ見目が麗しければ、きっと宮廷内でも女性陣から黄色い声が上がっているはずだ。
疑問はあれど、次に会ったときは改めてお礼を言おう。
次は一話のみとなりまずが、別人物視点のお話です。