第1話 ハダカの女の子が空から降ってきてクレーターを形成する確率はどのくらいですか?
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その出会いが偶然の産物だとしても、
結果は、必然で満ちていた。
その別れが運命の悪戯だとしても、
道程は、奇跡に溢れていた。
※ ※ ※
「なん……」
自由都市。
泉の森、入り口付近にて。
少年はその場に座り尽くしていた。
目の前にはクレーターがある。
クレーターの中心では煙がもうもうと上がっており、それがつい先ほど形成された物だということを示していた。
周囲には、物体の着弾により粉々になった木片が散らばっている。
木片の他に所々、銀に光る何かが見受けられたが、少年にはそんな物を気に留める余裕などなかった。
少年が地面に寝っ転がって夕焼け空を見上げていたら、えらくゆっくりな流星が流れてきたので、それをぼんやりと見つめていた。
すると、流星がだんだんと大きく、光量を増していく。
――うん? なんだかおかしいぞ?
そう思った瞬間、流星かと思っていたそれが少年のすぐ近くに落ちてきた。
そしてその爆風で吹き飛ばされ、呆然となっていたというわけである。
あと十メーテル落ちた場所が違っていたら、今頃は彼がバラバラになっていただろう。
「僕の、家が」
けれど、少年は自分の命よりも自分の家屋が吹き飛ばされたことの方に衝撃を受けていた。
雨風をしのぐ以外の機能性が存在していないような、貧相極まりないボロ屋。
そもそも家にしようと思ったのはついさっきだが、それでも愛する我が家になる予定だった。
「これからどうやって暮らせば……」
悲壮な声音と共に、少年が両手膝を地面についた。
命よりも家が大事、ということではない。
あと少しで自分が砕け散っていたという事実に辿り着いていないだけである。
「……ん?」
四つん這いになっておいおいと涙を流していた少年だが、異変に気がつき顔をあげる。
「光って、る……?」
煙がもうもうと舞い上がる中、クレーターの中心が白い光を放ち始めている。
小屋の中に光るようなものはなかったはず。というかそもそも何もなかった。
あったとしても、小屋の中の物は小屋もろとも全て粉々になっている。
つまり、飛来した物が光っているということ。
けれど、煙でよく見えない。
少年は勇気を出してクレーターに近づいていき、必死に目を凝らして光の正体を暴こうとする。
「うん……んんんん?」
そして、中心にたどり着いた少年が不意に声をあげた。
信じられない物を見たような声。
事実、それは信じられない物だった。
少年の目の前で光が渦巻いていく。
渦巻いていくなか、光が段々と形を成していく。
結果、それは人の形になり−−−−
「−−−−−−−−へ?」
少年の上に少女が覆い被さってきた。
ハダカで。
「わぁぁぁぁぁあ!?」
慌てふためきつつも、少年は咄嗟に少女を抱きとめる。
「!? ……おっっっっっっもっっっっっっ!!」
だが、少女の華奢な身体からは想像もつかない重量に耐えきれず、少年はたまらず膝をついた。
ゴスンと聞いたことのない音が膝から聞こえる。
めっちゃ痛い。
「う……ぉぉぉっ!」
涙目になりながらも、必死に身体をよじり、なんとか潰されることなく少女を地面に寝かせることに成功する。
それだけで一気に体力を使ってしまい、少年は仰向けに寝転がったまま荒く息を吐く。
「ナニコレ、なんで煙の中から女の子が!? めちゃくちゃ重いしハダカだし!?」
思考がぐるぐると渦巻くが、文句を垂れていてもしょうがない。
何かわかることがないか、と起き上がり少年は魔眼を発動し、能力情報を参照しようとして、
「……わあ」
白い背中とお尻が見えた。
そういえばハダカだったじゃん、と少年は上を向き、
「うん!?」
ありえない物が見えた気がして、すぐさま視線を下に戻した。
魔眼を通して、少女の能力情報が再び視界に表示される。
名前:御薬袋 ククリ
種族:該当なし
精神:再
筋力:450
体力:470
敏捷:510
魔力:000000
スキル:死〈20001〉
上から下まで、三回見直す。
ついに魔眼が壊れてしまったのかと思いグシグシと目を擦る。
だが、表示に変化は無い。
「こ、これは……」
唖然と呟いた少年の視界に表示された能力情報。
「……何もわからない」
