あなたとその先へ向かうために
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ひとまずはこれにて最終話となります。
「ねえ、オリバー。本当に、私たちはどこへ向かっているの?」
馬車の窓から景色を眺めながら、私は隣に座るオリバーに訊ねた。
王都のエインズワース邸から馬車で揺られること早半刻。
窓から見える景色は、王都の街並みから街道、そして牧草が広がる田舎道へと変わっていた。
「もう少しだから」
オリバーの回答は、さっきからずっとこれだけ。
今朝、一緒に朝食を摂っていた彼から「会わせたい人がいる」と言われて、食後早々、馬車に乗せられた。
その会いに行く相手が誰なのか尋ねても「会えばわかる」と微笑まれて、はぐらかされた。
ここ数日は、驚かされてばっかりだった。
まずひとつめ。
それは、舞踏会から数日が経ったある日まで遡る。
やっと起きて歩けるようになった私の頭の中は、私と殿下を庇って重症を負ったルーカス――リュカのことでいっぱいだった。
彼の容態はどうなったのか、無事なのか。
そうオリバーに確かめようとした矢先、彼から呼び出されて執務室の扉を開けた。
しかしてそこに、なんと当の本人であるリュカがいたのだ。
しかもあろうことか執事の服を着て。
そしてリュカは、次のことを口にしたのである。
「本日より、当邸でお世話になります。リュカ=ジュベルと申します」
私の目が点になったのは言うまでもない。
染めていたという髪は、実の妹であるというリリカと同じ亜麻色になっていた。
目元以外、雰囲気はガラッと変わっていて、一見して同一人物だとは思えなかった。
どういうことかと二人に尋ねると、エインズワース家――延いては私自身の従者としてリュカを雇いたいとのこと。
「はい……?」
それはリュカ本人たっての希望であり、元の主人であるエルドレッド殿下も承諾済みだという。
「本日この時より、この身、この生涯尽きるその日まで、貴女様だけにお仕えしお守りすると誓います。ヴェロニカ様」
あとから屋敷にいらっしゃった殿下に聞いても、
「残念だが僕の従者であるルーカスは、舞踏会の晩、賊に重症を負わされて亡くなっているよ」
と言って微笑んでいただけだった。
(何が何やら……)
リュカとリリカが兄妹という事実も、その二人が揃って私に仕えるということも、不思議な縁だとは思う。
それでも、二人が心から仕えて良かったと思える主人になろうとその夜に誓ったのは秘密だ。
そしてもう一人、再会を驚いた人物がいる。
「お久しぶりでーす! この姿でお会いするのは初めてですね。奥様」
「その声は……まさか〝エリオット=ガーデン〞!?」
それは舞踏会で出会ったエリオット=ガーデンだった。
しかもあろうことか、〝彼〞はメイド服を着ていた。
琥珀色の瞳に長い髪。その姿だとまるで――
「この姿の時は〝エリー〞って呼んでくださいね。お、く、さ、ま」
語尾にハートマークが見えそうなほど、女性らしく振る舞っているエリオット――もといエリー。
その中性的な容姿と声も合わさって、本当にどちらが彼の性別なのかわからなくなってくる。
「本当は、どっちなの?」
「さあ? あなたは、どう思います?」
質問を質問で返されて、結局はうやむやにされてしまった。
その微笑みの真意を図りかねていると、エリーは声のトーンを落ち着かせて言葉を続ける。
「改めまして、マイ・レディ。これまでの数々の無礼をお許しください。
私はオリバー様に仕えております。サー・エリオットと申します」
「普段は、公爵領の視察やその他の仕事を任せている」
なんでも、舞踏会のあの日、私と踊ったのは意図したことで、私を一目見てみたかったのだそうだ。
「だって、このオリバー様を骨抜きにした方ですしぃ? 一度会っておきたいでしょう?」
頬に手を添えてウィンクをするエリーは、もはや女性だった。
(……ああ、なんか思い出してきただけで、どっと疲れが……)
ここ数日のことを思い出していた私は、嬉しいやら驚きやらで渦巻く胸に手を当てた。
「――到着しました。旦那様」
御者のマティアスが馬車を止め、そう告げる。
「ああ。ありがとう」
「ここは……?」
馬車が止められたのは、のどかな草原が広がる丘の上だった。
周りは一面の草原。まさに田舎の代名詞的風景と言える。
「はぁー。気持ちいい」
久しぶりの田舎の空気に、自分の肺が懐かしんでいるのがわかる。
伸びをした私を見て、オリバーが微笑んだ。
「こっちだ」
指し伸ばされた彼の手を取り、隣を歩く。
「……こっちに、私に会わせたい人がいるの?」
「ああ」
草原から一本道で続く道の先には、小さな洋館が建っていた。
