第50話 裏切り者
金属同士がぶつかり合う甲高い音が夜に響く。
辺りは月明かりに照らされているが、街灯はなく、民家もなく、夜の闇に沈んでいた。
しかし大和は視界の暗さをものともせず、ニタムの繰り出す護法縛帯の猛攻を一振りの刀で弾き返す。
護法縛帯は先端部の金具が錘に成っており、振り回したり、絡め取ったりし易い構造になっている。当然、狙ってこの金具の部分を相手にぶつければ、十分に武器としても機能する。鎖分銅と言う武器の鎖の部分を、ワイヤーで織った帯に交換したような武器とイメージするのが一番近いだろう。
ただし、その効果の届く長さは常識の外だ。飛竜種を拘束できるという話が真実であるなら百メートル単位で対象に襲い掛かれるはずだ。
構造上、弾こうとして帯の部分に触れてしまうと巻き付かれてしまうため、先端の金具を叩き返してやるほかない。そして、一度拘束された経験から、巻き付かれれば敗北が確定することを理解していた。
一切の失敗が許されない。
だが、命を懸けての戦いでは往々にしてそんなものだ。
二人の距離はおよそ七メートル。大和の奇襲を辛うじて防いだニタムが距離を取ったためにできた彼我の間合いだ。
大和の武器は刀だ。刃渡りは二尺四寸程度、標準的な長さと言えるだろう。刀身は黒くやや重い上に、形も若干歪で表面処理も雑だった。ただ特別な金属で作られていた。
大和の間合いにしては遠過ぎる。防戦に徹して近づかなければ、もう一撃入れてやることすらできない。
――邪魔だ! 鬱陶しい!
そう胸中で独り語ちる。
上野悦子に譲られた刀は驚くほど強靭な刃でできていた。護法縛帯の一撃をはじき返したものの、並の鋼なら欠けていただろうと想像できる鋭い衝撃が両腕に伝わる。やや癖を感じながらもこの刀ならば、頭蓋だろうが胸骨だろうが、刃毀れもせずに容易に切り裂くだろう。聖剣や魔剣ほどではないが、並の武器を凌駕した性能だった。
スティルに聞いた話では、先生――上野悦子が若かりし頃に「日本人なら刀だよね」という理屈から、懇意の鍛冶屋に鍛造して貰った物らしい。ただ普通の刀と違う点は、MSS用の実剣と同じ素材を元に加工されていることだ。上野悦子が至龍王に日本刀型の実剣を装備させたいと言い出したことから始まったそうだ。その実剣を鍛造する過程で、MSSサイズの物を行き成り作るのではなく、人間サイズで技術実証をするために試験的に作られた物であるらしい。
MSSの装甲すら割断するために作られた刀身だ。いくら護法縛帯であろうと、容易く砕ける物ではない。ただ、切り伏せることはできなかった。金具に刃が立たず、弾かれてしまうのだ。
――くそッ! 固い! マジックアイテムは破壊不能とか、ゲームみたいな特製でもあるのか?
やや、焦りが生じる。もしそんな特性があればお手上げとする人もいるだろう。
日本でも所謂伝説の武器、神器聖剣の類は不滅の金属でできているとか、神が作り出した決して朽ちない存在であるとか、そういう物語は聞き及んでいた。魔法があるこの世界、あっても不思議ではない。
では詰みか?