それは常軌を逸して、意味不明だった。
一、名前が読めない。ただ、下のククリという文字は読める。
二、種族が該当なし。
三、精神の再。こんな表示は知らない。
四、魔力が0しか表示されていないにも関わらず上限突破している。身体能力の数値こそ平常だが初め見たときはおかしかった気もする。
そして、極めつきが五。
「スキル持ちだし!? っていうかこんなスキル、見たことないんだけど」
死。
ただそれだけ。たった一文字だ。
何とも男前なスキル、と言いたいところだが目の前にいるのは女の子だ。
「なんか数字ついてるし……」
おまけに、20001という表示がされているのが一層の意味不明さを出している。
一から十まで、正確には一から五まで、徹頭徹尾が理解不能で意味不明。
「誰がどう見てもヤバいな。うん、これはヤバい。ヤバいわ」
自分にはお手上げだ、と結論を下して少年は立ち上がる。
早くこの場を立ち去ったほうがいい。
どこに、とまではわからないが、とりあえずすぐにこの場を離れたほうがいいと直感が告げている。
そして、その直感が当たっていることを少年は次の瞬間に気づかされた。
少年が立ち上がるのとほぼ同時に、少女が目を覚ましたのだ。
「――――はっ!?」
奇怪な声をあげながら、少女が跳ねるようにして立ち上がる。
そしてそのまま少年の顎に、少女の脳天が直撃。
「ごっ……〜〜〜〜!」
突然の衝撃とあまりの痛みに少年は声も出せず、悶絶しながらのたうちまわる。
「〜〜〜〜! 何するん……」
ようやく痛みが引き、少女に怒ろうとして少年が起き上がる。
けれど、人は目の前に裸体があると怒りなぞ簡単に吹き飛んでしまうものらしい。
「な……」
ハダカのまま呆然と立ち尽くす少女に、少年は顔を真っ赤にしたまま固まってしまう。
「…………」
目を覚ました少女が無言で少年を見下ろしている。
「え、な……」
無遠慮に、無感情に、無機質に見つめてくるその視線に少年は得体のしれない警戒心を抱く。しかし、次の瞬間、
「見つけたーーーーーっっ!?」
少年を指差して叫び、飛びかかってきた。
「なっ!? どういう――ぐえっ」
あっという間に組みつかれて羽交い締めにされてしまう。
「絶対に逃さないから! 嫌でもわたしの言うことを聞いてもらうよ!」
「いや意味がわからないんですけど!?」
腕を動かそうと試みるが、少女はびくともしない。少年が何とか抜け出そうとすると、「暴れるなー!」と身体を押し付けてくる。
カチャリという音と共に硬い感触が一つ。
むにょん。
柔らかい感覚が二つ。
「……」
思わず押し黙ってしまったが、その感触で少年は重大な事実を思い出し、少女に訴える。
「ちょっ、服! 服着てない! ハダカだよ!」
「……?」
顔を真っ赤にしながら両手をわちゃわちゃと動かす少年に、何を言っているのかわからないと首をかしげながら少女は自分の身体に視線を落とす。
そして、思いっきり腕を振りかぶると、
「キャーーーーーーーッッッッ!!!!」
「ぶへぇっ!」
思いっきり、ぶたれた。
※ ※ ※
十分後。
「ほんっとうにごめん! わざとじゃないの! 信じてほしい!」
わずかに煙が残るクレーターの中心では、少女が少年に向かって謝り倒していた。ちなみに服は着ている。
赤い宝石のペンダントを少女が握りしめると、次の瞬間には少女の身を服が包んでいた。
意味がわからなかった。
「……いや、別に。大丈夫だよ、ホント」
たどたどしく答える少年の頬から首筋にかけて、見事な張り手の痕がある。
叫び声をあげた少女が後ろから少年をぶってしまい、それについて必死に謝罪をしていた、ということである。
「それよりも、なんでハダカだったの」
「え? 一番最初にそれ聞く?」
「だって気になるものは気になるじゃんか! いきなり空から何か降ってきたと思ったら裸の女の子でしたなんて意味がわからないよ! 能力情報だって意味がわからない情報しかないし! キミは一体なんなのさ!」
「べ、別にハダカで落ちてきたってわけじゃ! ……あ」
一気に捲し立てて荒い息をつく少年に、少女は困惑しながら答えようとして、ふと思い出したように声を漏らす。
「そういえば、お互いまだ自己紹介してないね。あなたの名前はなんていうの?」
「ん? 僕の名前? 僕はトーヤー。トーヤー・ガルニウスだよ」
「トーヤー……。素敵な名前ね!」
「あ、ありがとう」
