僕は今日、死なない。
朝、僕は今日も学校へ行く。
そして、帰ってくる。
明日も学校へ行く。
そんな日常の繰り返し、いい加減嫌になってくる。毎日何かは変わるけど、何一つ成長できている気がしない。
変わらない事と言えばただ一つだけ。
どこへ行っても評価されない。
学校に行っても、家にいても、とにかくどこにいても。努力はしても、評価はついてこない。
確かに成績は良くないけど、進学校で平均を維持している。
確かに理想の子ではないけれど、常識的に生活している。
こんな中でどう生活すればいい? モチベーションとなるものなんて何一つとして無い。癒えることのない無数の小さな傷を、毎日のようにつけられている気分だ。精神が毎日ほんの少しずつ、蝕まれていくのを感じる。
だから僕は今日もこの傷を癒してくれるものを探し続ける。それがどこかにきっとあると信じて。
そして結局、評価を得るしかない、実績を作るしかいないという結論に至る。大多数が見るのは結果だけだ。
ある日、僕は一人で遊びに出掛けた。それは中々に楽しかった。僕はその日、日常から抜け出せた。でも結局は変わらない。家に帰れば現実に引き戻される。
それは辛いことを忘れているだけ、逃げているに過ぎないのだ。
僕は色々なことをした。でも何も変わらななった。逃げて、忘れて、誤魔化そうとしているだけだった。
その後も、僕は努力しても何も変わらない現実で、何も変えられずあがき続けた。
あくる日、僕は今日も学校へ行く。別に何をするわけでもない。勉強がしたい訳でも、クラスメイトに会いたい訳でもない。卒業しないと後が辛いから行くのだ。
そして授業を受ける。学ぶことに対する意欲なんてものは無い。でも、テストで少しでもいい点を取るために勉強する。テストの点数が悪ければ親の機嫌が悪くなる。
親というのは、面倒を見てくれるけど離れられない、有り難いが厄介な存在だ。その親の機嫌を損ねれば、ストレスの要因を増やすことになる。
結局、僕は損しない為の選択をし続ける。
僕はあまり人と関わらない。沢山の人と関われば色々な人がいる。その中には僕を良く思っていない人もいる。そういう人とは離れておくに限るからだ。それでも、学校に通うとなると限界がある。
また、大抵の人は何かするときに、「みんなで」やろうとする。それが友達の証であると言いたげだ。でも、僕はそうは思わない。
同じ目標を持つ者同士が集まって同じ事に協力して取り組む。それは理にかなっている。
でも、全く違う者が集められ、同じことをしようとする。それは強制される最低限の分だけでたくさんだ。
だから僕は一人で居ることを選んだ。
そういう行動を取るのは自由なはずだ。だが、それを理由に理不尽ないじめを受けることもある。
こんな世の中でなぜ生きていなくてはならないのか? 幾度となく問うたが答えなど無い。
僕はこの世界で何にも癒やされず、傷つき続けるのだろうか?
その問いにすら答えは無い。
その日は抜けるような青空の日だった。
ある日の放課後、僕は一人で屋上にいた。屋上なんて、放課後はほとんど誰も来ない。僕は校庭から聞こえてくる運動部のかけ声を聞き流しながら、ゆっくりと本を読み、雲を眺める。
僕はこの場所が好きだ。ここにいると心が休まる気がする。
自分が認められないことを癒えない心の傷と言うのなら、日々のストレスは心の疲れとでも言おうか。その心の疲れをほぐしてくれるのがここだった。
僕が床に座り込んでうとうとしていると、そこに女子生徒がやって来た。
別に何もしない。僕は僕で自由に過ごす。気付かれないならそれでもいい。
そう思っていたところ、彼女は本当に僕に気づかないらしい。ずっと屋上のフェンスから下を見ている。
しばらくすると、彼女は唐突にフェンスによじ登り、乗り越えた。
ここは高さとしては六階。落ちればただでは済まない。
そして今になってようやく理解する。
彼女は自殺するつもりなのだと。
止めるべきか?
一瞬はそう思った。条件反射というやつだ。しかし、少し考えればそれは何より僕らしくない。
僕は人に自分の自由を奪われることを何より嫌う。だから自分の権利は譲らない代わりに、人の自由を絶対に奪ったり否定したりはしないと決めている。
それなのに何の考えをも無く、止めようとした。
改めて教育という洗脳の恐ろしさを実感する。
僕は結局、何もしないことにした。
いつも通りに。
僕がいつも通り睡眠に戻ろうとしたとき、誰かに声をかけられた。誰と言っても一人しかいない。たった今屋上から飛び降りかけている女子生徒だ。
彼女はいつの間にか僕の存在に気づいており、フェンスの向こう側から僕に問いかける。
「止めないの?」
僕はいつも通りの答えを返す。
「なぜ?」
「……」
「理由が無いのに止めたりはしない。どうするかは自分で決めればいい。正しいか間違っているかなんてわかるはずもない」
「そう。まぁ、いじめられる苦しみはいじめられる本人にしかわからないわよね……」
「いじめか……」
僕もいじめられた事はあるから、多少は気持ちがわかる。
親や教師と良好な関係を築けていれば対応のしようもあるが、そっちも駄目だと八方塞がりになる。
どうにもできなくなる時はあるものだ。
まして、自分が何一つ評価されなければ自殺したくもなる。
自分を必要としてくれる人が、生きていくためには何よりも大切なのだとすら思う。
彼女は僕の気持ちを知ってか、こんなことを訊いてきた。
「あなた、いじめられた事ってある?」
「なんでそんな事を訊く?」
「なんとなくね……」
そう言うと俯いてしまう。
多分彼女には分かっている。
それでも、それ以上何も言えないのだ。
「自殺を考えたことはある」
「そう…… じゃあなんのために生きているの?」
「わからない。生きている気もしない。とりあえず死んでないだけ、そんな気分だ」
「次に『生きてる』って心の底から思えた時に死のうかとも考えてる。せめて最期にね」
「ふーん」
そこまでで、二人共黙った。
しばらく経って、彼女はひょいとフェンスを飛び越え、屋上に戻ってきた。
僕は何も言わない。
「あなたは他の人とは違って私の気持ちを重んじた。なんとなく信じられる気がする」
「だから私もあなたと同じ様にしてみるわ」
それだけ言い残すと、どこかへ行ってしまった。
その後は別に大したことは無かった。
彼女には、あれから一度も会っていない。
顔を覚えていないのか、転校したのか、あれはただの白昼夢だったのか、それはわからない。
けれど、あの出来事は僕の記憶にしっかりと焼き付いていた。
今日もいつも通り日常を過ごす。相変わらずだ。
最終下校時刻を迎え、屋上から下駄箱へと向かう。
靴を履き替えようとすると、下駄箱の中に一枚の紙切れが入っている。
そこには「ありがとう」とだけ書かれていた。
夕暮れ空の下を歩いていると、いつもより風が少しだけ暖かくなっていることに気がつく。
もうすぐ春になる。