03 先代公爵の答え
ブレンドンさまに用意していただいた夕食を済ませた後、私たちは談話室にてことの経緯を説明した。
と言っても、説明のほとんどはオリバーがしたのだけれど。
「――なるほどな」
聞き終えたブレンドンさまは、顎に手を宛てて思案顔を浮かべていた。
「まあ、あの子の容姿を見れば、そんなことではないかと思ってはいたが……」
今、この場にアルフォンスはいない。
まだ体調が回復していない様子だったので、別室でリリカに看てもらっていた。
(……それに、こんな話を子供に聞かせるわけにもいかないわよね)
再び口を開いたブレンドンさまが、彼の母親について訊ねてくる。
「第一、あの子の母親はなんと言っているのだ?」
「それが、今年の春先に亡くなっているそうです」
私はゼラインから聞き及んでいることを告げた。
アルフォンスの母親はリアリナという名前で、グレミゼンの繁華街にある娼館で娼婦をしていたらしい。
繁華街では、知る人ぞ知る美人で有名だったようだ。
「そして母親から、自分に何かあった場合は〝父親のエインズワース公爵を尋ねろ〞と言われていたらしく……それで王都まで来たのだと」
これらはすべてゼライン伝手に聞いた話ではあるものの、アルフォンスの身の上を考えればごく自然なことだった。
「……」
沈黙が室内を包んでいた。
私とオリバーは固唾を飲んでブレンドンさまからの返事を待つ。
「……残念だが、私でもないな」
けれど、しばらくの後。
最後の可能性も、きっぱりと否定されてしまった。
「確かに私も若い頃は、多少遊んでいたことは認めよう。
しかし結婚してからは亡くした妻クリスティア一筋でな。これはすべての神に誓ってもいい」
おどける様子もなく、さもありなんと言葉にする義父。
きっと、その言葉に偽りなどないのだろう。
「それじゃあ、あの子は一体……」
手掛かりはまだ、あるにはある。
けれど、それはどうしようもなくなった時の最終手段だった。
第一に、アルフォンスが生まれたグレミゼンは、他でもないエインズワース公爵領であるということ。
第二に、オリバーやブレンドンさまの滞在期間が、彼の生まれた時と被っているということ。
そして第三に――何より、オリバーと容姿が似すぎているということ。
黒髪黒目の人なんて、他の地域を探せばきっといくらでもいるはずだし、親の遺伝なんて絶対なんてことはない。
そう頭で思ってはいても、ここまで共通点が揃っている以上、〝無関係〞と切り捨てることは出来なかった。
「――で、どうするんだね?」
ブレンドンさまが、もう一度静かに問うてくる。
「公爵家を頼ってきたあの幼子を、お前たちは一体どうするつもりだ?」
その言葉を聞いて、私よりも先に口を開いたのは、オリバーだった。
「今、ニコラスに事実確認の調査をさせています。委細はその報告の後に――」
けれど、ブレンドンさまはそれを遮るように告げる。
「六年も前のことだ。調べなどついても、たかが知れている」
その眼差しと口調は、以前伯母さまより聞いた公爵時代の豪傑な人物像を思わせた。
「それよりも、儂が言いたいことは、だ。
あの幼子がお前の落胤であとうとなかろうと、こうなっている現状事態に問題があるということだ」
「それは、どういう……」
鋭く尖るブレンドンさまの声に、私はつい言葉を漏らしてしまう。
「エインズワースは、カルヴェスター朝より四百年続く、数少ない名家の一つ。
その名を騙る者がいるというだけで、我が家名にとっては恥なのだよ」
王国史に明るくない私でも、公爵家が由緒ある家柄なのだということは前々から知っていた。
そして、義父の言葉で改めてそれを理解する。
仮に本当に血縁関係があったとしても、名門エインズワース公爵家以外の人間がその名を無断で騙るということは、それだけで地位の失墜に繋がりかねない醜聞になる。
ブレンドンさまはそれを危惧していらっしゃるのだ。
「今の当主はお前だ、オリバー。この名が背負う意味を、分かっているのだろうな?」
「それは、重々承知しています」
私には、二人にしかわからない問答のように聞こえていた。
(この名が、背負う意味?)