いや光明はある。人間は不滅でも不朽でもない、斬れば死ぬという節理は変わらない。
一歩、いや半歩ずつ、着実に彼我の距離を詰める。必死の切っ先が届く距離まで、じりじりと追い詰める。
しかし、一度にニタムの操れる護法縛帯は六条もあり、大和の技術をもってしてもこの六条を捌くので精一杯であった。少しのミスで刀を奪われる危険性があるため、僅かでも集中力を欠くわけにはいかない。勢いだけで突き進むのは抑えた。
能力的に拮抗してしまい互いに決め手に欠ける。護法縛帯を斬り払い、その隙を突いて本人に斬り掛かるには、少々距離が離れすぎていた。冷静に慎重に、一足飛びの距離にまで間合いを詰めなければならないが、あまり悠長にこの戦闘を長引かせるべきでもない。人気のない場所とは言え、カゾリ村の中だ、どこで誰が見て居るとも知れない。
――まずいな。傭兵にしろ男組にしろ、増援が現れた場合厄介事が増える。ニタムを斬るのに邪魔だ。
カゾリ村の状況を普通に考えれば、賊は大和になるだろう。武器も刀を振り回していて、ひいき目に見ても加害側だ。護法縛帯で防御に徹しているように見えるニタムの方が被害者に見えるだろう。巧い所、説得するだけの話術も情報の開示もできないため、第三者との遭遇はそのまま敵が増えると言う認識になっていた。
――長期戦は立場的に不利。だが敵もそう長くは持たない・・・筈だ。
戦闘中の鋭敏化した感覚の中で、大和はそう計る。
最初の一撃で手傷を追わせられたことが奏して、ニタムの顔色が刻一刻と悪化しているのだ。六条もの帯を斬り払い続けてはいるが、体力面でまだまだ大和に余裕はある。日頃の鍛錬によって培われた地力と、自信がそれを支える。
対するニタムは、普段は村長の仕事や、召喚装置の研究や調整に時間を費やしており、全くと言っていいほど体を鍛えていない。村の中では自動車のような乗り物を利用していないので、日々歩くことが多く年齢の割には健康的かもしれないが、その身体は戦闘用に出来てはいない。加えて最初の一合で負傷してしまった傷から滴り落ちる血液が、その体力を奪い続けている。
――ある意味これ、弱い者いじめだよな。
いたぶり尽して止めを刺すのは本意ではないが、決め手に欠ける。
護法縛帯を突破する術を持たない大和にとって、ニタムの体力を削り取ると言うのが堅実で確実な必勝法だ。拮抗しているこの状況で、最も減少の激しいのがニタムの体力だ。下手に攻めてカウンターを食らうよりは、このまま削り切るべきだ。
ただ少し絵面が悪いのが難点。傍から見たら老人虐めにしか見えないだろう。
「なぜだ!? なぜ防げる!? お前のような子供風情が、なぜ私を阻む!」
焦れたニタムが声を荒げる、いよいよ追い詰められ余裕が無くなている様だ。
「・・・自分の胸に手を当てて考えてみろ。まぁあんたじゃそうしても答えはでないだろうがな」
半歩踏み出し、さらに圧力を強める。
半歩足を下げて、圧力から逃げる。
「勇者ならばなぜ弱者である我らを助けぬ!? 勇者ならばなぜ強者を阻まぬ?! 勇者ならばなぜ悪を斬らぬ?!」
「うるせぇよ! じゃあなんだ? 弱者なら何したって言いていうのか? どれだけの非道も弱さが免罪符になるのかよッ!! 弱者なら勇者を! 勇者の思いを踏みにじってもいいってのかっ!! それにな、俺が斬るのは善悪の尺度では測らない、ただ敵を斬るのみだ!」
男組にしろ女組にしろ、番犬として扱われるにしてももう少しましな待遇があるだろう。それを全て上から目線で扱う、何者にもなれなかった凡人を、勇者と虚飾して召喚し使い潰す。我々を守ることで勇者にしてやるという思いが透けて見えて吐き気がする。
必要としてやっているのだから、その命すり減らして死ね。そう言われて誰もが嬉々として命を捨てられるわけがない。
だから言葉を偽る。懇願と言う形で、耳障りのいい言葉を選ぶ。
