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レディ・ヴェロニカの秘めやかなご所望  作者: 都辻空
レディ・ヴェロニカは外出(デート)がしたい!

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12 焦燥感の正体

ご覧いただき、ありがとうございます!

そしてブックマーク&評価もありがとうございます。投稿が大幅に遅くなり申し訳ありません。

 

 ◇


 夕食後。

 書斎兼執務室で領地からの報告書に目を通し終えたオリバーは、一人談話室へと向かっていた。


 再来月に予定している公爵領内の視察の日程も確定し、それに伴う各領主たちへの通達も済んでいる。


 あと残している仕事といえば、エルドレッドから依頼を受けた件だけだった。


 まあ、それが一番厄介なものだったのだが。


 談話室の扉の把手を握り、開ける――その前に、中から声が聞こえてくる。


『えっと……』


 それはヴェロニカのもので、その声色は何かを逡巡している様子だった。


『ここは……〝兄弟はそこで、()()〞――?』


 発音からして、彼女が話していた――否、読んでいたのはストランテ語で書かれた書物なのだろう。


『そこは〝()()()()〞だね』


 ヴェロニカの詰まった後を口にしたのは、レナードの声だった。加えてレナードは、彼女に正しい発音と使い方を教えている。


「……」


 オリバーは、胸の奥に黒く淀んだ感情が沸き上がるのを自覚し、躊躇いから、把手を握るその手を静かに離した。


 邸での謹慎期間中に、彼女がリュカからストランテ語の講義を受けているのは知っていたし、止めることもしなかった。


 本当のことを言えば、あまり良い気はしていない。


 とは言え、ストランテはヴェロニカの祖母であるミランダの故国でもあるため、それらの感情には一旦、蓋をしたはずだったのだ。


 レナード(あいつ)が来るまでは。


 二歳年下の実弟レナードが、ルストラ川を挟んで隣国であるストランテ共和国への外交官として着任してから、今年の春で丸二年が経つ。


 その間はほぼ音信不通で、ろくに年始の手紙すら寄越したことはなかった。


 だのに、ここに来て突然の帰国。

 それも、よりによってこの時期にだ。


 扉の向こうから、当のレナードの声が聞こえる。


『ほんとに、義姉さんは筋がいいよ。日常会話程度ならストランテ(あっち)で問題なくできると思う』


『ふふ。そう? でも、レオの教え方が上手いのもあると思うわ』


 レナードに褒められて、喜ぶヴェロニカの姿が目に浮かんだ。


「……」


 ああ。面白くない。


 扉の前で佇むオリバーの背に、声が掛けられる。


「オリバー様。サー・エリオットより封書が届いております」


 背後の階段の踊場に立っていたのは、執事長のウォーレンだった。

 彼は、既にそれはニコラスが書斎へと運んでいると続ける。


「そうか。わかった」


 差出人は、件のエルドレッドから任されていた用件について調査させていたエリオットだった。


 オリバーは談話室の扉を横目で一瞥し、書斎へ戻るために踵を返した。

 今は私情を優先するところではない、そう判断して。


 しかし数歩先に進んだところで、背後から閉じていたはずの談話室の扉の開く音がし、一瞬だけ身構えた。


 ウォーレンが踊場から去った今、静かな廊下にいるのは、部屋の中から出てきた人物とオリバーだけだ。


 そしてその人物の声が、立ち止まったオリバーに言葉を投げて寄越してくる。


「……なぁ、兄貴」


「なんだ?」


 オリバーは、弟の呼び掛けに振り返ることなく答えた。

 一瞬の沈黙の後、レナードの溜息混じりな声が聞こえる。


「……突然、帰って来たことは謝るよ。けど、いつまでも義姉さんに気を遣わせて、悪いとは思わないのかよ」


 投げられた言葉に眉をひそめながら、オリバーはその漆黒の瞳を実弟に向けた。


 父親譲りである弟の琥珀色の瞳は、真っ直ぐにこちらを見据えている。


「じゃあ、単刀直入に聞くぞ。レナード――お前、何をしに戻ってきたんだ?」


 ヴェロニカが、自分たち兄弟の間を取り持とうと何かと気を回していたことには気付いていた。


 けれど、それとこれとは話が別だ。


「ここ数日、城下に何度も出掛けていたようだが、何をしていた?」


 ここ数日間は私兵を雇い、秘密裏にレナードを尾行させていたのだ。


 その報告によると、レナードが連日訪れていたのは闇市で、数人の闇商人とコンタクトを取っていたことが分かっている。


 そしてその闇商人のうちの半数は、共和国とも繋がりがあるということも。


「それは、いくら兄貴相手だからって言えないな」


「つまり、外務省しごとに関することなんだろう?」


 いくらを血を分けた兄弟といえど、相手は貴族派のベレスフォードの息のかかった外務省に在籍する外交官。


 状況証拠だけが積みあがる現状で、レナードに対するオリバーの不審感は募るばかりだった。


 現状でオリバーが想像しうる最悪の事態ケースは、先の国王ならびに王太子暗殺未遂の容疑者でもある、サルテジット伯爵や主犯格とも呼べるテオドールたちとレナードに接点があった場合だ。


 共和国という繋がりがある以上、警戒を緩めるわけにはいかない。


 ことと次第によっては公爵家取り潰しだけでなく、国際問題に発展しかねないこの弟の行動に、オリバーは彼女を関わらせたくはなかった。


「……もう、二人には迷惑をかけない。約束する」


「迷惑なら、もうかけているだろう」


 つい、言葉尻を強めた言葉が口から出てしまう。それにはオリバー自身にも悔いが生まれたが、時既に遅かった。


 それにその行動の目的がはっきりとしない以上、弟の言葉を鵜呑みにするわけにいかないのは事実だ。


 万が一にも、自身が守るべき大切な女性の身に何かあることは許されないのだから。


 オリバーの心情を知ってか知らずか、レナードの口調が強まった。


「ああそうかよ。だったら、俺だって言わせてもらおうか。

 俺に八つ当たりするくらいなら、自分から義姉さんに言えばいいだろう?

