02 初めまして、お義姉(ねえ)さん
いつもご覧いただきありがとうございます!
今回から基本的に土曜日投稿を目指していきます!
今日は〈六月の雄将〉の第二週の第七日。
つまりは。
「あと三日……!」
私――ヴェロニカ=エインズワースは、勉強机の上に置いていた卓上のカレンダーを改めて数え直し、来る三日後のその日を大きく丸で囲んだ。
(……ああ、待ち遠しいっ)
逸る気持ちを抑えつつも、私は邸の中を歩きながら謹慎が解けたら何をしようか、あれこれ考えを巡らせる。
気付けば先月の宮廷で開催された仮面舞踏会から、約一ヶ月が過ぎていた。
そして仮面舞踏会で沢山の危険を冒した私に、オリバーから与えられたペナルティ。
それが一ヶ月の自宅謹慎だった。
それも、残すところあと三日で終わりを告げる。
(我ながら、よく言い付けを守ったと褒めてあげたいわ!)
謹慎中はリュカのスパルタストランテ語講義でみっちり朝から晩まで学習室に籠っていたから、こうして邸の中を少し歩くだけでも嬉しさが込み上げてきていた。
二階のどこかの窓が開けられているのか、涼しいような暖かいような風が私の髪を揺らす。
当のストランテ語講義は、先生であるリュカからなんとか及第点を貰い、今日を含めた残りの三日間は邸の中での自由行動を許されたのだった。
「奥様? 何かご用でしょうか?」
ちょうどその時、メイド長のソニアが、洗濯かごを持って前を通りかかる。
「いいえ。ちょっと気分転換に回ってみてただけだから。あんまり、邸の西側には来たことなかったな、って思って」
王都の郊外に建つエインズワース邸は、部屋数も部屋の大きさも桁違いだった。
庭などを含めた敷地だけでいうと、私のいた修道院が三つ分丸々入るくらいの大きさだ。
絶対、掃除だけでも半日以上かかる。
「そう言えば、西側にはなんの部屋があるの?」
私が首を傾げながらソニアが歩いてきた方の部屋を指差すと、彼女はかごを片手に持ち変えて部屋数を教えてくれた。
「あちらには、遊戯室に客室が幾つかと……あとはレナード様のお部屋がございます」
何度か聞いた覚えのある名前だと、私は記憶を辿る。
「……レナードって、確かオリバーの弟さんよね?」
四十代後半だと言うソニアは、このエインズワース邸に勤める使用人の中でも執事長のウォーレンと並んで古株だった。
すなわち、オリバーの幼少時代を知り、彼の家族もよく知っている数少ない人でもある。
「そうですよ。最近はお仕事がご多忙とのことで、なかなかお帰りにはなられておりませんが」
「そんなに忙しい仕事なのね。外交官って」
確か、婚約期間中にオリバーから聞いた話では、弟のレナードは外交官をしていると言っていた。
仕事に戻るソニアを見送り、私は一人談話室へ向かう。
今日は、朝からオリバーは宮廷に呼び出されていないし、リリカはマリアンナ伯母さまのところで働いている養父が、持病の腰痛を悪化させたとかでその見舞いに行っていていない。
「散策はもうよろしいのですか? ヴェロニカ様」
私の行動パターンを読んでいたのか、リュカは既に談話室で紅茶の用意をしていた。
「……みんなが仕事しているなかでふらふら歩いているの、なんだか悪い気がして……」
「どこかの放蕩殿下に、その爪の垢を煎じて飲ませてやりたいです」
そう言いながらも微笑むリュカは、かつての主人を懐かしんでいるように感じた。
「そう言えば、先ほど学園のユーフェミア様から、お手紙が来ておりましたよ」
リュカが、テーブルの上に置かれた手紙に視線を落とした。
「ユーフェミア様から?」
以前、ライアン伯父さまに連れられて学園にお邪魔して以来、ユーフェミア殿下とは何度かこうして手紙のやり取りをしている。
前のお返事を出してからそんなに経っていないのにと思いながら、私はソファに座って手紙の中をあらためると、中には便箋の他に二種類の招待状が封入されていた。
「お茶会と……〈雄将祭〉の、招待状?」
手紙の内容を読んで疑問が浮かぶ私に、リュカが年に一度〈六月の雄将〉の時期に学園で開かれる催し物だど教えてくれる。
(そう言えば、初めてユーフェミア様とお会いした時にも、そんな話をしていたような……)
私が一人、そう思い出していた、その時。
「お! 良い匂いがすると思ったら、ゲディング産のアッサムじゃないか!」
なんの前触れもなく、その声が聞こえた。
声のした扉の前に視線を向けると、そこには見知らぬ青年が立っていた。
「えっ!? 誰ですか?」
年は私と同じくらいの十八か、それより一つ二つ上。
髪は染められているのか色素が薄くなった茶髪で、その瞳は琥珀色だった。
どことなくその面影は、オリバーに似ていると思った。
青年が扉を開け放ってこちらへ向けて歩いて来る。
それを見たリュカが青年と私の間に立とうという動きを見せたけれど、私はそれを手で止めた。