屈託のない笑顔と共に言われ、少年は照れて頰を掻く。
「でも呼びにくいからトーヤって呼ぶことにしよっか!」
「素敵な名前って言った直後にニックネームにするんだな!?」
今さっき褒めたのはなんだったのかと、トーヤが目を剥きながら吼える。
「だって呼びにくいんだもの。トーヤの方が呼びやすいよ!」
「う、うう〜ん。別にいいけど……」
さも当然のことのように言われるとなんだか言い返す気もなくなってしまう。
代わりに首を捻りながら、「僕の名前って呼びにくいのかな……」とトーヤが考え込んでいると、今度は自分の番だと少女が仁王立ちで名乗りをあげる。
「次はわたしの番ね! わたしの名前はミナイ・ククリ。ぜひククリちゃんって呼んで!」
「あぁ、アレでミナイって読むのか」
「……?」
ククリの要求をサラッとスルーして一人納得するトーヤに、なんのことだか分からないククリが首を捻る。それに気づいたトーヤが自分の目元を指指しながら、ククリに説明する。
「僕、生体眼っていう魔眼で、視界内に入った生物の能力情報を見ることができるんだ。それでククリの名前が出たんだけど名前が読めなくってさ。わかってよかったよ」
しかし、トーヤの説明を受けても、ククリは未だ首を傾げたまま唸っている。
「どうしたの? 何か分からないことでもあった?」
「すてーたす、って何?」
「……は?」
信じられない発言を聞き、トーヤは固まった。
「ククリ、能力情報のこと知らないの?」
「う、うん」
「嘘だろ……。どんだけの田舎で暮らしてきたんだ……?」
信じられない、とトーヤは呻いてしまう。だが、嘘をついている様子は見られない。
黒髪に黒目、見たこともない服装から察するにこの辺りの人ではないのだろう、とトーヤは推測する。
「な、なんかごめんね?」
「いや、大丈夫。とりあえず能力情報については話しておいた方がいいね。というか、何を知ってて何を知らない、とかはわかる?」
トーヤの問いに、ククリはまたも唸ったのち、固まる。
「……全部?」
「全部、わかる?」
「わからない」
「ですよね〜……。どうしたもんかな、ほんと」
あまりの手のつけようのなさに、トーヤは空を仰ぐ。
ククリについてトーヤは何もわかっていないのに、ククリ自身が能力情報の存在すら知らない超がつくほどの田舎者ときた。
一体何をどうすればいいのか。「やっぱり役所行きかな……」とトーヤが思案していると、ククリが「あ、でも覚えてることあるよ! やりたいこと!」と鼻息荒く訴える。
「やりたいこと? それってどんな?」
ロクでもないことじゃないだろうなと思いつつ、とりあえず聞いてみるかと、トーヤはククリの話に耳を向ける。
「わたし、ずっと青くて暗い海の底みたいな場所に魔女?って名乗る人と一緒にいたんだけど、」
「ま、魔女?」
「うん、魔女だよ。それが?」
「な、なんでもないよ。続けて」
いきなり物騒な単語が飛び出してきて、つい聞き返してしまった。自省しつつ、トーヤは再びククリの話を聞く。
「うん。ずっと一緒にいたんだけど、ちょっと嫌なことをされ続けてて。すごく逃げたかったんだけど、逃げられなくて。でも、昨日やっと出られたの」
「へぇ。その嫌なことって?」
「えー、言わない」
「そ、そっか……」
返ってきたのは何気ない答えだった。
けれど、その短い返答にトーヤは何故だかククリの強い思いを感じられて、それ以上の詮索はしなかった。
「第一、言っても信じてもらえないし、聞いても気持ちのいいものじゃないから」
あはは、とはにかむように苦笑しながら、ククリは言った。
トーヤはそれに微笑んで返す。
「キミの方から話してくれるようになるまで、聞くつもりはないよ。それで、やりたいことってのは?」
トーヤが本題を尋ねると、ククリは思い出したようにポンと手を打った。
「そうだった。それで、わたしが自分の意思で出たっていうよりは魔女に送り出されたんだけどね。別れ際に魔女が――――」
「待って。何か聞こえる」
「えっ」
話していたククリに、突然トーヤが待ったをかけた。
「…………」
トーヤは鋭い視線を森の方向に向け、意識を木々の奥に集中させている。
気を張っているトーヤの様子に、ククリは息を呑んで見守っていたが、森の奥から聞こえてきた地鳴りに顔を上げた。
「ねぇ、この地鳴り、なに?」
地鳴りは揺れを伴ってドシンドシンと近づいてくる。
