仮面に隠すは祈りと願い【4】
前回から随分と間が空いてしまいました。
あともう少しで終わりです。
◆
「公爵夫人? 一体、どうしたというのです? あの者たちに何か用でも?」
「しっ! 静かに!」
夜の闇が包む宮廷庭園は、等間隔に篝火が用意されてはいるものの、広間やテラスと比べるととても心許ない場所だった。
その薄暗い世界の中を、私は微かな足音を頼りに進んでいく。そしてその後を訝しげにエリオットがついてきていた。
私の態度に何かを感じ取ってくれたのか、エリオットはそれ以上口を出してくることはなかった。
それに第一。
(……ごめんなさい。でも〝夫人、夫人〞ばっかり五月蝿いんだもの!)
これはほぼ八つ当たりだった。
せっかくオリバーへの告白を決心したのも束の間、目の前に現れた重要参考人によって、その決意はあっさりと優先順位を下げた。
けれどこの状況下で見て見ぬ振りはできないし、かといって、やっとわかった自分の気持ちをすぐに心の奥にしまえるはずもなかった。
心の奥でエリオットへ謝罪し、視界の先で右に消える足音に再び神経を集中させる。
昔から耳だけは良かったから、あの声を聞き間違えたとは思わなかった。
先ほどすれ違ったあの人物は、間違いなくあの日聞いた声と同じ人物と同じものだった。
とはいえ、偽善にも似た正義感から動いたものの、このまま後をつけたとしてどうするかなんて、何ひとつ考えてはいなかった。
(今から会場へ戻って、伯母さまを捜す?)
いや。伯母さまを連れてここへ戻って来るまでの間、件の人物たちがいなくなっているのは十分に有り得る。
だとしたら。
(今は少しでも手掛かりを集めなきゃ……)
後で何を訊かれても答えられるように、気になったことは覚えておかないと。最低でも賊の人数は知っておきたい。
そう思って、曲がり角を曲がった、その時。
ぱきっ。
(あ、やばい……っ)
私は足元の枯れ枝を踏んでしまったようで、高い小さな音が小さく響いた。
「誰だっ!?」
前を歩く影が、こちらを振り向いたのがわかる。
私は心臓が止まったように息一つままならず、全身から血の気も引いていた。
頭の中は、文字通り真っ白になって――
「暫し、この場は私にお任せください。レディ」
「ひゃうっ」
けれど。
先に動いていたのは、エリオットだった。
突然耳元で告げられたその言葉のせいで、小声とはいえ、変な声が出てしまった。
私はその素早い動きに付いていけず、気付けば優に成人男性の背丈を軽々と越える庭園の茂みに身体を押し付けられていた。
そしてそこに、エリオットの身体が重なる。
あと少しで唇と唇がついてしまいそうなほど、寸でのところで止められる顔。
いくら薄暗がりとはいえ、互いの顔がはっきりと確認できてしまう距離だった。
そんな私に構うことなく、今度は周囲にも聞こえるようにエリオットは声を上げる。
けれどその声音はそれまでのものとは違って、艶としていた。
「〝例え貴女のすべてが私の物でなかったとしても、今宵、今この時だけは、その唇は私だけの物と思ってもよいのでしょうか?〞」
吐息が顔にかかってくすぐったい。
けれど、それよりも。
(こっ、この人、何を言ってるの……っ)
何と言う歯の浮くような台詞を、こうも事も無げに言えるのか。
私は口をぱくぱくとさせながら、エリオットの続ける言葉を聞くことしかできなかった。
「〝可愛い人だ。叶うなら、唇以外も奪ってしまいたい〞――」
そう言ったと思うと、近いはずの顔がさらに近付いた。
これは、端から見たら明らかに口付けをしているようにしか見えない。
(オリバー……っ)
思わず私は目を瞑り、心の中で叫んでいた。
「……」
しばらくの沈黙が流れる。
そして歩き出す音。
どうやらエリオットの捨て身な演技が功を奏したのか、あの男たちは良い意味で誤解してくれたようだ。
茂みに押し付けられていた身体が解放され、エリオットが安堵の溜め息を漏らした。
「なんとか誤魔化せましたね」
「……はい。でも、さっきのはいくらなんでも……」
お陰で助かりはしたけれど、これを知り合いに見られでもしたらなんて言い訳をしようか、なんてことまで考えてしまった。加えてあんな台詞まで。
「おや? 夫人のお気には召されませんでしたか? 今巷で話題の歌劇のワンシーンだったのですが」
「……存じ上げませんでした」
なんだ。歌劇の一部だったの。
私はほっと胸を撫で下ろした。
「まあ、とはいえ本来の仮面舞踏会なんて、一夜限りの男女の出会いの場でもありますからね」
「……」
この男は、何てことをさらりと言うのか。
