第72話 デリアーナ
大和は改めて、もしくは諦めてデリアーナを見た。
服装は幾重にも重ねた法衣のような物を着ているので、収穫した白菜をひっくり返して人の頭を乗せたような姿をしていた。正直、服の上からでは体型が分かり辛いが、顔がこれだけ整っていて、身体が不格好ということはあり得ないだろう。まして神官戦士を自称しているのだ、余分な脂肪は殆どないのかもしれない。
やはり、この世界の人間は全体的に容姿が整っている者が多い気がする。遺伝子的に整うように出来ているのか、容姿が整うような教育・育成方法が存在するのではないのかと疑いたくなってくる。
――歯列矯正なんてものもあるんだ、多少はあるのかもしれないな。
小さい頃から硬い物をしっかり食べないと、顎が発達しないと言うのだから、成長の過程で多少はコントロールできるのかもしれない。
平民と言うことで、スティルのような高貴な感じはしないのだが、神官だけあって清楚な感じが強い。そこに純真な人を疑うことを知らないような瞳が収まっているのだ、どうにも不公平に感じる。
自分が薄汚れているように感じて、劣等感が頭を擡げるのだ。
デリアーナの視線は、大和よりも高く身長にして160センチ程は有りそうだった。瞳の光彩は灰色で、肌の色素も薄いようだ。銀髪をツインテール状に結わえているが、髪質が柔らかすぎるのか馬の尻尾と言うよりは、犬の垂れ耳のような印象を受ける。
「あの、どうかなさいましたか?」
「いや、服が重そうだなと思って」
「確かに重量は結構あると思いますけど、特に疲れると言うほどではありません」
「それは、慣れてるから?」
「ええ、まあ、そんなところです。それよりこれからどうすれば宜しいですか? 取り敢えずカゲサキ様の御部屋の確認と、私の寝床を確保したいのですけど」
職務に忠実な事でと思いながらも、大和は自分の借り部屋へ案内をする。
最早この段階では、誤魔化したり嘘を吐いたりは、余りにも無駄な抵抗過ぎて起こす気もなかった。
「所でカゲサキ様、私を従卒として召し抱える気はございませんか?」
部屋までの道すがら、そんなことを聞いてくるが、大和自身が自分の従卒になる価値と言うものを全く理解していないので、デリアーナの申し出自体が不可解に聞こえてしまう。
「俺の事情は知っているんだろ? だったら、わざわざ所属元を変える意味はないと思うんだがな」
一週間ほど海外旅行をするとして、わざわざ滞在先の街の学校に転入するかと言う話と、同じだと思っていた。体験入学や短期留学ではないので、所属は変わるし手続きが面倒だ。どうせ元鞘に戻ることが予定されているのであれば、逆にわざわざ変える必要もないだろう。
しかしデリアーナはぎこちない笑顔を浮かべるだけで、大和の意見に賛同はしない。
「そんなに従卒になりたいのか?」
「その方が色々と都合が良い物ですから・・・」
当人がその面倒を受け入れると言うのであれば、従卒として召し抱えても良いかもしれない。しかし、そうすることで発生する面倒事も、当人には覚悟もあるのだろうが、こちらに皺寄せが出るなら出来るだけ回避したい。
「でもそれって、俺に不都合とかもあるの?」
「ええ、どっちもどっちと言った感じで、それぞれ利点と欠点があります」
両者にメリット、デメリットがある事を素直に口にする当たり、個人的には好感が持てた。都合の悪いことをひた隠しにして、いかにも彼方の為に成ることです強調するようなやり方は嫌いなのだ。
