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レディ・ヴェロニカの秘めやかなご所望  作者: 都辻空
レディ・ヴェロニカは離婚したい!

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稚拙な歌ほど愛しく【3】

本日二話目。



 その人は――


「リュカさん!」


 ルーカス――否、リュカだった。


 その背には、バルコニーの刺客から放たれた矢が深く刺さっていた。


 私は矢を抜こうとその背に手を伸ばす。


 けれどその腕は、エルドレッド殿下によって止められた。


「ヴェロニカ嬢、毒が塗られている可能性があるのなら危ない!」


「でもっ」


 間違いない。リュカは、今――


(私を、庇ってくれた……)


 私は徐々に呼吸が浅くなるリュカの身体を支えながら、ゆっくりと床にしゃがみこむ。


 リュカは背中の矢傷のせいで身を捩ることが出来ないのか、眉をひそませてその痛みに耐えているようだった。


「うぅっ……」


「どう、して……」


 横向きで私の膝の上に身体を預けるリュカの口許が、小さく動く。


 それは僅かに読み取れる唇の動きと聞き取れる声。


「―――の恩、人、だから……」

「えっ?」


 微笑むように和らいだその顔。


 崩れ落ちるその身体を抱き抱えた時、彼の着ている服のポケットに小さな違和感があった。


 恐る恐るその中身を取り出してみる。

 そこには見たことのある〝それ〞が入っていた。


 〝それ〞は間違いなく、私のドレスについているものと同じ、真珠だった。


 これで、もうひとつの可能性が確かになった。


「恩人なんて、あなたの方じゃないっ。やっぱり、あなたは……私を助けてくれていたのね?」


 このドレスはマーガレットの店に頼んだ特注品。


 制作者のマーガレットによると、この真珠はウルトラウムの商業ギルドに依頼して取り寄せた大公国が誇る一級品の花珠らしい。


 だから庭園で襲われて気絶する直前、咄嗟に胸元のひとつを私を襲った賊の服のポケットに入れておいたのだ。


「もしあなたが本当に父親の言いなりになって陛下や殿下の命を狙うのなら、二度も暗殺の計画現場を目撃した私を生かしておくはずがないもの……」


 リュカはあの日、私が偶然とはいえ部屋の物置に隠れていたことを知っていた。


 つまりは暗殺の会話を聞いていた私の存在は、計画を実行する上で明らかに危険因子と判断されてもおかしくはなかったのだ。


 同様に、先ほどの庭園でも、殺そうと思えば出来たはず。


「でも私は殺されなかった。その理由は、あなたが故意に私に関する情報を報告していなかったから……そうでしょう?」


「……さあ、どうで、しょうね……?」


 先ほど、貴賓室で見せた微笑みが、もう一度浮かぶ。

 けれどその表情の裏は、とても苦しそうだった。


「ごめんなさいっ。私、あなたを……」


 だから、私は賭けてみたのだ。


 わざわざ二度に渡って殺さなかったのなら、トリカブトの毒を自ら呷ろうとする私を、彼がどうするのか。


 オリバーの阻止が入ってしまったけれど、案の定、リュカは自らの罪を告白した。


 私は、彼の善意に付け込んだのだ。


「……ヴェロニカ、様……」


 リュカが優しく私の名を呼んだ。

 気にするなと言われているようだった。


「貴女、は……あの日の、まま……私は、貴女の……ように、なりたかった……。


 だから……これで、良い、のです……これで、やっと……」


 リュカの視線は、私から外れ、誰かを探しているようだった。

 けれど、その焦点はどこにも合っていない。


「伯母さま!!」


「わかっている!」


 伯母さまの指示で、担架を持つ衛兵がリュカを乗せて広間を出ていく。


 私はすべての男神と女神に彼の無事を祈ることしか出来ずに、その場に座り込んでいた。


(……さっきの、って……)


 リュカが呟いた言葉を今になって思い出した。

 途切れ途切れの声の中で、僅かに口許から読み取れた言葉。


(私が〝妹の恩人〞って、どういうこと?)