音量の増幅度合いから推測するに、かなり速い。
「わからない。僕も本当についさっき自由都市に来たから、危険な場所なのかどうかすらわからないんだ」
「えー、どういうこと?」
「説明は後でするよ。それよりも今はこの音についてだ」
二人は会話を交わしながらも、いつでも逃げられる体勢になっていた。
そして、逃走体勢になってから10秒も経たないうちに、地鳴りの正体が姿を表した。
「GYAOOOOOOO!!!」
薄汚れた鈍色の鱗が全身を覆い、剣山のようなたてがみ状の飾りが背中線上に走る。四つんばいで地を這うように、けれど前足を高々と掲げてこちらへ向かってくるその姿にククリは既視感を感じ、小首を傾げる。
「……トカ、ゲ?」
口に出してみるが、どうもしっくりこない。
いや、あのトゲトゲしいフォルムはトカゲというより――――
「あっ、イグアナ!!」
「あれはランゴノだよ!? なんだよイグアナって!?」
「えっ、うわっ」
正体見破ったりとククリが快哉を上げるが、魔眼で能力情報を読み取ったトーヤはそれを即座に否定すると、ククリの腕を引っ張って走り出した。
「ランゴノってなに!?」
だが、ククリはその名を聞いたことがないらしく、腕を引かれながらも驚愕に表情を染める。
走りながらトーヤが答える。
「ランゴノってのは蜥蜴種の一種で、翼のない竜に似てるから地竜って呼ばれたりもする! 色々種類はあるけど、ランゴノは特に凶暴な蜥蜴種なんだ!」
「えー、なんでそんなのが追いかけてきてるの? トーヤ何かした?」
ククリは怪訝な顔をしながらも振り返り、空いている方の手でランゴノを指差した。
ランゴノは未だ奇声を発し、木々をなぎ倒しつつ二人を追いかけてきている。
「ククリが落ちてきたときの衝撃で起こされたんだんだよ! ランゴノは巣穴から出てくることはほとんどないんだ。加えてまだギリギリ冬眠期間だったはずなのに、眠りを妨げられたらどんな奴だって怒るでしょ!」
「それは、確かに怒るね……」
トーヤの必死の弁に、ククリは真剣な顔をして黙り込む。
「っていうかなんでそんなに落ち着いてるのさ! ランゴノに追われてるんだよ!?」
トーヤの説明通り、ランゴノは比較的気性が荒いと言われる蜥蜴種の中でも特に凶暴な蜥蜴種だ。
巣穴とする洞窟が生息域のため、人前に出てくることは滅多にない。つまりランゴノが人前に出てくるというのは、それほどの事態が起こったときである。
まるで危機感のない会話を続けている間もなお、ランゴノは二人に吶喊を仕掛けていた。
直線距離は、すでに50メーテルを切っている。
もっと急がなければ、このままではランゴノに追いつかれてしまう。
だが、トーヤがいくら急かしてもククリは走る速度を上げようとしない。
それどころか、段々と速度を落とし、遂には立ち止まってしまった。
「っ、何してるんだよ!? 早く逃げないと!」
「……」
トーヤの呼びかけにも反応せず、ククリはその場で腕を組み、向かいくる地竜をじっと見つめては何事か考え込んでいた。
「……試してみようか」
ククリは何かを決めたらしく、小さく呟いて歩き出す。
それも、ランゴノの方へ。
「なっ!? ククリ!?」
ランゴノの突進の膂力は、到底人が対抗できる物ではない。
ランゴノが三体いれば城砦すら破壊できるとすら言われている。
いくらランゴノを知らないククリでも、すぐそこまで迫っているその威容を見れば、文字通り命の危険が迫っていることくらいわかるはずだ。
それなのに、なぜ。
「だいじょうぶダイジョーブ! トーヤは安全なところにいておいて!」
ククリはまるでちょっとそこまで。というような明るく軽いノリでトーヤに声をかける。
そして、目前まで迫っているランゴノの方へと向き直ると、困ったように微笑みながら小さく呟いた。
「……怖いなぁ」
暴威と化したランゴノが、雄叫びをあげながらククリを撥ねとばす。
飛んだ。
ククリの身体が、簡単に、ぶっ飛んだ。
鈍い音を立てながら、まるでボールのように何度か跳ねて、木にぶつかりようやく止まった。
「――――ぁ」
トーヤは動かなかった。動けなかった。
何が起こったかわからない。
ランゴノが唸りながら前足を何度か踏みならし、トーヤへ狙いをつけたその時、ようやく動き出した。
「ククリっ!!」
ランゴノなど目もくれず、ククリの元へ走る。
なんで? なにがあった? どうしてこんなことに?
