第63話 好意
アインラオ帝国第三皇女が退席して、ようやくグアルティエーロは一息つくように相好を崩した。
礼拝堂にて神聖な雰囲気の中での調書。嘘偽りなく言葉にすると主に宣誓し、報告書のような文章に寄らない陳情を求めた。報告書は所詮資料、どんなに詳細な数字が乗っていても感情までもが記載されている訳ではない。面と向かって言葉を交わし、その根幹にある本音こそが重要であると言うのが昔からの習わしだ。
人は人と対面することで、初めて本音も分かると言うもの。
だから、手間でも無駄だと思っても、会って言葉を聞く必要がある。
少女は年に似合わぬ気配を放ち、気圧されるほどの気迫を感じた。反対に護衛役の騎士と言う名目で連れてこられた、カゾリ村事件での被害者に相当する召喚勇者の少年は、少し落ち着きが無いように感じたが大人しくしていた。
慣習に則った調書を取るのが目的であり、殊更皇女殿下を責め立てるつもりはなかったが、帝国の立場からすれば信用をされておらず叱責を受け、申し開きをさせられている気分にもなるのだろう。しかし皇女殿下には、堂々と成功も失敗も認める度量が有った。国家機密故にどうしても話せないこと以外は、詳らかに開示する誠意は清々しい程であった。
なによりそれが、まだ未成年とされる少女の振舞いであることが、また空恐ろしくもある。
「しかし、カゾリ村で千人に及ぶ勇者が召喚されていたとは・・・」
しかもその内の七百名強の召喚勇者は、既に命を落としているときた。ふざけて居るにも程があるが、張本人はすでに死亡しているようで、責任を取らせようにも冥界へ赴く方法を知らないため、諦める他無いようだ。
帝国側の対応も一歩遅く、肝心の資料は魔王機関によって藪の中だ。
グアルは経験上、魔王機関がこのような事をする時は、詳細事態を公開すると召喚装置を再現する知識となり得るため、犠牲者には申し訳ないが敢えて闇に葬った、と考えていた。
魔王機関も正しく機能しているようだが、些か歯止めが効かないのは拙い。組織を作り上げた人たちの思想から、少しずつずれてきているようだ。このままでは必要悪として野放しにされていたことが、裏目に出るかもしれない。
「イデアゴラの門の研究もしているナールアスプ博士の報告書によれば、カゾリ村のやり方では簡単に被害者が十万人を超えてしまう計算になるが・・・。エイホー、納得は出来ますか?」
博士の仮説が正しく聞こえてしまうほど、空論上の辻褄は会っていた。
「出来る訳ねーだろ? グアル。だがそういう可能性も考慮せねばならん。しかしこれで目ん玉皿みてーにして闇雲に探し回ることは無駄になりそうだな。その・・・ナー何とかって博士の仮説があっているという前提だが」
「正直に言えば、確かめようのない事ですからね。とても確かめる訳にもいきませんし」
「十万の内の二百か・・・たった0.2%と思っちゃいかんのだろうな。一人でも多く助かることを願うが。当面はこの二百人の受け入れ態勢を急がんとな。生きているかも分からん九万九千よりも確実に生きている二百だ」
大よそ1%相当の人数の生死が確認できただけでも大収穫と言える成果だった。
それに収穫はもう一つある。
「それにしても帝国の姫さんは大した玉だな。召喚された連中を送り還すつもりだとか・・・はっ、ありゃ姫って器じゃねーぞ。本当にそんなことが出来るなら、俺たち以上の大英雄の誕生だ」
「嬉しそうですね、エイホー」
「まぁな。ああいう芯の有る奴が頑張っている内は巧く行くだろうさ。少なくとも二百人は還って来るし、今後保護されれば還って来られるって訳だ。有難い話じゃねーか。俺も国へ戻って準備をするよ」