物事に都合の良い事だけが存在することはない分かり切っているからだ。
「じゃ、その辺は、腰を落ち着けて話し合いますか」
言いながら、大和は歩みを止める。目の前には丁度、大和の借り部屋の扉が有った。
扉を開けて部屋に入ると、すかさずハイラが出迎えに出てくる。
「お、お帰りなさいませ・・・ご、ご主人さま」
大和の後ろに人影を見つけ、タタラを踏むように駆け寄るのを取りやめると、緊張した面持ちで深く礼を尽くした。
「ただいま、ハイラ。こちらは・・・って、おおおおおおおぉぉぉぉぉいぃっ!!」
ハイラにデリアーナを紹介をするために振り返ったのが、幸運だった。
法衣を豪快にはためかせ、右手で長剣を引き抜いたデリアーナが、その切っ先をハイラの脳天に叩き込もうとしている所だったからだ。大和は咄嗟に身体を滑り込ませると、デリアーナの手首と肘を抑え、その斬撃を押し留める。
何してやがると、デリアーナの顔を睨めば、それこそこちらの行動が理解できないと言ったきょとんとした顔をしていた。
「何故止めるのですか?」
「何故って・・・ハイラは、彼女は一応俺に仕える女中だからな、主人として守る義務もあるだろう」
「ダメですよ。勇者ともあろうお方が、こんな穢れた血を持つ存在を飼うなど、品位を損ねます」
斬ることが正義と言わんばかりに、デリアーナも一歩も引こうとしない。
――くっそ、滅茶苦茶重いぞこれ・・・。しかし、多少身長で負けているとはいえ、女の細腕でこの馬鹿力は一体?
「やめろデリアーナ!」
「聞けません。私は彼方の護衛であって、従卒ではないのですから、命令される謂れは有りません。・・・しかし、退いていただけませんか? 出来れば護衛対象に傷を負わせたくないです」
辛うじてデリアーナを押し留め、横目でハイラを見やれば、眼前の光景が理解できないのか、ぽかんと口を開け放心していた。
――くそ! なんつー馬鹿力だ! 押し切られる!
「ハイラ! 逃げろ!」
しかし、大和の叫びも虚しく、ハイラは行動できない。
まだ状況の整理がついていないのであろう、硬直が溶けていない。
――すまん。緊急回避だ! 許せよ!
大和は状況が好転しない事に舌打ちしつつ、足の裏でハイラの腹を推すように蹴り飛ばし、デリアーナの斬撃の範囲外へ追いやる。
ハイラの小さい身体は、大きく吹き飛び、ソファーにぶつかって止まる。
そのせいで、体勢を崩した大和はデリアーナを止めきれなくなり、腰が砕けるように床に身体を放り出した。
直後、ドカンと馬鹿みたいな音がして、長剣がその刀身の半分ほどを床に食い込ませていた。
――冗談じゃねぇ! 頭かち割る所か、身体が両断される勢いだぞ!
その長剣を引き抜こうとして、思ったよりも手こずると判断すると、早々に諦めてデリアーナはもう一つの武器、右腰に吊るした戦槌を引き抜いて構えた。どうあってもその命を刈取らねば気が済まないようだ。
ハイラを見れば、蹴られた衝撃で呼吸困難を起こし、咳込んでしまっていた。逃がすにしても、もう少し時間を稼がなければならない。
「だから止せって!」
大和は床に放り出された身体を素早く起こし、デリアーナを後ろから羽交い絞めにしようと抱き竦めるが、押し留めることが出来ずにずるずると引き摺られてしまう。
「くそ! なんつー馬鹿力だ!」
「むっ、馬鹿とは、失礼な物言いです」
――おおっ! 意外と豊かな物を持っていらっしゃる! こいつは当たりだぜってこんな時まで性癖発動させんな俺ぇ!
