05 はじめての市民街
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ですが、楽しんでいただけたら幸いです!
「ほい、義姉さん」
馬車から降りた私の頭上に、どこから取り出してきたのか、レオが帽子を被せた。
髪を纏めて入れろ、ということなのだろう。
「ここは?」
髪を帽子の中にしまいながら、私は辺りを見渡す。
馬車が止まったのは、人通りの少ない路地。エインズワース家の紋章を用いていない馬車でここまで来たのだから、お忍びという名目であることは理解出来た。
「市民街の外れだよ。少し先の通りまで出れば、市がある」
レオはそう言って、馬車が向かったのとは反対の方へ指を差す。そちらへ視線を向けると、一本向こう側の通りに人の往来が確認出来た。
「義姉さんは、王都へ来たことはある?」
「貴族街にあるお店をいくつか行ったくらいかしら……」
それも、マリアンナ伯母さまの経営するレストランとマーガレットのアトリエ兼店舗にしか行ったことがなかった。
「王都って一言で言っても、貴族街のような治安の良い場所もあれば、あまり良いとは言えない平民街や貧民街もあるからね」
今いる場所は、平民街でも比較的治安が良い場所だと、レオは付け加える。
「貧民……」
かつていた修道院も、決して裕福とは言えなかった。
けれど、食事は三食食べることが出来ていたし、併設された孤児院の子供たちの衣服もあつらえることが出来ていたのだから、恵まれていたのだろう。
それもこれも、貴族と呼ばれる人たちが寄付をしてくれたから。
彼らの協力のおかげで、子供たちに〝貧しい〞という思いをさせずにすんだのだ。
私は、一点気になったことをレオへと訊ねる。
「……レオは、ここに来たことがあるの?」
「うん。前にちょっとね」
微笑みながらそう返された。その妙に慣れた口振りは、彼の癖でもあるかように、態度もいつもと変わっていなかった。
馬車を降りてからずっと、胸が弾んでいる私とは大違いだ。
「お気をつけください。ヴェロニカ様」
先ほどからずっと沈黙を守っていたリュカが、背後から不安げな声を上げる。
リュカもリリカも使用人の服を着替えて、私たちの後から着いてくるという算段になっていた。
「何かあれば、後方におりますので」
「ええ。お願いね」
私は振り向いて、いまだに乗り気ではない表情を浮かべるリュカに微笑んで見せる。
「それじゃあ、行こうか。義姉さん」
レオの先導で、私は市の方へと向かった。
通りに出ると、それまであまり聞こえていなかった人々の活気の声がいきなり溢れて聞こえてくる。
「いらっしゃい! 今日はこれがオススメだよ!」
「うちのはどれも新鮮だよー」
「それ、三つちょうだいな」
「あいよ。いつもどうもね」
今の時刻は昼前。
目の前の通りの幅は、馬車が二つ並んで走れそうなほど広く感じた。けれど、その両側には露店が一列に連なっていて、人も客や通行人に別れて人波が出来ていた。
「……すごい」
こんな人数を一度に見たことがない私は、思わず驚嘆の声を上げていた。
「これでも、朝市よりは落ち着いている方だよ」
隣でレオが教えてくれる。
これで落ち着いている? 信じられない。
記憶の中の人混みのトップは、隣国の観光名所としても有名なブロントの町だった。けれど、ここはそれよりもさらに行き交う人の量が違っている。
道行く人の多さにただただ圧倒された私は、それだけこの王都に住む人口が多いということを改めて認識するのだった。
「今日は、兄貴が連れていかないような場所にも連れていってあげるよ」
「……?」
それからは、レオと共に市を見て回った。
野菜や果物を取り扱う青果店。
木彫りの工芸品を並べる店。
絵画や古本を並べる店。
中でも、小麦で出来た甘い生地を棒に巻き付けて焼いたおやつのような軽食を出す露店は、歩きながら手軽に食べられるということで好評らしく、隣の露店まで列が出来ていた。
(……沢山のお店があるのね)
歩きながら目で行き交う人々や店を眺めて、私は心の中で呟いた。
「……あっ」
不意に、それが目に入って立ち止まる。
それは、女性向けの髪飾りや装飾品を扱う露店だった。
中でも目に留まったのは、ユリの花の細工が施された髪飾りだ。
「おっ、お目が高いね。それはうちの商品の中でも一級品のものだよ」
私の視線の先の商品に気付いたのか、店主が自慢げに鼻を鳴らす。
「どうだい? 彼女のお土産に」
「……あはは。考えときます」
私は一旦その場を離れ、また歩き出した。
そうだ。今私はレオの服を借りていたのだ。傍目からは男性に見えているはず。
「良かったの? 買わなくて」
レオの声が隣で聞こえ、私は頷いて答えた。
「うん。今日は見に来ただけだし」
財布は、一応リュカから預かってはいる。けれど、今日の目的は買い物ではなかったから、十分だった。
その時、通りの門を曲がった女性の籠の中から、何か小さい物が落ちるのが見えた。
「義姉さん? って、ちょっと……っ!」
いきなり小走りになった私の後ろから、レオの驚くような声が聞こえてくる。
けれど私は構わず、通りの門まで走って、その女性が落とした物を拾った。
(……あの女性は……)
そしてその通りの少し先を歩いていた女性を発見し、そこまでまた走る。
「あのっ! ……これ、落とされませんでしたか?」
服装のおかげもあってか、すぐに追い付くことが出来た。
私の声に振り向いた女性は、初老を少し過ぎたくらいの容貌で、濃い茶髪を肩に垂らしている。