平然と言ってのけるエリオットの態度に嫌味の一つも言いたくなった。
「歌劇の台詞とはいえ、あんな咄嗟な場面で出てくるなんて、普段から相当慣れてらっしゃるんですね」
「それほどでも。お褒めに預かり光栄です」
「……」
私の中の〝エリオット=ガーデン〞像が音を立てて崩れ落ちた。
もっと落ち着いた、洗練された紳士的な方だとばかり思っていたのに……
理想を崩壊させられたせいか、彼の一挙手一投足にまで警戒の目を向けてしまう。
けれどそんな私の態度はエリオットに笑われてしまった。
「ははは。そんな人攫いを見たような顔しないでください。ご安心を。今より以降、あなたには指一本触れないと誓います」
「《誓いの女神》の名において」とまで言われて驚いたけれど、それよりもその後に紡がれたエリオットの言葉に耳を疑った。
「そもそも、あれだけ揃いの衣装で来られた上に、二人で踊られたのであっては、手の出しようがありませんからね」
「…………はい?」
エリオットの言葉が意味する人物は一人しかいない。
(そういえば――……)
前にマーガレットへ注文していた時点では、オリバーの衣装は違うものだったことを思い出した。
「無礼講であるはずの仮面舞踏会で、ああも公に自分のパートナーだと宣言している相手にちょっかいを掛けられるほど、エインズワース公爵家の名前は安くないということですよ」
「どうして……」
確かに言われてみればそうだ。仮面舞踏会なら、わざわざ夫婦の衣装で意匠を合わせる必要はない。
それぞれの趣向を盛り込むのなら、夫婦でも好きな意匠にすればよいのだから。
「まあ、あの方も愛する新妻をこんな野獣たちのいる中へ置きたくはなかったでしょうがね」
とんでもない爆弾発言を残して、エリオットは先へ行ってしまった。
残された私は頭の中で整理する。
――待って。
(まさか……あの人が変更させたの?)
オリバーがマーガレットへ言っていた〝急な要望〞というのは、もしかして……意匠の変更のこと?
でも、どうしてそんなことをする必要が……?
(私をリリカとの隠れ蓑として扱うなら、そこまで気を配る必要がある?)
エリオットの言葉が脳内で反芻される。
『まあ、あの方も愛する新妻をこんな野獣たちのいる中へ置きたくはなかったでしょうがね』
(愛する、新妻? 誰が愛する? えっ、はい? 私のこと?)
どうしよう。思考が上手く回らない。
自分の都合のいいように考え始めている。
落ち着け、冷静になれ、私の頭。
――今はそんなこと考えている場合じゃないでしょう!?
文字通り頭を抱える羽目になった。
「――どうやら、彼らの目的地に着いたようですよ」
エリオットが左手を挙げて制止を促す。
角となっている茂みの影から覗いて見ると、そこには片手では収まらない数の影があった。
ここからでは遠すぎて数まではわからなかったものの、両手を越える人数がそこにはいた。
「どうやら、ストランテ訛りのようですね」
「ストランテ訛り?」
さすがにこの距離から会話を聞き取るのは無理だと思っていた私は、エリオットの言葉に二重の意味で驚いた。
けれど隣のエリオットは、静かに目を閉じながら闇の向こうに耳を傾けている。
「クウェリアもストランテも、今では共通語が主流ですからね。差ほど違いはありませんが……〝武器〞?」
途端、エリオットのその声に不穏な色が混じった。
私たちの間に緊張という名の静寂が走る。
「〝片翼のユシュヌエル像の前の茂みに〞、〝受け取ったものを〞……?」
エリオットが事態をどのくらい重く受け止めているのか、その表情からは計り知れなかった。
けれど、聞き取った言葉の信憑性を、あろうことか隣にいた私に求めて来た。
その視線の意味は、訊かなくてもわかる。
「あなたはこれをご存じだったのですか?」
「……ははは」
「笑い事では済まされませんよ、公爵夫人。これをあのお方がお知りになったら……」
「どうしてここで、あの人が出て来るんですか!?」
私の口の前にエリオットの人差し指が立てられる。
「静かに……とは言えこれは、捨て置く状況ではありませんね」
「ええ。だから早く――」
「ひとまず、貴女はここにいてください」
「えっ? ちょっと!」
「くれぐれも、これ以上厄介事には興味を示されませんように。良いですね? レディ」
エリオットは静かに立ち上がると、そう言い残して違う方向へと姿を消してしまった。
どのくらい時間が経ったのだろう。
けれどどれだけ待とうと、エリオットはおろか、件の男たちがこちらへ来ることはなかった。
茂みの向こうに別の道があるのかもしれない。
(……もういい加減、出ていってもいいわよね?)
