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レディ・ヴェロニカの秘めやかなご所望  作者: 都辻空
レディ・ヴェロニカは外出(デート)がしたい!

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16 その背に憧れて

いつもご覧いただきありがとうございます。

予想より長くなってしまいましたが、楽しんでいただけたのなら幸いです。

あと数話続きます。

 

 ◆


 床に落ちていた種を辿っていくと、曲がり角の廊下の向こうにレティシアさんと知らない男性の姿があった。


「そこまでだ! アンリ=ジュネ!」


 先駆けで前にいたアランが、その男性の名前らしきものを叫ぶ。


 遠巻きからでも分かるほどに、振り向いた彼女の顔は青ざめていた。


「大丈夫!? レティシアさん!」


 その姿があまりに心配で、私は思わず彼女へと駆け寄ろうとする。


 けれど私たちが一歩足を踏み出した途端、アンリと呼ばれた男性がレティシアさんを無理矢理引き寄せ、その首許にナイフを突きつけた。


「おっと、予期せぬ方々のご登場とは。とは言え、この状況は理解できているよな?」


 アンリは〝動けば容赦しない〞と言わんばかりに、さらにナイフを彼女の首に近付ける。


「やめろ!」


 アランが怒号を発する。

 私もますます青ざめていくレティシアさんを放っておくことができなかった。


「ヴェロニカ様。危険です」


 けれど、隣にいたリュカが首を横に振る。

 私たちはただ、二人の注意をこちらに引き付けることしかできなかった。


 私たちが立ち止まったのを確認し、アンリはレティシアさんを連れて一歩ずつ反対側の廊下へと後退していく。


「そうそう、おそのまま動かず――っ!?」


「はぁっ!!」


 アンリの背後目掛けて、先に回り込んでいたジュード殿下が何かを振り下ろした。その手に握られたそれは本物の剣だ。


 けれど後ろに飛び退いたアンリにすんでのところでかわされてしまい、その切っ先は空を切る。


「大丈夫ですか?」


「……はい」


 解放されたレティシアを背後に庇いながら、殿下はなおも眼前のアンリを見据えていた。


「アンリ=ジュネ。

 今すぐ武器を捨てて投降しろ。さもなければ、お前を不敬罪で拘束する」


 淡々とそう告げる殿下は、普段とはまるで別人のようだった。


 そんな殿下を尻目に、アンリはふっと嘲笑をこぼして首を横に振るう。


「……嫌だ嫌だ。お偉方はいつもそうやって自身の都合で権力を行使し、弱者を強いたげる。


 王権の埒外であるこの学園内で、その言葉が通用するとでもお思いですか? ジュード殿下、これは重大な越権行為ですよ」


「く……っ」


 殿下は苦渋の表情で剣を握り直した。


「大体、あなたは私が何をしていたのかご存じないのでは?」


 アンリのその言葉に対して口を開いたのはアランだった。


「アンリ=ジュネ、本名クルト=ボーデン。お前には麻薬(リリノアス)の不正入手および密売の容疑がかけられている」


 今度はアランが「大人しく投降しろ」と告げる。


「なるほど。既に疑われていた、という訳か。それなら――っ」


 次の瞬間。

 私とリュカ、そしてジュード殿下とレティシアさんの方へと何かが投げられた。


 視界で銀色に鈍く光るそれは、一瞬遅れてナイフだと頭が理解する。


「ヴェロニカ様っ」


 リュカの声と共に肩を引かれ、一歩横に移動した。

 それまで私がいた場所をナイフが通過し、遠く床へと転がっていく。


 かきん。


 投げられたもう一方のナイフは、ジュード殿下が剣で叩き落とす音が聞こえた。


「待てっ!!」


 殿下の叫び声がしてそちらを見ると、既に走り出していたアンリの姿が目に映る。


 私たちもそのあとを追ったものの、その距離を詰めることはできなかった。


 そして直線となっている廊下の突き当たり。

 その右の角から、ひとつの影が現れた。


(あれって――!?)


