20 待ちわびた日にあなたと
いつもご覧いただきありがとうございます。
これにて第二部完結です。
今日は、レオが共和国へと戻る日。
朝食をすませたあと、私たちはレオを見送るために邸の外へと出ていた。
「もっとゆっくりしていけば良かったのに」
そう言う私へ向けて、レオが肩をすくめる。
「ほんとは俺だってそうしたいんだけどね。恋人が待っててくれないわけよ」
「ふふふ」
実はレオの今回の帰省は調査のためのものだったらしく、早く戻って報告をまとめなければならないそうなのだ。
「それじゃあ、レオ。あっちでも元気でね」
「うん。義姉さんも……兄貴もな」
私が横目でオリバーを見ると、変わらず無表情な彼の横顔が映った。
彼は静かに弟を見つめている。
(このまま何も言わずに、見送るつもりなの?)
私がオリバーへと声をかけようとしたその時。
「――ああ。お前も、たまには手紙のひとつは書いて送れ」
口を開いたのは、オリバーの方が早かった。
「……」
一瞬だけ、レオの目が見開かれる。
けれどその後、彼はすぐに人懐っこい笑みを浮かべてみせた。
「わかったよ」
その返事は嫌々言ったようにも聞こえるけれど、照れ隠しで言ったようにもとれる。
少なくとも、帰ってきた時よりも幾分か優しい雰囲気なのは間違いなかった。
きっと、これがこの二人の最適な距離感なのかもしれない。
「そうだ。俺、義姉さんにひとつ、謝らないといけないことがあったんだ」
馬車に乗る直前。
レオが何かを思い出したように、声を上げて顔だけこちらへ向けた。
「なに?」
彼の琥珀色の視線と目が合い、私は首を傾げる。
「初めて義姉さんに話したストランテ語。実はアレ、違うこと言ってたんだ。
そのあと意味を聞かれてとっさに嘘吐いちゃったんだけど……ごめんね」
「じゃあ、あの時、本当は何て言ったの?」
突然の謝罪。
私が目を瞬かせて訊ねると、レオの口から言葉が紡がれた。
それはストランテ語で、あの時と同じものだった。
あの時は聞いた意味を言われるがままに信じてしまったけれど、学んだ今ならはっきりとわかる。
「〝兄貴と結婚して、あなたは幸せですか?〞」
レオらしい。
私は微笑みながら返事をする。勿論、彼と同じくストランテ語で。
「〝ええ、勿論。私はとっても幸せです〞」
「はいはい、ご馳走さま」
私の返事を聞いたレオはこちらへ向けていた顔を前へ戻し、馬車へと乗り込んだ。その背中から声だけが聞こえてくる。
御者によって閉められた扉の窓から覗く彼に、私は手を振った。
次はいつ会えるのだろう。私から手紙を書いてもみるのも良いかもしれない。
私がそう思っていると閉められたはずの扉が内側から開き、再びレオが顔を出した。
そしてあの悪戯っ子のような笑みを浮かべて次の言葉を口にする。
「次は甥っ子か姪っ子に会えるのを楽しみにしてるよ、義姉さん」
「――はいっ!?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
否。言葉の意味がわからなかったという訳ではなく、言葉の内容が頭に入ってきた途端に何も考えられなくなったのだ。
けれどそんな私をよそにして、馬車の扉は閉まり、レオを乗せた馬車は出発する。
窓から顔を出すレオは満面の笑みでひらひらとこちらに手を振っていた。
「どうした?」
隣で馬車を見送るオリバーが声をかけてくる。
どうやら彼は御者のジュリアンと話をしていたらしく、レオとの会話は何も聞いていないようだった。
「あっ、えっと……あはは」
意識しすぎて余計に頭が回らない。顔が赤くなっていたらどうしよう。
隣にいたオリバーの顔をまともに見れなかった。
もう。せっかく、これから二人で出掛けるっていうのに……。
邸から次第に遠ざかる馬車に少しだけ寂しくなったものの、今度はいつ会えるのかを楽しみにして、私たちは邸へと戻っていった。
そう。
今日はもうひとつ、私には大事な予定があるのだ。
