稚拙な歌ほど愛しく【2】
本日から三日間、ラスト五話を毎日二話ずつ(三日目は最終話一話)投稿します。
一話目は6時、二話目は12時の予定です。
誤字脱字コメントいつもありがとうございます!
完結しましたら一括修正しますので!
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仮装とはいえ国王の御前にして、仮面と外套を纏う二人が抜剣して剣戟が行われている状況にありながら、会場は一瞬のどよめきがたっただけだった。
今では人々は刃を交えている二人を大きく円に囲みつつ、さりとて大きなパニックを起こしている訳ではないのがわかる。
剣戟が始まる前に伯母さまやドランバル先生に頼んで、〝戯曲好きの国王陛下の粋な催し物のひとつがこれから始まる〞という話を広間にいる招待客に流してもらったのが、少しは功を奏しているのかもしれない。さほど混乱は起きていないように思う。
隣にいたマリアンナ伯母さまが不意に感嘆の声を上げた。
「それにしても、公爵があんな台詞回しが出来るとは知らなかったな」
それは私も思っていたことだった。
まるで、本当に物語の中のフィギュスタリスが現実に出てきたみたい。
『回帰王の復活』は、王に仕える異国の騎士フィギュスタリスを主人公にして描かれる、一国の繁栄から滅亡に至るまでを描いた物語だ。
異国の出身でありながら王により命を救われた恩義に報いるため、国と王に仕えることになった流浪の騎士フィギュスタリス。
確かに、物語に登場する彼の容姿は、オリバーと同じ黒髪黒目の人物だった。
戯曲中の登場人物や政治背景は、革命当時のストランテ国と酷似していることから、作者のピエールがストランテ革命を意識して創作したことが明確に分かるとともに、劇中内でクウェリアがモデルとされる隣国の領土侵入について、情勢批判だと揶揄された時代もあった。
剣戟の僅かな合間で、オリバーは作中の台詞を諳じる。
「『我が剣は、我が王にのみ捧げるものであり、それは、まごうことなき正義のためである』」
オリバーの低く、それでいて通る声が広間に響く。
「ヴェロニカ様」
後ろから声がして振り向くと、リリカがこちらへ向かってきた。
仮面を付けていないその表情は、謎の剣戟を繰り出す片方の人物の正体に気付いているようで、状況が飲み込めないと言っているようだった。
「リリカ。どう? 見つかった?」
リリカは首を横に振る。
「申し訳ございません。広間を一通り探したのですが、吟遊詩人の姿でハープを背負っている招待客は……」
「そう……仕方がないわね。ありがとう」
リリカとニコラスに頼んでいたのは、広間で私が会った〝エリオット=ガーデン〞を探すことだった。
私より先に宮廷庭園を出たはずなのに、いまだに姿が見えないとなると――
「あいつなら大丈夫だよ」
私の隣で庭師の仮装をした人物がそう告げる。
帽子や仮面のせいで顔は分からないものの、その声は間違いなくエルドレッド殿下だった。
「あいつは強いから。簡単にはやられたりしない」
「……はい」
殿下の言葉に、私は自分を納得させるしかなかった。
「とりあえず、陛下は先ほど私の兵たちに警護を任せた。あとは、この状況をどう収拾させるか、だが……」
「公爵の腕は私が保証します。殿下」
「ドランバル先生」
振り向くと、仮面をつけたドランバル先生が立っていた。
先生は、学園在籍時代のオリバーは、剣の腕が抜きん出ていたと付け加える。
「広間にいるストランテ兵は捕らえました。殿下」
私が考え伝えた計画では、リュカの衣裳を纏ったオリバーが陛下へ歩み寄る敵兵を阻止し、その間に連携の崩れた旧王国軍の兵たちをドランバル先生や衛兵が極秘に探し出し、確保するという算段だった。
既にルーカス、もといリュカからは旧王国軍の人数や衣裳の特徴は聞いている。
ドランバル先生たちは招待客に紛れて、見事敵兵を捕らえられたのだろう。
心に余裕が生まれているのか。ドランバル先生の表情は少し柔らかくなる。
「貴女に〝先生〞と呼ばれるのは、何だか気恥ずかしい気分ですね」
「そうですか?」
「残すはテオドール、ただ一人、というわけか……」
広間には相変わらず剣戟の火花が舞っていた。
けれど最初は互角だと思えたその動きは、私のような素人目でも次第に風向きがテオドールに傾いているのがわかった。
「お前のような若造に、私が剣で劣るとでも?」
テオドールは笑いながら重い剣戟を見舞い続ける。
オリバーはそれを辛うじて受け止めているものの、それも限界を迎えそうだった。
それまで無言で見ていたリュカがいきなりオリバーの名を呼び、叫ぶ。
「オリバー様、お気をつけください!
恐らくその剣の刃には、トリカブトの毒が塗られているはずです!」
(なんですってっ!?)