エイホーはふと立ち止まり、乱暴に頭を掻いた。頭頂部が薄くなっていくのは年齢故しかたがないことだと、今日改めて思い知ったのだ。だが、それも悪くない事だ、自然の流れの中では無情ではあるが真実であると、ようやく腑に落ちた。
「一つだけ言っておく。これはお前さんを友人として思っている故だと思ってくれ。あの坊主・・・ありゃ影崎ンとこの孫だ。あ~あ年は取りたくね~な。勇者も英雄も魔王も何もかも世代交代だ!」
「カゲサキ・・・? タイゾーの孫? ですか? あの少年が!?」
「間違いないね、最後に会ったのはあいつが十才の時の正月だったかだがな、間違えようがない。くくくっ何より坊主が俺の気配に気付いてビビリまくってたからな、分かり易い」
確かあの時は、何時もの組手相手が祖父ばかりじゃ面白身がないし、大和の戦闘スタイルが対大造専用に成ってしまうことを懸念して、軽く組み手で足腰立たなくなるまでしごいてやった程度の間柄だ。
やられた方からすれば、過酷な組み手を強要する鬼にでも見えたのだろう。
「・・・どれほど強くなったか確かめてやればよかったな」
「やめてください、部屋が荒れます」
グアルの言葉にエイホーはニヤリとした笑みを反す。エイホーの戦闘能力からすれば、並程度の兵士では部屋を荒らさずに無力化できるのだ、それが部屋が荒れる程度には粘られると察していた。この大司教も普段の温厚な表情は、今までの経験に根差したもので、若い頃はそれなりの苦労をしてきている。
「そうか、思った以上に世話になっちまったな。じゃ帰るわ」
「エイホーあなたも息災で」
「ああ、また来る」
エイホーと言う愛称を持つ大英雄、恩地衛邦は、来た時とは打って変わった明るい声で、グアルに手を振った。
「あ~~~~~っし、何とか乗り切ったぞ~~~~~」
帝国に帰還し、即座に部屋着に着替えたスティルは、大和の部屋のソファーに頭から突っ込んで疲れ切った声を上げる。
トリケー教皇庁訪問にて、一番の懸念事項が解決できたことが、スティルから緊張感を奪い去っていた。
それは、帝国の言い分、スティルの主張が大筋で通ったと言うことだ。もしも、トリケー教皇庁側が“帝国は悪”と言う判断をした場合、最悪国が無くなる。現在同盟を結んでいるシャヘラサラス王国やオルミア公国と言った国も、“悪”とお付き合いは控えたいということで、貿易などに無視できない影響が出る可能性が有った。指導者の気分次第では同盟の破棄もあり得て、しかも“悪”側が不履行による賠償を請求しても、突っぱねる事が正しいと認識されてしまう。
帝国と隣接する国も、“悪”を攻撃することは“善”であるとして、攻撃されてもどの国にも同情は得られない。
そうやって力を削がれ、身体を削られ、弱体化が進めばいずれは消えて無くなる。
今回の件でも、余程の致命的なへまを積み重ねなければあり得ない未来ではあったが、可能性は有ったためにそれがスティルの心労の一因となっていた。それから解放され、凝り固まった心身ともに解したいのだろう。
それは良い、それは分かる。
だが、だとしたら自分の部屋でやって欲しい思うのが、大和の感想だった。大和の部屋も皇城の客間を貸し与えられているだけなので、広義で言えばここもスティルの部屋なのかもしれないが。
「・・・殿下。どうかお部屋にお戻りください」
応接ホールでやらかしたことを気に病んでいる大和としては、控えめに進言するのが精一杯だったのだが、当然のように無視された。
大和は面倒臭そうに目を細めると、自分の主張を言ってみる。
「呼び方で失敗しないように殿下で統一した方が、無難だと思うんだがな? 俺、そんなに器用に出来る自信ないし」
「その時は諦めて私を娶ればよかろう」
「だから、そう言うのが嫌なんだがな」
大和としてはそう言う男女の仲と言うものが嫌だった。あれよりマシだとか、仕方なくだとか、そう言うどちらかで言えば後ろ向きな動機や、妥協とも取れる感情でお付き合いするのは嫌だ。
