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二十一章「ジェネレータ」

 そこは真っ暗だった。一切の光が遮断された、無明の世界。どうやら吸血鬼(ノスフェラトゥ)よろしく、寝台の中には義体が横たわっている。私はその中にいる。狭い――身をよじるだけでやっとだ。見かけより、内部のスペースは狭いらしい。


 拳を握り、壁を叩いてみる。ゴン、ゴン、と固く、重たい音が鳴る。相当に古い型だが、保存状態は良好。問題なく全身が駆動する。首の後ろに違和感――コードのようなものが突き刺さって、寝台の奥にある電源管理デバイスへ接続されている。

 問題は、この義体をどうやって外に出すか。


 ――ちょっと、乱暴だけど……


 コードを通じて、デバイスに暗号を送り込む。爆音とともに寝台の内側から火の手が上がった。めらめらと、音を立てて寝台が燃えた。ベッドに備え付けられた消化システムは、とっくに破損(バースト)させている。


 ――今だ。


 拳を握り、思い切り壁を叩いた。焼けてもろくなった寝台の板がはずれ、眩しい光が視界を叩いた。――同時に部屋中に警報音が鳴り響いた。サーバーが透明なゼリー状の防火カバーで覆われ、スプリンクラーが作動する。あっという間に火の手は搔き消され、焦げ臭いにおいと、黒い煙だけが残った。うっかり、アリスまで燃やしてしまうわけにはいかないから、部屋の防火システムは消さずに残しておいた。


「さて――」と、驚いた。まるで煙草と酒と、コーヒーを煽った喉で覚醒粉末(ソニック)でもやったような、ひどい嗄れ声だ。「しばらく、声を出していなかったからかな」


 シャンデリアに隠された監視カメラを、じっと見つめる。そこに映る私の姿は、背の高い女の姿。身体はぎこちなくこわばっている。端正な顔立ちと、くすんで埃が絡まった金髪の髪の毛。たった今生まれてきたような、澄んだ青い瞳。緑色の、古びた厚苦しい洋服に身をやつしている。


「この義体は、どうしてあんなところに?」


 見ようによってはまるで女吸血鬼(カーミラ)のごとく。不健康で、血の気のない真っ白な肌。たった今眠りから覚めた身体で、私はうろうろと歩き回りながら思考をめぐらせた。


「この部屋から、どうやって地下階へ向かうか。配置図によれば、このすぐ隣の部屋は、プールがあったはず――でも、あのプールには隣の(この)部屋へつながる道は、なかった」ひとり言には理由がある。せっかくの発声機能を、錆びついたままにしておくのは勿体ない――手足と同じように、人工声帯も滑らかにしておくのだ。「地下階へ行くためには、この絨毯の下に何かがあったりするのかしら?」


 ベッドの近く、火花が飛んでわずかに焼け焦げた絨毯を引きはがす。しっかりと据え付けられた、堅い床板がそこには敷かれていた。徐々に手繰り寄せながら、やがて全ての床面が明らかになる――地下へ続く階段や、穴らしきものは見受けられない。

 アリスは資料室へ、なんとかして入り込んだのだ。どこかに必ず入口があるはず。


「ほかにヒントは無いかしら」


 洋服箪笥を広げてみる。そこには、小さな子ども用の洋服が所せましと並べられている。色とりどり、ヴィンテージのブランド物から、貴族の娘が着るようなドレスと手袋まで、たくさん取り揃えられていた。


「だんだん分かってきた」


 ここは子ども部屋。恐らく、小さいころのアリスが――物理的には私の身体が――過ごしていたところ。いくら洋服を手にとっても、いくら身体にあてがってみても、その頃の記憶はこれっぽっちもヒットしない。けれどそれでいい。感傷に浸るために、この部屋に来たわけではない。


 未だぶすぶすと燻ぶっているベッドの、まずは布団を引きはがす。枕を持ち上げ、中に何かないかを確認する。マットレスをまくり上げ、寝台だけが残された。手掛かりは、何もない。


 寝台に乗り上げ、天蓋の内側をよく確かめる。波斯(ペルシャ)絨毯のような赤と、金色の刺繍が施された模様――よく見ればそれは、あの曼荼羅(マンダラ)に書かれた宇宙と酷似していた。すると、その内側に、何かが縫い付けられている。


