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レディ・ヴェロニカの秘めやかなご所望  作者: 都辻空
レディ・ヴェロニカは真実が知りたい!

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01 嵐の前触れ

ご覧いただきありがとうございます。

本日より第三部開始いたします。


 馬車が揺れる。

 もうそろそろで、今日の目的地であるアドコック伯爵領内へと入る頃合いだった。


 王都のエインズワース邸から馬車で二日。


 馬車のサンシェード越しに、〈八月の賢将(ヘムル)〉の暖かい日差しが伝わってくる。


 けれど、陽気な日差しとは裏腹に、馬車の中には陰鬱な空気が漂っていた。


(……き、気まずい)


 向き合って座っていたオリバーは、午後の出発からずっと口数が少ない。


 まあ、その理由はある程度わかってはいるのだけど……。


 私は膝を貸している幼い少年、アルフォンスへと視線を落とした。


 その表情は見るからに辛そうだ。


「……大丈夫? もうちょっとだからね」


「う、うん……」


 弱々しい返事。


 どうやら六歳の男の子には、馬車での移動は体力的にきつかったらしい。


 今朝の出発から半日のところで、随行していた馬車に乗ったアルフォンスが馬車酔いを起こし、戻してしまったのだ。


 それならと、多少なりと緩衝器(サスペンション)の性能が良い私たちの乗る馬車に移動したのだけれど。


 私はアルフォンスの黒髪にそっと触れ、その額からずれてしまった濡れたハンカチを元の位置に戻す。


(……なんで、こんなことになっちゃったのかしら?)


 溜め息を飲み込んで、私はこうなったすべての始まりについて思いを巡らせることにした。


 ◆


 そもそも、ことの起こりは約一ヶ月前。


 〈七月の光姫(ガートリンナ)〉の恩恵たる陽光が眩しく煌めく日のこと。


 私はとあることを直談判しに、夫であるオリバーの書斎を訪れていた。


「――視察を手伝いたい? 君がか?」


「ええ。私にも何か出来ることがあるんじゃないかって」


 一ヶ月後に自領地である公爵領の視察を控える彼は、早速訝しげな視線を向けてくる。

 

 もしかすると普段、滅多に入らないエインズワース邸の彼の書斎に私がやって来た時点で、何かを予見していたのかもしれない。


 とは言え、今度の視察には元々私も同行することになっているのだから、何も問題はないはずだ。


 今のところ私に与えられている仕事は、彼と共に参加する夜会の一日限り。


 それ以外で私に用意されているのは宿泊先の別荘(カントリーハウス)での静かに待つことのみだった。


 これではあまりにも手持ちぶさたが過ぎると思わない?


「いや。特にはないな」


 私の望み虚しく、オリバーが現実を口にする。


「そう……」


 私は一瞬言葉を飲み込んだ。


(――なんて、ここで諦めてたまるものですか)


 そして、改めて彼に向き直る。


「でも、私だって何かしたいの」


 曲がりなりにも、私は公爵夫人。


 侯爵であるマリアンナ伯母さまだって、国税庁の文官として勤めながらデルフィーノ侯爵領内の視察を行っていると聞いた。


 長年それを両立している伯母さまと比べて、今年公爵家へ嫁いできたばかりの私に経験が不足しているのは重々承知している。


 それでも、このままではいけない。現状に甘んじてはいけないのだと、私の心は告げていた。


「だが……」


 その一瞬。


 逡巡の色をその黒い瞳に映したオリバーに、私は勝機を見いだした。


(……これは、アレをするしかないようね)


 そして私は、事前にリュカから聞いていた〝伝家の宝刀〞を試してみることにする。


「私は、公爵領と何より……()()()()()()()()()()()


 頭の奥では、リュカの言葉(アドバイス)が反芻していた。


『いいですか、ヴェロニカ様。この台詞はあと一押しという時に言うのがコツです』


 その言葉通りのタイミングで言えたはずだ。


 私と合っていた視線がずらされ、オリバーが下を向く。

 あれ? 上手くいかなかった?


 それど、そんな私の不安は杞憂だったようで。


「……わかった。検討しておく」


 とひとつ咳払いしたあとにオリバーがそう口にした。


「それなら、是非ユミンの視察に行かせて!」


 間髪入れずに、私は要望を口にする。

 度重なる私の主張に驚いたのか、オリバーは眉を少しだけひそめていた。


「ユミンに?」


 既に彼の視察予定表には目を通している。

 ユミンというのは、公爵領のひとつであるアドコック伯爵領内の町の名前だ。


「ええ。ユミンでは、教会と孤児院の視察が予定されていたはずです。


 私がその両方を視察すれば、その分あなたは他のところを視察できるでしょう?」


 ユミンはアドコック伯爵領のなかでも大きな町なのだそうだ。

 なのでその分、町の治水や灌漑設備の視察が多く予定されている。


 そして彼の視察計画(スケジュール)では、一日でその大半を視察することになっていた。とんだ過密計画だ。


 いくらなんでも多忙に無謀なような気もするのだけれど。


(オリバーだったらこなせるって思ってしまうわよね)


