稚拙な歌ほど愛しく【1】
本日二回目の投稿です。
バトルシーンとか、当初予定してなかったよ!←
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大広間では、相も変わらずワルツの音楽が奏でられている。
その単調な流れを耳の端で受け流しながら、テオドール=レジス・キュヴィエはその仮面の裏で、王太子暗殺成功の報告が来るのを今か今かと待っていた。
彼にとって、今日という日は待ちに待ったという言葉では言い表せられないほど、切望していた日であった。
あの日――後に革命と持て囃され、仕える国と王を失ってから、三十六年。ずっと練り続けていた計画。
この計画を成功させるために必要なものは、仇敵の国の貴族であろうと利用したのだ。気には食わないが、双方の利害は一致している。
それに、向こうもこちらへ文句はないはずである。
何せすべては、我々がやったことになるのだから。
あとは向こうが手配した人間が王太子の死を確認し、それを手筈通りの方法でこちらへ知らせるだけ。
テオドールは、片時もあの日――革命成功の証として行われた王族の処刑された日――のことを忘れたことなどなかった。否、忘れることなど出来なかった。
今でも、昨日のことのように思い出す。
王都の広場に置かれた断頭台。
かつての主たちの処刑は、まだ朝露も乾かぬうちに執行された。
すべて、愚かな民の選択によって行われたのだ。
我が王は、最期の時まで国の行く末を案じておられた。
各地で上がる平民どもの武装蜂起の知らせも、なるべくならば穏便に解決したいと。
だのに。
民たちは王を裏切った。
テオドールは憤っていた。
それは、昨年ストランテ共和国とクウェリア王国の間で締結された、経済連携協定が最たる例だった。
運河建設の再開に先立ち結ばれたこの協定は、かつてストランテが王国時代にクウェリアと結ぼうとしていた内容と瓜二つだった。
元々、王国時代より盛んであった絹織物や工芸作物産業が、共和国の輸出品目として取りざたされている。
この協定により、やがては肥沃なクウェリア国の土地で作られた多くの作物が、共和国の国民を潤すことだろう。
しかし、しかしである。
運河建設自体が頓挫し、革命の火の粉が自国に及ばぬようストランテの王族を見殺しにしたクウェリアから、今さら連携協定の申し出だと?
なぜ今になって動いた?
それがテオドールにはわからなかった。
現在ストランテ王家でご存命なのは、オーギュスト陛下の次女であるシャルロッテ様と、今はもう王族の身分を返上されている三女で大公国に縁のある準男爵のオスカー=ラマンティ卿とご成婚されたミランダ様のみだ。
一度は御二方に王政復古の象徴をと望んだこともあったが、そのどちらからも同じ返事がもたらされた。
『あの国に、もう王族は必要ないのです』と。
テオドールには、かつて仕えた王家の人間がなぜこんなことを言うのか理解できなかった。
自分や旧王国軍の反革命派の仲間は、王国のために、王族のために戦ったのだ。
確かに。烏合の衆であった革命軍の勢いは途中までは牽制することができた。
しかし、共和制を宣言した評議会と、旧王国軍の穏健派が手を組んだことでテオドールたちの状況は一変した。
中にはその知らせを聞いて、亡命先のクウェリアから共和国へ戻った貴族もいる。
これは亡きストランテ国王オーギュスト陛下に対する不遜である。甚だ理解しがたい。
我が身可愛さに王と国を捨て、そして国のあり方を変えてしまった評議会と手を組む者たちなど、もはやストランテ王国の貴族とは認めぬ。
もっとも許せないのは、国を守ると我が王と己が剣に誓っておきながら仇敵へ下り、あろうことか男爵の爵位を賜ったというあの男。
――ロドルフ=ドランバルである。
これは祖国と我らがオーギュスト陛下に対する重大な裏切りだ。
確かに、テオドール自身も革命の敗走時には大公国にいる親類縁者を頼り、身を寄せていた。しかしそれは反旗を翻す好機を窺っていたのだ。
そんな折りに、亡国での知人であったジョゼットと再会した。
彼女は大公国へ逃れたはいいものの、頼る伝手もなく、ブロントの歓楽街にある小さな娼館に身を寄せていた。
彼女は再会早々、夫の行方をテオドールに訪ねてきた。
同じ騎士団に所属していた自分も無事なのならば、ロドルフも無事なのではと。
だが、それがテオドールには気に食わなかった。
彼は元々ジョゼットに思いを寄せていた。しかし彼女が選んだのは、彼よりも武勇に勝るロドルフだった。
そしてテオドールは思いを告げることもないまま、気付けば彼女はロドルフと結婚していたのである。
なぜ、選ばれたのは自分ではなかったのか。テオドールは劣等感に蝕まれた。
だから。すがり付いて夫の行方を訊いてくる彼女に言ってやったのだ。
――〝あいつはもうこの地にはいない〞と。
無論、嘘などではない。
すでにロドルフはクウェリアへ渡っており、故郷ストランテにも、彼女がいたヴァロネンにもいなかったからだ。
しかし案の定、それまで公国民からの手酷い扱いを受けて心を弱くしていた彼女は、その言葉を〝ロドルフは死んだ〞と解釈した。
そこからは簡単だった。彼女にクウェリアへの憎悪を少しずつ植え付け、復讐のためには様々な情報がいることを伝えた。
そして思惑通り、彼女は自分の意思で情報を集めると言ってきた。
それから彼女は店を訪れる客たちから各国の情勢を聞き出し、テオドールたちに情報を流すようになったのだ。
その間に出来た息子――彼女に〝リュカ〞と名付けられた――は、いずれクウェリアへ忍び込ませるためにと、ありとあらゆる武術や体術、知識を仕込んだ。
すべてはやがて来るこの日のために。
(オーギュスト陛下……今宵をもって、あなた様の憂いは我らが晴らします。そして――)
自分達だけ豊かになろうという二つの国へ、天罰を下す。
自分達だけが幸せになるなど。それだけは。それだけは断じて許さない。
もし今日この国の国王とその王太子が暗殺され、その犯人がストランテの国民であるとわかれば、運河建設は白紙に戻る。
そう。これはテオドールにとって、クウェリアとストランテ両国に対する復讐だった。
愛する祖国はもう存在しない。
忠誠を誓った王はもういない。
ならば、そんな世界などもう必要ない。
(しかし、遅いな……まさか、何かあったのか?)