そしてソファから立ち上がって、その青年と向かい合う。
背は高く、優に頭ひとつ分高いというところも、オリバーと似ていた。
「こうして顔を合わせるのは初めてだね。義姉さん」
「ね、義姉さん? あなたは……」
(もしかして……)
私がその青年の正体を口にする前に、談話室に執事長のウォーレンが急いだ様子で入室してくる。
「レナード様」
――やっぱり、そうか。
「先ほど申し上げましたように、母屋にはただいま、オリバー様方が住まわれておりまして……」
普段あまり動揺を顔に見せないウォーレンが焦っていたのが人目でわかった。
それに対して青年は、肩をすくめながら抗議する。
「おいおい、ウォーレン。ここは俺の生家でもあるんだぜ? いくら兄貴が家督を継いだ上に結婚したからって、追い出される筋合いはないと思うんだけど?」
「あなたが、レナードさん……?」
私は以前、オリバーから家族について説明されていたのを詳しく思い出した。
今は家督をオリバーへ譲り、領地の一つであるユミンにて隠居生活を送られているお父様と、外交官としてストランテ共和国へ赴いている、二歳年下の弟君のことを。
青年――レナードはこちらへ向き直り、「改めまして」とお辞儀をしてきた。
「お初にお目にかかります、義姉上。私はレナード=グレイス・エインズワース。あなたにお会いできて、とても光栄です」
「ええ。初めまして、レナードさん。ヴェロニカです。私もお会いできて嬉しいわ。結婚式では、お仕事が忙しいと欠席されていたから」
嫌味に聞こえないよう、私は言葉を選ぶ。
「その節は本当にすみません。どうしても仕事上、国を離れられなくて。私もあなたに会えるのを楽しみにしていたのですが……」
レナードは苦笑を溢しながら自分の手をこちらへと差し出してきた。
「お仕事なら仕方ありませんわ」
私が自分の手をそれに添えると、軽くキスの挨拶をされる。
「ですがあなたに会って、これほど後悔するとは思いませんでした。こんなに素敵な方だと知っていれば、仕事を横においてでも、エインズワース一族として式に参列したのに……」
レナードの言葉は本気か冗談かはわからなかったけれど、悪意ある言葉ではないのは確かだった。
そしてその一連の動きや口にされる言葉は、本当にあのオリバーの弟なのかと疑うほどに自然に出されたものだったように感じる。
だからなのか、私は返す言葉をなかば忘れていた。
「……口がお上手なんですね」
「本当のことですよ。よろしければどうぞ、口調も砕けた言い方にしてください。私とあなたは一歳しか違わないはずですから」
そして「俺もそうしますので」とまで微笑まれてしまう。
「……そう? じゃあ、お言葉に甘えて、そうさせてもらうわね。レナードさん。あなたは外交官だと聞いていたけれど、今回は仕事で戻ってきたの?」
「俺のことは、気軽にレオって呼んで。義姉さん。まあ、そんなところかな。二三週間くらいはこっちにいる予定だよ。
で、久しぶりの我が家に帰って来たはいいものの、『兄君夫婦がいるのですから、離れで過ごされるように』なんて言われちゃってさ」
ウォーレンを見ながらいたずらっぽく笑って見せてはいるものの、レナードのその口許はどこか寂しげだった。
「そうよね。ここはあなたたちが生まれて育った家だもの」
ウォーレンに訊いてみると、レナードの私室はそのままにしているらしい。
私は頭の中で、先ほどソニアが話していた屋敷の西側のレナードの部屋について思い出し、ウォーレンにレナードの部屋を使用できるようにするよう告げる。
「レオ、私たちに気兼ねせず、遠慮なく過ごしてね」
「ヴェロニカ様」
それまで無言で聞いていたリュカが諌めるように私の名を呼んだ。
彼の言いたいことはわかる。
「いいじゃない、リュカ。私だって生家へ帰ってきて、いきなりそんなことを言われたら寂しいもの」
「ありがとう、義姉さん」
「そう言えば、あの人には、今日帰ってくることは言っているの?」
あの人とは、勿論オリバーのこと。
けれど先ほどのウォーレンの態度からするに、何も連絡は受けていないようだし……
「ああ、兄さんには手紙を出したけど、まだ読んでないんじゃないかな?」
それなら納得だった。
もし歓迎する気がなかったとしても、執事長のウォーレンに話を通さないのはオリバーらしくない。
「そうなの? でも、きっとあなたが帰ってきたら喜ぶわ」
「そうだといいんだけどね」
妙に含みのある言い方だったので、私は首を傾げた。
(でも、オリバーはそんなに仲が悪いとは言っていなかったような……)
記憶に残るオリバーとの会話の中で、弟の話を聞いたのは片手で数えられる程度。
正確には、二人兄弟で弟は外交官をしているという他に聞いたのは、年に一度帰ってくるか来ないかというくらい。
けれど特段仲が悪いとは話していなかったはずだから、可もなく不可もなく、と言った関係といこと?