休日ということもあって、城下町の大通りは以前にレオと来た時よりも人が賑わっているように思えた。
馬車を降りた私たちは、噴水の広場を抜けて二人で並びながら歩く。
私たちの服装は簡素で装飾も少なめなものだった。
私は前回の男装と違い、きちんとクリーム色のブラウスに落ち着いたブラウンのスカートを履いている。
髪もリリカに編み込んでもらって、ワンサイドヘアにしてもらった。
一方のオリバーは、白ブラウスにカジュアルなグレーのテーラードジャケット、黒のパンツという姿だった。
いつもとは違う彼の服装に新鮮さを覚えつつも、改めてこの人は何を着ても似合う事実を知る。
「本当にいいのか?」
「ええ。いいの」
ここに来たいと話したとき、オリバーはとても驚いていた。
もっと他の場所でも構わない。そうとも言ってくれた。
けれど、私はどうしてもここに来たかったのだ。
オリバーと二人きりで。
私たちが足を運んだのは、貴族街――ではなく平民街。
以前と同じように露店が数多く並んでいて、休日ということも相まってその分人も多い。
婚約時代は何度か食事で城下町に来ていたけれど、その時はいつも高級なレストランで彼との関係性もあってか緊張ばかりしていた。
やっぱり、物心ついた時から平民育ちだった私には、こちらの方が合っているのかもしれない。
(……それに……)
それから私たちは、色んな露店を見て回った。
古書、雑貨、装飾具、焼き菓子などなど……本当に沢山の露店があるのだと改めて実感する。
見て回る。それだけでとても楽しかった。
本当は店を回ることがではなく、隣にいる人が彼というだけで嬉しかったのかもしれない。
唯一、貴族のオリバーが平民街へ赴くことに抵抗があるのではと不安に思っていたけれど、それは杞憂だった。
「懐かしいな……」
隣を歩くオリバーがふとそんな言葉をこぼす。
「そうなの?」
「ああ。母も元は平民の出だったからな」
オリバーやレオの実母である先代のエインズワース公爵夫人クリスティアは、元々商家の出自だったそうだ。
けれどある時、父である商人がとある子爵の位を買い取ったことで一家は子爵家になり、富も名誉も得ることになったのだとか。
「子供の頃はいつも〝沢山のものに触れて見聞を広げ、見識を身に付けろ〞と言われたよ」
「そうだったの」
それで、学園へと入学する以前では、お母様に連れられてお忍びで平民街に訪れていたこともあるのだとか。
「それで、今日は行きたい場所があるんだろう?」
「ええ。確かここの近くって言ってた気が……」
先程、ある焼き菓子の露店で聞いて教えてもらった通りの道を抜けると、目当ての場所を発見した。
「あっ! あそこよ」
私はここだとオリバーに告げる。
店の軒下に下げられた看板には、樹の枝に留まる一羽の歌う赤い鳥の絵が描かれていた。
囀ずるような鳥の嘴は、〝笑っている〞ようにも見える。
「旅籠屋?」
看板を見ながらオリバーが呟く。
「ええ、でも食堂もやっているんですって」
そう。ここは〈笑う赤鳥亭〉だった。
両開きの扉を開いて私たちが中へと入ると、扉に備え付けられた小さな鈴がちりりんと鳴った。
吹き抜けの店内は二階の旅籠屋に繋がる階段の他に、長テーブルが二列と四人掛けの円卓が幾つか。そして窓側や壁側には個室席が数席設けられていた。外観で想像していたよりも広く感じる。
鈴の音で、数人の客がこちらへ視線を向けていた。
お昼には少し早い時間だったのだけれど、どの席にも先客がいる。各々のその寛ぎ方を見るに、彼らはこの店の常連のようだった。
「いらっしゃい! ……あら? あなたはこの前の……」
椅子に座る常連客と話をしていた一人の女性の視線と目が合う。すると彼女はすぐに笑顔で出迎えてくれた。
以前出会った時とは装いが違う私をきちんと覚えてくれているなんて。
「お久しぶりです。お約束通り、来ちゃいました」
