二兎追うものは一兎をも得ず【1】
初投稿です。更新は毎週できたらいいな。よろしくお願いいたします。
【2020/8/1:修正】他の投稿と合わせるために改行と文体に手を加えました。
私は今、世間でいうところの、離婚の危機に瀕している。
いや、私にとっては『やっとここまで漕ぎ着けた』という表現が正しいだろう。
朝からことの顛末を訊きに来た伯母、マリアンナ=デルフィーノの尋問から解放され、私は安堵の溜め息を吐いた。
「ヴェロニカ様、このあとはいかがなさいますか?」
すっかり冷めたカップの紅茶に口を付けていると、後ろに控えていた侍女のリリカが私の名を呼んだ。
「そうね。せっかく久しぶりに外に出たのだし、どこか寄り道して帰りましょう」
席に座ったまま伸びをし、周りを見渡す。
伯母さまに呼び出されて、都の大通りに面するレストランに出向いたのは、午前中のこと。
それから丸々半日、伯母さまからすっかりこってり問い質され、今に至る。
今はお昼時というよりは、おやつ時を少し過ぎたくらいだ。
けれど営業時間真っ只中だというのに、店の中は店員以外、利用者は私たち二人しかいない。
それもそのはず。伯母さまが人払いをするため、午前から夕方まで店を貸し切ったというのだから。
まあ、この店のオーナーであり女侯爵のマリアンナ伯母さまだからこそ、できる暴挙よね。
その本人も、執務が残っているからと、つい今しがた帰路についた。
残された私は、先程まで伯母さまへの泣き落としに使っていた小道具である木綿のハンカチーフを綺麗にたたみ、リリカに預ける。
何か言いたげなリリカに、私はウィンクをして笑いかけた。
「ね、上手くいったでしょう?」
「……本当によろしかったのですか?」
不安を顔に描いたように、リリカの眉が歪んでいる。
私が七歳の時から共に過ごし、紆余曲折あったにも関わらず、嫁ぎ先にもついてきてくれた使用人でもあり友人でもあるリリカ。
彼女の薄緑色の瞳の奥はいつだって、私の心配をしてくれる。
「今回ばかりは、伯母さまの力を借りないとね」
「もう決めたことだから」そう付け加えると、彼女の眉が少し綻んだ。
「外に出る前に、目元を直しませんと」
リリカから差し出されたコンパクトに映る自分の顔を見て、私はあらと声をあげた。
目元から頬の白粉が落ちてしまっていた。特に目元は少し赤くなっている。
演技とはいえ、実際に涙を流していたために、化粧が落ちてしまったようだ。
「お直しは私が」
お店の化粧室を借り、化粧台の前に腰をおろした途端、どこから取り出したのか、リリカは化粧道具を両手にしていた。
「じっとしていてくださいね、ヴェロニカ様」
リリカに微笑みかけられ、微動すらしないこと数分。目元の赤みや落ちた白粉の痕跡は綺麗さっぱりなくなっていた。
いつ見てもリリカのこの技だけは真似できない。特段、不器用というわけではないのだけれど、以前リリカの真似をして自分で化粧を施してみたら、見るに耐えない結果になった。
私が田舎娘から国の政務を担う三大公爵が一門、エインズワース家の公爵夫人になれたのも、一重に彼女の技量がなければなし得なかったことだろう。
まあ、今となっては皮肉な話だけれど。
それからリリカと王都の目抜通りを抜け、中央広場へと向かった。
広場の中心には市民の憩いとなるであろう噴水が、広場と車道の間は新緑繁る垣根で区切られている。
人生で二度目の王都観光。
確か以前訪れた時は春で、広場側に植えられた街路樹の黄色い花びらから甘い香りがしていた。
あの時は小さな屋敷一つが丸々入ってしまいそうなほど大きな広場の造りに驚いていたものだけれど、まさか田舎娘の私が王都の中心部をこうして歩くまで玉の輿に乗れるとは思っても見なかった。