「あら、私の財布」
一瞬目を丸くした女性は、私が差し出したそれを見てぽつりと呟いた。
籠の中に入れられていたのは沢山の野菜で、どうやら買ったものの上に財布を置いていたために、何かの拍子に落ちたらしかった。
「嫌だわ、また私ったら……ありがとうね、お嬢さん」
「あっ、はい……え?」
どうやら、この女性の落とし物は、今回に始まったことではないらしい。
感謝を告げる女性に財布を渡しながらも、その言葉が私の中で反芻する。
「あっ。もしかして隠していたかしら? ごめんなさい」
「い、いえ……」
女性は小首を傾げていた。どうして女の私がこんな格好をしているのか、絶対にそう不思議に思っている表情だ。
けれど、再度明るい声でお礼の言葉が投げられた。
「助かったわ、ありがとう。私はロジーヌよ。この通りの先にある〈笑う赤鳥亭〉っていう旅籠屋をやっているの。
お礼をしたいから、今度是非うちに遊びに来てちょうだい」
ロージヌと名乗った女性は「何かご馳走するわ」と微笑んで、その場を後にする。
「……義姉さんって、お節介だよね」
いつの間にか後ろにいたレオが、いきなりそんなことを言ってきた。
「そんなことないわよ。落とし物を見付けたなら、届けるのは当たり前のことでしょう?」
「あなたもそうするでしょう?」とレオの顔を見上げると、なぜか沈黙が返って来る。
その後に、彼の重い口が静かに開いた。
「……俺は、落としたとこを見てても、何もしないかな。だって、結局は落とした本人の自業自得じゃない?」
「そんなこと……」
捉え方、考え方は人それぞれだとは思う。けれど、それではあまりに――
「……義姉さん、こっち」
「え? なにっ?」
いきなりレオが、私の手を引いて走り出した。
状況が読み込めていないのは、今度は私の方だった。
何が何だかわからずに、私はその手が引かれるがままに後をついて走る。
「――様っ!」
息が上がっていく呼吸の中、背後で声が聞こえた。
振り向くと、リュカとリリカが先ほどまで私が立っていた場所にいた。
「一体……どういう、つもり……なの? レオ」
全力疾走したせいで、私は入り込んだ路地裏にしゃがみこんでいた。
息も絶え絶えになっている私の横に立つレオは、軽く呼吸を整えているだけ。
けれど、その眉間にはシワがよっていた。
「俺にも、ちょっと事情があってね」
「……事情?」
その口振りと言い方から、レオはそれ以上話す気はないと言っているようだった。
ただでさえ、私はここ周辺の土地勘がないのだから、先ほどの場所へ戻ってリュカやリリカと合流するのは困難だろう。
それでも、何もわからず、何も知らずに彼に協力するなんてことは出来なかった。
「これからどこへ行くの?」
せめても、レオへ行き先を訊ねる。
「うん。こっちだよ」
レオは路地裏を真っ直ぐに進んで行った。その後についていくと、小さな通りへと突き当たる。
通りは先ほど市があった通りと同じように、両側に露店が並んでいた。
けれど、先ほどまでとは明らかに違うところがひとつ。
それは、行き交う人々の雰囲気だった。
皆一様に、口をつぐんで静かに通りを過ぎて行く。
露店で商品を扱っているはずの売り子も同様で、さして声を出して呼び込みをしている様子もなかった。
「ここは……?」
これが同じ王都の市なのかと疑問符を打つ私に、レオは先ほどよりも声を沈めてその言葉を口にする。
「――ここは、闇市だよ」
◆
少し時間は遡り。
「ヴェロニカ様っ!」
リュカがその事態に気付いたときには、既に手遅れだった。
「兄さんっ」
二人の後を追いかけようとする彼の手を、後ろにいた彼の実妹であるリリカが引いて止める。
「落ち着いて。お二人がどこへ向かったのか、検討もつかないうちに動いては意味がないわ」
既に二人の後ろ姿は、遠くの路地を曲がってその先へと消えていた。リリカの言う通り、ここは王都。むやみやらたに探しても見つかるはずがない。
落ち着きを取り戻しつつあったリュカに、リリカは「それに」と言葉を続けた。
「それに……あの人たちもきっと同じはずよ」
リュカは、リリカが視線で示した物陰に目だけをやって確認する。
物陰に、男の影が二つ。
微かに窺い見えたその二人は、平民街ではあまり見かけない身なりのいい姿をしていた。
そしてその僅かな身のこなし方からでも、素人ではないことが理解出来る。
(……誰だ? それに一体、なんの目的で……)
リュカは行き場のない怒りと憤り、そして自分への嫌悪感で拳を強く握った。
今は、女主人のことをただただ案じることしか出来ない。
そしてこんな状況を作り出してしまった己の不甲斐なさと思慮の浅さに、さらに嫌悪感が増した。
まさか、オリバーの弟に当たる人物が、ヴェロニカに危害を加えるような真似はしないだろうと思い込んでいた。
しかし〝あんな言葉〞を言ったレナードが、一体何の目的でヴェロニカに外出の提案をしたのか。もっと疑ってかかるべきだったのだ。
加えて。
先ほど邸でヴェロニカの着替えを待っていた時、廊下であの男と交わした会話が思い出される。
『……一体、どういうおつもりですか?』
『義姉(あの人)は、とっても〝いい人〞みたいだからね。もっと一緒にいて、楽しませたいって思っているだけだよ』
その言葉を素直に受け取るほど、リュカは人の良い人生を送ってこなかった。
だからこそ、その言葉が彼の脳裏から離れなかった。
(ヴェロニカ様……っ)
握った拳の爪が皮膚に食い込み、血が滲むことも些末事として気にも止めることもなかった。




