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空を喰む  作者: 日月明
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その6.

 布野のことは、いまいちよくわからない奴だと思う。

 基本的に騒がしいやつなのだが、時折ふと静かになったりする。なんというか、あまり物事を深く考えて行動しているようには見えない。


 ただその日そこにいる。僕の中で、それが布野という人間だ。だからこそ、僕はこうして布野と一緒にいられるのかもしれない。


 ちらりと布野を見ると、今日も空の欠片を食べている。スナック菓子のような手軽さで。

 ふと、空の欠片について気になった。

「なあ、俺も聞いていいか」

「なにー」

 だらしなく横になった布野から、間延びした声が返ってくる。


「空の欠片ってさ、美味いのか」

 僕の問いかけに、布野は持っていた漫画本を勢い良く閉じて反応した。その音でびっくりして、僕の鉛筆が二歩ほど足を絡めてしまう。

 非難の視線を向けつつ消しゴムを掛けると、僕とは対照的に、布野の目はエロ本を河原で見つけた小学生みたいになっていた。


「なんだよ、きもちわるいな」

「いや、とうとうこれについて聞いてきたなと思ってね」

 げへへっと下品に笑うと、布野は空の欠片をひとつ口へ放り込んだ。

なんだろう、弱火で沸かしたように少しずつ煮えてくるこの悔しさは。


「一人我慢大会してたんだよね。私が先に話すか、洵矢が先に聞いてくるか」 

 いや、負けていない。そもそも、そんな話を僕は聞いていないのだから。この悔しさは不当だ。むしろ悔しくなんてない。子供の遊びに付き合ってやって有難がれてもいいくらいだ。

 

 心中で言い訳を並べるのに比例して、消しゴムをかける力は強くなっていく。それに気づいてか、布野はまたげへへっと下品に笑った。


「うーん。そうだね、私は好きだな」

 漫画本をわきに置いて、身体を起こした。空へ手を伸ばすと、布野は二本の指で空の欠片をつまみとった。心なしか、普段よりも少しサイズが小さい。

 今日の空は少し雲が掛かっていて、彼女が手にしたカケラも青色にマーブル模様の白が混ざっている。


「晴れた日はさっぱりした苺みたいな味がするし、曇った日は濃厚なカスタードクリームっぽい時もあるし。雨の日は梨みたいに瑞々しいし、雪の日はひんやりしてる。ふわふわのかき氷みたいな? 今日は、少し甘いかな」


「甘さとかも感じるのか」

「甘い時も、酸っぱい時も、辛い時もあるよ。私の嫌いな味になったことは、今のところ無いけどね」

 そういうと、いつものように口へ放り込んだ。本当に美味しいのだろう。口に入れた途端、満足そうな顔になった。


「普通に飯も食うよな」

 手癖の様に、空の欠片をページの隅に描く。なんだか、柔らかさをうまく表現しきれない。

「空の欠片は、おやつ感覚かな」

「味はいつも一緒?」


「その日その時によってテイスト違うけど、全部共通するのは基本が『空の味』だってことかな。説明難しいけど。強いて言うなら、安心する味かな」

 布野の話では、味の想像がなかなか難しい。手触りなんかも掴みづらい。僕は、鉛筆を止めてしまう。


「じゃあさ、一つ食べてみるといいよ」

 ページの隅に並んだいくつかの空の欠片っぽい絵と、止まった僕の鉛筆を見て布野が提案してきた。

 布野が上空へと手を伸ばす。降りてきた手には、空の欠片が握られていた。


「大丈夫なのかそれ」

 布野の提案に、心臓の動きが速くなる。恐怖心というよりも、やはり好奇心から来ていた。子供っぽいかなと恥ずかしくなり、気のない返しをしてしまった。


「いいから、ぱくっといってみ。大丈夫、死にはしないだろうから」

 にこにこと笑う布野をいまいち信用は出来ないが、気になるものは仕方ない。

「それじゃあひとつ」

 根拠の無い安全保障はやはり怖いが、僕は、空の欠片へと左手を伸ばした。


 空の欠片は、僕の指先が触れたところから、まるで煙になったかのように音もなく消えていった。


 二人して、動きが止まってしまう。

――からん。

 右手に持ったままの鉛筆が、地面に落ちた音ではっと我に返った。


「なにこれ、どういうこと」

 布野も見たことのない現象なのか、笑顔が消え去り、目を見開いたまま自分の手を見て固まっていた。


 同じ様に僕も固まっていたけれど、我に返ると慌てて自分の指先を確認した。

 怪我などはしていないみたいだ。匂いを嗅いでみたけれど、特に変な匂いもしない。

 そもそも、何かに触れた感触さえしなかった。

確かに空の欠片に触れたはずなのに、僕の指先はどんな情報も受信しなかった。


「何かしたの」

 ぼそりと、辛うじて聞こえる無職の声で布野が聞いてくる。それに対して、首を横に振って否定した。

 何かと言われたところで、何が起こったのかさえよく分かっていないのだ。強いて言うなら、手汗が雨曝しにされたように酷い。


 布野は、表情のない顔でこちらをじっと見つめていたかと思うと、慌てた様子で空へ手を伸ばした。

 びゅんと音が聞こえそうなほどに、すごい速さで降ろされた布野の腕。手の中には、いつものように空の欠片があった。

 羽のような形のそれは、その質量を表すように、ふわふわと風に揺れている。


 大きな安堵のため息をつくと、布野はそれをとても大事そうに口へ入れた。幼い時から大切にしている、ぬいぐるみを撫でるような表情で。

 普段の布野からは想像しにくい表情で、どう声をかけていいものか分からなかった。


「布野にとって、空の欠片はそんなに大切なのか」

「そうだね。生きてる意味といっても過言ではないね」

「重いな」

 いつものへらへらした軽い笑顔へと戻った布野に、苦笑いで返す。


 どこか安心している自分が居た。ここに布野がいて、布野の隣で絵を描くのが、日常になってきているということだろうか。

 そして僕は、その日常をいたく気に入っているみたいだ。


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