仮面に隠すは祈りと願い【8】
その後リュカの証言から、サルテジット伯爵家の使用人と会った際に彼が着ていたという衣裳が、貴賓室の隠し扉から発見された。
またテオドール率いる旧王国軍の仲間は皆それと同じ衣裳を着ており、左胸に彼の亡国の王妃が愛したとされる白百合の花を着けているとの情報が得られた。
「……ですが、どれだけ父たちのことをお話ししたとしても、私はヴェロニカ様の仰る通り、父や仲間を手引きし、国王陛下と殿下の暗殺計画に荷担いたしました」
極刑でも何なりと受ける覚悟があります、と胸に手を当てて処罰を求めるリュカに、私は聞かずにはいられなかった。
「あなたは、エルドレッド殿下を殺める気が本当にあったのですか?」
私のその発言に、貴賓室にいた全員が耳を疑っているであろうことは承知している。
それでも、聞かなければならなかった。もうひとつの可能性についてもそうだったから。
「あなたはトリカブトの毒を伯爵家の使用人から受け取った時、使用人に対してこう言ったそうですね。『本当なら使いたくない相手だ』と。
リュカさん――本当はあなたは心のどこかで、この計画が失敗して欲しいと願っていたのではありませんか?」
「……さぁ、どうでしょうね?」
リュカの翡翠の瞳が微笑んだ。
私はまた、その形や雰囲気に既視感を覚える。
悔しい。あと少しで分かりそうなのに。
けれど一旦それは横に置き、私は思っていたことを口にした。
「あなたの言葉から、殿下に対しての憎悪の感情が一切感じられないんです。
むしろその反対で……」
そう。まるでどこか、ほっとしているような。
リュカが真剣な眼差しで、静かに口を開く。
「……確かに私は、陛下や殿下に直接恨みがあるというわけではありません。
すべて父からの洗脳に近いものだという自覚もあります。
けれど、この国の王族には、間接的に革命を助長させた責任はあるとは思っています。革命が起きなければ、母は愛する男性と離れることも、父の復讐に利用されることもなかった。私たちのような子供が生まれることもなかったでしょう。
……とは言え、その責までエルドレッド殿下が負うのは、疑問が残る。
親の罪を子が背負うのであれば、それは現国王である陛下までであり、殿下には些か荷が勝ち過ぎている。
そして何より殿下は、運河建設を再開させてくださいました。
かつて両国間で計画されたこの運河建設は、ストランテ王国側の度重なる不作による税収低下の影響で、頓挫せざるを得なかった。
それを再び実現させようと、殿下は共和国の評議会へ使者を出して下さった」
その言葉を聞いて、エルドレッド殿下はそれは自分だけの功績ではないと否定する。
「馬鹿なことを言うな。運河建設の再開は、私だけの力では到底成し得なかった。
ひとつに国内で多くの功績を上げ、今の地位を手に入れたドランバル卿が、何年もかけて陛下を説得したおかげでもある」
「……はい。存じております」
リュカは苦笑しながらポツリと呟く。それは殿下の近くにいたから、よく知っています、と。
「ですから、そこまで成し得られたあなたには、何がなんでも母を見つけ出して欲しかった。
……そうすれば、私は大切なものを手放さずに、この手で守れたのかもしれないのだから……」
後半の言葉は、ドランバル先生に向けられたものではなく、自分自身への枷のように聞こえた。
それが堪らなくて、つい言葉が口に出る。
「でも、あなたは守りたいものを守ったじゃないですか」
