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レディ・ヴェロニカの秘めやかなご所望  作者: 都辻空
レディ・ヴェロニカは離婚したい!

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それはまるで春を待つ雪のように【1】

今回は地の文が多めと過去回になります。


          ◆


 それは、今から十年以上も前のこと。


 母親同士がアカデミー時代の親友で、幼い頃から共に育った同い年の幼馴染が、夏に入る手前に持病を悪化させた。


 周囲の大人たちが一計を案じ、幼馴染みは隣国の大公国にある湯治所としても有名なブロントへ療養することになり、その間、自分も幼馴染みのお供として同行するようにと、父親から言い渡された。


 供と言っても、幼馴染みの退屈な療養中の遊び相手という形だけの役。


 そのため、一人の友人として同じ屋敷で暮らし、同じ食卓についた。


 幼馴染みとはいえ、相手が王太子殿下だったのは、今思えば畏れ多いことだった。


 何はともあれ、無事にブロントへ到着し、何事もなく療養生活が始まった。


 幼馴染みのエルドレッドとは違い健康体だった自分は、彼が湯治をしている間、暇を潰しに街の市へ一人出掛けていた。


 立場上、公爵嫡男とはいえ、いるのは異国の地。


 加えて王太子殿下に随行の身だったことから、使用人は勿論、従者などは一人も連れていなかった。


 その分普段とは違う〝自由〞という言葉を、そのまま満喫できる貴重な日々を送ることができた。


 そして、あの日。


 その日はいつも行く市へ向かう道ではなく、少し違った道を選んだ。


 一人という気ままに出来る行動に、少し浸りすぎていたのかもしれない。


 気付けば、歓楽街の近くに辿り着いていた。


 当時のブロントには、二つの歓楽街があった。

 ひとつは温泉街の周辺に。もうひとつは温泉街より、少し外れたところに。


 俗に〝夜の町〞と呼ばれているのは後者――今自分がいる場所になる。


 おそらく、自分がこの場所に立ち入ったことが父や母に知られでもしたら、書き取りのペナルティだけでは済まされないだろう。


 けれど貴族の嫡男という立場よりも、未知の領域を前にした十一歳の少年の好奇心の方が勝り、少しだけならと歓楽街へ続く道を進んでいった。


 昼間の市で賑わうもうひとつの歓楽街とは違い、こちらは日が高いうちから開いている店は少なく、行き交う人の活気も落ち着いていた。


 そして路地を大きな通りへと抜けるために歩いていると、突如目の前の路地裏で一人の男と出くわした。


 首筋に髑髏の入れ墨をしたその男の肩には大きな袋が担がれている。


 かうじて避けることが出来た自分は、男に謝罪の言葉をかけた。


「すみません」


「……クウェリア人がこんなところで何してんだ」


 男はこちらの訛りを知っていたのか、一瞬こちらを睨んでそう吐き捨てた。


 しかしそれ以上のことはしてこず、真っ直ぐに路地の中へと消えていく。


(もうそろそろ戻るか……)


 その後、少し歩いたもののさりとて気になるものも見当たらず、来た道を引き返そうと振り向いたその時だった。


 視界の端に映った路地の扉を叩く音が聞こえた。


 その音のした方に目をやると、先ほど路地裏で出会った男がそこに立っているのを見つける。


 やがて扉からガウンを羽織った亜麻色の長い髪の女が裏口の扉を開けて出てきた。


 そしてその男が何か耳打ちすると、手に持っていた麻布の小さな袋を男に手渡す。


 男はその袋を無造作に広げ、掌の上に乗せて中身を確認した。

 袋の中に入っていたのは、なんと金貨だった。


「ほんとに良かったのかよ。仮にもあんたの娘だろ?」


「余計なことは訊かないで。私にはあの子さえいればいいの」


 苛立っているのか、女の声が大きいために会話の一部が聞こえてくる。


「さっきリュカがあれを探していたの……ほんとに遠くに置いてきたんでしょうね?」


「ああ。ちゃんと、言われた通りにグラルカの手前に置いてきたぜ。あんな小さな足じゃ、ここまで戻ってこれねえよ」


 唯一聞き取れたのはこの会話だけ。

 しかして男は女の前から立ち去った。


(今のは……まさか……)


 憶測でものを考えるなど普段はしないはずなのに、この時は状況証拠が揃いすぎていた。


 そして、普段の自分では決して踏み入れることのない場所に足を踏み入れてたことで、あるはずもない自信に鼓舞されていたのもある。


 先ほど男とすれ違った路地裏を抜け、グラルカと呼ばれる、温泉街の方にあるもうひとつの歓楽街の方へと向かった。




 どれくらい歩いたか。


 もうそろそろ屋敷へ戻らないとエルドレッドが心配すると思いながらも、頭の中は自分が先ほど聞いてしまった会話の内容でいっぱいだった。


 人が、遺棄された可能性があったのだ。


 人通りの少ない場所を見て回り、グラルカへの大通りへ繋がる路地の小さな広場の前を通りすぎた時。


「やっ」


 不意に小さな悲鳴と、何かが地面に転がる音が聞こえた。


 広場に続く道から覗くと、そこには年齢が三か四歳くらいの幼い少女が地面にしりもちをついて転んでいた。


 そしてその幼女の前には、彼女よりもいくらか年上、六歳か七歳くらいの少年たちが三人組で立っていた。


 少年たちは少女を取り囲むと、次々に罵声を浴びせ始める。


「流民がこんなところでなにやってるんだよ」


「さっさと家に帰ったらどうだ」


「お前らがいるせいで、町の空気が悪くなるんだよ」


 少年たちの言葉を幾分理解しているのか。


 ストランテに多い亜麻色の髪をした幼い少女は、顔を横に振りながら、必死に何かを訴えようとしていた。


 けれど、それが少年たちに伝わるはずもなく……。


 ――今ここで自分ができることは何がある?

