05 初めてのお仕事
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エインズワース公爵領は代々、その統治及び管理を六人の伯爵に一任している。
アドコック伯爵、ヘインズ伯爵、クワイン伯爵、キンバリー伯爵、リンド伯爵、ルキエ伯爵の六人だ。
そして各領地の財源は様々で、風土に根差した農業が盛んなところもあれば、手工業や商業が盛んなところもある。
今回の私たちが赴く視察先は、公爵領北側に位置するアドコック伯爵領とクワイン伯爵領、そしてキンバリー伯爵領の三つを予定していた。
この三つの伯爵領は主となる財源が小麦や大麦、葡萄などといった農業となるため、収穫期を過ぎた頃に視察を行うのが例年の慣わしになっているのだそうだ。
アドコック伯爵領に入って二日目。
今日は公爵夫人になった私にとって、初めての仕事の日となる。
視察先は、私たちの滞在先でもあるアドコック伯爵領の主要都市ユミンの町外れにある、孤児院と治療院が併設された教会。
ユミンの教会は漆喰の白い壁と落ち着いた茶色の尖塔が印象的だった。
「ようこそお越しくださいました、公爵夫人」
教会の入り口で私をそう出迎えてくれたのは、教会のローブを纏う、司祭さまと思われる老齢の女性。
「私は本教会をお任せいただいている、マレインと申します」
「はじめまして、マレイン司祭。
この度、エインズワース公爵より本施設の視察を仰せつかりました、ヴェロニカ=エインズワースです」
私はマレイン司祭へカーテシーを返した。
「本日は教会と孤児院の両施設に、公爵夫人の視察のお時間を頂いていると伺っております。
そこで昼食には公爵夫人のお越しを歓迎して、ささやかではあるのですが教会と孤児院の皆で歓迎会をさせていただきたいと思っております」
「まあ、それは楽しみです」
マレイン司祭に続いて教会の聖堂の中に入ると、教会特有の静謐な空気が胸に広がっていくのがわかる。
色とりどりのステンドグラスが午前の陽光を浴びて、聖堂の床を彩っていた。
主祭壇には主神の像が奉られている。
その手に、本と杖を持つ神像。
「〈賢将〉ですよね」
「はい。この地域は昔から賢将信仰の地ですので」
〈賢将〉は智慧を司る神で、旅人の守護神だ。
アドコック伯爵領の中でも、移動の中継地点として栄えるこの町に相応する信仰とも言える。
「本教会はユミンの皆様の信奉の場として、古い歴史を持っております。中でも中央のステンドグラスは、コルデン朝初期に作られたもので――」
その後。
教会での視察は何事もなく進み、私は併設された治療院へと案内された。
「エインズワース公爵夫人。よくお越しくださいました」
治療院の一室へと案内された私にそう声をかけたのは、初老の男性だった。
灰色の髪は短く整えられており、マレイン司祭とは異なるローブを纏っている。
「私は、アシュトン=ブーアと申します。この治療院に来て五年目になります」
「それでは、ご案内いたします」と言うアシュトンの後に続いて、私は治療院の中を視察へと入った。
診察室の隣の部屋は少し広い病床となっており、左右両側に五台ずつ寝台が置かれている。
治療院は数十年前に一度立て替えられているそうで、清潔感が維持されていた。
けれど、問題だったのはその外。
一度外に出て裏手へと回り、病床がある部屋の真上と思われる屋根をアシュトンが指差した。
その先にあったのは、深緑の屋根の一部に補強された板。その大きさは屋根の面積の三分の一を占めていた。
アシュトンが状況を説明してくれる。
「昨年の大雨の被害で、天井が雨漏りしてしまいまして」
どうやら昨年は降雨量が例年よりも多かったせいで、治療院の屋根の一部に雨漏りが発生してしまったのだそうだ。
その修繕費を寄進で賄ったものの、年々老朽化する治療院の改修工事を行いたいそうで、来年度の予算増額を打診したという訳だった。
「あれは酷いですね」
この治療院の前身となる施設ができたのは、今から二百年ほど前。
その後、数十年単位で立て替えられているものの、前回の立て替えからはすでに二十年は経過しているらしい。
全改修とまではいかないまでも、老朽化している屋根や壁の改修を行いたいと告げるアシュトン。
「予算の増額理由はわかりました。私からも申請が通るように進言してみます」
「ご理解、感謝いたします」
教会に併設される治療院は一応、季創十二神教会本部の管理下にあり、そちらからもいくらか予算が出ているはずだった。
けれど、大まかな運営は属している領地の各領主の許可が必要なため、都合の良いときに行えるとは限らないのだ。
(さてと。次は――)