萌木の草原の中に映える、クリーム色の外装。
奥には小さいけれど一見するだけで、綺麗に手入れされているのがわかる庭園もあった。
オリバーが、ドアノッカーを叩く。
しばらくしてから扉を開けて出てきたのは、一人のご婦人だった。
その表情はとても柔らかく、穏やかな人柄なのだとわかる。外見の年齢は還暦を迎えるよりも前。
シニヨンにして後ろで纏められているプラチナブロンドの髪が、とても印象的なご婦人だった。
僅かな振る舞いから、直ぐに貴族の生まれだと理解出来る。
「遠いところ、よく来てくれましたね。オリバーさん」
「ご無沙汰しております。ミランダ様」
オリバーが畏まって会釈をする。
彼の口から告げられた名にどこか聞き覚えがある私は、記憶を辿ってその名前を探した。
考えられるのは――
「それに……」
ご婦人が、オリバーの隣に立っていた私に目を向ける。
優しさの溢れた眼差しに、私は遠い記憶の中の母――アネットが思い出された。
間違いない。この人は――
「あなたも、よく来てくれましたね。ヴェロニカさん」
「もしかして、あなたは……私の、お祖母さま……ですか?」
ご婦人――ミランダお祖母さまは優しく頷いて、私の手を取った。
今は亡きストランテ王国国王オーギュスト王の第三王女、ミランダ=クロード・ストランテは、国内の貴族ラマンティ子爵家当主のオスカーとの婚姻に際し、王族の王位継承権を放棄し、その領地へと夫共々退いた。
王室に属している頃より医療や福祉の奉仕に努めていた彼女は、子爵領だけでなく多くの国民から支持されていた。
だからこそ、ストランテ革命の発端となった国内の農民の反乱時、子爵家一家に亡命を勧めたのは、子爵領の領民だったという。
そして家族揃って隣国であるクウェリアへと亡命を果たし、家族四人でひっそり暮らしていた。
「……けれど」
ソファに座りながら、ミランダお祖母さまは用意した紅茶を一口含んだ。
「あの娘――あなたのお母さんのアネットが『結婚したい人がいる』と言って紹介しに来たのは、次期デルフィーノ侯爵の――あなたのお父さんのロベルトさんだった。
何の因果か、この国へ来たのは、もう貴族と関わりがないようにと思ってのことだったのにね」
結局、先代デルフィーノ侯爵に結婚を認められなかった二人は駆け落ちを決行。
どこにいるとも知れぬ愛娘たちからの手紙は、年に一通来るかどうか。
毎日二人の安否を心配し、手紙がくる度に安堵していたという。
ミランダお祖母さまは、レターボックスに仕舞っていた手紙の束を見せてくれた。
その中のほとんどが、母の文字で綴られていた。懐かしい。
お祖母さまが、その中の一通を開いて私に差し出した。
日付は、ちょうど十七年前。
「『昨年、娘が産まれました。名前はヴェロニカです。
《十月の恵姫》の生まれなので、聖ヴェロニカから名をいただきました』」
手紙の続きには、駆け落ちをした親不孝な娘だけれど、こうして娘を授かり、親となることが出来たということ。
この娘のためにも、親として与えられるものはすべて与えようと思っていること。
そして手紙の最後には、手紙はこれきりにさせてもらう旨が綴られていた。
「――次に届けられたのは、娘夫婦が流行り病で亡くなったという知らせだったの。マリアンナさんとオリバーさんが、私たちの居場所を探して教えてくれたのよ」
寂しげな表情のお祖母さまに掛ける言葉を探していると、不意に名前を呼ばれた。
「その時に、あなたのことも聞いたのよ。ヴェロニカさん。
だめね。親子の縁を切られたのに、昨年、あの人が先に娘たちの許へ逝ってしまった途端に寂しくなるだなんて……。
せめて娘たちの忘れ形見に会いたい、だなんて思ってしまったの」
だからオリバーに頼んで、私を連れて来てもらったのだとお祖母さまが言った。
「……お祖母さま」
「素敵な女性に、なりましたね」
私は祖母との再会に胸を打たれるほど嬉しかった。
けれど、ひとつだけ。
私には先ほどから引っ掛かることがあった。
それは、今、私の掌の中にある〝これ〞のこと。
それはお祖母さまと私が二人で話せるようにと席を外したオリバーから渡されたものだった。
私は、ずっと握っていた手を開いてそれに目を落とす。
握っていたのは、結婚式当日、私が寝室で見つけたあのペンダントだった。
金縁の蓋に千日紅の意匠が施された、素敵な贈り物。
なぜ、どうして今このタイミングで私にこれを渡したのか。
けれどその理由がわからないままだった私の手にあるペンダントを見て、お祖母さまが「まあ、懐かしい」と呟く。
「えっ?」
私は思わず声を出した。
(どうしてこのペンダントのことを、お祖母さまが知っているの?)