 そしてバルコニーの方を振り向くと、殿下に矢を射ろうとしていた刺客は見覚えのある衣裳を纏う人物に倒されていた。


「……エリオットさん」


 遠巻きからでもわかる。その左手には汚れた剣が握られていた。


「無事か……っ」


 その声に私は振り向き、そこに立つ彼に頷く。


 けれど。


「あなたこそ、その腕……っ」


 心臓が止まりそうになった。いや、それを見た時は世界が止まって見えた。


 ――衣装の袖が切れていた。


「大丈夫、服を切っただけだから。大丈夫だ」


 つい今しがたリュカに起こったことを、今度はこの人でも味わうのかと内心で叫びたくなった。


 けれど、駆け寄った私を宥めるように、オリバーが袖が切れた方の腕をこちらへ向ける。


 確かに、服の切り口から見えた彼の素肌には、傷一つついていなかった。


「それより……君は、どこにも怪我はない、ようだな」


 先ほどのリュカの一件は見ていたのだろう。


 私がリュカと話をしている間に、テオドールは既にドランバル先生たちに捕らえられ、連行されたと教えてくれた。


 最後まで暗殺の失敗を悔いていたという。


 オリバーの伸ばされた手が、私の頬に触れる寸でのところで止められた。


 その漆黒の瞳の奥に浮かぶ感情が、貴賓室で見つめられた時と同じものだというのが、仮面越しからでもわかった。


「……」


 突然、無言でその場にオリバーが跪く。

 そして彼は仮面を外し、空いている方の手で、私の手を取った。


「……先ほどは、叩いてすまなかった。痛かっただろう」


「……いいえ。もう、大丈夫です」


 そう言えば、今握られている方の手が貴賓室で毒を呷ろうとした時に叩かれたのだと思い出す。


(それを謝るために、わざわざこんな格好を?)


 私が訝しげながら手を離そうとすると、指先で引き留められた。


「えっ」


 握られている手に、彼の指の力が伝わる。


 そして、静かに開いた口からも、まだ彼は何かを伝えたいことがあるのだとも。


「『あなたは私にとって光であり闇でもあるのです。あなたがいるからこそ、この世界は光に包まれ、闇に呑まれてしまう。


 ですからどうか、変わらず私の世界にその恩恵をお与えください』」


 それは、フィギュスタリスの台詞だった。


 確か、王が罪人を処刑するよう告げた時、唯一その無実を信じたフィギュスタリスが王に諫言する場面での台詞。


 けれど、続く言葉は私が今までに読んだ原作や翻訳されたどの作品にもない台詞だった。


「〝ヴェロニカ。私は貴女を、愛しています〞」


 そう言って、取られた手に、そっと口付けされる。


「――っ!!?」


 そして見上げられたその表情は、これまでに見たことのないくらい、優しく、温かいものだった。


 会場のどこかから「まあ!」とか「おお」と聞こえて来たけれど、今の私はまったくそれどころでは――


 顔が熱い。とても熱い。


「……ヴェロニカっ!」


 足の力が抜けて、その場に崩れ落ちそうになった私を、すんでのところでオリバーが受け止める。


 その腕の中は、とても温かかった。


「よかった……気の、せいじゃ、なかった……」

「……?」


 その温もりに包まれながら、思っていたことがつい口に出てしまう。


 さっきのは気のせいかと思った。

 でも、今度のは違う。


(やっと……名前、呼んでくれた……)


 私は、包まれているその背に手を回した。


 彼が私のことをどう思っているのか、いくら考えてもわからなかった。


 今までさんざん考えて、悩んだけれど、どうしてもわからなかった。


 でも、もう、そんなことどうでもいい。


 大事なことは。


「――私も、あなたのことを愛しています」


 私が、あなたをどう思っているか。


(……やっと、言えた……)


 ふと安堵が押し寄せ、心地よい温もりも相俟って、意識が微睡みに吸い込まれる。


 耳元で彼が私の名を呼んだ気がしたけれど、それに返事も出来ないほど、今は瞼が重かった。


 抱き締められる腕に力が込められるのを、沈む意識の中で理解する。


 伝えられてよかった。


 あなたを愛しているということを。




 次に私が目を覚ましたのは、それから二日後のこと。


 目を開けて最初に視界に入ったのは、私の好きな若草色の天井だった。

 そうだ。ここはエイズワース邸の、私の寝室。


(そういえば、これもあの手紙に書いた覚えがあるわ……)


 そう思いながら好きな色へ手を伸ばそうとした時、ふと右手が上手く動かないことに気付いた。


 まるで、何かの温もりに包まれているような――


「オ、リ……バー?」


 動かした手の振動でわかったのか。それとも私の掠れるような声に気付いたのか。はたまた、そのどちらもなのか。


 閉ざされていたオリバーの濡羽色の瞳が徐々に開き、そして目が合った。


 次の瞬間。


 オリバーの座っていた椅子が床に勢いよく倒れ、ガタンと大きな音が部屋に響いた。


 けれど、音よりも私が驚いたのは、目が合った次の瞬間にも、彼の腕の中にいたことだった。


 ベッドに横になった私の身体を上半身だけ抱き起こして、包み込むように抱擁されていた。


「……良かっ……た……」


 優しくも震えている腕の中で、そんな消え入りそうな声色を聞いた気がした。


「どうかなさいましたかっ! 旦那様!」


 音に気付いたのか、ニコラスやリリカたちが部屋へ入ってきた。


 私は彼らを横目に映しながら、身体の内側から溢れてくる感情の名前を噛み締める。


 そして辛うじて動いた両腕を彼の背中に回し、もう一度、今度は絶対に彼の――愛しい人の耳に聞こえるように、その名を呼んだ。


「オリバー」


 緩められた彼の腕から解放され、改めて彼と向かい合う。


「聞かせて。あなたのこと」


 気になることはたくさんある。

 わからないこともたくさんある。


 けれど。

 今は彼が思っていることを、考えていることをすべて知りたかった。


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