「あなたの部屋が片付くまでお茶にしましょう」
私たちが談話室でリュカの淹れたお茶を嗜んでいると、そこへリリカが戻ってきて、同時ににオリバーがもうじき帰宅すると告げた。
出迎えに行くと、ちょうど玄関フロアにオリバーが一緒に宮廷へと向かっていたニコラスと共に立っていたところと出会す。
「おかえりなさい。休日なのにお仕事お疲れさま」
今朝、宮廷からの使者が来たと耳にした時は驚いた。けれど、仕事人間のオリバーが半日程度で戻ってこれたということは、そんなに心配するような事態ではないようだ。
私の声でこちらを向いた、漆黒の瞳と視線が合った。同時に微かにその目許が綻んだ気がする。
「ああ、ただいま。ありがとう。不在中に変わったことは?」
「変わったこと?」
私が言葉の真意を汲みかねていると、オリバーは途端に険しい表情になった。
「……あいつは?」
「それってもしかして、俺のこと?」
いつの間にか、レナードが二階の階段へと続く手摺に寄りかかっていた。
私が退出したときには「談話室にいる」と言っていたのに。
「そうだ。お前以外に誰がいる。あんな手の込んだ手紙まで寄越しておいて」
呆気というより、少し怒気が含まれた声。
「悪かったって。そんなに邪険にするなよ、オリバー兄さん」
そんな兄の言葉と視線は想定内だったのか、レナードは平然として平謝りで済ませていた。
オリバーの隣にいた私は、なぜ彼が実弟の帰国をそれほど喜んでいないのかを疑問に思ってしまう。
「……前もって帰国の一報くらい寄越したらどうだ。なんの用意も出来ていないぞ」
「それなら大丈夫よ。さっきウォーレンに言って、レオの部屋は片付けさせているから」
二人の会話に割って入った私に、オリバーは一瞬目を丸くした。
「……」
「そそ。俺は勝手に一人でよろしくしているから、二人はなんのお構いもしなくていいよ」
そう頷くレナードに、私は思っていたことを告げる。
「でも、お夕食くらいは一緒に食べるでしょう? 久しぶりに帰ってきたんだもの。今晩くらいみんなでゆっくり食事をしても良いと思うのだけど」
外交官という職業で彼ほどの社交性の持ち主なら、きっと友人も多いことだろう。
それに今回の帰国の理由がなんであれ、滞在期間中はゆっくり出来る場所が必要なはずだ。
「ほんとに? 義姉さんは優しいね。二人がいいって言うなら、そうさせてもらおうかな」
途端にレナードの顔に笑みが溢れる。
実は料理長のメダルドに、夕食の人数にレナードも入れておくようにという旨の言伝てをウォーレンに頼んでいた。食材が無駄にならずに済みそうだ。
「ふふ、大袈裟ね。ね、あなたもいいでしょう?」
「あ、ああ。君が良いのなら……」
見上げた先のオリバーの表情は、複雑な感情を浮かばせていた。けれど私にはその中のひとつも読み取ることが出来なかった。
けれど同意が返ってきたため、私は手を合わせて「決まりね」と言葉を締める。
ちょうどその時、メイドの一人がレナードの部屋の掃除が終わった旨を伝えにきたため、彼は一度自室に戻ると口にした。
「……」
「……オリバー?」
階段を先に登る弟の後ろ姿を、静かに見つめるオリバー。
それを横目で見て、私はひとつだけ思い至るところが出来た。
(……もしかして、二人は、仲が悪い?)




