03 ぎこちない家族
食卓に並んだ主菜は、鶏肉の蜂蜜ハーブ焼きだった。しっとりとした鶏肉に、ほなかなハーブの香りと蜂蜜の甘味。一口口にするだけで、上品な美味しさが口中に広がった。
付け合わせのサラダも食感の違う食材が幾つも使われていて、さっぱりとしたドレッシングで纏められて美味しい。ここのところあまり出歩いていない私でも、気にすることなく食事が出来た。
「ねえ、久しぶりの実家での食事はどう? レオ」
私が訊ねると、レオは笑顔で頷いて答える。
「うん。やっぱり落ち着くよ。それに、料理もとっても美味しいしね」
「そう言えば、ストランテの食事はどういうものが多いの?」
ストランテもクウェリアと似た気候、風土なのだと前にリュカから聞いていたのだけれど、郷土料理については聞いていなかった。
「うーん……向こうも肉料理が多いかな。でも、味付けは向こうの方が濃いかも」
レオは「まあ、場所によるけどね」と付け加え、鶏肉を頬張る。
私は隣のオリバーへと視線を向けた。
「ねえ、あなたはストランテの料理を食べたことある?」
「……いや、私はないな」
返ってきた言葉はそれだけだった。
(……?)
彼の反応に、私は少しだけ違和感を覚えた。
最近では、弾むとはいかないまでも、食事の時の会話が増えたと思っていたのだけれど。
「そう……なら、ストランテには行ったことは?」
リュカの話では、近年ストランテの大きな町では、大きな祭りや収穫祭を行う試みがみられているそうだ。
「いいや。それもないな」
私の言葉に、またもやオリバーは短く答えただけだった。
「いいところだよ。あの国は」
そう声を出したのはレオの方。既に完食された彼の皿は下げられているところで、彼は食後の紅茶を飲もうとしていた。
「季節はこの国とほぼ同じだし、国民性も親クウェリアで優しい人たちが多いから。きっと、義姉さんも気に入ると思うよ」
「へえ、行ってみたいかも!」
その国で実際に仕事をしている人の言葉なのだから、きっとそうなのだろう。
けれど。
私が微笑むレオに〝行ってみたい〞と口にした時、オリバーの握るナイフが皿に当たって僅かに高い音を立てた。
「……すまない」
オリバーはそう一言だけ言葉を落とすと、静かに食事を続けるだけ。
先ほどのレオとの再開といい今といい、彼はどこかおかしかった。
「――ご馳走さま。それじゃあ、俺はお先に部屋に下がらせてもらうね」
私が何か口にしようとした矢先、レオが席から立ち上がったかと思うと、休息の言葉を告げられる。
「ああ」
「ええ。おやすみなさい」
食堂から去っていくレオの後ろ姿を見つめつつ、私はずっと考えていたことを改めて感じていた。
(家族って、もっと団欒とするものじゃないの?)
それともこれがエインズワース家の通常の光景で、私が勝手に違和感を覚えているだけなのだろうか。
私が幼い頃、今は亡き両親と囲んだ食卓は、いつも会話が絶えなかった。お喋り好きな母に優しい父。その温かい記憶は、リリカが我が家に来てからも変わることはなかった。
そして三人の許から離れて八年を過ごした修道院では、併設された孤児院の子供たちと一緒に一日三食摂っていた。そこでも食事の時はいつも人数や会話は自然と賑やかになっていたのを覚えている。
それは私の幼い従弟のアルフレッドがいたマリアンナ伯母さまのところでも変わらなかった。
話題に事欠かない一時。私にとっての食卓での食事は、そういう存在だった。
「……ねえ、オリバー。ちょっと訊いてもいいかしら?」
私は二人きりになった食堂で、彼の名を口にする。
私へと向けられる、漆黒の二つの瞳。その奥には、やはり〝何か〞あるように感じてしまう。
「レオのことで、私に何か言いたいことがある?」
私の問いに、オリバーの口が静かに開かれた。
「……今のところは、何も」
「そう。わかったわ」
私はそれ以上の詮索は止めることにした。
あの約束をした今だからこそ、その言葉だけで十分だったから。
「そうだわ!」
私は今日あった出来事の中で、彼に話しておくべきことがあるのを思い出す。
「実は今日、ユーフェミア殿下からお手紙を頂いてね。〝来週の休日に宮廷で親しい人だけでお茶会をするから、ぜひお越しください〞って。私、行ってきてもいいかしら?」
私はユーフェミア殿下からお茶会の招待を受けたこと、そしてその日程が来週であることをオリバーに伝えた。
オリバーは微笑んで頷く。