なりふり構わず引き止めようとした結果、偶然触ってしまい一気に膨れ上がった煩悩に喝を入れる。
デリアーナも事態が事態なだけあって、触られた事に対して特に思う所はないようだった。
「何でこんな事をする! 何が・・・」
「命令です。上からそう命じられているのです。護衛に際しての不安要素は抹消するようにと。分かりませんか? アレは害悪です。土地を見捨て、親を見限り、血を騙した裏切り者。この先、何人の人を騙して、幾度の裏切りを繰り返すか、少し考えれば子供でも分かることです。一度裏切りをした者は、良心の呵責もなく、何度でも裏切りを繰り返す」
「何でお前にそんなことが分かる!」
「分かりますよ、食うに困る貧乏生活が辛いことは。ですが、アレは自身を向上させることを怠り逃げた。自分たちを受け入れてくれた国を裏切り、見捨てたのです。辛く成れば見捨てて逃げる、信頼され託された事すら平気で裏切れる。カゲサキ様、もし彼方が窮地に陥れば誰が手を差し伸べてくださいますか? 皇女殿下ならば迷わず手を差し伸べるでしょう。この私も、及ばずながら尽力いたしましょう。ですがコレは違います、必ず己が身可愛さに逃げます」
デリアーナはきっぱりと、辛辣な言葉で言い切る。
問答にこそ参加できていなかったハイラが、顔を上げデリアーナを睨みつける。その眼は大和に蹴り飛ばされた痛みのせいか、デリアーナに言葉で責められた苦悶のせいか、涙を湛えていた。
「仮に、過去に裏切った経験が有ったとして、更生する機会すら与えないつもりか! お前の所の神様は、そんなに狭量なのかよ! 神官のくせに慈悲はないのか!」
「慈悲は見せました。それを妨害したのは、他ならぬ彼方ですよ? 痛みも、恐怖も、自らの身に何が起きたかすら分からぬまま、冥府へ送って差し上げようとした、私の慈悲を無駄にしたのはカゲサキ様です。それに更生などと、そんなことは不可能ですよ。盗人に罪の重さを知ら締め、盗まれることの悲しさ辛さを教え、二度とさせないように思わせるのが更生です。彼方のやっている事は、盗む技術を活用する術を教えているようなものです。そしてそれを成した所で、盗人であった過去は消えない」
盗むと言う行為自体を、忌避するようにならなければ更生とは言えない。盗むことを嬉々として披露したりしていては、周りの人間は「いずれまたやる」としか思わないだろう。それでは返って孤立してしまうし、信頼して貰うことも難しい。更生とは、短所を潰すことであって、長所を伸ばすことではないとデリアーナが言っているように聞こえた。
裏切った行為を肯定し、更にずる賢く生き抜くための心構えを身に着けさせるようなものなのだろうか。その為には恩人を騙し、肉親を踏み台にして、人道に悖る行いを躊躇わないように。
確かにそれでは更生と呼べない。
「私は護衛ですから、カゲサキ様へ害がある存在の排除を怠る訳にはいきません」
ユイゼ教の諜報部は、恐ろしく優れている。当事国、当事者ですらないのにハイラの生い立ちから今の境遇まで、短期間で良く調べ上がたものだ。そして、それを配下の信徒にまで伝達できる、情報を伝播する能力は驚愕に値する。
「それに、アレは魔王崇拝者ですよ? カゲサキ様はその事を理解して召し抱えておられるのですか?」
それは完全に、寝耳に水であった。そんな馬鹿なと言う思いでハイラを見れば、隠し事を暴露され気が動転し、挙動が不審と化していた。大和と目が合ったハイラは、それだけで耐えられなくなったのか、大粒の涙を零す。
「何故、と言う疑問をお持ちでしょうから、教えてあげます。アレのような亜人の血を引く者が、底辺の生活を強いられれば神の存在を信じません。それよりも、自分の都合のいい願望や欲望を叶えてくれるとされる魔王を、崇拝するようになるのは自明の理です」
「・・・だ、だって、あ、あたしは・・・っ! ほ、他に信じられる、もものなんて!」
「そうやって都合の悪いことは、全て他人のせいだと泣き喚いた結果がこれでしょう。己を高める努力をせず、ただ甘やかしてくれる存在へ縋っていただけでしょうに。さぞ楽な生き方だったでしょうね? 魔王が全て、いつか自分に都合の悪い事全てを破壊してくれると願って生きるのは! 他者を踏み躙り、信頼を裏切ってきたのも、全て魔王のせいにしてきた生き方は! そうやって何時も魔王崇拝者は、自ら社会の病巣へと成っていくのです。だから、その一片だったとしても潰すべきなんです」
デリアーナは止まらない、大和の全力の阻止すら引き摺って行く。力では引き留められない、言葉でも考えを改めさせられない。
――詰んだ。
しかし、一つだけハイラの命を、救う手段を大和は持っていた。それはデリアーナを斬ることだ。不可能ではないだろうが、意味がない。この部屋で発生しようとしている殺人を止めるために、人を殺しては本末転倒。被害者と加害者がスライドするだけで、止められるわけではない。実行できる訳がない。
――まさかこいつ、従卒にしなかった事の意趣返しでやってるんじゃないだろうな?
