閑話④ どんな時も君が
こちらは本編(第二部)20話の後日談で、オリバー視点となっております。
平民街の旅籠屋兼食堂〈笑う赤鳥亭〉の食堂の一席で、オリバー=エインズワースは考えていた。
いつ、これを彼女へ渡すべきか、と。
「……」
今、彼の上着のポケットには、先程立ち寄った装飾具の露店で買ったブローチが入っていた。
それは同露店で妻であるヴェロニカが手に取って見惚れていたもので、透き通る彼女の白い肌に似合うシルバーを基調にした花の意匠が施されている。
彼女が他の露天の店主に道を尋ねている最中に装飾具露店の店主から目配せで購入を促され、購入したまではよかった。
しかし、本当ならそのあとにやって来たこの店で席について早々に渡そうと思っていたのだが、タイミングを逃してしまったのだ。
当の彼女は今、店主の妻ロジーヌと親しげに話している。
何でも、先日のレナードとの一見の際に出会った仲だそうだ。
「はいよ。お待ちどうさん」
目の前に、大皿に乗った大判の豚肉が置かれた。
照り焼きにされた豚肉から香ばしい薫りが漂う。
店主のモーリスは、その浅黒く焼けた屈強な腕に器用にもいくつも皿を乗せていた。
まさか、すべてこのテーブルへのせるわけではないだろうか。
「これは俺からのサービスだ」
……そのまさかだった。
「にしても、女連中ってのは、どうしてこう一度話に花を咲かせたら止まんないんですかね」
モーリスは苦笑を漏らしている。
「いや、彼女が楽しければそれでいいんです」
「ほう、そうですかい」
皿をすべて起き終えて立ち去るかと思いきや、モーリスがこちらへと視線を向けてきた。
何か言いたげな面持ちだ。
「あー……こんなときに言うのも気が引けるんですがね。お母上のこと、お悔やみ申し上げます」
「母をご存じでしたか」
「ええ。あなたの容姿とお名前をお聞きして……それにこの辺に長年住む者なら〝ブラックウッドのクリスティア〞には、大抵頭が上がりませんのでね」
こんなところで名前を聞くことになるとは思ってもみなかった。
オリバーは昔の記憶の中から、かつて母に連れられてこの店へ来たことを思い出した。
「やはり、以前母に連れられて来たことがあると思っていましたが、あなたの店でしたか」
「もう十五年以上も前になるとは……いやはや、年は食いたくないもんですね」
「今日は楽しんでいってください」そう言葉を残し、モーリスは厨房へと戻っていった。
「うわぁ! 美味しそう!」
いつの間にかロジーヌと話し終えていたヴェロニカが、テーブルに並んだ料理に目を輝かせていた。
「いただきましょう、オリバー」
〈笑う赤鳥亭〉を後にしてしばらく平民街を並んで歩いていると、ヴェロニカの何か物言いたげな視線が合った。
「どうかしたのか?」
今日の外出先は彼女に一任していたため、今どこへ向かっているのかオリバーは知らなかった。
ヴェロニカは苦笑を溢しながら、「実は……」と口を開く。
「……えっとね? 本当ならこの後、ミランダおばあ様へ出す便箋を一緒に選んでもらおうって思っていたの。
だけどその前に、もう一ヶ所だけ、行きたいところが出来ちゃって……構わないかしら?」
そんなことか、とオリバーは内心で込み上げる想いを自覚しつつ、彼女へ頷いた。
「ああ。勿論」
ヴェロニカが来たいと言った場所は、教会だった。
漆喰の壁で出来た教会の奥には、厳かな空間が広がっていた。
そして奥の祭壇に奉られている祭神の像を見て、オリバーは納得する。
「〈恵姫〉……君の主神か」
奉られているのは、豊穣と繁栄を司り、女性を守護する女神〈恵姫〉の像だった。
このクウェリア国の国民のほとんどは成人した際、季創十二神の中から、生涯自分が信仰する一柱を決める風習がある。
と言っても、結婚や移住の都合で主神を改宗する者も少なからずいるため、絶対的な強制力はない。
主に男性なら男神たる将神、女性なら女神たる姫神を主神と定める傾向にあり、オリバー自身も〈駿将〉を、ヴェロニカも〈恵姫〉をそれぞれ主神にと決めていた。
「ええ。さっきロジーヌさんと話をしたとき、この場所を聞いて」
それで訪れてみたくなったのだという。
休日ということもあり、教会には多くの参詣者の姿があった。老若男女問わず、そしてその身なりなどから、商人などもいるように見受けられる。
これは〈恵姫〉の守護月が十月であることから、豊穣や繁栄を司る女神だとされており、農家や商人からも信仰を集めていることが理由だろう。
「ここで待っていて」
教会の端でヴェロニカはオリバーにそう言い残すと、参詣者の列へと並びに向かった。
そして慣れた手つきで礼拝を済ませ、こちらへと戻ってくる――と思いきや、その前にいた老婆とその連れの少女へと声をかけたのである。
「……?」
オリバーからは振り向いた老婆と少女が壁になって、しゃがみ込んだ彼女が何をしているのか見ることは出来なかった。
時間にしては僅かな間だったと思う。
次にヴェロニカが老婆たちと二三言葉を交わしたかと思うと、何事もなかったかのように再びこちらへと戻って来たのだった。
「知り合いか?」
「いいえ。でも、女の子の持っていた手提げ鞄が解れそうだったから、ハンカチで補強したの」
教会の出入り口でこちらに手を振る先程の二人に手を振り替えした彼女のその姿を見て、オリバーは改めて自分の想いに気付かされた。
本当に彼女は――
「……〝共に豊かに、健やかに〞か」
呟いたオリバーの言葉に、ヴェロニカはすぐに反応する。
「驚いた。あなた、恵姫の御言葉を知っているのね」
「すべてまでは知らないさ。ただ――」
「ただ?」
口が滑りそうになって、オリバーは咄嗟に言葉を飲み込んだ。
しかしヴェロニカは首を傾げるだけで、特に訝しむ様子もなかった。
「いや……以前に学ぶ機会があったから。それで覚えていただけだ」
本当は、彼女が過ごしていた修道院の主神が恵姫だったから覚えた、などとは口が割けても言うまい。
「それでも、主神ではない神の御言葉を覚えているのはすごいわ。
やっぱりあなたって、勉強家なのね」
動機は不純であるものの、自分の努力を誉められてオリバーはおもはゆい気持ちになる。
そして。
今しかない、そう思った。
「ヴェロニカ」
名前を呼ばれて向き直る彼女に、露点で買ったブローチを渡した。
「えっ、これ……さっきの……」
目を丸くして驚く彼女に、オリバーは静かに微笑む。
「恵姫の御前で己が主神に誓うなど、とんだ痴れ者と嗤われるかもしれないが、ここで聞いてほしい。
我が主神〈駿将〉の名において、君を生涯幸せにすると誓う」
己が主神への宣誓は、生涯に一度のみ使うべきものとされている。
それだけ宣誓は神聖なものであり遵守すべきもの、という意味合いになるのだ。
突然のオリバーの言動に一瞬戸惑いをみせたヴェロニカだったが、その手からそっとブローチを受け取ると、自身のシャツの左胸へと飾った。
そして。
「はい……っ」
恥ずかしがりながらも頷き、喜ぶその表情は、花が綻ぶよりもいとおしかった。
それを守るそのためならば、出来うる限りのすべてを尽くそう。
どんな時も、君が笑っていてくれるのなら。




