13 宴の始まり
長らくお待たせいたしました。気付けばもうすっかり年の瀬ですね。
今年の憂いは今年の内に断つ、ということで投稿再開します。
その日の朝。
「……では、行ってくる」
「はい。気を付けて行ってらっしゃいませ」
玄関でそう言葉を交わすと、振り向いたオリバーの、何か物言いたげな視線と目が合った。
「何か?」
私は首を傾げて言葉を待つも、彼から返ってきたそれは「何でもない」という短いもので、私が返事する間もなくオリバーはニコラスを連れて出掛けてしまった。
(……そう言えば、今日どこへ行くのかを訊くのをすっかり忘れていたわ)
朝食の席に着いた時、私は不意にその事を失念していたと思い至る。
今日のオリバーの予定は、殿下の公務の随伴と言っていた。
帰りは日暮れ前とは聞いているけれど、訪問先までは聞いていなかったのだ。
(〝随伴〞ってことは宮廷ではないわよね? まあ、さすがに遠出するなら言ってくれるだろうし)
私はウォーレンに晩餐の用意はレオも含めて三人分にするよう言付ける。けれども、彼からは意外な言葉が返ってきた。
「奥様。失礼ながら、レナード様からは〝晩餐は不要〞と伺っておりますが……」
「え? 私は何も聞いていないけど……レオはどこ?」
テーブルの上に用意されている朝食は私の分だけだったことに気付いて、私は彼と話したというウォーレンに訊ねた。
「それが、旦那様が発たれる少し前にお出掛けに」
その際に〝帰りは遅くなるから〞と晩餐を断ったらしい。
「もう……」
溜め息を吐きながら、私は改めてウォーレンに晩餐は二人分でいいと告げた。
〝晩餐は要らない〞ということは、恐らくレオの今日の帰宅は夜遅くになるか、または外泊ということになる。
(そう言うことは、まず私に言って欲しいんだけど!)
邸内のことは、曲がりなりにも公爵夫人である私に責任がある。
テーブルの前に置かれた焼きたてのパンを口に運びながら、私は誰に言えるわけでもない愚痴を飲み込んだ。
こういうところは、兄弟揃って似ているところなのかもしれない。
秘密主義というか、個人主義というか。
一応仕事柄仕方ないことだと理解していても、釈然としない部分もあるのだ。
朝食後、リリカに着替えを手伝ってもらっていた私に、リュカがタイミングよく告げる。
「ヴェロニカ様。外出のご用意が整いました」
「ええ。ありがとう」
とは言え、今日の愚痴はここで終了。
気持ちはさっさと切り替えて、楽しみなことに集中すべきだ。
今日はユーフェミア殿下やヒルデ様、そして何より先日できた友人にも会える、待ちに待った〈雄将祭〉の日なのだから。
アジルディア学園の外門前には、多くの馬車が止まっていた。
「本当に、沢山の人が招待されているのね」
今日の来訪者は学園の関係者や招待客だけと聞いていたけれど、予想以上にその数が多い。
馬車から降りようとする私に、リュカが頷きながら手を差し伸べた。
「〈雄将祭〉は、国内外問わず関連のある催事ですから」
学園総出のこの催事は、国内の貴族だけでなく、大公国からの交換留学生である生徒の保護者、つまりは大公国の貴族たちも訪れているという。
だから、毎年これくらいの出入りにはなるのだそうだ。
「ねえ、リュカ。この花の色には、何か意味があるの?」
私は入り口で渡された造花のバッチを胸につけながら、リュカへと訊ねた。
招待状は二人分だったこともあり、リュカに同行してもらうことにしたのだけれど、彼が受け取った黄色の造花とは違って私のものは白色の造花だった。
他の招待客を見ても、赤や黄、緑などの造花が目につく。
「招待客には、生徒の保護者の他にも学園関係者などがありますので、その判別としての色分けかと」
そう言われてから改めて周囲を見ると、一緒にいる生徒たちの様子から保護者は赤の造花、教師陣などに出迎えられている学園の関係者は緑の造花をそれぞれ身に付けているようだった。
「わあっ、すごい人……」
開会式の会場となる野外ホールについて早々、私は大勢の来場者の姿を目にして思わず心の声が口をついて出ていた。
ホールの席は舞台を見下ろすように半円のすり鉢状に配されており、着席している来場者は一様に式の開始を待っている。
「ヴェロニカ様、こちらへ」
そして私はリュカに言われるがまま、空いている席へと座らされていた。
「会の終了後にお迎えに上がりますので、それまではくれぐれもこちらの席でお待ちくださいますように」
「……わ、わかりました」
彼の言葉の後半にえもいわれぬ圧を感じ、私は反射的に敬語で答えてしまう。
「式中、私は会場の後方に控えておりますので」
そう言葉を残して去って行くリュカ。
その後ろ姿を見送りながら、私は改めてホール全体を見渡した。
既にホールの客席はほぼ満席状態。
リュカ曰く、学園のなかでも一番の収容人数を誇るというこのホールであっても、後方では立ち見が発生しているだろうとのことだった。
次に、半円形ですり鉢状のホールの中心に目を向けると、そこには遠目からでもわかる豪奢な演壇が用意されていた。
これからその前に来る人物の位を暗に示しているようだ。
私は手元にあるユーフェミア殿下の招待状に送付されていたタイムテーブルの開会式の欄へと目を落とす。
けれど学園長名前の隣には『来賓祝辞』と書かれていただけだった。
(〝来賓〞……どなたが来られるのかしら?)