やっぱり恋人になるなら、お互い好き合ってお付き合いしたいと思う程度の恋愛願望はある。
「取り敢えず時間を考えてくれ。もう直に夕飯の時間になるだろ?」
結局、応接ホールで大和が失言をして、大司教と面談を済ませた後、即座に帰国ということは出来なかった。スティルは小規模の晩餐会に出席し、挨拶回りと誤解を解くために色々忙しかったようだ。そしてそのまま一泊して昼過ぎに出国手続きをして帰ってきたのだ。
ちなみに大和は、その間控室に閉じ籠っていた。
帰国後もスティルは報告などで忙しく行動しており、ようやく一息つける段となったようだ。だからこそ、多少の我儘な振舞いは容認すべきだと思うのだが、それが行き過ぎて望まぬ既成事実が出来てしまったらと、大和は恐ろしいのだ。
「案ずるな、こういう密会も召喚勇者の帰還事業の打ち合わせと言うことになっている、私の貴重な羽を伸ばす時間だ。その辺りはイノンドが上手く手配してくれている」
出汁にされている事に不満はあるが、皇女の立場も大変なんだなという感想の方が強い。
「そうか? そうい事ならいいんだが、うっかり寝ないでくれよ」
「・・・ん? 気にするな、例え寝入ってもイノンドが起こすまで貴様が何もしなければ問題ない」
既に仮眠を取ることが前提であるような、気だるげな声で返ってくる。このまま言葉を掛けず数分でも放置すれば、寝入ってしまうような予感が有った。
そして、予感通りスティルの穏やかな寝息が聞こえ出す。
余りに無防備な姿を晒すので、ちょっと悪戯をしたい気分になったが、流石に庶民の感覚で思いつく悪戯を帝国のお姫様にしてしまうのは、問題しか想像できない。顔に落書きするとか、パンツ降ろすとか・・・いや、これは飽くまで学校の級友が修学旅行などでやった悪戯で、少なくとも異性にする悪戯ではないかと思い止まる。
――それに、パンツなんか降ろしたらもう色々アウトだよな。
俯せにソファーに突っ伏したせいか、若干お尻が突き出すような寝姿なのが、誘っているようで怖い。
これは明らかな罠だなと思いつつ、部屋から出て行くことがベストだなと判断し、ドアノブに手を掛けた所で思い至る。
――これで部屋空けて、スティルに何かあったら俺の立場ヤバくないか?
例えば推理小説みたいに気が付いたら殺されており・・・なんて展開になったら、流石に拙い。本来ならばスティルが身の潔白を証明してくれるのだろうが、当人が犠牲者であれば擁護してくれる人はいない。
――ああ、そうか。護衛ね。ここでも付添人みたいな事をした方が良いのか。何より自分の安全の為に。
肩を落とし露骨な溜息を漏らすと、踵を返しスティルの姿が視界に入る場所のソファーに腰を下ろす。念のため刀を手の届く場所に置き、自分が寝てしまわないように警戒心を強める。
そして、穏やかに寝息を立てるスティルを見て、自分の安全よりも彼女を守りたいとぼんやりと思っていた。
「で、姫様? ご自分の立場を分かってらっしゃるのですか?」
珍しくイノンドは腹を立て、説教をするつもりでスティルの相対していた。
夕食時であり、寡聞にマナー違反であるがこの時ぐらいしか、二人は本音で言いあえない。スティルの自室でイノンドと二人きり、大和は自分の部屋で食事をしているはずだった。
「いくら甲斐性なしであるとはいえ殿方の部屋で無防備に寝入ってしまうなど・・・」
「・・・無事であることは予測済みだ。問題なかろう? それに、私の貞操が無事で済まないのであれば、帝国は龍騎士を一人飼えるのだ。それはそれで安い代金だと思うが?」
一応考えてはいる様なので、イノンドは頭を悩ませる。今はまだ、影崎大和と言う召喚勇者を国に還す気でいるが、どちらかが一歩見誤り関係が進んでしまえば、還す気はないのだ。
