14 不穏な空気
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「ヴェロニカ様。行き先は温室でよろしいでしょうか?」
数歩先を歩くリュカが振り向いて、私に目的地の確認をする。その片手には学園内の地図が握られていた。
「え、ええっ。お願い」
リュカの後をついていくだけの私は、つい横目で先程出会った人物を探していた。
けれど、足早に去っていったその姿はどこにも見当たらない。
服装や髪色すべてが普段の彼とは違っていて、一瞬別人かとも思った。
それでも眼鏡の奥から覗く琥珀色の瞳は、間違いなくレナード本人のものだった。
(でも、どうして……?)
とは言え、そう思い至ったところで浮かぶのは疑問ばかり。
まず、どうやってレオが〈雄将祭〉に来たのか、ということ。
仮に正式な招待客であるのなら、別人ともとれるあの変装をする意味がわからない。人目に着きたくない、というのとも別な気がする。
反対に招待状をもらった招待客に扮していると考えるのが自然だった。
そしてその協力者として思い当たるのは一人しかいない。
先日私たちが学園への潜入を手引きをした人物――セレステだ。
学園の制服を入手していた彼女なら、学園祭の招待状も容易に入手が可能なのではと思えてしまう。
次に、なんの目的があって学園に来ているのか、ということ。
もし前回と同じであれば、セレステが関わっているのも頷ける。つまり、彼の〝仕事〞に関係するということだ。
「……」
あの時は、あれ以上詮索しないと約束した。
けれどまた善くないことをしている彼を見かけてしまった以上、無視することができなかった。
(オリバーもここに来ているのだし……)
赤の他人の私が気づいた変装に、実の兄である彼が気づかないはずはないだろう。
もし、今日ここで二人が鉢合わせするようなことになったら……?
ついつい不安なことばかり考えてしまう。
「――ヴェロニカ様? いかがされましたか?」
不意に立ち止まったリュカが声をかけてきた。
「先程からご気分が優れないご様子ですが……どこかでお休みになられますか?」
「ううん。大丈夫、何でもないわ」
私は咄嗟に笑顔を作り、首を横に振る。
とは言え、このままリュカが一緒では例えレオを見つけたとしても、話が余計にややこしくなるのは必須だった。
(……何も起きないといいんだけど)
そう願いつつ、私はレティシアさんが所属する園芸部の展示場――温室へと歩を向けた。
校舎の渡り廊下をしばらく歩いた先の突き当たりに面する広場を右手に抜けると、見覚えのある建物が目に映る。
温室の一面ガラスの壁が正午に差し掛かろうとする陽光を浴びてキラキラと輝いていた。
「楽しみだわ」
以前レティシアさんと話したとき、普段施錠している温室を解放して出入り自由にしていると言っていたのだ。
その話通り、温室の扉の前には『展示中のため出入り自由』という看板が立て掛けられている。
扉を開けて中に入ると、そこには前回来たときと同じかそれ以上の量の花が咲き誇っていた。
部屋の中央に置かれた長机には小さな花が植えられた植木鉢が並び、その左右にある花壇には大振りの花などが色鮮やかに咲いている。
進む度に、温室の暖かな空気と花の香りが胸いっぱいに広がっていく。
植木鉢の横には花の名前とその特徴をまとめたプレートが用意されていて、一人で鑑賞もできるようになっていた。
「見事ですね」
背後のリュカも感嘆の声を上げている。
そして温室の奥にいた人影を見つけて、私は声を掛けようと口を開いた。
けれど――
「レティシ――ジュード殿下?」
そこにいたのは、なんとジュード殿下だった。
短い金髪が僅かに揺れ、ご兄弟と同じ深い青色の瞳に見据えられる。
「ヴェロニカさん」
軽く会釈を返すジュード殿下は少し驚いたような表情をしていた。
けれどすぐに思い当たる節があったのか「ああ」と小さく呟く。
「そういえば、姉が貴女にも招待状を出したと言っていました。ですが、どうして温室に?」
「えっと、ここの園芸部にいるレティシアさんに会いに。以前、お花の説明をしてくれると約束をしていたので」