しばらくしてホール端の楽団から開会を知らせるファンファーレが鳴り響びき、それに合わせて来場者の拍手がホールに満ちる。
そこへホールの裾から学園長と思われる初老の男性が登場し、演壇へと立った。
拍手が収まり、ホール内が一瞬にして静けさに包まれる。
「皆様、学園長のマルコム=ブレアです。
本日は我が学園が誇る〈雄将祭〉にご来場いただき、誠にありがとうございます。
本日ご来場の方の中には、遠路はるばる大公国より足をお運びいただいた方々もおられます。
両国での交換留学の試みは、今年で約二十年目を迎えます。これは初代親善大使を勤めたバイロン=オルコット氏が行った遊学に端を発するものです。
さて、今年で六十七回目となる〈雄将祭〉ですが、この学園の創始は今から約二百年前――」
学園長の口からはこの学園の創始が語られ始めた。
ホールの構造が作用してか、その言葉はとても明瞭に聞き取ることができた……はずなのだけれど。
(……院長先生の朝礼を思い出すわ)
修道院で毎月ある院長先生の朝礼と似たものを感じた。
特に私と同時期に修道院へ来たジェシカはいつも眠そうに聞いていたっけ。
どのくらい時間が経ったのか。
しばらくして学園長の会釈と降壇ともに、また拍手の音が生まれる。
そして先程の私の疑問は、驚愕とともに訪れた。
「え……っ!?」
学園長と同じようにファンファーレの後に現れた数名の人物たち。
そのうちの二人の人物を見て、思わず上げてしまった私の声は、拍手の喝采の音にかき消された。
なんと、エルドレッド殿下とオリバーの姿があったのだ。
先頭の殿下に続いて登壇したオリバーが、その左後方へと控えている。
突然のことに頭が真っ白になった私は、いつの間にか拍手する手を止めていた。
「今日この佳き日に、我が国の誇りでもある学園の催事に参列できたこと、心から嬉しく――」
殿下の明瞭とした祝辞の挨拶がホールに響くも、そのほとんどが耳に入ってこない。
確かに。
よくよく考えてみれば、この学園の卒業生でもある殿下とオリバーは来賓として呼ばれても不思議ではなかった。
(まあ、この距離だし、気付いているわけないわよね……)
そう言えば、私が今日〈雄将祭〉へ来ることは、オリバーには伝えていなかった。
(……でも)
別に、謹慎が開けている私がここにいること自体、何も悪いことではない……はずなのだけれど。
なぜだか、胸の奥がずきんと痛くなった。
これはレオと出掛けた時とはまた違う感覚だ。
「……」
不意に、以前レオから言われた言葉が脳裏に浮かぶ。
〝義姉さんは、義姉さんの好きにした方が良いよ〞
あの時私はあまり深く考えなかったけれど、今思えばレオの眼には、私が窮屈そうに映って見えていたのだろうか。
確かに最近では自分の行いを省みて、なるべくは邸の中で大人しくしていた。
けれどそれはオリバーに心配をかけたくなかったからだし、彼がそれを私に求めているなら応えたいとも思っている。
きっと、そう思うこと自体はいけないことではないはずで。
それでもレオの言葉を今になって思い出すというのは、私の中でなにかが引っ掛かっているということでもあった。
そう。例えば――
もし私とオリバーの意見が相反するものだとしたら、私はどうすべきなのだろう?