とめどなく疑問が湧き上がるが、答えは出ない。
「ククリ! 返事をしてくれ!」
抱きかかえるもその身体は重く、頭から滂沱のように血を流して意識を失っている。
その出血量に、トーヤは戦慄した。
――この量はまずい。
早く止血して手当てをしなければ手遅れになる。
出血性のショックを起こす可能性もあるため、なおさら早くしなければならないというのに、激昂するランゴノがそれを許さない。
――時間が足りない!
意識を失っているにも関わらず、ククリの顔面が蒼白になっている。
本格的に血液が失われてきているのだ。
移動しようにも、急に動けば刺激されたランゴノが突進してくる可能性があるため、満足にその場から動けない。
動けたとしても、ククリを抱えたままランゴノから逃げおおせるとも思えない。
「なんだよ、これ」
血がにじむほど唇を噛みしめ、それでも必死に思考するが、トーヤには現状を打破できる力がなかった。
圧倒的な膂力の前に、トーヤの『スキル』は無力に等しい。
刺し違え覚悟で立ち向かったとして、運よくランゴノを仕留められたとしても、ククリを助けられなければ意味がない。
「なんなんだよ……」
詰んでいた。どうしようもなく。
さっきまであんなに明るく話していたのに。
こんな、簡単に。
「……ぅ」
「ククリ!? 目を覚ましたのか!?」
薄ぼんやりとした瞳で、朦朧とした意識で、ククリがトーヤを見上げる。
瞳に宿る光は今にも消えてしまいそうで、トーヤは必死に呼びかけた。
ククリは少し困ったような、悲しむような表情で笑うと、トーヤの頬に手を当ててか細く言った。
「逃げ、て」
「――――」
ククリの手が落ちていく瞬間が、やけにゆっくりと見えた。
何十秒も見つめているような気がしていた。
けれど、実際には数秒にも満たないそれは、何度も見てきたその瞬間をトーヤに確信させてしまう。
幾度もやってきた行為というのは、火事場でも変わらず反射的にやってしまうものらしい。
トーヤはほぼ無意識で魔眼を発動して、ククリの能力情報を見ていた。
名前:御薬袋 ククリ
種族:該当なし
精神:無
筋力:0
体力:0
敏捷:0
魔力:000000
スキル:死〈20002〉
能力値、全消失。
精神の欄に平然と表記された無、という文字が無情にも、無常にもククリの死を示していた。
「…………あぁ」
全部、無くなってしまった。
聞きたいことも、何もかも。
死。
ただそれだけ。あとは何も無い。
「GURURURU……」
ランゴノの唸り声がすぐ近くで聞こえ、トーヤは力なく顔をあげる。
目の前に、ランゴノがいた。
魔眼を発動したままだったため、再びランゴノの能力情報が目に入ってくる。
名前:ランゴノ
種族: 蜥蜴種
精神:奮
筋力:5261
体力:7438
敏捷:4879
魔力:675
スキル:該当なし
「はは……」
思わず乾いた笑いが出た。
どう考えても、人間が正面から立ち向かえる相手ではない。
たとえこのランゴノが雌だったとしても成人男性の10倍以上、身体能力に差がある。
比べるのも馬鹿馬鹿しい。
ランゴノが口を開け、生臭い息がトーヤの顔にかかる。
半端に開けられた口から、何十もの鋭い歯牙が連なって見える。
ぎょろりと目が動き、自分に向けられたのがわかった。
「GURURURU……」
獲物を前にして勿体ぶるように、ランゴノが再び唸る。
そして、ククリとトーヤを踏み潰そうと、ゆっくりと上体を掲げていく。
目前に死が迫っている。
けれど、どうでもよかった。
「もう、いいよ」
トーヤの右半身から、血飛沫が上がった。
「GURUU!?」
ランゴノが声を上げる。
前足を下ろそうとしたはずなのに、下ろせない。
なぜ、と思ったかは定かではないが、ランゴノが視線を下げた先ではトーヤが血で染まった右腕をランゴノに向けて掲げていた。
異常なほど血で染め上げられた右肩と、右手から血が伸びている。
血は真紅の柱のように、ランゴノの身体を下から支えていた。
今にも崩れてしまいそうになる血の柱を、震える右手で必死に押し留める。
