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第八章「クァーラト」

 どうしてこんな身体になることを、私は選んだのか――たしか、すごく小さいころだった気がする。もう覚えていないけれど、私はつくりものの女の身体を得て、多くのものに抱かれた。老若男女は関係なかった。その度壊れる身体を、何百回何千回と新しい予備(スペア)に載せかえて。なんど壊れても、予備(スペア)は常に補充され続けて、逃れることはできなかった。


 一度、私を殺してほしいと言ったことがあるらしい。記録(ログ)に残っている。その時は相手の男だけが死んで、私はなぜか生き残った。頭の中の電脳では、見たもの聞いたもの、知ったもの、全て情報に還元されてきれいに整理される。それらは、接続されたネットに遍在する記憶の(クラウド)となってふわふわ浮かび上がり、永遠に消滅しない。


 苦しいかい?


「わからない――でも、いまは早くソニアに会いたい」


 声は、優しく私の肩を撫でた。


「あなたは、ソニアがどこにいるか知っているの?」


 知っている。


「無事なの? どうやったら会える? ここはどこ?」


 落ち着いて――私は複数疑問符を含む質問には答えることが出来ない。


「どうして?」


 難しいことを聞くね。


 声は、ちょっぴり笑った。


 私は人間じゃないから。人間ほど高度な言語処理能力を持っていないから。


 声が、角を曲がったような気がした。新しい十字路だった。私もそれに倣って、左に角を折れた。


「どこに向かっているの?」


 通路はどこまでも伸びていく。声の調子が、少しおどけたように軽く弾んだ。


 あっちの私は、うまくやらなかったようだ。


 何を言っているのか、私にはわからなかった。無数の絵をくぐっていくと、通路の先には新たな十字路があった。その中央に、立方体のガラスケースに入った巨大な彫像が鎮座している――青銅色(ブロンズ)で、天井の照明を照り返して不気味に輝いている。よく見ると、表面には黄色や赤、緑と、まるで虫の翅を太陽に透かして見たような複雑な模様が浮かんでいた。ガラスケースの周囲は、赤い綱で囲われて中へ立ち入れないようになっている。

 見覚えのない像だった。何かをかたどっているのだろうが、何をかたどっているのか、私にはわからなかった。


「カードキーが……」


 その像の中心、身体の内部に、ピンク色に光るカードキーが埋め込まれていた。あれを取らないといけないのだろうか。――あれ?


「どうして私……彫像の中身が透けて見えるの?」


 きみだってネットに接続された個体だ、アリス。


 声が、そっと私の髪をなでた。


「どういうこと?」


 きみは特別な存在だ。


「特別なんかじゃない」


 今まで何人、何十人、何百人の人間に接触してきたと思っている?


「覚えているわ」


 それが全て、きみのネットだ。


 私はソニアの手を引いて歩いていた。急に目の前に、真っ白な光が広がった。網膜に直接、塗料を流し込まれているような、優しい目眩がした。気がついた時、この画廊に迷い込んでいた。いつの間にか、ソニアの手を握っていたはずの私の手には、何も残されていなかった。


 きみの身体が覚えていなくても、きみの電脳が記録している。

 きみの感覚は偽物だとしても、きみの魂が真実を見ている。


 手首を何かにつかまれるような気がした。そっと伸びていく私の指先が、ガラスケースに触れた。その表面に樹皮のような何脈もの傷が走り、赤、青、黄色に輝き出す。やがて、塩の塊が解けていくように、さらさら音を立ててガラスが崩壊し、消失した。


「どうして――」


 私には、こんな力はないはずなのに。指先で触れるだけで、ガラスがほどけていく。ソニアがやって見せたような。でも、私は何もしていない。ただ、触れただけ……


「何かしたの」


 何もしていない――きみがしたことだ、アリス。


 ロープを乗り越えて、彫像に触れる。なめらかで一点の隙も無い、完璧な像だ。けれど、内側から光を感じる。この中に埋め込まれたカードキーを取り出す。指を伸ばして触れても、帰ってくるのはてらてら光る、青銅の手ごたえだけ。


 アリス。


「さっき、ガラスをほどいたように」


 声が、一瞬たじろいだ。


 きみと私は、確かに繋がっているみたいだね。


「でも、どうすればいいのか分からない」


 考えるだけでいい。


「考えるって?」


 きみはこう考えている――声は厳かに、私に英文法でも教えてくれるように――この彫像の中にきみの探しているものがあって、それを取り出さなくてはならない。けれど、どうすればいいのか分からない。そうだろう?


 うなずく。


 彫像なんてものは存在しないんだ。きみがそこにあると、信じ込まされているもの。きみの電脳に雄弁に語りかける、とても精巧な物理情報の塊。


「それじゃあ、ここに彫像はないの?」


 ない。けれど、あるかのようにきみの電脳は認識している。

 逆に考えるんだ。

 きみの魂で、感じるままにものを見るんだ――彫像なんてものは存在しない。


 ゆっくりと手を伸ばす。さっきまで青銅の彫像に触れていた手が、するん、と冷たいゼリー状の感触をすり抜けるように通り抜けた。私は自然と目を閉じていた。それでも、はっきりと見ることが出来た――まるで夢の中にいるみたい。こつん、と指先になにか、軽い感触が触れた。私はそれを掴むと、ゆっくり手元に引き寄せた。目を開くと、そこにはうっすらピンク色に透ける、あのカードキーが握られていた。「0」が書かれている。


 彫像はいまも変わらず、そこに鎮座していた。私はちょっぴり気味が悪くなって、自分の右腕を見た。黒と緑の細かい(バグ)が、私の腕を這い回っていた。


 落ち着いて。


 声が優しく語り掛ける。


 それは単なる情報の齟齬から生まれるバグ。すぐに恢復する。


 その通りだった。しばらく黙っていると、文字化けは徐々に消えてなくなり、私の右手とカードキーだけが残された。


 私、いまいったい何をしたの。


「すぐに分かる。ついておいで」


 私の足が勝手に動き出した。


 あれ?


「アリス。こうして直接対面するのは、はじめてかもしれないね」


 口が勝手に動く。人工声帯が震え、私の意志とは無関係に言葉を紡いでいた。


「それはちょっと違うな」思考を遮るように私の口がしゃべった。「アリス。きみの意志と、私とは、決して無関係ではない。きみは私で、私はきみ。限りなくぴったり重なっているように見えるけれど、どこかが決定的に違う」雄弁に私の口が語る。「例えば人間は、蟻や烏を見ても、人間のように個性を見出して名前を付けたり、個別に認識したりすることはない。なぜなら、人間は同じ種族、同じ人種だとしても、顔や体格、個性、思考などで別人であると認識できるのに、動物にはそれがないと思い込んでいるからだ。私ときみは、ちょうどそれくらいの違いしかない。他人から見れば、私はアリスだし、逆にアリス――きみは私であると認識されるかもしれない」


 気持ちが悪くなってきた。三半規管を内側から揺らされているような気分だった。


 身体を返して。


「きみの予備(スペア)の身体は、この『宮殿(パレス)』の地下にいくらでも用意されている」


 身体は右に曲がりたいのに、足が左に曲がった。見たくもない視覚情報を、無理やり脳に刻み付けられている。


 あなた、誰?


「クァーラト。覚えていないかな?」


 その名前には、聞き覚えがあった。それは、私の母さんが結婚する前に持っていた、ファミリー・ネームだった。

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