まだ伯母さまのところにいた時、家庭教師のリーディエ先生からは『妻は夫に従順であること』と学んだ。
公爵夫人というのはあくまで夫であり爵位を持つ公爵の庇護の対象。
だからその意向に従うのは当たり前で、口も出さない。
……そう、納得しているはずなのに。
(どうしてこんなに胸が痛むの……?)
痛みの正体がわからないまま、気づけばいつの間にかオリバーや殿下たちの姿は降壇していて、式も終わろうとしていた。
再び拍手の波が生まれるなか、人々は立ち上がってそれぞれの目的地へと向かい歩き始めている。
私も腰を上げ、席から近い階段に向かった。
けれど階段に足を掛けたその時、先程リュカから動かないよう念を押されていたことを思いだし、ぴたりと足を止める。
(そうだ。大人しく待ってないと……)
あの剣幕のリュカには逆らいたくないと本能が告げていた。
そして約束通り席で待つため戻ろうと方向転換した――のだけれど、それが不味かった。
会場の外へと続く階段を登ってくる男性の肩と運悪くぶつかり、その衝撃の勢いもあって私の体勢は大きく斜めに傾く。
「あ……っ」
このままいけば、盛大に地面へ尻餅をついてしまう。
(こんなに大勢の前で……恥ずかしいわっ)
顔が一瞬で熱くなり、目を固く閉じる。
けれど、いつまで経っても転倒することはなかった。
代わりにあるのは、後ろから添えられる誰かの手の感覚。
「――失礼。大丈夫でしたか?」
背後から、支えてくれた手の人のものと思われる声が聞こえた。男性だった。
「はい。ありがとうございま――」
お礼を言いながら振り向いた私は、助けてくれた人物とはたと目が合ってしまい、言葉を失ってしまった。
「え……? あなた……」
灰色の短い髪に、暗い色のレンズの眼鏡。
服装は紳士のそれをしっかり着こなしているものの、一点だけ変わっていないところが間違いなく〝彼〞であることを証明していた。
「どうしてそんな――」
「失礼」
一見して別人のよう。
そしてその人物は目が合った私と視線をそらすように小さく会釈をすると、制止も聞かぬままに人混みに紛れて消えてしまった。
「……どう、して……?」
暗い色のレンズの眼鏡の下から覗く、琥珀色の瞳。
それは間違いなくレナードのものだった。
◆
「なあ、特別招待客の席にいたのって……」
「……」
開会式の挨拶を終えてホールから降壇したエルドレッド=グレン・クウェリアは、舞台裏に用意された来賓席に戻りながら自身の予想が的中したことに内心溜め息を吐いていた。
(はあ……やっぱり、そうなるよなぁ)
その予想とは、エルドレッドの後ろに控えていた男、オリバー=エインズワース公爵その人の表情である。
恐らく、傍目からはいつもと変わらない様子に映っているのだろう。
しかし、二十年来となる間柄のエルドレッドから見てみれば、それは目を覆いたくなるほど怒りのオーラを放っていた。
その原因は、ひとつしか考えられない。
舞台からも良く見える特別招待客の座席にいた、一人の白金髪の女性。
遠巻きからでも人目でわかるその姿は、間違いなくオリバーの妻である――ヴェロニカだった。
「どうして彼女が〈雄将祭〉にいるかは不明だが、そちらはドランバル卿に頼んでみよう」
卿には今回の件で手を貸してもらうため、こちらの事情を話している。
本当なら例のものの捜索に加わって欲しい気持ちもあるが、目の前の友人兼臣下の男はこれくらい言わないと効かないだろう。
「……ああ」
まるで苦虫を噛む潰したような返答だった。
エルドレッドは溜め息を堪えながら、友人の肩をなだめるように優しく叩く。
本当にこの男は、彼女のことになると普段とは比べ物のにならないくらい慎重かつ強引になりすぎるきらいがある。
そんな状態の幼馴染みに、ひとつ言えないことがあった。
(とは言え、今回の相手は厄介だからな……)
それは先程、開会式が始まる前にあった報告のひとつ。
――今回の来賓のなかには面倒な相手が二組いる、ということだった。