人がいる気配もないし、ここでじっと待っている暇もない。
あんな現場を目撃してしまった以上、陛下と殿下の命が危ないのだ。
もしかしたら、広間にいる招待客たちにも危険が及ぶかもしれない。
矢も盾も堪らず、茂みから顔を出してみると、先ほどまで人の気配があった場所には案の定誰の姿もなかった。
恐る恐る、茂み伝いに移動する。
その場所は、四方に開けた小さな広場となっていた。
四方に囲まれた茂みの壁の前にはベンチが一脚ずつ置かれ、広場の中央には〝片翼の天使像〞が建っている。
(この場所って――……)
私はこの場所に見覚えがあった。
胸をくすぐる懐かしさの正体に気付いたその時。
「っ!?」
背後から布のようなものを鼻と口に押し当てられた。
振りほどこうにも、押さえ付ける力が強すぎて到底敵わない。
かろうじてわかったのはその手にはめられた手袋と、刹那僅かに嗅いだことのない何かの香り。
けれどその香りと共に一息その布越しから息を吸っただけで、意識が持っていかれるような眠気が、一気に沸き起こってきた。
腕にも、だんだんと力が入らなくなる。
(そう、だわ……っ)
私は咄嗟に思い付いた考えを実行するために、力を振り絞って胸元のドレスの〝それ〞に手を伸ばした。
まるで微睡みの中にいるような気分だった。
(そういえば、あの場所って……)
倒れる直前に気付いたこと。
あそこは二年前のデビュタントボールで踊る気力がなかった私が一人逃げ込んだ場所でもあり、初めて彼と出会った場所だった。
(あの時は、名前もわからない人だったけれど……)
その人は、今では夫となっていた。
――ヴェロニカ。
名前を呼ばれた気がした。
それも、とても大切な人に。
「おい! しっかりしろ!」
私の意識を水底から呼び戻したのは、耳元に響く低い声だった。
頬には何かひんやりとしたものが当たる感覚。気持ちいい。
ぼんやりと開いた視界は、とても薄暗かった。
そうだわ。確か私はテラスから庭園へと向かう男たちの跡をエリオットと共に追って――……
「ん……っ」
頭が痛い。まるで階段から転げ落ちた時のように、ぐわんぐわんと目眩もする。
頭を押さえながら自分や周囲の状態を確認すると、どうやら私は、ベンチの上で眠っていたらしいと気づいた。
そして。
「……大丈夫か?」
目の前に、オリバーがいた。
「あなた……どうしてここに?」
「それはこちらの台詞だ。広間のどこを探しても見当たらないから、ブレスに向かいそうな場所の目星を聞いた。
そうしたら、このベンチに……」
言葉尻が聞き取れなかったが、私を探しに来たというらしかった。
オリバーの背後には、リリカとニコラスが揃って控えている。
三人とも、私に対して三様な反応を浮かべていた。
オリバーに支えてもらいながら身体をベンチから起こすと、自分の服の上から掛けられたそれに気づいた。
それは、彼の上着だった。
「あ、ありがとうございます……」
「あ、ああ……」
一瞬だけ、エリオットの言っていたことが頭を過った。
けれど、それよりも倒れる寸前のことを思い出して、私は声を上げる。
「陛下と殿下はまだご無事!? 舞踏会は続いているの!?」
「何のことだ?」
「あの人――エリオットから何か聞いていないの!?」
エリオットの名前を告げた途端、オリバーの眉間に皺が寄ったのがわかった。
敬称をつけていなかったことに後悔を覚えたが、人命の前には多少の無礼は許してほしい。
「……何を言っているんだ。落ち着きなさい」
「私は落ち着いているわ。それよりも早くしないと、陛下たちが危ないの!」
まだ舞踏会は続いている、ということは襲われてからさほど時間は経っていないということ?
