08 揺られる蕾
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レティシアに連れられて私が入ったのは、彼女と出会った校舎裏のすぐ傍にあった、全面ガラス張りの小さな温室だった。
午後の日射しが差す、心地好いくらいの暖かな室内。
そしてその中は、とある香りで満たされていた。
「す……すごいっ! 花がたくさん!」
視界を温室の中に咲き誇る、色とりどりの花が彩っていく。
私はそれらの香りに包まれて、順番に目を向けた。
赤。黄。白。紫。桃。
植木鉢に植えられているものや、花壇に植えられたもの。
花の種ごとにきちんと区画が分けられているその光景は、さながら絵画の配色を決めるパレットのようだ。
「どうぞ、あちらへ掛けていてください」
彼女――レティシアは、腕に先ほど直した鉢を抱えながら、温室の中心にあった簡易な木製の椅子とテーブルを指差す。
「私も、何か手伝います」
「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ。これを元の場所に戻すだけなので」
そう言って、レティシアはガラス張りの壁に沿って一列に並べられている植木鉢の列に、持っていたそれを加える。
「手を洗ってきますね」
温室内に設置されている蛇口をひねって手を洗うレティシアを横目に、私は彼女が置いた鉢の中に視線を向けた。
その鉢の土には〝リリノアス(〈三月の聖姫〉日陰)〞と書かれたプレートが刺さっていて、その隣の鉢には〝リリノアス(〈三月の聖姫〉日向)〞のプレートが刺さっていた。
「これ、全部リリノアスなんですか?」
並べられた鉢を順番に見て行くと、どのプレートにも植えられた時期、保管場所、開花予想が書かれているのに気付く。どうやらその数の多さから、ここ数ヵ月、毎月続けて鉢植えされて増えているのがわかった。
「はい。球根が手に入ったので、昨年の〈十月の恵姫〉から育てているんです」
「でも、リリノアスは、冬に咲くイメージが……」
リリノアスは、その名前の通りに一般的には〈十二月の氷姫〉の前後で開花する花だ。その花びらは、白、赤、桃、黄、紫など、多くの種類があるのだけれど、蕾が開くまで何色かはわからないことで有名だった。
「ええ。でもこの球根をくださった方の話では、環境にさえ適応出来れば、鉢植えをしてから三~四ヶ月ほどで季節問わず栽培できるという話だったので。
だから私の所属するこの園芸部で、この花の適した環境をレポートにまとめて〈雄将祭〉で発表しようかと」
〝日陰〞と書かれたプレートの植木鉢は、校舎裏の日陰で育てていたらしい。それを日射しが弱まる今の時間帯にこの温室へ戻そうとして、先ほどの女子生徒たちと対峙してしまったというわけだ。
「そう言えば、まだ、貴女のお名前を伺ってなかったですね」
二人揃って椅子に腰を掛けたところで、向かいに座るレティシアが言葉を発した。
レティシアは、落ち着いた焦げ茶色の髪が印象的で、その髪は背中まで真っ直ぐに伸ばされている。そしてその優しげな翡翠の瞳を映す大きい丸眼鏡も、違った意味で印象的だった。
「私は、ヴェロニカ。ヴェロニカ……でいいわ」
危ない。うっかり、嫁ぎ先の姓を名乗るところだった。
私は不自然な名乗りになっていないか不安になったものの、気にも止めていないの様子のレティシアを見て心中、安堵する。
「……ヴェロニカさん」
けれど、一つ息を飲んだレティシアは、次に真剣な眼差しをこちらへと向けたかと思うと、呟くように私の名を口にした。
その面持ちが纏う雰囲気に呑まれて、私は一瞬返事に戸惑ってしまう。
「先ほどは、助けていただき、ありがとうございます。でも、今回のことで貴女までハンナさんたちから何か言われたり、されでもしたら……」
(ハンナ……?)
思い当たるのは。先ほどの女子生徒たちのこと。
レティシアは言葉を続ける。
「私は夏までの辛抱だから、なんとかなるけれど、貴女は来年の〈三月の聖姫〉まで学園にいるのだから、なるべくはもう、私に近付かない方がいいです」
「夏までって、どういうこと?」
彼女の口振りに、私は首を傾げた。
そして告げられた言葉は耳を疑うものだった。
「私……〈雄将祭〉が終わったら、学園を去る予定なので」
「どうして……」
「仕方ないんです。父のことや、それ以外にも色々と……」
「……」
彼女が苦笑いを浮かべたのを見て、私は己の配慮の足りなさに嫌気が差した。
約一ヶ月前に王宮主催の仮面舞踏会で起こった暗殺未遂事件。
その事件に関与しているとして、現在も宮廷にて取り調べを受けているのが、レティシアの実父であるサルテジット伯爵だった。
伯爵はこの学園の大学部で自身が育てていたトリカブトの葉を盗難と偽装して入手し、それを旧ストランテ王国軍を母体とした暗殺集団へ、手引きした疑いがかけられているのだ。
けれど、これらはあくまで秘密裏な捜査情報。だから伯爵が宮廷へ勾留されているという事実については、関係各所に箝口令が敷かれているはずだ。
無論、それは学園側にもなされているはず。それなのに、どうして。
(人の戸口になんとやら、って言ったかしら……)
以前、修道院にいた頃、友人の一人から聞いた異国の諺を思い出す。
レティシアは微笑みを作っていたものの、それは無理をして作っているとわかるものだった。