トーヤはこれほどの重さの物を持ったことなんて一度か二度しかない。
けれど、意地の意思で無理やりにでも持ち上げる。
「お前を殺して、僕も死ぬ」
殺意に濡れそぼった瞳で、トーヤは地竜を殺すことを宣言する。
だが、それは頬に触れた柔らかな感触に咎められた。
「ダメだよ。命は大事にしなくちゃ」
「なっ――――!?」
あまりにびっくりして、思わず右手の力が緩んでしまった。
血の柱が崩れ、ランゴノの巨体が落ちてくる。
「よっと」
しかし、立ち上がったククリがランゴノを受け止めた。
「な……」
空いた口が塞がらないトーヤは、発動させたままになっている魔眼に写ったククリの能力情報に、今度こそ言葉を失った。
名前:御薬袋 ククリ
種族:該当なし
精神:奮
筋力:20512
体力:20472
敏捷:20452
魔力:000000
神秘:死〈20002〉
「……何で、20000もあるんだ?」
その能力情報は常軌を逸していた。
怪力どころの話ではない。
通常、魔眼に表示される純人の身体能力は男女ともに500が基準値だ。
男性の筋力500は約16キロガラムの重量に相当し、女性の筋力500は約10キロガラムの重量に相当する。
だから数値自体は同じでも『男の500』と『女の500』は大きく異なる。
けれど、いくら女性の身体能力値とはいえ、20000越えの数値をトーヤは見たことがない。
文字通り、桁違いだ。
「どんな身体してるんだよ……!?」
「そりゃっ!」
気合の声と共にククリがランゴノを投げ飛ばした。
十数メーテルの距離をふっとんだランゴノが、ズウンと地響きを鳴らしながら地に打ち付けられる。
「よっ、と」
「!?」
直後、ククリがランゴノの元へ移動していた。
瞬間移動かと驚愕したトーヤだが、號と舞い上がった風、そしてパラパラと降ってきた土埃で気づく。
ククリは瞬間移動と見紛う速度で移動したのだ。
「なんだそりゃ……」
ランゴノの踏みつけを受け止めただけではなく、投げ飛ばし、ただ一歩踏み込んだだけで十数メーテルを移動し、風を舞い上がらせた。
それはひとえに、あの狂った能力情報で行われる動作の結果だ。
だが、初めに見たときはあんな能力情報ではなかった。
ククリの身に何が起こったのか、トーヤには検討もつかない。
「起こしてごめんね? 戻っていいよ、ゆっくりおやすみ」
ククリはすっかり怯えきったランゴノに優しく声をかけ、森の奥へと帰しているところだった。
のしのしと歩いていく後ろ姿に「ばいばーい」と手を降ったあと、くるりと振り返ってトーヤの元まで歩いて戻ってくる。
「……なぁ、キミは一体なんなんだ?」
「うん?」
トーヤが震える声音で尋ねる。
ククリは至極平然として首をかしげる。
「なんなんだっていうのは?」
「だってキミはし、死んだはずだ! それなのに死んでなくて、能力情報が跳ね上がってる! なんなんだよ!?」
「あー、そっか。すてーたすってのが見えるんだっけ? なら、わかるはずだよ」
ククリはトーヤを見つめ、ゆっくりと言った。
「私はさっき、ちゃんと死んだよ」
どういうことだ、と考えたトーヤは、ククリの能力情報の1の位が増えていることに気づいた。
そして、スキルの死が増えていることにも。
「……」
初めに見た能力情報を思い出す。
そして、今表示されているククリの能力情報と照らし合わせる。
「……まさか」
ありえない推測がトーヤの脳裏を過る。
冷や汗が、背筋を伝っていくのがわかった。
「死んだら、発動する『スキル』なのか?」
「ピンポンピンポンだいせいかーい!」
恐る恐る口にしたトーヤと対照的に、ククリは明るく笑う。
「なんだよ、それ」
「あれ、知らない? クイズとかで正解したら……」
「そっちじゃなくて! いやそっちもなんだけど、死んだら発動する『スキル』なんて聞いたことがないよ!」
「そりゃそうだよ。こんな『スキル』わたしだけだもん」
微笑みながら、ククリがトーヤに問う。