こんな時、エリオットは何をしているのか。なんのために先に場を離れたと言うのだろう。
「君は本当に……何を言っているんだ?」
状況を把握できていないオリバーは、私を困ったものでも見るような視線を向けるばかりだった。
困らせたくなくても、本当のことなんだもの。仕方ないじゃない。
意を決して息を呑み込み、オリバーの視線に目を合わせた。
「自分が何を言っているのか、私が一番わかっています。もし万が一にでも間違いでしたら、この命でお詫びします。だから、私を信じてください!」
「……わかった」
私の必死さが伝わったのか、オリバーは静かに頷いた。
王太子殿下の居場所に心当たりがあるというオリバーに道案内してもらいながら、私は手短に先ほど見た光景を伝える。
その間オリバーは道案内以外は口をつぐみ、黙ったまま私の(しどろもどろだったかも知れない)説明を聞いていた。
それは後ろから続く、リリカとニコラスも同様だった。
王宮の中を進んで辿り着いた、とある扉の前。
大人三人が並んで入れそうな幅を持つ木目調の扉には、凝ったレリーフが幾重も施されていた。
「ここは?」
「王族専用の貴賓室だ」
オリバーがノックをすると、「どうぞ」という返事が中から聞こえた。
彼が扉の金縁の取っ手に手を掛け、開く。
私はその後ろで息を整えた。
「失礼します」
「し、失礼します……」
開け放たれた扉に刹那戸惑ったものの、先を行くオリバーに続いて入室する。
(王太子殿下は、一体どんなお方なのかしら?)
こんな非常事態ではあるけれど、純粋な興味が湧いてくるのは抑えられなかった。
「なんだ、お早いお戻りだな……って、どうした? そんなに血相変えて」
どこかで聞いたことのある声だった。
オリバーの背が陰となっていたため、ひょこっと顔を出してみる。
そこには貴賓室のソファに腰を掛ける、庭師の仮装をした青年が優雅に白磁のカップに口を付けていた。
「あなたは……っ」
その青年は、先日宮廷で出会った青年その人だった。
ばっちり、青年と視線が合う。
事態を理解できない私をよそに、オリバーはその青年へ向けて一礼した。
「妻がお騒がせし、申し訳ございません。エルドレッド殿下」
――は?
「いや、別に構わないさ。それに渦中の夫人もご一緒だとはね」
――ちょっと待って。
「こうして話すのは初めましてだね。エインズワース公爵夫人」
庭師の仮装をしてウインクをする青年は、あの日と同じ。
「あなたがエルドレッド殿下だったの!?」
「っ!? 殿下相手に――」
焦っている様子のオリバーに、エルドレッド殿下が手を挙げてその言葉を止めた。
「いいよ、オリバー。夫人には、先日の件についての詫びがある。あの時身分を明かさなかった俺の方に非があるんだから、彼女を責めるのは筋が違う」
ソファから立ち上がり、こちらへと歩いて来られるエルドレッド殿下。
「改めて、私はクウェリア王国第一王子エルドレッド=グレン・クウェリア。本日はお会いできて光栄です、エインズワース公爵夫人」
そっと手を取られ、その甲にキスをされた。
「本来ならばこちらから謝罪に行くべきところを、貴女に出向かせてしまい申し訳ない」
「めっ、滅相もないことです! 私の方こそ知らずとは言え、非礼の数々お詫び申し上げます」
これ以上、言葉が出て来ない。
口をパクパクとさせている私に殿下はにこりと微笑むと、私たち二人を呼んだ。
「せっかく来たんだ。ゆっくりして行ってくれ」
好意をむげにするわけにもいかず、私たちは殿下に案内されるがままにソファに座らされてしまった。
エルドレッド殿下は後ろに控えていた青年に振り向いて告げる。
「ルーカス。さっきお前が持ってきたワインとチーズを二人に――」
「殿下。お二人は何か殿下にお話があるご様子。僭越ながらここは、コーヒーをお出ししてはいかがでしょう」
ルーカスと呼ばれた青年は、その翡翠の瞳を伏せながら殿下に進言した。
殿下は「確かに。それもそうか」と頷いて、私たちに言葉の続きを促した。
「それで? 夫婦揃って仲直りの報告に来たって感じではなさそうだけど、何かあったのか?」
(……仲直りって?)