本当ならば、もし王太子の暗殺が成功していれば、黒百合を胸に差した白衣の男がこの広間に現れるはずだった。
しかしもう時間がない。もうすぐでクウェリア王国国王シオドアが〝道化師〞の仮装をして現れる。
それはこの国に送り込んだリュカからの報告で既に把握済みだ。
(まあいい……この国の王族を手にかければ、そこで我らの勝ちだ……っ!)
衣裳の中に隠した剣の柄を握る手に力が入った。
この剣で仕留める瞬間に、己の嫡男が既にこの世にはいないと知らされた時の奴の絶望に染まる顔を見てみたかったのだが。
そんな苦しみは、やっとお生まれになった王太子セレスタン殿下が、自身よりも先に断頭台の露と消えたところを目の前で目の当たりにされたオーギュスト陛下の心中に比べたら足元にも及ばない。
(――来たか)
広間に、数人の集団が現れる。
会の趣向通りに全員仮面を着けてはいるが、〝道化師〞の姿をしたのは一人しかいない。
テオドールは、広間にいる仲間たちもその集団に向かって近付いているのを確認した。
ついに、我らの宿願がついに叶うのだ。
テオドールはその集団に近付くために、人の波を越えて一歩一歩前に歩み出る。
舞踏会も中盤に差し掛かった頃合い。
広間の中央は少し人がはけていて目標に接近するには逆に好都合だった。
間合いは、踏み込めば十分。
――まさしく、今が好機だった。
テオドールは整えた呼吸を止め、心の中で数を数えて勢いよく駆け出した。
そして吐く息と共にローブの下に隠す剣を抜刀して間合いを詰め、身体に力を込めて目標へと振りかざす。
しかし。
――カキンッ。
強い火花を放らせながら、テオドールの剣は受け止められた。
その刃を受け止めたのは、同じく剣の刃。
そしてその先には刃を受け止める一人の男が立っていた。
その仮面、その衣裳、胸の白百合までも、テオドールたちと同じものだった。
しかし、特異なところが一ヶ所。
その髪は、ストランテの国民ではあまり見られない――黒髪だった。
「貴様! 何者だっ!!」
周囲にどよめきが立つ。
あの一撃で仕留めていれば。
剣を握る手に力を込め直し、テオドールは謎の男へ向けて叫ぶ。
しかし正体不明の黒髪の男が次に言った言葉は、まるでテオドールにではなく、広間全体に向けられたような、響き渡るような声量で放たれた。
「『そなたは何故に、我らが王に剣を向けるのか』!」
「……なにっ?」
そしてその低い声は、どこか言い回しが台詞染みていた。否、それは台詞であった。
「『我らが王は、国の安寧のために剣を持ち、国の栄華のために筆を執った』」
「それは……」
間違いない。
それは、二十年以上も前に発表された、とある戯曲の一節。
復讐を誓うことだけに注力していたテオドールでさえ、その名前と内容は知っていた。
その理由のひとつはやはり、作者がストランテ出身だったということだ。
発表からかなりの年月が経過し、言語もストランテのものでありながら、作者の生い立ちと作成された経緯から、その物語は翻訳され貴族平民の階級を問わず、その戯曲は様々な形に訳され、今日に至るまで長く愛され親しまれていた。
それは、一人の騎士の物語。
「貴様……何者だ! 先ほどから何を言っている!?」
しかしテオドールにとっては、あまりにも唐突なことの運びに、動揺を隠せなかった。
一度距離を取り、相手の出方を見る。
「『我が名はフィギュスタリス。かつて栄えた麗しの都リアナトゥラ、その王ベアドラスに精神とこの剣を捧げた騎士である』」
黒髪の男は顔の前に剣を構えた。
「馬鹿なっ。貴様、なぜその構えを……っ」
テオドールは混乱していた。
先ほどから男が発する言葉のもとになっているのは、ストランテ革命で亡国よりクウェリアへと亡命してきた作曲家、ピエール=エティエンヌ・アルドワンが革命から十数年後に母国、ストランテ語で綴った戯曲『回帰王の復活』での台詞。
加えて男が構えた型は、この国のものではなく、ストランテ流のものだった。
そしてその姿は異なれど、テオドールの脳裏にはある一人の人物が浮かんでいた。
「『そなたと相容れぬ立場であるのなら、これほどまでに悲しいことはない』」
――我らの宿願は、このような茶番によって破綻させられて良いはずがないのだ……っ!
テオドールは再び剣をフィギュスタリスと名乗る男へ向ける。
再びぶつかり合う剣と剣。
甲高い音と共に、刹那火花が生まれて散る。
再び刃を交えた時、テオドールはその仮面の奥に潜む、見覚えのない黒い瞳と目があった。
その口から、テオドールのみにしか聞こえない、しかし力強い声が発せられる。
「諦めろ。すでにお前たちの企みは明るみに出た。観念するんだな、テオドール=キュヴィエ!」
テオドールさん、クトゥルフ神話TRPGでいうところのSAN値(正気度)0を割ってます。
永久的な狂気入って三十余年……いろんな意味でヤバい人です。