確かに、龍騎士が帝国の姫と結ばれるとなれば、めでたい話である。帝国軍においては士気も高まるだろうし、国防の観点から見れば何らかのトラブルが発生した場合に、龍騎士を即時に投入できるということは非常に価値のある事だ。
「それにな・・・あの時間に私が居なければ奴は、ヤマトは何をしていたと思う?」
そう問われてもイノンドに答えられる手札は少ない。大和が日中何をやっているか、ボーっと無為に過ごしているか、女勇者たちを遠目に観察して鼻の下を伸ばしているかのどちらかだ。汗で濡れた着替えやタオルを何度も洗濯しているので、自室に籠って鍛錬をしているようではあるが、その現場を見たことはない。
「私はそれが腹立たしい」
そう不機嫌そうに零すスティルの感情が、何となくだが手に取るように分かった。拾った野良犬が自分には懐かず、別の人に懐くような、裏切りにも似た感情なのだろうか。
いや、違う。
「姫様はあの少年に恋をしておられるのでは?」
「・・・っ!? 私が、か? 馬鹿を言え、私にそんな感情が有るものか。そういう風に育てたのはお前たちであろう」
帝国の姫の一番大きな仕事は、国の内外の有力者との繋がりを強めるための政略結婚だ。その為に、夫に対して恋愛感情が不要であるようにと教育される。国のため好きでもない男に嫁ぎ、子を成し育てるのだ。
だからイノンドは、せめて嫁ぐのであれば憎らしくは思っていない男性が望ましいと思っていた。
そこへ影崎大和の登場だ。
かの少年の無知で無礼な振舞いを許しているのは、そうさせるだけの恩を受けているからだ。身分は何の後ろ盾のない、根無しの草と変わらないが、非公式であるが龍騎士であるということが大き・・・いや、それが全てだ。多少の不都合は龍騎士であると言う立場の前に、大した意味を成さない。互いに惹かれ合うのであれば、イノンドは止めようとは思っていなかった。少なくともそれがスティルにとって幸せな人生になると、祈っているからだ。
「確かに姫様のご結婚について、恋愛感情が口を挟む余地がないとお教えしました。ですが、感情は本能ですから、教育だけで抑え込めるものではありませんよ。何よりも心の奥底から滲み出る情をいうものは、おいそれと隠し通せるものではありません」
「・・・滲み出るようなものなのか? 私にヤマトに対する好意があると?」
でなければ、やたらとべったり大和に絡んでいくスティルの行動の説明が付かない。
「お心当たりもあるのでは?」
「ふむ・・・。こう、奴の事を考えると、胸の中がもやもやする感じはあるな。逆に考えないようにするのが辛く感じる時もある」
スティルはすっと自身の胸を撫でる。
手に伝わる自身の心臓の鼓動が、心地良い。
「なるほど。これが恋と言うものか・・・なるほどな。世の女たちが恋い焦がれ狂い咲くと言うものがよく分かる。こんなものを胸の内に秘めておっては、とても真面ではいられんのだろうな」
頬を僅かに紅潮させ、慈しむように笑う。
その姿が何とも美しく、儚く、可憐であり、イノンドは薄ら寒い恐怖を感じた。
そしてその予感を続くスティルの言葉が肯定する。
「ならば都合が良い。私がヤマトに惚れておるのであれば、隠そうとも情と言うものが滲み出るのであれば、今まで以上に無理難題が通る、精々帝国のため兄様のため利用させてもらおう」
スティルの顔から、女の貌が消えていた。
無機質に計算高い。人形のような表情だ。
「ヤマトは自分に好意を寄せる女を無下にできない人間だ」
給仕の手が凍り付く。育て方を間違えたと、育ち方がどこかで大きく歪んでしまっている。
全ては帝国のため、そう言われ育てられた姫の完成した姿がそこに在った。
2017/05/19 誤字修正。




