閑話③ 怖いもの
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こちらは第二部「09 夫婦の約束」のヴェロニカの回想にて登場した、学園からの脱出時のお話となります。未読の方でもわかるように配慮したつもりですが、よろしければぜひそちらもご覧ください。
学園の礼拝堂から繋がる地下道は薄暗く、用水路の道幅は人二人が並んで歩くには狭かった。
ランプを持って先導するレオの後に続いて、私は足元に注意しながら進んで行く。
すると突然、レオがおかしなことを訊いてきた。
「義姉さんてさ、暗闇とか怖くないの?」
「どうして?」
「暗いのなんて平気だけど?」と不思議がる私に、レオは納得いかなかったようで。
「だって。女の子って普通〝きゃーこわい〞とか言わない?」
「そう言われても……暗いのにはなれてるし」
そもそも私が修道院にいた最初の頃は、あまりの貧乏さで蝋燭一本でも貴重だったのだ。だから夜の見回りは大変だったのをよく覚えている。
けれど、貴族の邸ではそうはならないだろう。明かりが必要な時、すぐ燭台の蝋燭に火を灯すことができるのだから。
そんな環境で育った貴族のご令嬢たちは、暗闇が苦手なのかもしれない。
私は当時のことを思い出して、特に大変だったことを口にした。
「あ、でも。暗闇の中から突然出てこられると、こっちも身構えるわよね」
「な、何が出るって? 幽霊とかお化け?」
立ち止まって、レオが振り向き様に手の甲をこちらへ向けてくる。
その手にランプを持っているせいで、レオの顔にははっきりと陰影ができていた。そこには妙な不気味さが醸し出されている。
ただ、彼の顔からは私をからかおうとしている魂胆がみえみえだった。
「違うわ。ネズミよ、ネズミ」
夜間の見回りの最中、突然薄暗がりの中から現れるネズミに何度驚かされたことか。
「それに、幽霊なんて私には視えないもの。視えないものは怖くなれないわ」
幽霊やお化けの類いは絵本や本で読んだことはある。
けれど、実際に恨まれたり呪われたりするようなことはしていないのだから、私が怖がる必要なんてないと思うのだ。
「……なかなか肝が据わってるね。それじゃあ、義姉さんには怖いものないの?」
「うーん。そうね……」
私はしばらく歩きながら考え込んだ。
そして、ひとつの答えへと辿り着く。
「あ! ……あったわ」
辿り着いたら辿り着いたで、それ以上に怖いものなんてないように思えてきた。
「え、なになに?」
興味津々に訊ねてくるレオの声。
私は呆れられるのを承知で思った人物の名前を答えた。
「……マリアンナ伯母さま」
「あー……あの女侯爵か……」
妙に納得する声が帰ってきたことで、今度は私がレオに訊ねる。
「伯母さまのことを知っているの?」
オリバーならまだしも、外交官のレオが伯母さまと面識があるとは思えなかった。
「まあ、俺は直接話したことはないんだけどね。〝千眼のデルフィーノ〞は、貴族界隈では割りと有名人だよ」
「〝せんがん〞?」
耳慣れない単語に、私は首を傾げる。
「あれ……義姉さんは聞いたことない? 国税局の派遣先でどんな不正もたちどころに見抜いた、まさに〝千眼をもって死角なし〞と呼ばれた稀代の調査官マリアンナ=デルフィーノ、って。
まあそう呼ばれ始めたのは今から十年以上も前で、当時はまだ侯爵位を継いでいなかったそうだから、義姉さんが知らないのも無理はないかもね。
最近じゃ、どこぞの取材記者が密着取材するとかなんとか」
「伯母さま、そんなに有名人だったのね……。
というか、レオ。取材がどうとか、よくそんなこと知ってるわね」
「まあ、俺だってこう見えて外交官だからね。人脈はある方だよ」
答えになっていないような気もするけれど、彼の仕事に関することなら深く詮索しないほうがいいのかも知れない。
私はそう思い直し、違う質問をすることにした。
「そう言えば、あなたは何が怖いの?」
「えっ」
柄にもなく、濁った声がレオの口から漏れる。
「まさか、人に聞いておいて自分は答えないなんてことはないわよね?」
「ははは、そんなことはないよ」
言葉を濁しながら、レオは考え始めた。
「うーん。そうだな……俺は――」
◆
レオが共和国へと戻ってから数日が経ったある日。
晩餐のあとで私が本を読んでいると、オリバーが談話室に入ってきた。
「何を読んでいるんだ? 『ユリスの兄弟』?」
私が翳した本の題名を見て、オリバーが呟く。
「ええ。レオの好きな本なんですって」
まだ途中までしか読んでいないのだけれど、とても面白い内容だった。
「二人の兄弟が、故郷のユリスという地を探して旅に出るお話よ。あなたは知っている?」
「ああ。子供の頃よく読んでいた」
幼少期から外国語を覚えるなんて、やっぱりこの人たちはすごい人たちなんだな、と一人思い至る。
「特に、洞窟の話は覚えている」
「もしかして〝人喰い鬼〞が出る洞窟の話?」
ちょうど今その辺りを読み終えたところだ。
旅の途中で人喰い鬼に捕まり、暗い洞窟の牢屋へ別々に閉じ込められてしまった二人の兄弟は、それぞれの機転で牢を抜け出し、以前の冒険で助けたシジュウカラの鳴き声に導かれて見事再会を果たす。
そして無事に出口を見つけ旅を続けることができた、というお話だった。
なんだか胸がモヤモヤする終わり方ではあるものの、旅の再開で締められているのでハッピーエンドという扱いなのはわかる。
けれど。
そもそも二人が鬼に捕まった理由は、近隣の村人の〝夜外を出歩いてはダメだ〞という忠告を守らなかったからなのだ。そのため捕まった点でのみいうなら、非は兄弟の方ににある。
これは『興味本位で外に出た結果、鬼に見つかって捕まってしまい怖い目に遭った』という〝人からの忠告は守るべきもの〞という教訓が読み取れる話でもあった。
そういう意味では、この物語は他の二人の冒険譚の中でも特に寓話的な意味合いが強い内容なのかもしれない。
(あんなこと言うなんて……レオも、以外と可愛いところあったのね)
この話を読み終えた私はあの時レオの言っていた言葉の意味を、ようやく理解できた気がした。
オリバーが私の顔を見ながら訊ねてくる。
「どうした?」
「ううん。なんでもない」
そしてこれはきっと、レオにとってオリバーに言わない方がいいことなのかも知れないということも。
『そうだな……俺は、一人になるのが怖いかな』