「……えっ?」
「確かにあなたは、大きな罪を犯したのかもしれない。それでも、最後には踏み止まった。
あなたは、殿下を守ったんです。――そして私たちのことも、助けてくれた」
「買い被りすぎです。私はただ、父の言葉に――」
その後の言葉を言い淀むリュカの瞳は、まるでどこか迷子の幼子のようだった。
何を頼ればいいのか分からない。
何を信じていいのか分からない。
その姿は、かつて出会った記憶の中の小さな女の子と、とても良く似ていた。
(……そっか。リリカと似てるんだわ)
そう心の中で独りごつ。
もしかして、彼がリリカと同じストランテの血を引いていると聞いたからかもしれない。
出会った時の彼女も、今にも泣きそうな顔をしていた。
だったら。
私がやるべきことは、あの時と同じくひとつだけだ。
私はそっと、リュカの頬に両手を当てた。
そして告げる。
「〝あなたは、何も悪くないわ〞」
「っ!?」
刹那、その翡翠の瞳が動いた。
「あなたはさっき、『親の罪を子が背負うのなら殿下に罪はない』と言った。でも、その考え方は間違っているわ。
だってそうでしょう? 子供が親に縛られていい訳なんてないし、ましてや親と子供は主従の関係じゃないのだもの。
命の重さはすべて平等で、そこに王族・貴族・平民の違いなんてないの。
すべては《恵姫》が与えてくださった、尊い命――だから、失ってもいい命なんてどこにもないのよ」
きっとこの人は、自分の罪との向き合い方を間違えている。
自分にはストランテの血が流れているからだとか、父親の影響を受けたからだとか。
彼の罪はそんなことではないのだ。
償うべきはその命ではなく、罪そのものに対してのはず。
罪は償うためにあり、その命を捧げるものではない。
例えそれが命で償うべきような重い罪であったとしてもだ。
「あなたは自分の償うべき罪を、きちんと自覚している。
あなたのように、大切なことに気付いたのなら、きっとやり直せるわ」
「……」
眉をひそめるリュカに私は微笑む。
ずっと気になっていたあの人の行動。
それにはきっと理由があるはずなのだ。
例えば――
「……ここからは私の想像になるのですが。
もし今回の暗殺事件の目的が〝クウェリア王族の暗殺〞ではなく〝ストランテ人によるクウェリア王族の暗殺〞にあったとしたらどうでしょう?」
また突拍子もないことを口にする私に、皆の無言の返事が来た。
続きを望まれているように思えて、私は言葉を続ける。
「今回の計画を立てたのはリュカさんと同じくストランテ人である彼の父親です。
でも、彼らだけでは、どうしても賄えない部分があった。
例えば〝殿下の暗殺者がストランテ人である〞という目撃者の証言です。
目撃者が〝犯人がストランテ人〞だと判らなければ、その目的は達成されませんから。
では今日開かれる舞踏会で、怪しまれることなく宮廷内を歩き回ることができ、加えて、その発言に信頼のある人物とは誰でしょうか。
仮に〝犯人がストランテ人〞だと知っている人物のことを協力者と呼称します。
それでは、その協力者はどこまで協力者だったのでしょう?
もし毒殺するための毒を用意するのもその協力者の役割だったとしたら?
そしてもし、その協力者が偶然、取引のことを何も知らないまま利用していた人間から、毒を渡したはずの取引相手が毒殺を躊躇っているとも受け取れる――そんな言葉を言っていたと聞いたとしたら?