私はもう一度見渡してみたものの、温室内にレティシアさんの姿は見当たらなかった。
〝私はたぶん当日はずっと温室にいると思うから〞
あの日、彼女は確かにそう話していた。
その言葉が少し寂しそうに言うものだから、〝絶対に行く〞と約束を交わしたわけなのだけれど。
「彼女と知り合いでしたか」
頷いた私に殿下は続ける。
「彼女のクラスの者にはこちらにいるはずと伺っていますので、もう少しすれば来られるかと」
「ありがとうございます。そう言えば、殿下のところでは何か催しをなさるのですか?」
「剣術部では剣舞を予定しています。もしよろしかったら、あとで観にいかれると良いですよ」
その口調がどこか他人事のようで、思わず私は訊ねてしまった。
「殿下は出られないのですか?」
「はい、お恥ずかしながら。一応第二とはいえ王子なので、得物を扱っての対人戦は控えているんです。
でも、演劇部の殺陣練習には参加させてもらいましたよ。ミアに半ば強引に駆り出されただけなんですけどね」
そう言って苦笑を返す殿下。
その後しばらく殿下と話しながら待っていたものの、レティシアさんの姿は現れなかった。
そして。
「お待たせしました。アリネミカとベルジアの種を持って――っとこれは失礼しました」
温室の扉が開いて聞こえてきた声も、彼女のものではなかった。
花を愛でていた視線をそちらの方に向けると、私をレティシアさんだと見間違えたであろうアランの姿が視界に映った。
「こんにちは、アランさん」
「えっ? 申し訳ございませんが、どちら様でしょうか」
申し訳なさそうな声でアランが訊ねてくる。
「前にここで、レティシアさんとお話し――」
と言いかけたところで、その時の私は変装をしていたのだと思い出した。
「――する機会があったので、その時お名前を伺いました」
「左様でしたか。……レティシアさんはここにはいないので?」
特に深堀をされることはなく、私は内心胸を撫で下ろしていた。
けれど関係者なら彼女の行方を知っているかと思っていたのに、逆にアランから彼女の所在を訊かれてしまった。
「彼女はまだこちらには来ていないよ」
私の時と同じように、ジュード殿下が告げる。
けれど、その言葉にアランは眉をひそめた。
「朝一で今日の展示する花の種を追加で持ってくる依頼を受けておりまして。
〝ずっと温室にいるから〞と仰っていたのですが……」
その手には中がぎっしりとつまった麻袋が握られていた。
アランの言葉に続く違和感に、私は妙な胸騒ぎを覚えた。
では、彼女はどこへいったのだろう?
その時。
「ヴェロニカ様」
突然、いつの間にかいなくなっていたリュカが神妙な面持ちで温室の扉を開けて私の名を呼んだ。
「どうしたの?」
「こちらに」
何かを見せたいのだろうか。
手招く彼に連れていかれた先は、温室と校舎のちょうど中間辺りの地面だった。
膝をつくリュカの視線の先には、ひとつの鮮やかな赤い花が落ちている。
どこかで見たような花だった。
それを拾い上げたリュカが口を開く。
「この品種は、温室で咲いていた花と同種です」
言われて見ればその通りだった。
けれど仮に周囲に咲いていたとしても、その花は茎の部分から無造作に引きちぎられていて、偶然そこに落ちていたとは考えられなかった。
「誰かのいたずらかしら?」
私が首を傾げていると、横でジュード殿下が異を唱えた。
「考えられなくもありませんが、一輪だけというのは考えにくくありませんか?」
「それじゃあ、一体誰が――」
そう言いかけて、私は言葉を止める。
もし、レティシアさん本人がやったのだとしたら?
とは言え、この花は彼女が大切に育てていたもののはず。
その花に対して、こんな粗雑な扱いをするとは考えられなかった。
けれど。
「あそこにも、同じものが」
ジュード殿下が指差した方向は私たちが来た校舎の廊下とは反対側だった。
その廊下の角に、今度は黄色い花が同じように落ちていたのだ。
「偶然……とは言いがたいですね」
真剣な口調のジュード殿下に、私のなかにあった胸騒ぎが膨らんでいくのがわかった。
「あれは――……」
そして、とあるものに視線が止まった。




