01 零れ落ちた真相
いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます!
そして評価・ブックマークもありがとうございます!
本稿より、第二部開始です!
また新たな試みとして、毎話タイトルを変えていこうと思います。
出仕する者たちが少ない休日の朝の宮廷は、とても静かだった。
オリバー=クライド・エインズワースは、その誰も見掛けない静かな宮廷の回廊を一人歩いていく。
しかし心なしか、その足取りは重かった。
通り掛かる回廊の中庭を横目に映すと、麗らかな朝の日差しと風を受けて、緑が輝き揺れている。
オリバーの頬を微かに撫でる風は、もうじき訪れる夏を予感させていた。
回廊を抜け、相変わらず人の気配がない宮廷の奥へと足を進める。
用件があるのは宮廷の最奥――王太子殿下の執務室だった。
オリバーが住むエインズワーズ邸に彼の使者が来たのは、今朝方のこと。
〝至急、出仕するように〞とだけの言付けを受け、朝食も摂らずに馬車に乗ったのだが、オリバーには皆目この召集の意図が読めていなかった。
(……)
オリバーには思い当たる節がまったくないわけではない。とはいえ、週の第七日でもある休日に、加えて宮廷へと呼び出されるような用向きではないと思い至る。
「どうぞ」
オリバーがノックの後にその部屋に入室すると、部屋の主であり、この国の王太子でもあるエルドレッド=グレン・クウェリアが机に向かって腕を組ながらその労をねぎらう声を上げた。
「わざわざ休日に呼び出してすまないな。公爵」
オリバーを召集した張本人である。
部屋には主であるエルドレッドの他に、近衛騎士団団長であるハロルド=ヒックスも同席していた。
オリバーは自分に向けられた言葉に首を横に振る。
「いいえ。滅相もありません、殿下。それより、何か問題でも?」
王族や王宮の警護を任とするハロルドの顔色を見て、オリバーの推測が巡る。
先日の宮廷舞踏会での暗殺未遂事件から、約一ヶ月が経っていた。
それに関連するものだろうかと、彼の脳裏には良くない思考が浮かび始める。
「……ああ。やられた」
その予測が的を得てしまったのか、エルドレッドが苦虫を噛み潰したような顔で告げた。
「――勾留中のサルテジット伯爵が、死んだ」
その言葉に、オリバーは自分の耳を疑う。
「……死因は?」
「服毒だ。中毒症状から考えて、トリカブトの毒でほぼ間違いないそうだ」
トリカブトは、件の暗殺未遂事件で刺客が用いた毒物だった。
そしてあの時、その毒を手引きしたのは、他ならないサルテジット伯爵である。
「だが……」
しかし、伯爵の死には疑問が残っていた。
オリバーの言葉を、エルドレッドが引き継ぐ。
「ああ。看守の証言から、伯爵は自分で毒を呷ったと推測されるが、少なくとも拘束した時には所持していなかった。
『伯爵に毒を手引きした人間』がいたと考えて間違いない」
考え得る中でも、最悪の状況なのかも知れない。
「面会の記録は?」
「国王、王太子殺害未遂の重要参考人だぞ。面会など許すはずがない、と言いたいところだが……」
言い淀むエルドレッド。
こんなにも歯切れが悪い彼は珍しい。そう考えれば、自ずと選択肢は絞られる。
「――ベレスフォードからの接触が、あったのですね?」
考えられる可能性。
それは、貴族五公と呼ばれる貴族派を率いる公爵家の存在だった。
その中でもベレスフォード公爵は、件のサルテジット伯爵とは外戚関係に当たる人物である。
「……私の管理下にありながら……」
そう言って、ハロルドが顔を落とし、拳を握りしめた。
反逆者として捕らえられている以上、面会、それも家族以外の第三者が出来るほど、王宮騎士団による王宮警備は甘くない。
ハロルドの話では、伯爵の一人娘が伯父であるベレスフォード公爵と共に面会に来た際も、面会が許されることはなかったそうだ。しかし公から袖の下を受け取った看守の一人が、差し入れを密かに受け取り、それを伯爵に渡したのだとか。
そしてその日の夜に、伯爵は生命を絶った。
これが偶然かそうでないかは、神のみぞ知る、というところだ。
「結局、伯爵からは旧ストランテ王国軍の反革命派との繋がりは、ろくに訊けなかった……」
エルドレッドが溜め息混じりに悪態をつく。
ここまで彼が感情を露にするのは本当に珍しい。
「しかし、これでベレスフォードから何か聴取できるのでは?」
「もうしている。今朝の御前会議で、早々にな」
しかしその口調からは、目ぼしい収穫はなかったことが窺えた。
(相手は外務を司るベレスフォード公。そうそうぼろは出さないか……)
王党派と貴族派は、今のところ表立っての対立はない。
しかし先の運河建設が締結される過程で共和国との間に成立した経済連携協定では、少なからず国内の生産業に影響があると推察され、それを運営する一部の貴族派の貴族たちからは最後まで苦言が呈されていた。
『利益を生み出す側に立つのであれば、それくらいは想定して然るべきだ』
むしろ、経済はそうやって回っていくべきなのだ、と主張するエルドレッドに対して、腹に一物ある連中は少なからずいたのだろう。
(だが、それが起因して暗殺などを企てるか?)