その協力者は気が気でないはずです。身の破滅まで覚悟して協力した暗殺が未遂に終わってしまえば、本来の目的である〝ストランテ人による暗殺計画〞が成立しなくなってしまうかもしれないのですから。
だからあなたは、取引相手の真意を図る必要があった。
そうなれば、確認する方法はひとつだけ。
自分が直接取引相手であるルーカス――いえ、リュカさんに接触するしかない。
だから舞踏会が始まって半時が経っても宮廷から出ることはせず、逆にうろついてわざと発見された。
自分がトリカブトの紛失について黙秘を続けていれば、いずれ殿下本人が来るか、殿下のいる場所まで連行されると踏んで。
もちろんその場所には、殿下の側付きであるリュカさんがいて、毒殺の用意をしているはずだとも考えていた。
――どうですか? サルテジット伯爵?」
私はサルテジット伯爵に向き直った。
最初に伯母さまから話を聞いた時から思っていた。
どうして今日、この舞踏会で取引を行ったのか。
取引相手のリュカと接点を持つだけなら、わざわざ他人の目がある宮廷内で行う必要はない。
けれど目的から逆算して、毒薬の取引相手が〝ストランテ人〞だと証言されるためには、陛下を暗殺するストランテ人が着ている衣裳を、毒薬の取引相手も着ていたと使用人にも証言させる必要があった。
つまり、証言する必要がある目撃者は、伯爵家の使用人だったのだ。
そして同時に、この推測は王族の暗殺事件に荷担した伯爵自身の身の破滅を意味している。
例え暗殺が成功しようと失敗しようと、毒殺の可能性が出てくれば、先日のトリカブトとの関連が疑われるのは明白だった。
けれど伯爵は今ここにいる。
果たして、どんな思いでこの場所に来たのだろうか。
それまで無言を決め込んでいた伯爵は、不意に口を開いて呟いた。
「……お嬢さんの割りには、口よりも頭が回るようですな」
「褒め言葉として受け取っておきますわ」
まさかここで伯爵が口を開くとは思ってもいなかった。
私が話している間も、ずっと何か別のことを考えているようだったし。
「ほとほと、あなたの勇気と実行力には恐れ入る。
先ほどの毒味は、私でも驚きましたよ。ええ、本当に……公爵の夫人にしておくのは勿体ないほどに」
今さら、先ほどオリバーに叩かれた方の手にひりひりと痛みが生まれてきた。
けれど伯爵のその言葉を聞くうちに無性に怒りが込み上げてきて、いつの間にか強く握りしめていた。
「あなたは、人の命を一体何だと思っているのですか!?」
毒殺がどれだけ卑怯で、どれだけ簡単に命を奪えてしまうのか。
それを学にしている人物だからこそ、赦せなかった。
「……先ほど貴女は彼に言いましたな」
ずっと伏せがちだった伯爵の藍色の瞳が開かれ、そこに私が映し出される。
けれど伯爵は私ではなく、何か違うものを見ているような気がした。
「私も同じですよ〝守りたいものを守った〞。ただそれだけです」
「……それは、一体、どう――」
「殿下っ!」
私が言葉を言い終える前に、リュカが殿下の名を呼んだ。
「――お急ぎください。もうじき、大広間に陛下がいらっしゃる時刻です!」
リュカの言葉の真意を理解したエルドレッド殿下は、馬鹿な、と口に手を当てた。
「まさか……奴ら、舞踏会の最中の大広間で暗殺を謀ろうと言うのか!?」
「はい。〝我が手で我が王の無念を果たす〞と父は言っておりました。
旧王国軍の仲間と共に、会場内で待ち伏せしているはずです」
「今すぐ広間に兵を向かわせましょう!」
ドランバル先生が殿下に指示を仰ぐ。
指示がなければ今すぐに自分だけでも向かうと言葉を添えて。
けれど殿下は首を横に振った。
「待て。下手に兵を向かわせて相手方に勘づかれでもしたら厄介だ。
広間だけでなく宮廷内に混乱を招きかねない」
ならばどうする?
あの手はどうだ?
いやそれでは――
飛び交うだけの言葉。
時間がないというのに、誰も何も解決策が浮かんでこない。
かく言う私もその一人だった。
(考えるのよ、ヴェロニカ。絶対誰にも気付かれずに……国王陛下をお守りする方法を――)
その時、不意に思い出した。
(……気付かれなかった? そうだわ……確か〝あの時〞も気付かれなかった)
それに今捕らえるべきは、亡国の今は亡き王に忠誠を誓った旧王国軍の反革命派の元騎士たち。
――王に忠誠を誓った、騎士……
――騎士……?
「……そうだわっ」
私はいつの間にか思っていたことを口に出していた。
皆の視線が集まる。
「――私に考えがあります!」
そして私は〝彼ら〞に視線を向ける。