「あれから二年か……まさか私が公爵夫人だなんて。笑えないわよね」
ことの発端は二十年前――ようは私の両親が出会って互いに恋に落ちた時まで遡る。
父と母はいわゆる貴族と町娘の間柄で、父は母と一緒になるために家族や侯爵家の家督をすべて捨てるという、いわば駆け落ち、貴賤結婚の道を選んだ。
その後、実父である侯爵が自分たちを探しているという噂を聞き、遠く離れた隣国に移り住んだ二人は、そこで私を産み育てた。
転機は私が七歳の時。病を患った母を案じ、治癒の力を持つことで有名な『水女神の加護地』と呼ばれるブロントに家族で引っ越してきてからのこと。
父の姉と名乗る女性が我が家を訪ねてきたのだ。
父と同じ金髪に紺碧の瞳。立ち居振舞いもすべて貴族と言われたら納得してしまうその姿に、私は一目で惹き付けられた。
私の伯母と名乗るその人は、自分が侯爵家の家督を継いだ後も二人の行方を探していたこと、二人を探していたのは制裁を加えるためではなく、保護するためだということを告げた。
どうやら、母の生家ラマンティ家は亡国ストランテの没落貴族であり、王家の末席の血を引く母は、世が世なら公爵家にも匹敵する家柄だったらしい。
折しも、当時住んでいたブロントはストランテ革命時の過激派が多く流れてくる街ということもあり、伯母さまとしては大事な弟とその嫁をおいておくわけにはいかなかったというわけだ。
そんなこんなで私たち一家は父の故郷クウェリアに戻ることになったのだけれど、なぜか伯母さまは私に一つ条件を出した。
『七年間修道院に入り、礼儀作法を身につけること』
まあ、曲がりなりにも貴族の血を引いている娘が、田舎娘と同じ素行ではこの先不安も多かろう。
私は伯母さまの言い付け通りに国内の修道院へ入り、そこで貴族の礼儀作法を学んだ。
もっとも、今考えれば両親がその道の出自だったことから、ブロントで暮らしていた時も必要最低限のマナーは学んでいたんだと思う。
けれどそんな両親も、約束の七年目が目前に迫っていた三年前の冬に流行り病で亡くなり、身寄りがなくなった私の後見人には伯母さまがなってくれた。
(……我ながら、波瀾万丈な人生よね)
結局、伯母さまに我が儘を言ってもう一年だけ修道院に残ることができた。
その一年間は図書館の読み飽きた本をもう一度読み、隣接された孤児院の子どもたちの相手をし、修道院の奉仕活動に勤めるという、それまでの七年間と同じことをして過ごした。
そして八年間の修道院生活から解放された十六歳の春、伯母のディルフィーノ女侯爵の迎えで、私は王都にやってきたのだ。
――私の結婚相手を決めるために。
わかってはいた。
元田舎娘とはいえ、その実は侯爵家の血を引くご令嬢。
けれど侯爵の爵位を継がせようにも、伯母さまには既に十歳になる嫡子アルフレッドがいる。
そうなれば、私はどうしたって邪魔者だ。
そんなカードの行き先は、子どもでもわかる。
良家の子息の許へ嫁がせ、家柄同士の結び付きを強める手札。
そのための八年間、私は修道院で暮らしてきた。
そう、頭ではわかっていた。
この十八年間を振り返ると、それなのにどこか他人事、実感が湧いてこなかったのは、私が流されるままにすべてを受け入れていたからだと思う。
あの冬の日。突然訪ねてきたリリカから二人が流行り病で亡くなったと聞いた時、何もかもどうでも良くなってしまったのかも知れない。
とはいえ、このまま嫁ぎ先もなく行き遅れになり、再び修道院へ戻ることになると伯母の顔を潰すことになる。
名門のしがらみにまんまと巻かれながら参加した王宮の舞踏会で、私は運命的な出会いを果たす。
後に夫となるエインズワース公爵家当主、オリバー=エインズワースと。