 〝自分の目の届かないところで知らないことをしないでくれ″って」


「どういう意味だ?」


 向けられた言葉に自身の真意を突かれ、オリバーは眉間に皺を寄せる。


「そのままの意味だよ、兄貴。あんた、義姉さんの興味が他国に向かないよう、うちで閲覧出来る資料を限定してるだろ」


「……」


 オリバーから向けられた視線の意味に気付いたのか、レナードが肩をすくめて否定の意を示した。


「安心しろって。義姉さんには言ってないし、気付いてる様子もない」


 彼は、少し間を置いて言葉を続ける。


「……確かに義姉さんは、いい人だと思うよ。


 どんなことにも興味を持ってて、努力家で……俺たちなんかの間に入ろうってくらい人がよくてさ。


 けどだからって、そこまでする必要はないだろう?」


「はっきりと言ったらどうだ」


 オリバーは焦燥するその内心を抑えつつ、レナードの琥珀の瞳を静かに見据えた。


「いくら夫婦でも、あんたが義姉さんの行動に制限をかけるのは間違ってるって言っているんだ。義姉さんだってもう成人おとなだ。分別がつかない人でもないだろう」


「俺には彼女を守る義務と責務がある」


 レナードが言わんとしていることの理解はできる。


 しかし、オリバーの意志はそれとは相反するところにあり、それは自分だけではなく、女侯爵やヴェロニカの今は亡き両親にも誓ったことでもあるのだ。


 そのことを知るよしもないレナードから返って来た声は、予想通り否定的なものだった。


「あの人を守りたいって思うあんたの気持ちはわかるよ。


 けどそれが……義姉さんの行動や知識に制限をかけて、自分の手元に置いておくことが、本当に〝守る〞ってことなのかよ」


 その言葉はオリバーの心を逆撫でするだけで、両者の意見はどこまでも平行線であるということは、もう既に互いに理解していた。


 だから、譲れないし、認められない。

 同じ環境で育った兄弟だというのに、二人は何もかもが違っていた。


「例えそうだとしても、お前に言われる筋合いはない」 


「……ああ、そうかよ。だったら、俺も勝手にさせてもらうさ」


 先に背を向けたのは、レナードの方だった。

 オリバーは、歩き出す弟の後ろ姿に言葉を投げる。


「何をする気だ?」


 その背から返ってきたのは、静かな声だけだった。


「言ったろ。二人にもう迷惑はかけない。あと一週間も経てば、大人しくストランテに帰るさ」


 その表情はついぞ見えず、オリバーは足早に去る弟の背を目で追うことしか出来なかった。


 ◇


「あら、レオ。遅かったのね。探し物は見つかった――って、どうかした?」


 部屋に物を取りに行くと言って退出したレオが、出ていく時よりも幾分か暗く、浮かない表情をして談話室へと戻ってきた。


「……それが、部屋まで行ったんだけど、何取りに行ったのか忘れちゃって」


「何それ」


 レオの思っても見なかった回答に、私は数度瞬きを繰り返す。


 けれど、その面持ちがどこか悔しそうだったので、それ以上は口にしなかった。


 私は視線を、先程まで読んでいた深緑色の表紙をした本へと戻して、印字されている文字を手でなぞる。


(オリバー、まだかな……?)


 ここ数日、夕食の後オリバーは書斎で過ごすことが多かった。