「だから、せめて今年くらいは何か……形に残るようなことをしたくて。毎年、園芸部は、あまり目立つような発表は行っていなかったから」
レティシア曰く、他の園芸部の部員たちは、普段あまり姿を見せていないとのこと。部活動への入部は学園の規則として必須ではないものの、部員のほとんどが幽霊部員という存在になっているらしい。
「……誰も、来てくれないと思うけど」
これは自己満足だと言わんばかりに、自虐混じりに苦笑を溢すレティシア。
そんな彼女を見ていた私は、思わずその手を両手でぎゅっと握りしめていた。
レティシアは驚いた様子で、肩を僅かに跳ねさせる。
「そんなことないわ! 私は絶対に見に行く! 約束するわ」
一瞬だけ、眼鏡の奥にある翡翠の瞳が揺れた気がした。
「……ありがとう。ヴェロニカさん」
「呼び捨てで構わないわ。私も貴女のことを〝レティシア〞って、呼んでいいかしら?」
敬語もなしで、と私は付け加えて、レティシアへ微笑みかける。
彼女は小さく頷いて笑顔を返してくれた。
「ありがとう。ヴェロニカ」
その後は、レティシアから温室に咲いている花の説明を聞いたり、互いに好きな花の話をしたりして過ごした。
そして私たちが花壇に植えられれ、もう時期開花しそうな花の蕾を見ていた時。
不意に、私たちの近くのガラスの壁を叩く音が響いた。続けてくぐもった声が聞こえる。
「お嬢さん方」
レティシアと二人揃ってそちらの方を振り向と、ガラスの壁の向こう側に、つなぎを纏った男性が佇んでいた。
「お話し中のところ申し訳ありません」
その男性の姿を見たレティシアが、慌てて立ち上がる。
「あ……っ! アランさん、すっ、すみません……っ!」
わたわたと周囲を見回し、何かを確認するレティシア。
そうする間にも温室の入り口から、アランと呼ばれた男性が入って来ていた。
年は三十代後半から四十代手前で、身長も体格もかなり良い。
顔の下半分まで蓄えられている髭が特徴的で、首許には麦わら帽子を掛けていた。
肩まであるであろう栗色の髪は癖毛で、頭の後ろで一本に結わえられいる。
今は額に僅かな汗をかきながら、髪と同じ茶色の瞳を私たちへと向けていた。
恐らくは、服装から学園の教員、というよりは庭師に近いような立場なのだろう。
「ごめんなさい……っ! 私、自分で取りに行くってお約束していたのに……っ!」
〝アランさん〞と言うらしい男性に、レティシアは慌てながら駆け寄って、何度も申し訳なさそうに謝罪の言葉を述べていく。
一方のアランさんは、手を軽く振って「気にしないで」と笑っていた。
「いえいえ。ひとつでも女性には重いと思いますので、言ってくださればそちらに運びますよ」
温室の外へ向けられたアランさんの視線の先には、一輪の手押し車があった。その中にはいくつか土嚢が積まれている。
「ありがとうございます。それでしたら、そちらの隅に――」
レティシアが温室の入り口に程近い隅のスペースを指差して、アランさんへと依頼した。
彼は頷くと、慣れた手付きで土嚢をそこへ積んでいく。
積み終わって一息吐くアランさんと、はたと目が合った。
私が会釈だけすると、明るい声でアランが訊ねてくる。
「そちらのお嬢さんは、新しい部員さんですかな?」
それに答えたのはレティシアだった。
「いえ。友人のヴェロニカさんです」
「……なるほど。そうでしたか」
そう言って一人頷いたアランさんは、用向きは以上だったと告げる。
「それでは、私はこれで」
そして手押し車を引いて、アランさんは校舎の影へと消えていった。
「ごめんね。今日業者から頼んでいた肥料が届く予定だったの、すっかり忘れてて……はしたないところを……」
赤面するレティシア。先ほど見せた一連の動きを〝はしたない〞と思っているようだ。
人間なのだし、忘れることもある。
私がそう口に出そうとした時。
校舎の方から、鐘の音が聞こえた。
「あ、予鈴ね。昼休みが終わったみたい」
なるほど。修道院の時課の鐘と同じなのね。
(……って、あれ?)
何か忘れているような。そんな気がする。
僅かに考えた後、私は気付く。
「……あ、あっ!?」
私の喉から、大きな驚愕の声が出た。これに比べたら、レティシアの〝はしたない〞なんて可愛いものだ。
目を瞬かせて、レティシアは首を傾げる。
「どっ、どうしたの? ヴェロニカ」
すっかり忘れていた。
(私も、レオと待ち合わせしてたんだった……!)
私は椅子から立ち上がってレティシアへ告げる。
「ごめんなさい! 私、戻らないと……っ」
レティシアに人と待ち合わせをしていることを伝え、僅かに覚えている場所の特徴を伝えると、彼女は目星の場所を教えてくれた。
「それなら、多分……そこの校舎の角を真っ直ぐ進んだ先を右に曲がったところだと……」
「ありがとう! 〈雄将祭〉楽しみにしてるわね、レティシア!」
レティシアへ別れとお礼を告げて、私は来た道を戻り、元いたレオとの待ち合わせ場所へと向かう。
けれど結局、私がレオと再開できたのは、それから半時が経とうとしていた頃だった。
レオに見つけてもらうまでの間、私は高等部の校舎の酷似し過ぎる廊下に惑わされて、行ったり来たりを繰り返していたのだ。
この時、私は一つ、心に決めたことがある。
それは。
――もう、絶対に、一人で行動しない!