 少し距離があるここからでもわかる、灰色の髪。


「どけぇっ!」


 鋭く吠える声とともに、アンリがその人物へと攻撃を加える。

 走る速度も相まって、伸ばされた腕の威力は相当なものになることが窺えた。


 けれど。


 彼が繰り出した殴打技に対して、その人物はかがんでその腕の下をくぐり抜けていた。


 一瞬の淀みない動きは、まるで事前に相手からそう繰り出されるのを知っていたかのようだった。


 そしてそこからすぐに立ち上がり、獲物をなくしたアンリの腕を取ってその背後へと回る。


「なっ!?」


 アンリに組み付く動きひとつをとってみても、素人のそれではないということが読み取れた。


「大人しくしてないと、腕よりもまず足を折るからな」


 本気ともとれる口調でそう言い放った彼の腕の力が、一層強められている。


「ううっ」


 駆け寄ったところで、私は改めてその人物が誰なのか理解した。


 彼は、私が開会式で見かけたレオ本人で間違いなかったのだ。


「レ――」


「……」


 私が彼の名を口にしそうになったところで、黒いメガネの奥の視線に睨まれる。

 そしてそこから伝わる無言の圧力に言葉を飲み込んだ。


「君は……」


 ジュード殿下も華麗とも言える素早い捕り物に驚いていたようで、当人へと訊ねる。


「ジョシュ=セルヴィッジと申します。ジュード殿下」


 普段のレオとは違った声色に、一瞬耳を疑った。

 これは明らかに変装のレベルを越えている。


「この男が〝アンリ=ジュネ〞で間違いないんですね?」


 ジョシュと名乗ったレオの問いに、アランが頷いた。


「ああ、そうだ。私はアラン=ハガート、厚生局に所属している。そちらは?」


「私は調査局の者です」


 一歩引いてやり取りを見ていた私は、会話の内容に首を傾げていた。


(厚生? 調査?)


 そんな私に、リュカがそっと耳打ちをしてくれる。


「厚生局は国内の医療や臨床にまつわる業務を主に行っている部署です。


 一方、調査局は国内諸団体や国内外でのテロ組織などの調査を専門に行っています」


「その二局が、どうしてここに……?」


 独り言のような私の疑問を置き去りにして、二人の会話は次へと進んでいた。


被疑者(こちら)の確保はそちらにお任せしてもよろしいでしょうか。一応、調査局(うち)はこういうの専門外なので」


「ああ、承知した」


「じゃあ、私は応援を呼んできます」


 アンリの手足をどこから取り出したのかロープで拘束した彼は、踵を返した。

 その後ろ姿にジュード殿下が声をかける。


「それなら私も同行します。私がいた方が何かとよいでしょう」


「ええ。お願いします、殿下」


 二人は足早に廊下の陰へと消えていった。


「アンリさん」


 二人か見えなくなってから、解放されてからずっと無言だったレティシアさんが重い口を開いた。


 その視線は壁に背中を預けて座り込むアンリへとまっすぐ向けられている。


 ずっと何かを考えていたようで、今も紡ぐ言葉を探しているようだった。


「あなたは私に〝君自身を守るため〞と言いました。


 けれど私は、誤った手段で誰かに守られることも、自分の身を守ることもしたくありません。


 〝棘を持つ花に罪はない〞……もし私が誤った(こと)で誰かを傷付けたのなら、それはきちんと償うべきなのです。私は自分の矜持を守ります」


「……」


 アンリは目を伏せ、何も答えなかった。

 きっと、二人にしかわからない問答があったのだろう。


(え……?)


 そして私はなぜだか、レティシアさんのその姿がとある人物と重なって見えた。


 捕らわれながらも、最後まで毅然とした態度で〝守りたいもの〞があると話していたその人。


『私も同じですよ〝守りたいものを守った〞。ただそれだけです』


(もしかしたら……)


 もし、かの伯爵が最期の最期まで〝守りたかったもの〞が彼女だとしたら――……


 そんな妄想ともとれる推測には、なんの確証もなかった。


 けれど、二人は確かに親子だった。そう理解するには十分だ。


「――殿下? どうかなさったんですか?」


 ふと、アランの声で想像から現実へと引き戻される。


 そこには応援を呼びに行ったはずのジュード殿下が、神妙な面持ちで戻ってきた。

 その後ろには約一ヶ月ぶりの再会となるドランバル卿の姿もある。


「ああ。それが――」


 