聞いていない。それは私以外の全員も思っていたことのようだった。
中でもテオドールと対峙するオリバーは、殊更な反応を示す。
「物騒だな……っ!」
リュカの姿を瞳に映したテオドールは、驚愕と憤怒の声を上げた。
「リュカ……そうか。お前が……お前までも、私を裏切ったのか!?」
「父上……」
テオドールの言葉は重く、また彼を縛ろうとしていた。
私はリュカの前に立って彼に向かって放たれた言葉を否定する。
「彼は裏切ってなんかいないわ! ただ自分の主を守っただけよ!」
「なんだ、小娘。お前は……」
突然話に割って入った私に、テオドールは一瞬目を細めた。
「主だと? 我らが剣を捧げた御方はただ一人、オーギュスト=ストランテ陛下だけだっ!」
「それはあなたが仕えた人であって、彼とは関係ないわ!」
私の言葉に、テオドールは憤りを露にする。
「小娘。貴様に何がわかる? 騎士の誓いはその血脈末代に至るまで、果たされるものだ!
しかしその忠を誓った主が愚かな民によって弑虐された以上、その無念を晴らす義務が我らにはある!」
オリバーの剣を振り払い、テオドールが私――否、隣に立つエルドレッド殿下にその刃を向ける。
「あなたこそ、自分の復讐に子供を巻き込むなんて、どうかしているわ!
あなたはそれで満足かもしれない。でも巻き込まれた子供の――リュカの人生はどうなるの!?
彼自身の人生は彼自身が決めるべきことで、子供は親の道具ではないのよ!」
その時だった。
「……よそ見は感心しないなっ!」
オリバーがテオドールの隙をつき、その手から剣を弾いた。
剣は中に弧を描き、大理石の床に音を立てて転がる。
「観念しろ。ここまでだ、テオドール=キュヴィエ!」
「く……っ。馬鹿なっ。こんなこと、あって良いわけが……」
オリバーがテオドールに剣を向けた。
テオドールは、剣を握っていた方の手を庇い、その場にしゃがみ込む。
自身の手から転がった剣を一瞥し、ふうと溜め息を吐いてオリバーを睨み付けた。
「……まさか。ここで我が野望が潰えようとはな」
「……テオドール、なぜこんなまねを……」
ドランバル先生が前に出てテオドールに近付き、その真意を問う。
「……貴様にだけは言われたくないな、ロドルフ……この売国奴が。
故国を裏切ったこの国になぜ与した? なぜお前だけがのうのうと生きている?
我らが王は、絶望のうちに亡くなったのだぞ。この国のあしき王が協定を反古にしたせいでなっ!」
テオドールの憤りを、ドランバル先生ほ真っ直ぐに受け止めた。
「それは……仕方がなかったのだ。
あの国を、陛下たちが愛したあの国を守るためには、この国で生き、クウェリア国王に助力を仰ぐ他、方法がなかった」
「……戯れ言を」
かつて同じ王と国に仕えた二人の騎士は、その場で沈黙を選んだ。
私はその会話を聞いて、なぜか心に違和感を覚えてしまう。
どうしてだか胸がざわつく。
――こんなにあっさり、引き下がった?
――三十年以上も、ずっと怨嗟の中にいたという人間が?
テオドールはしゃがみ込んだままで、立ち上がろうとしなかった。
転がる剣も、今では見向きもしない。
まるでもう剣を握る必要がないという風に、その瞳は真っ直ぐオリバーとドランバル先生を見つめている。
(もしかして――……)
――視線を、わざと集めている?
その時。
視界の端で、何かが光るのが見えた。
そこは広間の二階の端。バルコニーがある場所。
そしてそこには、テオドールたちと同じ仮面と衣裳を纏った人物がいた。
その手には今にも放たれそうなほど張られた、弓矢が握られている。
遠巻きでもわかる。
その矢の先は、先ほどテオドールがわざと隙を見せて剣を翳した方向に向けられていた。
そしてその場所にいらっしゃるのは――
その時。
弓矢が放たれた。
一瞬だった。
「殿下っ! 危ないっ!!」
「……なにっ!?」
隣にいた殿下を押し退け、私は前に出ていた。
矢に当たった時の衝撃に備えて、目は固く閉ざし、奥歯を食い縛る。
「ヴェロニカ様っ!!」
「……ヴェロニカッ!」
すぐ近くで聞こえたのは、リリカの声。
そして遠くで聞こえたもう一つの声。
その声は、私の耳に深く残った。
(――今、私の名前を呼んだのは……)
けれど覚悟を決めたはずが、いつまで経っても矢が刺さる衝撃は来なかった。
「きゃー!」
そして聞こえる女性の悲鳴。
恐る恐る、私は目を開ける。
次の瞬間。
俯せで私に覆い被さるようにして、その人は私の胸に倒れてきた。
やっと、十万字突破しました!
ラストスパートです!