殿下の仰っている意味がわからず、私は首を傾げる。
すると隣のオリバーがこほんと咳をした。
「ええ。火急な用件で、殿下と陛下にお伝えしたいことが」
「父上にも?」
オリバーの『火急』という言葉に反応したのか、殿下の眉がひそめられた。
「ルーカス」
「恐れながらただいまの時間ですと、国王陛下は別室にて大公国使節団の方々に接見されている頃かと」
殿下の言葉を汲み取ったルーカスが、懐の懐中時計を取り出して告げる。
「という訳だ。しばらく父上は使節と込み入った話をされているだろうが――それよりも火急な用件だと?」
「人命に関わることです」
「……ほう?」
私はというと二人の会話に入るでもなく(そもそもそんな余地はなかった)、場違いな空間の中でソファに静かに座っていた。
すると目の前のテーブルに、白磁のカップが置かれる。
視線を上げると、ルーカスが微笑みながら優しい声で言った。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
簡素でいて外側には小柄な花の絵が施されているカップには、見たことないくらいの黒色の液体が注がれていた。
一目見て、紅茶ではないことが理解できる。
「……こ、これは……?」
息を呑んだことが気付かれないように、ティーカートのポットから飲み物をカップへと注いでいたルーカスにそれとなく尋ねる。
ルーカスはオリバーの前に私と同じカップを置きながら答える。
「〝コーヒー〞と呼ばれる飲料です」
「夫人は、砂糖を入れた方が飲みやすいかも知れないね」
そう言って、殿下がテーブルに置かれていたシュガーポットを差し出した。
言われるがまま、黒色の液体の中に角砂糖を二つ沈めてみる。
「コーヒー……初めて伺いました」
「そうかも知れないね。主に栽培や流通は共和国なんだ。先日貰い受けてね」
少し混ぜたあと、恐る恐るカップを持ち上げ、口許へと運んだ。
香ばしいようでいてフルーティーな香りが鼻腔を擽る。
口に含むと、砂糖で緩和された中に苦味も確かに感じ、一瞬吃驚した。
「……」
未知の飲料を嚥下した私を、全員が見ていた。
なぜか驚くオリバーに、笑顔が満開のエルドレッド殿下。果てはコーヒーを淹れた本人であるルーカスでさえ、神妙な面持ちになっていた。
「な、なんでしょう?」
「どうだった?」
味の感想を聞かれているのだろうか。
「はい。味わったことのない、とても新鮮な味でした。
……味は確かに苦味の方が強かったですが、スッキリとしてあとを引かないというか……香りも芳ばしさと瑞々しさとが一緒に感じられて。
紅茶よりも、香りが強いのですね」
「そうだろう!」
エルドレッド殿下は頷いた。
「紅茶の茶葉も香りはいいが、コーヒー豆には及ばないと私は思っている」
「豆? 茶葉ではないのですか?」
純粋な疑問に、私は首を傾げる。
殿下の指示で「こちらです」とルーカスがティーカートに載せていた小さい麻袋の中身を見せてくれた。
その中には、一粒が小指の爪ほどの大きさの黒い豆が沢山入っていた。
「これがコーヒー豆……」
加えてルーカスはティーカートの上にあった器具とその使い方を教えてくれた。
その器具――ミルと呼ばれるものらしい――は台に乗ったすり鉢の蓋の部分にくるくると回す取っ手のようなものがついていて、蓋の開閉部分にコーヒー豆を入れて挽くらしい。
ミルの中に残っていた粉からは、微かに嗅いだことのある香りがした。
粉になったそれを目が細かいフィルターを用いて、湯を注ぎながら抽出するのだそうだ。
(共和国産ということは、お祖母さまも飲んだことがあるのかしら?)
そう思うと、同じ異国の地に辿り着いたこの飲み物に親近感が湧いてくる。
「我が国では今のところほとんど出回っていないが、運河ができれば輸入は今より容易になるはずだ。他の交易も期待できるところは多々ある」
親しげに話す中に、確かに統治者としての面影があった。
「それまでに、我が国で広く認知され、受け入れられる必要があるんだけどね」
そう付け加えた殿下の視線は、なぜか隣のオリバーに向けられていた。
彼の前にあるカップが手を付けられていなかったからだろうか。
「あなたは飲んだことないの? 美味しかったですよ」
「……いや」
なぜか言葉を濁される。
「そんなことより、事態は火急だと申し上げたのです。真面目に聞いてください」
「真面目な話をしていただろう? 共和国との関係は今後も重要な課題のひとつだ」
(……共和国?)
先ほどから感じていた違和感の正体がわかった。
――もしかして……
その時、貴賓室の扉がノックされた。
このようなご時世ですが、みんなで一緒に頑張りましょう。
それでは、また次回。