 唯一の心当たりがあるその場所――礼拝堂に向かうと、ちょうどタペストリーに手をかけるその後ろ姿を見つけた。


 まだあの変装は解いていない。

 それでも、その後ろ姿が彼であろうことは十分に考えられた。


「やっぱりここにいたのね、レオ」


 私の声を聞いて、ピタリとその動きが止まる。

 そして彼は、振り向きもせずに問うてきた。


 その声はいつものレオのものに戻っている。


「……よくここに辿り着けたね。というか、あの心配性な従者(かれ)は?」


「ここの場所はドランバルさんから聞いたの。リュカにはちょっと頼み事をしているわ」


「あっそう」


 自分から聞いたわりにはさりとて興味を示していないような相槌。


 けれど、例の扉があるタペストリーを捲りかけていた手が静かに離れていた。

 どうやら、振り切って逃げることはしないようだ。


 私は安堵に胸を撫で下ろし、ゆっくりと彼の方へ歩いていく。

 礼拝堂はとても静かで、私が歩く音しか聞こえなかった。


 ジュード殿下の話では、応援を呼びに広場へと向かったところで彼の姿が見えなくなったらしい。


 不審に思いはしたものの、ひとまずは応援を連れて私たちの許へと戻ったというわけだ。


「……」


 レオに対して言いたいことは、まだ完全には纏まっていなかった。


 けれど、このまま彼を一人で行かせてはいけないような気だけが先行して、足が先に出てしまったのだ。


「どうして――」


 手を伸ばせば届きそうなほどの距離まで来た時。

 静かに開いたレオの口から出たのは、小さな小さな呟きだった。


「――どうして、いつもこうなんだろう」


 その背から漏れる言葉には、自戒と自嘲の意味が込められているような気がした。


「……レオ」


 そうして私の声に振り向いた彼の顔は、何かを諦めたようなどこか寂しそうな苦しそうな顔をしている。


「何をやっても、俺は兄貴に絶対敵わないんだ」


 どうしてここでオリバーの名前が出てくるのか。一見して私にはわからなかった。


 でも私が知らないだけで、二人の間には何か確執のような重いしこりがあるのかも知れない。


 そう思い至るくらいには、二人を見てきたつもりだ。


 ただ、私が間に入って無理矢理話をさせてもきっと会話は続かないし、何も解決しない。


 こう言う時は、互いが向かい合おうと思って初めて、話ができるというものなのだから。


「どうしてそう思うの?」


 私はつとめて優しく訊ねる。


 しばらくの沈黙の後、そっと開かれたレオの口から言葉が紡がれた。

 どこか諦めを含んだ声だった。


「昔から兄貴は、俺にとって比較対象だった。

 いや、俺だけじゃない。周りからもずっと、俺は兄貴と比べられて生きてきたんだ。


 勉学に武術、性格に果ては顔まで……何をするにしても、俺の前には常に兄貴がいた。周りが俺を図る基準は、全部兄貴だったんだ。


 別に、それで兄貴が嫌いになった訳じゃない。俺は俺だって、何度も思ったし、それは今も変わらない。


 ……でも比べられる度に、自分にはない兄貴の良い面ばかりが頭に残って、どうしようもなく虚しくなった。


 それからは何をするにしても〝兄貴だったらどうするか〞って、常に考えて行動するようになったんだ。考えて、同じにならないように振る舞った。


 〝兄貴とは違うことをする、これが俺なんだ〞ってみんなにアピールして、わざと注目を浴びるようなこともした。


 だから『外交官にならないか』って言われた時は、心の底から嬉しかったよ。


 兄貴にない社交性と愛想笑いを伸ばして手に入れたものだったからさ」


 レオは苦笑を浮かべながら、そこで一度溜め息を吐いた。


「だから学園を辞めて外交官になった。今思えば、共和国(あっち)に行ったのも、兄貴のことを知ってる人間がいなかったからかもしれない。


 ……でも、兄貴が結婚するって聞いた時、それも崩れた。


 あんな無愛想な奴、一体誰が選ぶのかって。だから悔しくて二人の結婚式も欠席した。


