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空を喰む  作者: 日月明
3/13

その3.

「美味しいのだろうか」「咀嚼の様子を見る限り、硬くはなさそうだな」

 そんな思考の隙間が出来るほどに、女子生徒の動きは自然だった。


 当たり前のことだ。食べているものが不自然なだけで、食事をしているのと何も変わりはないのだから。

 

 二拍ほど置いてから、僕の頭に焦る余裕ができる。手汗はひどくなり、全身が強張っていく。冷静さは、不可解なものに対して拒否を明確に表現してきた。


 けれど、不思議と女子生徒から目が離せなかった。僕のどこかの部分が、不可解の姿を求めていた。


 女子生徒はもう一度手を伸ばすと、同じ様に空の欠片を掴んで食べる。


 退屈な日常を送る人間にとって、異常とはこうも甘美な匂いがするということを初めて知った。


 もう少し良く見ようと身を乗り出した拍子に、汗ばんだ手の平から鉛筆が軽い音をたてながら転げ落ちていった。


「だれ!」

 声とともにこちらを振り向いた女子生徒。僕はすぐに隠れようとしたけれど、強張った体は俊敏に動いてくれない。結果、女子生徒と目が合ってしまった。


「どうも、こんにちは」

 震える喉から絞り出した僕の挨拶を無視して、女子生徒はどんどん向かってくる。無言のまま向かってくる女子生徒の圧が、自然と僕を後ずさりさせた。


 梯子を軽々と登ってくると、目の前で僕と同じ目線までしゃがみこんだ。


「見ましたか」

 間近で見るとよくわかる長いまつげが、女子生徒の無表情を際立たせている。


 彼女の異質な行動とは裏腹に、目も鼻も口も僕が知っている女子と何も変わったようには見えない。

そうわかると、僕の身体から緊張が解け出ていった。

 

「何を」

 先ほどと違い、僕の声は滑るように自然と出てくる。なんだ、何も怖くないじゃないか。


「私が空を食べているところ」

 やっぱりあれは空を食べていると考えて間違いなかったのか。思い出した映像に、少しだけ好奇心が刺激される。


 けれど、目の前の顔にその刺激は取り押さえられた。ただでさえ思考がわからない女子の無表情とは、こんなにも怖いものなのか。


「見たけど」

「そうですか」

 浅いため息をつくと、女子生徒はその場にぺたりと座り込んだ。ただでさえ狭い給水塔前が、余計に狭くなるのを感じる。


「名前、聞いていいですか」

 今度は、子供っぽく拗ねたような顔になった。


「屋上にいたのをチクられると困るから嫌だ」

 僕の一言に一瞬目をそらすと、すぐにまたこっちを見る。今度は、うざい教師を見る時のような表情。僕が野村を見ている時は、こんな顔だろう。


「じゃあ、先に名乗ったら教えてくれますか」

「それなら」


「布野撫子です。二年です」

「薬袋洵矢。同じ二年生」

「なんだ、同じ二年!」

 僕が名乗ると、今度は少しだけ笑顔を見せた。同年代という安心感からだろうか。それと同時にため口になる。


 急に馴れ馴れしくなったが、不快には感じない。幼さゆえだろうか。いや、同級生だし当たり前か。


「ここで何してんの。一人みたいだし」

 とりあえずスケッチブックを見せておく。特になにをしているというわけでは無いのだが、これを見せておけばわかるかと思った。 


 スケッチブックを受け取ると、いくらかページをめくり始めた。似たような絵ばかりで、たいして面白くはないだろう。


「それよりも、さっきのあれ」

 触れて良いものなのか少し迷ったが、やはり聞かずにはいられなかった。


「空を食べるって……」

「ああ、気持ち悪いよね。できれば誰にも見せたくなかったんだけど」

 スケッチブックから目を離さずに、布野は少し苦笑いを浮かべた。

「いや、別にそうは思わないけど。あまり大勢に見られていいもんでもなさそうだね」


「ここさ、洵矢一人」

 小難しそうな顔でページをめくりながら、布野は質問を投げてきた。

「そ、そうだけど」

 

 いきなり名前で呼ばれたのに驚いたけれど、そのことを悟られるのが恥ずかしい気がしたので慌てて取り繕う。

「いつも一人なの」

「そうだよ」

「だよね、被写体に人物無いからそうだと思った」

 意地の悪さを含ませた視線でこっちを見る。盗み見ていたことへの仕返しだろうか。あえて、気づいていない風にしておこう。


「じゃあ、今日からわたしもここに来るから。よろしく」

「え、ああうん」

 スケッチブックをこちらに寄越しながら、さも当然のように言われた。

 反射的に「うん」と返事してしまう。


 撤回しようかと思ったけれど、そもそも僕専用というわけではないし、屋上へ出たことの共犯にしてしまった方が楽そうだ。

 それに、空のことも、食べるということも気になる。


 この日から、屋上の給水塔裏は僕専用の憩いの場では無くなってしまった。


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