一番の懸念点だった治療院の視察を終え、私は次の視察場所へ向かおうとした。
その時。
「ねえ、あの人が〝こうしゃくふじん〞?」
「ちょっとライラ、あんまり出過ぎると見つかっちゃうわよ!」
小声で話す、誰かの声が聞こえた。
私がそちらの方を見やると、治療院の壁の陰から顔を覗かせていた、小さな女の子とふと目が合う。
その後ろにも、今話していた声の主たちと思われる何人かの子供たちの姿があった。
「あなたたちは……?」
私が彼女たちへしゃがみこんで視線を落とす。
すると彼女たちは、ぞろぞろとこちらへとやって来て私の前へと並んだ。
子供たちへ向けてか、マレイン司祭は慌てた様子で言葉を口にする。
「あらもう! みんな、きちんと待っていると約束したでしょう?」
「だって、私たちだって〝こうしゃくふじん〞にご挨拶したいもん!」
辿々しい口調で私と目が合った女の子が告げる。
歳は多くて六歳。好奇心をたたえるその瞳は、キラキラと輝いていた。
「……あなたが、〝こうしゃくふじん〞?」
「ええ、はじめまして。私はヴェロニカ=エインズワースです。みんなのお名前は?」
私がそう訊ねると、子供たちは口々に答えてくれた。
子ともたちの中で一番幼いと思われる女の子が、我先にと手を挙げる。
「ライラ!」
次に、その隣にいた短い赤髪の女の子が口を開く。
「あたしはタニアです」
次にタニアと似た容姿で、同じ赤髪を三つ編みにして垂らしている女の子。
「……ミリアです」
その次は、明るい茶髪がよく似合う元気な男の子だった。
「俺はセット!」
そのセットとは対照的に、彼の後ろに隠れている金髪の男の子。
「カルヴィンです」
「……」
そして最後に残ったのは、茶髪の癖っ毛が特徴的な男の子だった。
私は彼と一度は目が合ったものの、すぐにそらされてしまう。
いくら待っても、彼は自分から名前を名乗りはしなかった。
「どうしたの? あなたのお名前は?」
「ふん」
私が訊ねたところ、そんなそっけない返事が戻ってくる。
どうやら、言葉を話せないということではないらしい。
(あらあら……)
何か彼の気に障るようなことをしてしまったのかと自分の行動を思い返してみるも、会ってまだ数分も経っていない。
「こら、ケヴィン! 教会の大事なお客様なのですよ!」
マレイン司祭が彼の名を呼んでたしなめた。
ケヴィンと呼ばれた少年は、ばつが悪そうな表情をしつつ「はーい」と小さく呟く。
「申し訳ありません。普段は聞き分けの良い子なのですが……」
「大丈夫ですよ」
そう答えた私の服の裾を、ライラと名乗った女の子が掴んでいた。
「ねえねえ。今日〝こうしゃくさま〞は? 一緒じゃないの?」
「ええ。今日は一緒じゃないわ。公爵様(あの人)は今、セロットの方へ行っているの」
「そっか。残念……」
口調だけでなく表情からも、彼が子供たちから慕われているというのがわかった。
毎年ここへ視察に訪れているということは、子供たちとも顔を合わせたことがあるのだろう。
「みんなが会いたがっていたと伝えておくわね」
私は出迎えてくれた子供たちそれぞれと、もう一度目を合わせて口を開いた。
「それより、みんなには私のこと〝ヴェロニカ〞って呼んでほしいわ。お願いできる?」
「うん! いいよ!」
子供たちは皆頷いて快諾してくれる。
一方でマレイン司祭は首を横に振っていた。
「そんな、公爵夫人。畏れ多いことを……」
彼女の言いたいことは理解できる。
けれど私は、子供たちから公爵夫人と呼ばれるのがどうしても違和感があると口にした。
「実は私、今年の春まではプーラの修道院にいたんです。だから、子供たちからは名前で呼ばれないと落ち着かなくて」
修道院にいた時はもちろん、公爵夫人になるなんて思いもしなかったから、子供たちからはずっと愛称の〝ニカ〞で呼ばれていたのだ。
私が懐かしい場所の名を口にすると、マレイン司祭が驚いたように言葉を告げる。
「まあ、プーラに? もしかして、メイヴィス司祭をご存じなのでしょうか?」
「ええ。院長先生には大変お世話になりました。司祭さまこそ、院長先生をご存じなのですか?」
「はい。同じ学舎で学んだ学友です」
「そうだったんですね」
同じ女性の司祭であるということでも親近感を覚えていたのに、こんなところでも繋がっていたなんて。
私はせっかくだからと、マレイン司祭へひとつの提案をすることにした。
「次は孤児院の視察でしたね。よかったら、子供たちと一緒に見て回っても構いませんか?」
「はい。それは構いませんが……」
私は子供たちに向き直り、彼女たちにお願いしてみる。
「みんな、私にお家を案内してくれる?」
「はーい!」
先頭を行くライラに手を引かれながら、私は孤児院へと向かった。