 彼が爵位を継いでからは毎年のことだそうで、この過密計画を教えてくれたニコラスも「毎年のことなので」と肩をすくめていた。


「確かに私は、あなたや伯母さまみたいな経営知識や判断能力は持っていないわ。でも、現地の人や抱えている問題を一緒に考えることはできると思うの」


 きちんと報告書もまとめるし、必要なら改善策だって考える。


 視察の右も左もわからない状態で、彼の仕事の半分を任せてなんて大きいことは言えないけれど。


 だとしても、ひとつでも多くのことを覚えたかった。


 今まで何も携わったことがないから、経験なんてないから出来ない。そんなことを言っていたら、いつまで経っても成長なんて望めない。


 何より自分のために、出来ることはすべてやりたかった。


「それに、私は修道院にいた時期も長いから、少しは勝手がわかるはずです」


 駄目押しで言ってみる。


 教会経営の深いところまではわからないけれど、人手が足りなかった修道院では多少帳簿をつけたこともある。その経験が僅かにでも活かせるはずだ。


「…………わかった」


 長い沈黙の後に、オリバーが首肯する。

 渋々そうな声ではあったけれど、言質は取れた。


「ほんとに!?」


「だが――」


 その場で飛び上がりそうになった私を、オリバーの声が制止させる。


「視察に行く前に、その二施設から上がってきている年次報告書と帳簿、来年度の予算申請書には最低限目を通してもらう。


 あとでニコラスに君の部屋まで届けさせるから、視察までに目を通しておくように。いいな? ヴェロニカ」


「勿論ですっ!」


 彼が出した条件に、私はすかさず笑顔で答えた。


 しかして後日、山のように机へと置かれた資料と対峙して一瞬怯んでしまったのは、また別の話ということで。




 それらの資料にも一通り目を通し終え、一週間後に視察を控えた日のこと。


 その事件は起こった。


「なんとか終わった……っ!」


「お疲れ様です、ヴェロニカ様。それでは、談話室に紅茶の用意をしております」


「ありがとう、リリカ」


 報告書で気になった点もまとめ終わったし、あとは実際の現地で関係者から説明を聞くだけだ。


「そう言えば……」


 談話室に向かう途中、ふと、ユミンでの滞在先はあの方がいるエインズワースの別荘(カントリーハウス)になっていたことを思い出す。


(お義父様、お元気かしら?)


 その時。


「――」


 玄関(エントランス)の方で、何やらいくつかの声が聞こえた。


 玄関へと繋がる二階の階段に出ると、ウォーレンとリュカが扉の前に立っていたのが見える。


 扉の外にはどうやら、来訪者がいるようだった。

 何やら、違う、違わないと言い争いをしているのが僅かだけに聞こえてくる。


「ですから、ご予約のないお客様をお迎えするのは……」


「後生ですから、そんなことは言わねえで、話を聞いてください」


「では日を改めてお越しください。主人にはその旨、お伝えしておきますので」


 二人の声は、その人物の対応にずいぶんと辟易している様子だった。


 ついつい心配になって、階段を降りる途中で声をかける。


「どうかしたの?」


 私に気づいたウォーレンが首を横に振って告げる。


「奥様、いけません。お部屋にお戻りください」


「ああ。もしや、あなたがエインズワース公爵夫人ですか?」


 扉の中に入ってきそうになる男性に、リュカが眉をひそめてその動きを手で制止した。


「おい!」


「え、ええ……あなたは?」


 男性は従者を連れていない。ということは、貴族ではないのかしら。


 身なりは小綺麗にしているものの、その姿勢やこれまでの物言いからどこか違う気がした。


「私はグレミゼンのゼラインと申します。奥様」


「……グレミゼン?」


 あまりにもタイムリーな場所の名前を聞いて、私は思わず聞き返していた。


 確かグレミゼンは、先ほどまで目を通していた資料にもあった名前だ。確か、アドコック伯爵領に隣接しているクワイン伯爵領内の町の名前のはず。


 それに、出身地や勤めている地名を名の前に名乗るというのは、名字がない平民には一般的なことだった。


 私がゼラインと名乗った男性に再度話しかけようとした時、間に入っていたリュカが私に首を横に振った。


 その強められた口調からは有無を言わさぬものが伝わって来る。


「奥様、このような先触れもない不躾な者の言葉を聞き届ける必要などございません」


「そんなこと言わねえで、聴いてくださいよ、旦那。こっちは旅費も全部使い果たしてここまで来たんです」


 けれど、一方のゼラインは必死に訴えかけていた。


(土地の管理を任せている領主の伯爵を介せずに、その上の公爵に直談判しに来たってこと?)


 もしそうだとしたら、かなり重大なことなのではないの?


「今、公爵は外出中です。私でよければ――」


 そう私が言いかけた、その時。


(……子供?)


 大柄でもないゼラインの背に隠れていた、その小さな身体の主と目が合った。


 そこにいたのは、齢五、六歳ばかりの男の子。


 そして幼い彼のその容姿に私は驚いていた。


 黒髪に、黒い瞳。


 見慣れた人と同じ特徴を持つ小さな男の子は、目が合った私の方をじっと見つめている。


 その表情は若干強張っているものの、利発そうな顔つきもどこか彼に似ている気がした。


「あなた、お名前は?」


 私はその目線に合わせるようにしゃがみ込んで、努めて優しく声をかける。


(ほんと、オリバーにそっくり……)


 間近で見てみても、結局その感想になってしまった。私がそんなことを考えていると。


「……アルフォンス」


 そう、ぼそりと小さい口が言葉を呟いた。


「そう、アルフォンス。素敵な名前ね。あなたは、お父さんと一緒にきたの?」


 ゼラインの方をちらりと見たあと、アルフォンスは首を横に振る。


「僕のお父さんは――」


 幼子(おさなご)は言葉を飲み込んで、もう一度最初から言い直した。


「――僕のお父さんは、エインズワース公爵さまです」


「……」


 その場全員の言葉がなくなったのは、言うまでもない。


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