 だから、彼の仕事が終わってここにくるのを、それとなくレオと待っていたのだけれど。


(もしかして、避けられてる?)


 以前、オリバーが彼に対して「苦手だ」と話していたから、少しでも二人の距離を詰められるような共通点のある話題を探していたのだ。


 そしてまさに今日、「これだ!」という話題を見つけたと言うのに、肝心のオリバーが現れない。


 きっと、仕事がまだ残ってるのだろう。


「仕方ない」


 私は気分転換も兼ねてチェス盤を持ち出し、レオを誘ってみた。

 チェスは最近レオから教えてもらって始めたのだけれど、これが結構難しい。


 交互に手持ちの駒を動かして、相手の(キング)の駒を取った方が勝ちというルールなのだけれど、手番(ターン)ごとに広がる戦法を考えるのが大変で面白いゲームだった。


「……義姉さんはさ」


 そして、いざ対局が始まって幾度目かのレオの手番。不意に彼が呟くように私を呼んだ。


「ん? なぁに?」


 浮かない顔のまま手にする駒を盤上のマスに進めた義理の弟は、静かに口を開く。


「義姉さんはさ、兄貴のどこがいいの?」


「へっ?」


 自分の駒を選んでいた私の手が止まる。心理戦でも仕掛けているつもり?


「あんな堅物、一緒にいて窮屈じゃない?」


「そんなこと、ないけど……」


 確かに。思えばオリバーは、ちょっと心配性なところがある。


 でも、それは裏を返せばそれほど私のことを慮ってくれているということでもあって、一概に悪いこととは思えなかった。


(……むしろ、私がそうさせてるっていうか)


 修道院時代も、よく院長先生から「考えてから行動しなさい」と注意されたものだ。


 今は大分ましになった……と思いたいけれど。

 今日のお茶会で初対面のヒルデ様に「快活そう」と言われてしまったから、もっと公爵夫人として、落ち着き払った行動を心掛けなければ。


 そんな私の密かな決意を知ってか知らずか、レオが言葉を告げる。


「義姉さんは、義姉さんの好きにした方が良いよ。その方が、過ごしやすいだろう?」


「好きにって、それはいくら何でも――」


 自分勝手すぎる。そう声にしかけたものの、私へと向けられるその眼差しがどこか真剣みを帯びているせいで、言葉が喉の奥に引っ込んでいた。


「私は私の好きにさせてもらっているわ」


「そうは見えないけど」


「そんなことないわよ。あの人だって、話せばわかってくれる人だし」


 それにオリバーとは、あの約束もしている。

 けれど一人納得して盤面の駒を動かした私に、レオが突如予想外のことを口にした。


「……好き勝手やってきた身からしたら、義姉さんのは大したことなんてないよ」


「あなたが?」


「俺、アカデミーを中退してるんだ。外交官になるために」


「そう、だったの」


 驚きだ。

 レオは再び自分の駒を動かす。その表情は何を思っているのか読むことができない。


「あの時、親父はもう兄貴に家督を譲っていたし、兄貴も何も言わなかったけど」


 〝けど〞。

 そのあとに続く言葉は、彼自身の独り言のように聞こえた。


「……俺だって、巻き込むつもりはなかったさ」


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