 ――あの少年たちと彼女の間に入ったところで、次はどうする?


 迷子を保護したとして、地区を管理している責任者へ引き渡すか。


 しかしもし仮に、先ほどの女があの幼女の保護者だった場合、今度は誰も訪れることのない場所に彼女を遺棄する可能性も考えられる。


 そうなってしまえば、もはや誰にも助けられない。


 自分の置かれた状況がいまだに飲み込めてないのか、辺りを見回した少女は何度も同じ言葉を口にしていた。


 それは人の名前なのか。けれど彼女を迎えに来る者は現れなかった。


 幼い少女は自分に向けられる視線が悪意の類いだということは理解できていたのか、その目は次第に恐怖に染まっていく。

 

 そしてついに何も言わぬ少女に少年の一人が堪えかねて手を挙げようとしたその時。


 どこから現れたのか、少年たちと同じくらいの年頃の少女が双方の間に割って入っていた。


「何しているのよ! あなたたち!」


「ヴェ、ヴェロニカ……」


 顔見知りなのか、自分達を睨み付ける少女に一瞬たじろぐ三人組。


「こんな小さな子に寄って集って……それも言うことときたら……あなたたち、恥ずかしくないの?」


「うるさい! お前だって、この町の生まれじゃないくせに、偉そうなこと言うな!」


 一人の少年が負けじと叫んだ。


 ヴェロニカと呼ばれた少女は、一瞬肩を震わせ息を飲む。


 しかし、次の瞬間には意を決したように目を見開いて言い放った。


「ええ、違うわ! でも、私のお父さんもお母さんもこの町で働いていて、ちゃんとお金を納めて町長さんから住んでいいって許可を貰っているの!


 この子の親だって、きっとそうやってここにいるのよ! あなたたちにとやかく言われる筋合いはないはずよ!」


 そう捲し立てる少女の剣幕は、一人だというのに三人がかりの少年たちを意気で圧倒していた。


 ばつが悪くなったのか、少年たちは目配せをすると小さく悪態をついてその場を後にする。


 その場に残された二人の少女は、過ぎ去った嵐に安堵するように、静かであった。


 しかし自分はひとつの事実に気付いていた。先ほどまで年上の少年に対峙していた少女の足は震えていたことを。


 恐ろしかっただろう。自分よりも数が多い相手に立ち向かうのは。


 それでも彼女は気丈に少年たちへ立ち向かい、見事勝利したのだ。


「もう大丈夫よ。あなたのお名前は?」


 少女が振り向き、自分より幼い少女へ視線を合わせる。


「……」


 けれど、幼い少女は俯いたまま沈黙していた。


 そしてその涙を拭おうと伸ばされた少女の手を見て、びくんと肩を震わせた。


 その反応に何か気付いた少女は、引っ込めようとした手を、そっとその頬に添えた。


「大丈夫よ。あなたは、なにも悪くない」


 もう一度、「大丈夫だからね」と繰り返した少女が口にした途端、幼い少女は溜めていた涙をその小さな目から溢し、差し出された手にすがっていた。


 その後、幼い少女の手を引いて日溜まりの許に連れ出した少女は、市場の方へと一緒に消えていった。


「…………」


 時間にして僅か十数分の出来事。

 けれど、自分にとっては何倍もの時間が経っていたように思えた。


 自分は、傍観者でしかなかった。

 ともすれば、加害者よりもたちが悪い。


 何もできなかった。いや、しようとすらせず、ただ考えただけで行動にすら移さなかった。


(ここが大公国であったから何もしなかった? けれどここがもし、クウェリアだったなら?)

 

 その時の自分は、先ほどの少女のように、立ち向かうことが出来ただろうか。

 

 状況や場所に応じて対処することは必要だ。

 けれど、場所が違うと言うだけで態度を変えるのは、何かが違う。


 自分はクウェリア王国の公爵嫡男という立場でしか、物事を決めるにしても考えられなかった。


 自分はこの国の人間ではないから、無関係を決め込んでいいと考えた。


 そう考えた自分が、途端に酷く愚かで小さく、そして惨めになった。


 今まで教わった〝貴族(ノブレス)の矜持(・オブリージュ)〞はどこへいったのか、と。


 そして対照的に、数に勝っている相手に果敢に立ち向かっていたあの少女が、とても輝いて見えた。


 この町の生まれでないからと自身を否定されても、真っ直ぐに自分が正しいと信じた行動を取った。


 少年たちとの会話から聞き取れた、彼女のものと思われる名前。


(……ヴェロニカ)



 それが、ヴェロニカと何も知らなかったあの頃の自分――オリバー=エインズワースの、本当の出会いだった。


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