目を瞬かせながら、その言葉を頭の中で反芻させる。
とはいえ、何の手掛かりもない状態ではわかるわけもなかった。
この話は、エインズワース公爵という立場にある、またはあった者にしかわからないものなのかもしれない。
「――それにだ。今回の騒ぎの一端は、君にもあるのではないのかね?」
「私、ですか……?」
突然、私へと向けられる、ブレンドンさまの言葉と琥珀色の双眸。
静かである分余計、答えを求められているように感じた。
「父上」
オリバーが諌めるように間に入ってくれたものの、ブレンドンさまの言葉は止まらない。
「先にも言ったが、我がエインズワースの名を騙る者がいる、というだけで外聞が悪い。
しかし、私が公爵の位に就いていた二十年間、そのようなことは一切起こらなかった。それは単に、妻であるクリスティアの助力があったからでもある」
「……お義母さまの……」
「何も、彼女と同じ功を君に求めている訳ではない。だがな、倅と君が一緒になった途端、このような――」
「お言葉ですが、父上」
ブレンドンさまの言葉を、今度はオリバーが制止した。
「彼女に責を問うのは筋が違います。彼女には感謝こそすれ、非は何一つありません」
隣でその言葉を聞いて、彼にこそ感謝の気持ちを伝えたかった。
そして同時に、自分の無力さを痛感する。
ブレンドンさまは小さく溜め息を吐くと、瞳を閉じながらあることを呟いた。
「……お前さんたちの挙式からここ数ヵ月。儂が何も知らないとでも思っているのか?」
「!?」
一体、どこからどこまでの話をされているのか。見当が多すぎてわからなかった。
「儂も、お前たち夫婦間の話に容喙するつもりは毛頭ない。
しかし世間には常に、こちらの粗を見つけてはそれを拡大解釈し、時には事実の中に一握りの偽りを混ぜて流布する連中が一定数存在する。
そのような輩に漬け込む隙を作らないことが、我々の世界では肝でね」
二十年間爵位を守ってきた義父は、その貫禄のある言葉を口にする。
けれど、どの言葉よりも私の中で重たくそして鈍く響いたのは、次のそれだった。
「……かの〝千眼〞の縁者だからと期待しておったが、君にそれを求めるのも少々酷な話だったかもしれんな」
結局、私は何も言えなかった。
あの後、再びオリバーが私を庇ってくれて、私はひとまず席を外すことになったのだけれど。
「……」
私は一人階段を上がって、用意された自室へと向かいながら、先程のことを思い出していた。
けれど彼が何と言って庇ってくれたのか、その辺りから記憶が曖昧だった。
それだけ、ブレンドンさまの言葉が私の心に深く刺さったのかもしれない。
「……ここ、ね……」
私に用意されたのは東棟にある奥の部屋。
扉に向かう前の壁には目印にと教えてもらった、季創十二神の四季巡りを題した絵画も飾られている。
部屋は広くとも落ち着いた雰囲気で、調度品はほとんどが新品のように手入れされていた。
もしかして、私がくるから新しく誂えた……とかではないわよね?
慣れない部屋のソファに一人座っていると、否が応でも先程の義父の言葉が脳裏に浮かんでくる。
(私だって、伯母さまみたいになりたいわ……)
お会いしたことのない義母に比べて、マリアンナ伯母さまと比較されるのはままわかる。
けれど、私は伯母さまの姪というだけで、伯母さまのような優れた能力を持っているわけではないのだ。
一人、溜め息を吐いたその時。
扉がノックされた。
まだオリバーたちと別れてからそれほど時間も経っていない。
だから考えられるとすれば……
(じゃあ、リリカか新しい侍女の子かしら?)
私は返事をして、一応背筋も正した。
「ええ、どうぞ」
「失礼いたします、奥様。
本日より御滞在の間、奥様のお世話をさせていただきます――」
けれど。
入室してきた彼女を見た私の目は、さぞ丸くなっていたことだろう。
「あなたはっ!?」
目の前に立っていたのは、数ヵ月ぶりに再会する人物だった。
「はーい☆ 皆大好き、エリーちゃんでーす!」
メイド姿に中性的な容姿。そしてその声。
扉から入ってきたのは、エリオットもとい、エリーだった。
「どうしてあなたがここに?」
驚きを隠せない私に、エリーは会釈をして経緯を説明する。
「今回、お二人が視察でユミンに滞在されるにあたり、こちらの屋敷の人員が補填されたんです」
「それで、あなたもその人員として?」
「ええ。吃驚しました?」
悪戯っ子っぽく笑っているエリーが、メイド服でカーテシーをする。
「ええ、とっても……」
それまでに悩んでいたことを、一瞬にして忘れてしまうくらいには。
年齢不詳、性別不詳のエリーは、メイドなんて仮の姿。
その実、オリバーの懐刀として領地内を内偵調査している影の騎士であり、またの名をエリオット=ガーデンという。
「もう、奥様ったら素直でよろしい! ですが、そんなに緊張しなくていいんですよ?」
けれど、今この姿の時は〝エリー〞と名乗っているそうだ。
「この屋敷での奥様の快適な生活は、私が全力でお届けしますので」
そして、服装でテンションも仕草も変えているのか、舞踏会で会った時の彼とは纏う雰囲気も異なっていた。
「あ、ありがとう……」
見知った顔ということで安堵した私は、改めてソファに深く腰を落ち着けた。
「どうかなさいましたか? 奥様」
「えっ?」
不意の質問に、少しだけ声が上擦ってしまう。
「お元気がないようでしたので……本日はもうお休みになられますか?」
私の普段の様子なんて知る由もないはずなのに、どうしてわかるのだろうか。
私は首を横に振る。
「ううん、いいの。もう少し起きているわ」
オリバーがブレンドンさまとどんな話をしたのか、もしかしたら後で教えてもらえるかもしれない。
そう思ったら、寝るに寝れなかった。
エリーは「わかりました」と小さく頷くと、ぱちんと小さく手を叩いた。
「そうでしたわ! 先発の便で到着した奥様の衣装! 今回の夜会でお召しになるものなのでしょう?」
「え、ええ……」
突然の話の切り替えに戸惑いつつも、私は彼女の質問に首肯する。
「公爵家に輿入れした奥様の晴れ舞台ですもの! ぜひ、私にもお手伝いさせてくださいませね! そうと決まれば、色々と準備をしないといけませんわ!」
「準備?」
今度は首を傾げる私。
「ええ。何事にも万全を期して挑みませんと。
不肖、あなたの騎士であるこのエリーちゃんが、みっちりきっちりサポートさせていただきますので☆」
エリーはそう言って、ウインクを投げて寄越した。




