04 では、装いを変えて
いつもご覧いただき、ありがとうございます!
今回は変則的に投稿します。そして二日遅れの投稿となり、申し訳ございません……
次回以降は日曜日の投稿になるかと思います。投稿に度々変更があり、ご迷惑をお掛けいたします。
(詳しくは後ほど、活動報告をあげさせていただきます)
「おかえりなさい」
私は急いで階段を降り、彼の許へ行く。
オリバーはちょうど上着をウォーレンへと預けているところだった。
「……ただいま」
「今日は早かったのね。お仕事が早く終わったの?」
昨日の振替で帰宅が早まったと思っていた私は、オリバーに微笑みかけた。
けれど、オリバーの口からは違う言葉が紡がれる。
「いいや。執務室にある資料が必要だったんだ」
「そう……」
なんだ。仕事が早く片付いたから帰って来た訳ではないのね。
その後に、晩餐までは執務室にいること、何かあればウォーレンを呼ぶようにとだけ残して、彼はすぐに二階へと上がってしまった。
執務室へ向かうその背中を見つめていると、不意に隣から声が落とされる。
「……あんな態度されて、よく喧嘩にならないね」
「あんなって、どんな?」
私はその言葉を寄越したレオに首を傾げ、その詳細を訊ねた。
「仕事を家に持ち帰って来たことは、今に始まったこじゃないし……」
むしろ、結婚前より仕事量は減っていると、以前エルドレッド殿下が仰っていたのを思い出す。
「……はあ。いいや、なんでもない」
なぜかレオからは溜め息が返って来た。そしてしまいには彼も「自室に戻る」と言って、私はその場に一人取り残されてしまう。
昨日に引き続いて、あの居づらい静かな晩餐を打開する方法がなにも浮かばすに、私は一人、夕食の献立がなんだったか厨房へ訊きに行くことしか出来なかった。
そして、ついに待ちに待ったその日。
「行ってくる」
「ええ。行ってらっしゃい。気を付けてね」
いつものように、宮廷へ出仕するオリバーを見送って、エントランスに立つ。
けれど、私には昨日までとは違うところが一点あった。
それは――
(今日で、謹慎が解けたわ……っ!)
そう。長かった一ヶ月の謹慎が昨日で終わり、私は晴れて自由になった。……なったわけなのだけれど。
(……結局、昨日も言えなかったし……)
持ち帰りの仕事が多いのか、昨日も晩餐の後すぐに執務室へと戻ったオリバーに、私はずっと考えていたことを言えずにいた。
言うんだ。今日こそ。
そうこうしているうちに数歩進んでしまっていたその後ろ姿を見て、私はとっさにその袖を掴んで引き留めていた。
「ん?」
振り向いたオリバーが疑問符を投げてくる。その漆黒に輝く瞳と視線が合った。
「えっと……」
言う言葉は至極簡単だった。〝だった〞はずだった。
「えっと……今日は……だから……その、いっ……」
〝今度の週末、一緒に出掛けましょう〞。
(どうしてその言葉が出てこないのよ……ぅ!)
その言葉を言うだけなのに、心臓がうるさくて仕方がなかった。息も上手く出来ていないような気がする。
普通の会話なら問題なく出来るのに、なんで大事なときに言葉が続かないのだろう。
オリバーは急かすこともせずに、私の言葉を待ってくれていた。
けれど。
「オリバー様?」
扉の外で彼を待つニコラスが、その名前を呼ぶ。
ニコラスの声を聞いてすっかり弱腰になった私の心は、オリバーへ引き留めたことの詫びを告げるのが精一杯だった。
「ごめんさない……夜、話します……」
「わかった。では、行ってくる」
オリバーはそっと私の前髪にキスを落として邸を後にした。
私は前髪に残る僅かな温度に手を置きながら、その後ろ姿が扉に消えるのをただ見ているだけだった。
昨日忘れた物を取りに書庫へ入ると、レオが椅子に腰掛けながら本を読んでいたのを見つけた。
私に気付いていないのか、視線がこちらへ向けられることはなく、その手は静かにページを捲っている。
「……なに? 義姉さん」
邪魔をしては悪いかと思って退出しようと私が扉に手をかけた時、レオが視線は本へ落としたまま、言葉だけを向けて来た。
「この部屋に、髪留めの忘れ物なかったかしら? 青い花の装飾が着いてるものなんだけど……」
私は手でその大きさを表しつつ訊ねる。
昨日、レオからストランテ語の特訓を受けている最中は結んでいたのだけれど、途中で解いてしまったのだ。
だから、あるのなら本を片付けに来たこの部屋だと思ったのだけれど。
「……ああ。これのこと?」
レオが服のポケットからそれを取り出して、机の上に乗せた。
「そうそう! それ!」
髪を束ねる部分に、青い花の花束がデザインされている。私のもので間違いなかった。
「後で届けに行こうと思ってたんだ。でも、つい懐かしくて本に目が行っちゃった」
レオは肩をすくめながら、持っていた本を私へと向ける。
「レオ……あなたって、本を読む人だったのね」
「……それ、俺のこと外見で判断してない? 義姉さん」
そんなことはない、と私は釈明の言葉を口にする。とは言え、社交的な性格のレオなら、読書よりも外で人々と交流する方が好きそうだとも思っていたのも事実だった。
「まあ、それは半分当たってるけどさ……。俺だってたまには一人で、読書したい時くらいあるんだよ?」
「ごめんなさい。それで、なんの本を読んでいたの? ……『ユリスの兄弟』?」
深緑色の落ち着いた表紙に、金縁でストランテ語の題名が印字されていた。
それは、私がまだ読んだことのない本だった。
(書庫の本棚にあったストランテ語の本は、大方目を通したはずだけれど……まだあったのね)
本に興味を持った私に気が付いたのか、レオは本を閉じて渡してくれた。
「これも、一応はストランテの児童文学にあたる本だよ。俺がストランテに興味を持ったのも、この本がきっかけなんだ」
「へえ……この本はレオにとって、思い出の本なのね。どんな話なの?」
「〝ユリスの兄弟〞って呼ばれている二人の兄弟が、遠く離れた自分たちの故郷〝ユリス〞を探して旅に出るんだ。幾つもの苦難や難題が二人に押し寄せて、その度に二人は力を合わせて乗り越えていく……冒険譚っていう部類に入るのかな」
試しに表紙を捲って、内容の難読レベルをチェックする。
(良かった……これなら読めるかも!)