「そのペンダントはね、私がアネットにあげたものなの」
「……お母さんに?」
お祖母さまが母にペンダントを渡したのは、二人が駆け落ちをする少し前だと続けた。
「ええ。なんとなくだけれど、あの娘が遠くに行ってしまいそうな気がしていたから、少しでも力になりたくて」
もしもの時に売れば、幾ばくかの足しになるはずだと。
「じゃあ、ここに書いてある『O to M』って……」
「ええ。私が夫から貰ったものだからよ」
――なんてこと。
「オリバーさんが、娘の形見として持ってきてくれたのだけれど、もうそれは娘にあげたものだから、孫娘のあなたに渡して欲しいとお願いしたの」
「そう、だったんですね……」
これで、すべてが繋がった。
アフタヌーン・ティーをお祖母さまのところでいただいて、私たちは帰路に着いた。
「あっ」
「どうかしたのか?」
帰り際、見送りをするお祖母さまにあることを聞き忘れたのを思い出し、私はオリバーへ馬車に先に戻っていてほしいと伝える。
「わかった」
頷いたオリバーと別れて、息を切らせながら道を戻ってくる私をお祖母は不思議そうに見つめていた。
「ヴェロニカさん。どうしたの?」
「あのっ、また……ここに来て、会いに来てもいいですか?」
お祖母さまの驚いた眼差しが、直ぐに微笑みを含んだものに変わる。
「ええ。勿論よ。いつでもいらっしゃい」
お祖母さまはそう言って、私を抱き締めてくれた。
今までで一番、お祖母さまを近くに感じる。
「大分遅れてしまったけれど、ご結婚おめでとう。
オリバーさんなら、あなたを幸せにしてくれるわ」
「……はいっ」
私たちの間に何があったのか、お祖母さまは終始訊かないでいてくれた。
きっと、この言葉にその想いが詰まっている。そう感じた。
とは言え、である。
「――どうして、言ってくれなかったんですか?」
帰りの馬車の中。
ペンダントを胸に付ける私は、オリバーに対して口調が少し改まっていた。
ペンダントや私の表情からすべてを察したのか、オリバーが言いにくそうに口を開く。
「……どこから話せば良いのか、わからなくて」
まず私と出会った日のこと。
次に私を妻に迎えたいと思った経緯。
このペンダントを持っているということは、私の両親と面識があったという以外にもミランダお祖母さまとも関わりがあって、それらを一からすべて説明する必要が出てくる。
確かに。出会った日以外はすべてオリバーが自ら関わっていて、偶然の出来事ではなかった。
それはつまり、私を偽っていたということになる。
その後ろめたさが、さらにオリバーから真実を告げにくくしていた。
「婚約の時に〝デビュタントボールで初めて会った〞ということにしてしまったから、どう切り出せばいいか考えあぐねてしまったんだ」
「だったら、何であんな場所に落ちていたの!?」
私は自分のことは棚に上げて食い下がる。
(そもそも、枕の下に落ちていなければ、私も変な推測することなんてなかったのに!)
オリバーは非難する私の方をちらりと見て、首を横に振った。
落としたのはわざとではなく偶然で、私に見つけられる前に見つけ出そうと思っていたのだと付け加える。
「――だが、君が妬いてくれているのだと思ったら、堪らなく嬉しくて」
「っ!?」
何を言っているの、この人は。
確かに。今思えば、私はオリバーのことが(無意識とは言え)ずっと好きだったから、あれは嫉妬と捉えられても仕方ないのかもしれない。
しれないけれども。
(この人は、本当に、もう……っ!)
前々から思っていたけれど、私たちは価値観が少し違うのかもしれない。
私は熱い頬をオリバーから背け、窓に目を向けた。
帰りの道は、来たときよりも日が暮れているからか、少し哀愁が漂う景色に見える。
過ぎてしまえば、それはもう過去のこと。
そして私たちは、未来に向かって共に歩むことを決めた。
きっと、私はこの先もこの人の隣で考え続けるのだろう。
どうすれば、二人が幸せになれるのか。
どうすれば、二人でその先へ行けるのか。
(……また〝離婚したい〞なんて思わないためにも、ね!)
馬車は王都の我が家へ向けて、なおも進んでいく。
ー『ヴェロニカ嬢は離婚したい!』第一部 完ー
続編などについてのご報告は、
のちほど活動報告に記事を投稿いたしますので、
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