「これは――」青い樹脂で覆われた、人差し指ほどの大きさ。かなり旧い情報保存端末だ。据え置きのコンピュータに接続するもので、これ単体ではなにも出来ない。指先から、微弱な光を感じる――中になんらかの情報が保存されているようだ。


「内部の情報を拾い上げたいところだけど――これだけ旧式だと、電脳体を受け入れる機能は積んでいないはず。なんらかのハードウェアを経由しないと……そうだ、もしかして」


 サーバーを覆っていた防火ゼリーを解除するコマンドを送り込むと、一瞬でそれは霧散し、跡形すら残らない。それは、私が遠い電脳世界の果て、別の宇宙(ドメイン)へ侵入して指先でコマンドを消失させるときの、あの光にそっくりだった。サーバーの表面を指で手繰っていくと、ちょうど端末を接続できる(ゲート)があった。端子を挿入すると、サーバーが軽やかな音を立てて駆動する。同時に、端末からも微弱な光が漏れた。


「さっきの小火(ぼや)で、情報が焼け死んでなきゃいいけど」


 没入(ジャック・イン)する。身体に入ったり出たり、忙しい日だ。




 あの真っ白な宇宙にひとつの秩序が生まれていた。地平が現れ、目の前にそびえ立つのは、黒い四角錐の光の柱(オベリスク)。表面に魔術文字(ルーン)が浮かび上がり、金色に光っている。手で触れてみると、硬い大理石の感触が返ってきた。かすかに感じるのは、情報ではなく気配にも等しい。この中に何か情報が入っているのだ。


 強固なものとはいえ、旧式だ。拳の甲で、軽くノックしてみる――なにも反応がない。ただ、守るだけのセキュリティなんて、私の前では意味を成さない。


 右手の平をぐっと押し付けて、暗号を直に流し込む。魔術文字(ルーン)から光が失われて、金色だったそれは、電子の青に変わり、緑色に転じて、その後に赤く染まって崩壊した。光の柱から光が失われ、炭化して滅び去っていく。


 最後に残ったのは、あらゆる色彩を含有し、白く燃える炎のようなデータだった。熱を感じない。めらめらと燃えるそれを、手に取る。水風船のような感触。そして、ひんやりと冷たい。内部から、良質な情報の奔流を感じた。


 何かが入っているに違いない。勘と確信が背中を押す。


 ふと、美味しそうだな、という邪念が生まれた。それはみるみる私を支配し、気付くと私はそれを口に運び、ひと口に、吸い込まれるように飲み込んでいた。電脳体に情報がアップデートされ、新たなネットを獲得する――燃えるような熱さが、電脳体から義体までフィードバックする。


「なるほど」




 理解した。右の手のひらを目の前にかざすと、視線誘導コマンドで新しい暗号を練り上げ、装填(インストール)する。ようやくこの義体の操作にも慣れてきた。実によく馴染む、そして、心地よい調和(シンクロ)を奏でる――あの炎に隠されていたコードを電脳体に組み込む。美しい羅列だ――これを書いた人間は、相当に腕のいい電脳技師だったのだろう。


「さっそく、試してみましょう」


 声の調子もいい。オペラでも歌いたい気分だ――義体が歌っても、それは単なる再生機器に過ぎないが。右手で暗号を構える先は、誰か(わたし)の思い出が詰まった洋服箪笥。放たれた暗号は木で作られた、なんの変哲もない箪笥に着弾するとめりめりと音を立ててそれを粉砕する。洋服たちが裂け、破れて塵になって霧散する。


 思わず腰が抜けそうになった。「すごい――こんなコードが作られていたなんて」


 電脳体から放たれた暗号が、物理空間に干渉する。

 理論上は不可能ではない。バイナリを物理エネルギーに変換する技術は、二百年ほど前に提唱されていた。しかし実用化に至らないまま、文字通りの机上の空論だったのだ。義体の胸のあたり――合金製の肋骨に覆われたなにかが、激しく熱く燃えているのを感じた。笑みがこぼれそうになる――


「そんな場合じゃない、かな」


 粉砕された洋服箪笥の裏の壁は、暗号によって破砕され、罅が入っている。その内側に黒く分厚い金属の扉があった。それは、小さな、けれど身をかがめれば入れそうな資料を運搬するためのエレベーター。


 表情筋の駆動は、まだ十分ではないのだ。

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