「ああ、わかった。なら行ってくるといい。でも、俺に許可を求める必要はないから、〝行ってくる〞だけでいいよ」
そう言われて、自分の考えが間違っていることに気が付いた。それじゃあ、この人は一体何にショックを受けていたのだろう。
「ありがとう。それじゃあ、ユーフェミア殿下にお返事書くわね」
けれどそれよりも、彼の表情がいつものように優しくなったことに私は安心していた。
良かった。いつもの彼に戻っているみたいだ。
次の日。
「それ、ストランテの本?」
私が談話室のソファで本を読んでいると、いつの間にか向かいの椅子にレオが座っていた。
「え、ええ……」
「ごめん。驚かせちゃった?」
先ほどしたノック音はてっきりリュカが戻ってきたのだと思っていた私は、一瞬持っていた本を手から落としそうになった。きっと私の固まった顔は、戸惑いを隠せていなかっただろう。
「失礼します。ヴェロニカ様」
ちょうどその時、ティーカートを引いたリュカがノック音の後にそう言って現れた。
そうだ。リュカなら、いつも絶対に一声をかけてくれていたのに。
リュカは先ほどまでいなかったレオの姿をその視界に入れると、一瞬だけ翡翠の目を見開いた。けれどすぐに涼しげな通常営業の顔に戻っていく。
レオはティーカートに乗る紅茶缶を見つけると、「へえ」と声を出した。
「へえ。今日はウェニア産のアッサムか。俺にもちょうだい」
「……」
「リュカ、お願い」
「畏まりました。ヴェロニカ様」
リュカは慣れた手つきでカップを並べ、支度を始める。
「レオ。あなたはお仕事があるのではなかったの?」
今日の朝食の時、レオは食堂へ来なかった。呼びに行ったソニアの話では、仕事をしているから不要だと言っていたらしい。ということは、仕事が一段落ついたということだろうか。
レオはリュカの態度にはさりとて気にも止めていないようで、私の問いに笑顔で答える。
「え? うん。してたよ、仕事。でも、義姉さんの顔が見たくて、会いに来ちゃった」
「……」
再び本へ向けようとしていた私の視線は、その口から出た後半の言葉で再び彼に戻さざるをえなかった。
(もしかして私、からかわれてる?)
もしかしなくても、きっとそうだ。
「……」
その発言の真意を問おうにも、向けられた微笑みには私への好意とは別の感情が含まれているような気がして、上手く言葉を取り繕えなかった。
けれど。
私が言葉を探していた間に、レオが訊ねてくる。
「そう言えば。今、義姉さんって、兄貴から外出禁止って命じられているって本当なの?」
「誰から聞いたの?」
まさか昨日帰ってきたばかりの義弟に知られているとは思わず、私は声のトーンをあげた。
レオはどこか驚いている様子で告げる。
「ソニアから。って言うことは、やっぱり本当なんだ……」
なぜか、そう言っているレオが浮かない表情を見せた。
私は彼が何か誤解しているのではないかと、慌てて訂正する。
「ええ。でもそうなったのは、私が悪かっただけだから」
私は既に彼の判断に納得しているし、その期間もあと二日で終わる。だから、もうなにも気にする必要はないのだけれど。
「〝――――――〞?」
不意にレオの口から異国の言葉が紡がれた。言葉尻から私へ何かを問うものだと推測できたけれど、それが何を意味するかまでは理解できなかった。
唯一その音の発音に心当たりがあって、レオへと訊ねる。
「もしかして、今のはストランテ語? あなた喋れたのね」
レオは苦笑を溢しながら、首を傾げた私に逆に聞き返してきた。
「外交官として派遣されている人間が、その国の言葉を話せないとでも思った? ……義姉さんは喋れないの? その本は読めるのに?」
「ええ。喋れないわ。読み書きを覚えるのがやっとだったもの」
私は首を横に振り、そしてこの一ヶ月間で集中して練習した結果、読み書きまでは出来るようになったことをレオに伝えた。
最初は驚きながら反応していたレオは、納得したように手を鳴らす。
「凄いじゃないか! じゃあ、あとは話せるようになるだけだね」
「えっ? さすがにそれは……」
その時、私たちの前のローテーブルに紅茶の淹れられたカップが置かれた。
心地よい香りが湯気とともに漂ってくる。
私はそれを置いた本人へ視線を向けると、それ気付いたリュカが微笑みを返してきた。
私は以前、スパルタ特訓の最中に彼が〝最終的な目標は話せるようになること〞だと言っていたのを思い出す。