そう。この女性こそ、以前レオと一緒の時に出会ったロジーヌさんだった。
エプロン姿のロジーヌさんは私と同じくらいの背格好ではあるものの、その手には幾つもの空になったお皿とジョッキが握られていた。
一度抱えていたお皿やジョッキをテーブルに置くと、ロジーヌさんは厨房と思われる奥の扉へ向かって声を張り上げる。
「ちょっと、あんた!」
ほどなくしてその扉の向こうから現れたのは、体格の良い男性だった。
上背は背の高いオリバーよりも頭一つ分ほども高く、私が視線を合わせるには顔を上げる必要があった。
浅黒く焼けた肌に、短く借り上げられた濃い灰色の髪。快活な人柄というのが一目見てわかった。
「ほら、前話しただろう? 親切なお嬢さんのこと」
ロジーヌさんが手を振って男性に目配せをする。その口ぶりから察するに、二人はご夫婦なのかもしれない。
「ああ、あんたが……うちのが世話になったな、ありがとう。お嬢ちゃん」
男性はその人柄によく似合う、渋くとも明るい声で言った。その口調は豪快そのものだ。
「俺はこいつの亭主でモーリスだ。今日はサービスさせてもらうから、何でも遠慮なく食っていきな。そのためにウチに来たんだろ? あんたとその隣の……」
モーリスさんは笑いながら話していたものの、その視線がそれまでずっと会話に入ってこなかったオリバーへと向けられるにつれて尻すぼみになっていく。
「そちらの美丈夫さんは?」
ロジーヌさんがモーリスさんの言葉を引き継いでか口を開いた。その視線はオリバーと私を交互に見ている。
オリバーは二人に対して会釈をした。
ここは私が言うべきなのだろう。
「えっと……主人です」
「……えっ!?」
「……はいっ!?」
声を上げたのは、食堂夫妻だけではなかった。
店にいた客も聞き耳を立てていたのか、一同驚愕の眼差しで私たちに視線を向けている。
(そ、そんなに驚かなくても……)
私はそれらの視線に苦笑を浮かべることしかできなかった。
きっとオリバーが公爵だと知ったら、これ以上の反応になるんだろうな。
「お初にお目にかかります。本日は妻共々お招きいただき感謝します」
「あらまあ……」
ロジーヌさんの口から感嘆にも似た声が漏れた。
そして私たちは他のお客さんから少し離れた窓際のテーブル席へと案内される。
料理はすべてお任せにした。
特にオススメは豚肉のソテーだとロジーヌさんがウインクで教えてくれる。
席に着いた私は、窓の外へと視線を向けた。
晴れ渡る青空には遠く鳥が飛んでいる。
この店は大通りから一本それた通りに面しているものの、通りを行き交う人々のの活気は十分に伝わって来ていた。
「ヴェロニカ」
不意にオリバーが私の名前を呼ぶ。
視線を彼へと向けると、何かを言いづらそうにしている瞳と目が合った。
「……すまない」
「どうしてあなたが謝るの?」
突然の謝罪の言葉に私は驚いて聞き返した。
謝ることなんて何一つないのに、どうしたのだろう。
「いや。〝出掛けたい〞と言った君が、そんなに喜ぶとは思っていなかったから」
まだ状況が飲み込めない私に、オリバーは続ける。
「あいつの言っていた通り、君には窮屈を強いていたのかもしれないと」
外出を満喫している私の姿を見て、申し訳ない気持ちが生まれていると彼は言った。
〝あいつ〞という人物には心当たりがないわけではなかったものの、今私が気にするべきは違うことだった。
「オリバー」
私も彼のことを呼んでみる。
その漆黒の瞳の中に私が映っていた。
「確かに、外出できることも嬉しいのだけど。でも、今日は特別。
だって――ずっとあなたと出掛けたかったんだもの」
言わなければ、伝わらないことがある。
それはもうずっと前に気付いていたはずなのに。
「今日は、一緒に来てくれてありがとう。オリバー」
叶うなら、たまにはこうして二人で出掛けたりしたい。
どんな場所でも、楽しいに違いない。
それはきっと、あなたと一緒だから。