従卒でないから言うことを聞かないと言うのであれば、従卒にすれば言うことを聞くようになるのではないか。どうせ他に手を思いつかないのだ、ダメ元だとしてもやってみるしかない。
「デリアーナ! お前を従卒として召し抱えてやるから、大人しく俺の言うことを聞け!」
「・・・この段での申し出はずるいですよ」
「やかましい。黙って言うことを聞け、取り敢えずハイラを殺そうとするな」
デリアーナは歩みを止めると視線を虚空に投げやり、少し何かを考える素振りを見せる。
「従卒と言っても、どの程度でしょうか?」
「全部だ! 全部。お前が譲渡できる権限の全てを寄越せ!」
最早一部分だけなどと、みみっちい事をやっている余裕はない。従卒として召し抱えれば済む問題であるのなら、そうしてしまうしかないだろう。
「そこまでおっしゃって下さるのなら、従う他ありませんね」
構えていた戦槌を仕舞い、漲らせていた殺気を胡散霧消させたので、ようやくデリアーナから離れられる。本当に男の自尊心が粉微塵になる思いだった。どういう体の構造をしていれば、あんな馬鹿力が出せるのだろう。デリアーナを羽交い絞めにしようとして、分かったことは、彼女の体格は別に筋肉がムキムキについている訳でもなく、腰や腕なんかは少女特有の華奢さを持っていたし、乳房は十分に立派なモノが付いていた。安産型と言うのか、腰回りはしっかりとしているように感じたが、それだけであの力が出るようには思えない。
――魔法で強化してるのかな・・・。
後、考えられることは、召喚勇者がカオスマターで身体能力が強化されていたように、何らかの方法で似たようなことを行っているのだろうと考えないと、落ち着かない。
デリアーナが剣の回収を始めたので、取り敢えずそちらは放置して、ハイラに近寄った。
「大丈夫か? 何所か痛めたような場所はあるか?」
「いいえ、だ大丈夫です・・・、あの、ごご主人さま、あたしは・・・魔王崇拝者でした、ででも、今は」
ばらされてしまったので潔く認めたようだ。
大和自身も、過去には暴かれたくない事の一つや二つはある。
「過去の事はどうでもいいよ。だけど、今は俺の女中として仕えているんだ、その事を一番に考えてくれればそれでいい。そうだな、こんな事を言うと偉そうに聞こえると思うけど、俺の為になるように、何かを努力してくれ。そうすればデリアーナも文句は言わないだろう」
「ははい、が、がんばります」
「ああ、頑張れ。ハイラ」
そう言って、頭を撫でてやると、零れた涙をぬぐい嬉しそうにはにかんだ。
一時は本当に肝が冷えたが、どうにか事態は収まった気がする。
大和が長く溜息を吐いて、気が付けば溜まっていたストレスを吐き出して行く。
不意にドカンと物騒な音がしたので振り返れば、デリアーナが強引に引っこ抜いた剣が、勢い余って天井に突き刺さっていた。
「何やってんの、お前・・・」
瞬時に蓄積されたストレスを、大和はまた長い溜息と共に吐き出すのであった。
2017/06/01 誤字修正。