「ねぇ、わたしの『スキル』ってどう見えてるの?」
「死、って文字が一文字だけ。あとは横に〈20002〉って表示されてる」
「20002……ってことはさっきの二回を引いたら20000……うーん、にまんかぁ」
「な、何を言ってるんだ?」
腕組みをしながらぶつぶつと呟くククリにトーヤが尋ねるが、ククリは答えずにトーヤの方へ向き直る。
「トーヤなら信じてくれる! と信じて! 言うよ!」
腰に手を当て、仁王立ちの状態で、正面から告げる。
「わたし、暗くて深くて海の底みたいな場所にいたって言ったでしょ? そこで魔女に嫌なことをされ続けてたとも」
「海の底が行ったことないからどんな場所かわからないけど、言ってたな」
「わたしがいた場所は、始まりの最果て。そこで最果ての魔女と一年間、一緒にいました」
「…………はぁ」
ドヤ顔で告げたククリだが、トーヤの反応は芳しくなかった。
「あれ!? もっと驚かないの!? 最果ての魔女ってすごい存在だって聞いてたんだけど!?」
「いや、凄い存在だよ! 今の西方大陸を作ったと言っても過言じゃない大魔法つかいだけど、凄すぎて実感が湧かないというか……。ククリはその、始まりの最果てで何をしてたの?」
「殺されてた」
「……?」
「わたしは、最果ての魔女にずっと殺され続けてたの」
「………………は?」
言葉の意味を、トーヤは掴みかねていた。
「わたしの『スキル』は死んだ回数が多ければ多いほど強化されて、死ぬまでにかかった時間が長いほど発動時間が延びるんだって」
「…………」
「それで、このまま外に出ても何もできないから使い物になるまでここで強化するよって魔女に言われて、一年間殺されつづけて、昨日やっと出してもらったってわけ。どう? わかった?」
淡々と述べられた事実に、トーヤは思考が追いついていなかった。
「それじゃあ、ククリのスキルに表示されてる〈20002〉って数字は、」
「わたしがこの世界に喚ばれてから死んだ回数だよ。二万回は魔女に殺された。端数の二回はココに落ちてきたときと、さっきのランゴノの突進だね」
それは、想像を絶する途方もない数。
一年間とククリは言った。一年間で二万回、殺され続けたと。
文字通り、本当に殺され続けてきたのだろう。そして、
「この世界に、って――――!」
「わたしは、あなたたち『純人』が『異世界人』と呼ぶ存在」
「本物の『異世界人』……」
『スキル』という言葉が、人ではなく『異能』を指す意味に置き換わってから久しい時代、トーヤにはククリの言葉の真偽を確かめる術はない。
だが、確かめるまでもない。
今までの言動が、ククリが『異世界人』であるということを物語っていた。
空から降ってきた。見たこともない服。黒髪黒目。能力情報を知らない。ありえない能力情報。そして、ありえない『スキル』。
その全てが異常極まる要素で構成された少女が、笑って言う。
「わたしのやりたいことは、始まりの最果てにもう一度たどり着いて、最果ての魔女を殺すこと」
「復讐のため、か?」
「ううん、違うよ。魔女に頼まれたの」
「……最果ての魔女に?」
「うん!」
ククリはなおも笑い、トーヤに手を差し伸べると、言った。
「トーヤと一緒に、わたしを殺しにきてね、って」
「……え?」
困惑するトーヤ。
笑うククリの胸元では、赤い宝石のペンダントがほのかに光を灯しだす。
「わたしと一緒に、始まりの最果てを目指そう!」
笑って差し伸べられる手。
光るペンダントは、未来は輝いているぞと示しているかのようだ。
「……」
それは突然に降って湧いた、大冒険の誘い。
神話の中でしか見たことのない場所から来て、もう一度そこを目指すというククリの言葉に、トーヤは無限の可能性を見出す。
けれどトーヤは首を縦に降ることなく、小さく言った。
「ごめん、いけない」
「え……」
今度は、ククリが困惑する番だった。
「えぇーーーーーーっっ!?」
世は、代理戦争が行われるようになった時代。
これは、一人の少女と少年が、そんな時代に負けず、真っ向から挑む物語。