確かに。もしストランテ語を喋れるようになったら、もっとたくさんのことがわかるかもしれない。
「実際に単語を言葉にして耳で覚えた方が、効率はいいと思うよ」
渋る私にレオがその効率性を説いた。
私にだってそれくらいはわかる、けれど。
「でも……」
私が危惧しているのは、私自身のキャパシティが限界だったことだ。
今でさえこうして本を読んで復習していないと、せっかく覚えた言葉を忘れそうだった。それに加えて日常会話まで覚えるとなると、確実に私の頭がパンクしてしまう。既に私の頭は限界に近かった。
私の心を知ってか知らずか、レオは己自身に指を差して告げる。
「義姉さん。言語って言うのは、一朝一夕で身に付くものではないよ。特に外国のものなら、なおさらね。やるならじっくり、時間をかけてやらないと」
さすが、既に習得している人の言葉は説得力が違う。
「俺でよければ、コツとか教えようか?」
「それって、つまり……」
「俺が義姉さんに、ストランテ語を教えてあげるよ」
レオは私に「どうかな?」と続ける。
「あっちでは外交の話が多いから、ビジネス向けの会話になるとは思うけど。それでもよければ」
「レオがいいのなら、是非お願いしたいわ」
私はレオの言葉に背中を押されて、一歩踏み出すことにした。
まさか、またストランテ語の講義を受けることになろうとは思いもしなかった。しかも教えてもらう講師はリュカではなく義弟のレオ。リュカの時とは違う意味で緊張してしまう。
でも、せっかくのこの機会。きっと今後、何かの役に立つはず。
そう思ったら、自然と前向きになれた。
「〝私は〞……〝ヴァロネン出身〞、〝の〞……〝クウェリア育ち〞、〝です〞……?」
うむ。なかなかに難しい。
場所を学習室へと移してレオからストランテ語を学ぶこと数時間。
メモをカンペにして発音する私に、レオはにこやかに告げた。
「そうそう! 凄いね。やっぱり義姉さんは覚えがいいよ」
「そ、そう? ありがとう。でも全部、レオの教え方が上手いからよ」
私は、内心込み上げる嬉しさを隠しつつ、レオにお礼を述べる。
おだてられてその気になるなんて、私は安い性格だ。
扉のノック音の後に入って来たリリカが、私の名前を読んだ。
「ヴェロニカ様。旦那様がもうじき戻られるそうです」
「あら。もうそんな時間? でも……」
視線の先にある学習室の掛け時計は、いつものオリバーの帰宅時間よりも一刻以上も早い時間を示していた。
昨日休日出勤をしたから、その分早く帰宅出来たのかもしれない。
(でも、朝、そんなこと言っていなかったと思うけど……)
今朝のオリバーとの会話を思い出しても、そんなこと一言も言っていなかった。けれど、帰ってくるのなら出迎えに行かなくては。
首を傾げながらも椅子から立ち上がった私に、長机の向かいに座っていたレオが言葉を投げた。
「……練習、明日もしようか?」
「ええ。出来ればお願いしたいけれど……お仕事の方の邪魔にならないかしら?」
レオからは、最初に基本の文法を教えてもらっている。けれど先ほど彼が言っていたように、ストランテ語を完全にマスターするには、時間がかかりそうだった。
私が仕事に支障はないかと訊ねると、レオは笑顔で答える。
「それは大丈夫。気にしないで」
「じゃあ、明日もお願いするわ」
学習室から出てレオと一緒に階段を降りている時。
「ねえ、レオ」
私は不意に疑問を思い出し、それをレオに聞いてみることした。
「そう言えば、さっきはなんて言っていたの?」
それは談話室でレオが口にしたストランテ語。
あの時はさっぱり意味がわからなかったけれど、その後の学習室で〝兄弟〞などの幾つかの単語が使われていたことがわかった。
とは言え、結局レオは私に何を伝えたかったのか。
「……知りたい?」
レオの含みある問いに、私は頷く。
彼は階段の踊り場で立ち止まった。数ステップ先に降りていた私が振り向くと、私の耳元にそっと耳打ちがされる。
その言葉は私が聞き取りやすいようにか、ゆっくりとそしてはっきりと、一言ずつ習ったばかりのストランテ語で紡がれていく。
「〝兄さんは無愛想な人間ではないですか?〞ってね」
「――もう。それは言い過ぎよ」
予想外の言葉に、私は思わず笑ってしまった。あの時、レオはそんな言葉を言う雰囲気で言っていただろうか。
「……あ、兄さんが帰ってきたみたいだよ」
私が振り向くと、オリバーがエントランスに立っていた。