 幸せそうなあいつの顔をみたら、絶対に今度こそ俺は人として終わるって思った。


 でも、二人が上手くいってないかもって風の噂で聞いて、戻ってきたんだ。


 兄貴が心底惚れてるっていう義姉さんの心を俺に向けさせれば、少しでも兄貴に勝てるんじゃないかって。


 ――ほんと、幼稚で馬鹿な考えだよ」


 ここまで聞いて、私はやっと理解した。


 嫌っていたわけじゃない。

 レオは、憧れていたのだ。


 届かない兄の背中に憧れて。そして少しでも近付こうと努力していた。


「……そうね」


 そう言葉を口にして、意図せず彼の最後の言葉を肯定するような言い方になってしまったのを慌てて訂正する。


「あっ、〝そうね〞っていうのは、あなたがオリバーに〝敵わない〞って思ってしまったことに対しての意味よ。


 だって、それは仕方のないことでしょう? あの人も、ずっと努力してきたんだもの」


 実際に私はその時のオリバーを知っているわけじゃない。


 でも、前に彼がどれだけの長い時間、私のために沢山のことを積み重ねてきてくれたのかを知っている。


「別に、あなたの努力する量が少なかったという訳じゃない。


 あなたたち二人には目指すものや求めるものがそれぞれあって、そのために互いに必死に努力した。

 そのことは絶対に無駄ではないし、意味のないことでもないわ」


「……俺が兄貴に敵わないのは、どうしようもないことだって言いたいの?」


 そうとも取れてしまう言い方になってしまった。

 そうじゃないと、私は首を横に振る。


「少なくとも、あなたが思っている以上にオリバーは普通の人よ」


 幼い頃から皆に可愛がられる弟が羨ましかった、という話をしていた(かれ)の姿を思い出す。


 きっとどちらも同じくらい、互いが持っているものが眩しく映ってみえただけ。


「……そうか。義姉さんがいうなら、きっとそうなのかもね」


 はあ、と息を吐くレオに私は改めて訊ねた。


「ねえ、レオ。あなたにとって、〝オリバー=エインズワース〞という人はどんな存在なの?」


 私の問いに、一瞬間が空く。


 暫しの沈黙があって、レオの口が開いた。


「――〝絶対に越えてやる壁〞かな」


 越えられないでもなく、壊したいでもない。

 その一言に、レオの決意が込められているような気がした。


「ふふ、そう。だったら、これまで以上に頑張らないとね」


「ふん、簡単に言ってくれるよ」


 不貞腐れた口調でありつつも、彼のその表情はこれまでよりも随分と晴れ晴れとしている。


「……って訳なので、壁を越えるのはまた別の機会にさせてもらうね、義姉さん」


 何かに気付いてしまったのか、タペストリーに再び手をかけたレオは、素早くその扉の中に身を踊らせた。


「ちょっと、レオ……ッ!」


 私が止める間もなく、足音は階段を下っていく。

 まったく、せっかくいい感じの流れだったのに。


 そして。

 礼拝堂の扉から、一人分の足音が入ってくるのがわかった。


「言わなきゃ伝わらないこともあるのに……ねえ、あなたもそう思うでしょう? オリバー」


 私は礼振り向いた先に立っていたオリバーへと話しかける。


 そう。リュカに頼んでいたことは、オリバーをここへと連れてくることだったのだ。


「……まったく、君は」

 

 一体、オリバーはどこから聞いていたのか。


 それは私にもわからない。

 でも、その表情からレオの本心をいくつか知ったように思えた。


 少しずつ彼のことを理解している自分がいることに、私は少し嬉しくなる。


 さて、ここからは二人の問題。

 もしかしたら、これは私が思うよりもずっと根深く、大変なものなのかもしれないけれど。


 それでも、二人が向かい合うほんの小さなきっかけくらい、私が作ってもよかったわよね?


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