児童文学ということもあって、そこまで難しい熟語も使われていないようだった。
「俺のオススメの話は、とある町の宿に泊まることにした兄弟が、人喰いの怪物に捕まって――」
私は本から目を離し、レオの顔を見て声を上げた。
「ダメッ! ネタバレ禁止よ!」
先の展開を知った上で読むこと自体は嫌いではない。けれど初めて読むものなら、登場人物と同じ気持ちでページを捲り、読みたかった。
「あはは。ごめんごめん」
私の必死さが伝わったのか、またはそうでないのか。
謝りながら私をじっと見つめて来るレオと視線が合った。
「な、なに?」
「……お詫びと言ってはなんだけど、これから、俺と一緒に、王都へ出掛けない?」
「なりません、ヴェロニカ様」
談話室でお茶の用意をしていたリュカにことの顛末を話すと、強い口調で窘められた。
(……ですよね)
それでも、納得していないのが一人。レオだった。
「今日で義姉さんの謹慎は解けているんだろう? なら、義姉さんが出掛けちゃいけない理由はどこにもないはずだけど?」
レオの言葉に一瞬眉をひそめたリュカが、私に向き直って告げる。
「公爵夫人であるあなたが、夫ではない男性と二人で街に出向くなど――」
「それじゃあ、公爵夫人でなければいいんだろう?」
「俺に任せて」と言ってから談話室に戻ってきたレオの手には、〝とあるもの〞が抱えられていた。
「……これ、って……」
「ソニアに定期的に洗うように言ってあるから、清潔なはずだよ」
違う。驚いているのは、そこじゃない。
けれど私が言葉を発する前に、レオはリュカを連れて部屋を出ようとしていた。
「じゃあ、着替えたら教えてね」
「なっ! なんですか、あなたは!」
「だって、ご婦人が着替えるんだよ? 男たちは退出しないと」
レオは強引にリュカを部屋の外へと引っ張っていく。
この邸へ来てからリュカのあそこまで険悪な表情を見るのは初めてだった。
「……いかがなさいますか? ヴェロニカ様」
それまで状況を静観していたリリカが、二人だけになった談話室でおずおずと言葉を発する。
「レオは、私のことを想って提案してくれたのだと思うの。だから――」
リュカの言っていたことは確かにその通りだと思う。
けれど、思いがけなく外出の手段を提示された私の心は、この案にとてもそそられていた。
「……兄には、私からも言っておきますね」
リリカは苦笑を浮かべつつ私の意見を尊重してくれた。
「……ありがとう。リリカ」
そしてレオが持って来たその服に、私は袖を通したのだった。
しばらくして準備が整ったことを、扉の外にいる二人に伝える。
「うん! とっても良く似合って――っていうのは、もちろん誉め言葉って意味で言っているからね!」
私の格好を見たレオが、開口一番にそう告げる。
「どこからどう見ても、一般市民の少年に見えるよ」
先ほどレオが自室から戻ってきて私に渡してきたのは、男性用の服だった。
少し使用感のあるワイシャツに、クリーム色のチノ素材のパンツ。
ぶかぶかだったウエストの部分は、リリカが持って来たベルトで何とか固定出来た。
リリカの手伝いもあって、ワイシャツの袖は見苦しくない程度――ちょうど手首が覗く位置まで捲られている。パンツも同じように、私の足の長さに合わせて捲られていた。
「でもこれで、〝公爵夫人〞には見えないだろう?」
うんうんと頷くレオとは対照的に、リュカはいまだに渋い表情をしていた。
「例え変装だとしても、二人で出掛けるなんて……」
「そんなに心配なら、お前たちも付いてくれば?」
レオが、リュカとリリカへ向けて言う。
「それだったら、何も問題ないだろう?」