仮に暗殺計画が成功し、運河建設が頓挫したところで、計画に関与したことが発覚した場合のリスクの方が大きすぎる。
今だ情報が出揃っていないのを認識しつつ、オリバーはエルドレッドが口を開いたのを見て、紡がれる言葉を待った。
「――とはいえ、これでわかったことが二つある。
ひとつは、伯爵は犯人に対して、なにか不都合な証言をする可能性があった、ということだ」
その犯人が旧王国軍の反革命派であれ、貴族派であれ、その他であれ。
「もう一つは?」
「これだよ」
オリバーの前に、エルドレッドから何かが書かれたメモが差し出される。
「〝雄将の宴に咎人は咲く〞……?」
文字はエルドレッド本人のものだった。
「俺も牢で直接見たんだが、伯爵の遺体の傍にそう血文字で書かれていた。
……状況から考えて、毒を呷る前の伯爵が自身の血で書いたものと見て間違いない」
トリカブトの毒は即効性と聞く。毒を呷ってから自身の手を切り、血文字を認める時間はないだろう。
とすれば、毒を呷る前にこの血文字のメッセージを遺したと考えるのが自然だった。
死を決した伯爵がそこまでした裏には、必ず何かの意図がある。
そして。
「〝雄将の宴〞というのは、まさか……」
オリバーの思考を、エルドレッドが代弁する。
「ああ、恐らくお前のその予想は正しいぞ。
我らが母校、アジルディア学園が《六月の雄将》に催す一代イベント――《雄将祭》だ」
伯爵はアカデミーの大学部の元教員。資料によると、高等部には一人娘が通っているという。
これは何かの偶然だろうか。
「伯爵がどんな意図でこんなメッセージを残したのかまでは不明だが、今はこれしか手掛かりがない。
《雄将祭》まであと二週間。何も起こらないといいんだがな……」
かつての母校へ潜む影に、エルドレッドの顔はますます苦々しくなっていた。
「テオドールからは、何か掴めていないのですか?」
「はい。それが何を尋問しても、支離滅裂な言葉ばかりで……」
その後のハロルドの話では、先日の暗殺事件の首謀者でもあるテオドールは、犯行に荷担した協力者についていまだに口を割っていないということがわかった。そしてかつて仕えた国の亡き王への忠誠心を胸に、譫言のように妄言を吐いており、もはや有力な情報は得られない様子だったそうだ。
しかし現に伯爵はテオドールたちと繋がり、国王とエルドレッドの暗殺に一役買っていた。そして毒を受け取ったルーカスと名を騙っていたリュカも、父親であるテオドールから『毒を受け取り、王太子に盛れ』としか指示を受けていなかったらしい。
誰が。
何のために。
疑問ばかりが残る中で一番の問題は〝誰が伯爵を言い含めたのか〞ということだった。
しかし内部の犯行にせよ外部の犯行にせよ、伯爵が自害を選んでしまった以上、その真相は今やオリバーたちの掌が掴むことは出来なかった。
そしてその魔の手は、今後どこから及ぼされるとも知れない。
完全に後手に回ってしまった現状では、伯爵が残した《雄将祭》が唯一の手掛かりだった。
「オリバー様」
オリバーは自身の執務室の扉の前で静かに佇むその姿を見つけて刹那、漆黒の瞳を見開いた。
そして自身の従者であるニコラスの藍色の瞳と視線が合う。
エルドレッドたちと話し込んでいたために、時刻は既に昼を廻っていた。
「〝待っていろ〞と言っただろう。ニコラス」
「はい。ですが〝どこで〞とは申されておりませんでしたので」
ニコラスの言葉に、オリバーは自身の言った言葉を思い出す。
確かに、出仕の供として着いてきた彼に対して、馬車を降りた時に「待っていろ」とは命じたが、具体的な場所は示していなかった。
どうせなら邸へと戻る前に、週明けにでも使う書類の整理をしようと思い立って執務室へ足を向けたのだが。
ニコラスとは長年の付き合いになるが、ここまで行動を読まれるとオリバーは苦笑を溢すしかなくなっていた。
「……?」
部屋に入ったオリバーは、自身の執務机の上に、一通の封書が置かれていることに気が付いた。
二日前の帰り際にはなかったはずだが……帰った後に置かれたのだろうか。
封書の表面には、週明けの曜日が指定されていた。どうやら、宛先の人物が想定していた日程よりも早く着いてしまったようである。
オリバーが裏面の封蝋の印璽を確認すると、それは外交官の紋章であることがわかった。
そして封書の隅に書かれていたイニシャルは――〝R.A〞。
それを見たオリバーの眉が僅かにひそめられた。
(……まさか、あいつから?)
間違いない。それはオリバーにとって、見覚えのある筆跡だった。
「オリバー様。侍従の身で差し出がましく申し上げますが、本日はもうご帰宅された方がよろしいかと」
オリバーが封書を開封する横で、ニコラスが静かに口を開く。その口調はいつもと変わらぬ一線を引いたものだったが、紡がれた言葉は彼にとっては珍しく、主人の私生活に関することだった。
「奥さまの謹慎期間も直に開けることですし、何か――」
オリバーはニコラスの言葉を耳に入れつつも、手の中にある手紙の内容に釘付けになっていた。
差出人は案の定、予想通りの人物からで、内容も便箋一枚の半分にも満たない。
けれどその文面を読み進めるオリバーの顔は、次第に険しくなっていた。
そして手紙を読み終える頃にちょうど言い終わったニコラスへ向けて、オリバーは呟く。
「ああ、ニコラス。お前の言う通りだ。邸に戻るぞ」
この手紙の内容が間違っていなければ、邸にはある人物が帰ってきているはずだ。




