表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/25

十八章「アドミラル」

「こうしてあなたとお喋りするのは、はじめてかしら」

「あれ?」


 藤色の着物を着た女性が、そこに佇んでいた。膝をしっとりと崩さず、背を伸ばして、囲炉裏(イロリ)に向き合っている。私は、文書ファイルを開いたはずなのに――


「あなたが、ソニア・シャオリン――そうね?」


 とても、嫌な感じがした。彼女は目の前にいるのに、声はまるで内側から聞こえてくるようで、よく響く。


「あなたは誰?」

「私の本当の名前は、アスカ・アドミラル」


 顔立ちはどことなく白人らしい。髪は黒くて、瞳には苦労のくすみが浮かんだ蒼だ。無意識のうちに、私の記録が稼働を始めた――顔面認証機能フェイスレコグニションが勝手に稼働。一致率、八十九パーセント。

 比較対象には、アリスの顔が浮かんでいた。


「あなたは、アリスの――」

「アリス・アドミラルは、私の娘。けれど、あなたが思い浮かべているアリスの顔は、あの子のほんとうの顔ではないわ。あの子の顔は、私の生体データから逆算した、十七歳のころの(アスカ)の顔。似ているのは、当然よ」

「アリスの母親」

「ええ、そうです――私の娘が、よくお世話になっているみたいね」

「いつの間に、私の電脳体に侵入したの?」


 ゆったりと膝を崩すアスカに対して、私は囲炉裏(イロリ)を挟んで立ち尽くすほかない。ホロ・ウィンドウが瞬いた。テキストデータが溶け出して、蜜に吸い寄せられるようにアスカに収斂していく。


「あなたは、この『宮殿(パレス)』のセキュリティと同一化している――それは、私のネットと隣接することと同義よ」

「それじゃあ、あなたはずっと――私を見ていたの?」


 彼女はゆっくりと立ち上がり、私を見下ろした。頭ひとつ分くらい、背の高い女性だ。


「アリスを探しているんでしょう?」

「そうです。いつの間にか、彼女とはぐれてしまって……もしかして、貴女はどこにいるか分かるんですか?」


 彼女は長い睫毛を震わせて、目を閉じた。ぴたりと閉じられた瞼の奥からは、太陽系を何十倍にも圧縮したような光の奔流が、わずかに漏れ出ていた。


「資料室かしら。そこに、微弱だけど痕跡が残っているわ」

「資料室――」その言葉を聞くと同時に、私の電脳が回転した。資料室は、この部屋の下の下――地下階の最東端に位置する部屋だ。「でも、痕跡なんて、私は見つけられなかった」

「ええ。においがあるの」

「におい?」

「アスカ・アドミラルという個人の電脳体は、バラバラに分解され、あちこちのネットに散らばっている。私はそのうちのひとつにすぎないわ。いくら別々の電脳体として固有の存在を得ても、私たちには、アスカという人物の重力が残っているの。魂という重力が……」


 私は、クァーラトの言葉を思い出していた。


「あっちの僕」――クァーラトも、アスカと同じようにいくつにも分解させられた、細切れの電脳体、その一切れということかだろうか。「まさか、あなたとクァーラトとは、何か関係があるの?

「そうよ――それが『Q計画』の生み出したもの」

「『Q計画』?」

「ソニア・シャオリン。あなたにも、大いに関わりのあることよ――聞かせてあげましょうか?」

「どうして?」

「もうあなた(アリス)を、この『宮殿(パレス)』に抑え込んでおくことはできないから」

「えっ?」




 視界が、急に暗転した。

 次に目が覚めた時、そこに畳の部屋と漆喰の壁はなかった。囲炉裏(イロリ)があった場所に、二、三フィートくらいの高さの光の柱(オベリスク)が立っていた。


「まあ、座って?」


 その言葉に逆らえないように、私は座った。オベリスクの表面には、古代の魔術文字(ルーン)が浮かび上がっていた。アスカは裾の広い着物を緩やかに引き摺りながら、きちんと、膝を正して私に向き直った。

 視線ひとつで、私の電脳体の内部に膨大な情報が浮かび上がる。英語で書かれた、理路整然のテキストデータ。表題には【Project Q】。


「私はもともと、プレセツクの企業に雇われた電脳技師だった。宇宙開発――というより、月面開発ね――に注力していた当時、月面での完全無人での作戦行動を行うための、様々なプロジェクトを運用していたの」次に、三人の女性が移った写真のファイルが浮かび上がった。白衣を着て、にこやかに笑っている。「それが当時のプロジェクトチームの中核となるメンバーだった。真ん中が私、アスカ・アドミラル。右側の、泣きぼくろのある日本人は、クルス・ジョウマエ。とても腕のいいサイバネ技師だったわ。反対側にいるのが、スミカ・コバヤシ。肩書きは私と同じ電脳技師だったけれど、実際はウィザードとしての腕を買われて雇われた――暗号屋(ヒットマン)だったの。あなたと同じように」


 脳に衝撃が走るような思いがした。茶髪の女性を見たとき、私のお腹の上の辺りで、なにかがモヤモヤと蟠っているような――


「スミカ・コバヤシは日本名――彼女は華僑(チャイニーズ)だった。だから正式な名前は、(チュン)小林(シャオリン)。あなたの母親ということになっている女性よ」

「私の母親……」

「あなたの電脳には、両親や、きょうだいの記録が残っていないでしょう?」

「……、いつ消したの」

「ソニア・シャオリンという人間は、いつ、どこで、どんな両親から生まれたのか。小さいころの記憶は? いつ、電脳化施術を受けた? 最後に夢を見たのは? 暗号屋(コードキャスター)になったのは、いつ頃? その理由は? どう――そんな記録はないでしょう?」

「私にとっては、必要のない情報だもの」

「そうね。そう認識せざるを得なかったの」

「どういうこと?」


 アスカの勿体つけるような話し方は、妙に私の心を落ち着けて、それが却って私を焦らせた。このまま聞き入っているだけでは、彼女の言葉にからめとられてしまう。その考えは、アスカにも伝わったようだ。彼女はふう、と溜息を深く一つして、その深い、年月を経た宝石のような瞳で私を見た。


「あなたは、アリス」

「私はソニアよ」

「それは後付けの記憶。あなたの本来持っている肉体は、私の娘――アリス・アドミラルのもの。あなたがアリスだと認識している、その子は、あなた(ソニア)から剝離したもう一人のあなた(アリス)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