人に頼まれたから、懇願され助けてと言われたから、自分にその力が無くとも何とかしてしまおうと努力してしまう、お人好しを、虚仮にされたことが何より気に食わない。
フォノの扱いもそうだ。この世界やこの国の道義に照らし合わせて問題が無かろうが、あの扱いは認められない。
「自分じゃ何もしないくせに、人に頼って! 人を騙して! それで被害者でございとふんぞり返る! 挙句の果てに命の大量消費だ! ふざけんなよ馬鹿が!」
「それの何が悪い! 己の力を、暴力を振るいたくとも振るえない愚か者どもに、発揮できる場所と機会を与えてやっているだけではないか! その結果命を失うのは、ただ力が足りなかっただけであろう! 現にお前は事足りて・・・」
「うるせぇよ馬鹿が! まぁ召喚勇者はいいさ、百歩譲って千歩譲ったとして、まだ本人が応じて召喚されているんだからな! 死んだとしても、まだ本望だろうさ!」
大和のように、日本で爪弾きにされ、集団から零れ落ちて、やりたいこともやれることも見つからず、何もせず何もできず、命を消費しつくしてしまうよりは、ただ老いて枯れて果も実らせずに消えてなくなる人生よりは、必要とされる世界で自分の命を賭けて、戦って死ぬっていうのは救いなのかもしれない。
だがそれでも戦える者だけに限った話だ。
「だからこそ、フォノの扱いは我慢ならない!」
要するに、番犬の餌として用意されているだけの存在だ。ただの景品。
ならばこそ、人を景品にすることが許せない。
「あれは私の姉だったモノだ! 本人はしっかりと弔った! その残りかす、残った細胞の一部を培養して作りだしただけの人形だ。ならば元肉親の私がどう扱ても問題にはならん! あれは私の道具だ!」
ニタムの言を、好意的に受け止めても身内だから、肉親だから酷い目に会わせてしまうのは許容しろという暴言だ。確かに、辺り構わず、赤の他人を巻き込むよりは配慮しているのかもしれない。
「だがそのせいで! どれだけスティルが悲しんだと思っているッ!! どれだけ苦しんだと思っているッ!! あんたの言う敵が! どれだけお前らの身の安全を配慮し続けてきたと思っているッ!!」
――だから斬る! こいつは斬らねばならない!
さらに一歩力強く踏み出す。
大和の思考は、ただ斬るということにのみ集約する。
剣戟が一段と鋭さを増す。意識を傾け注ぐ、斬るということだけに。
ギャンッと護法縛帯の先端の金具が不快な音を奏で切り裂かれた。威力はそれで収まらず、ワイヤーのように強靭な特殊繊維で織られている帯び自体も切り裂いていく。
「・・・ばっ、ばかな。壊れただと!? 護法縛帯が? 神が造りし防御の護帯が、何の力もないただの鉄剣で・・・壊れた?」
「違う! 斬ったんだ!」
会心の当たりだったのは確かだが、壊れたのも斬れてのも狙ってやったものではない。が、感覚は掴んだ。
そして、結果として護法縛帯の一条が破壊され、ニタムは怯んだ。
――ならば! 畳みかける!
その怯みを勝機と見なし大和は刀から右手を放すと、ベルトに挟んでいた鞘を抜き放ち、即席の二刀流を作り上げる。勢い良く残りの五条の帯を弾き飛ばし、内二条を同様に斬り裂いて、一足飛びでニタムの懐に飛び込んだ。
一瞬、ニタムの顔が笑う。
しかし、大和もそれを読んでいた。
ニタムが至近距離からさらに二条の護法縛帯を放つ。隠し玉として持っていたようだが、その程度のことはあると難なく大和に叩き潰された。鞘に弾かれ、切っ先に切り裂かれ、隙を伺って放たれた奥の手をも無下に潰すと、容赦なく回し蹴りを叩き込んだ。
肋骨の軋み砕ける音を感じながら足を振り抜くと、ニタムの身体は五メートルほど吹き飛び、さらに五メートルほど転げまわり止まる。
吹き飛んだ衝撃で口内でも切ったのか、血反吐を履いて理不尽な世界に嘆く。
守られてばかりだった人間に、死を感じさせるほどの痛みを加える。
――これで少しは、勇者の苦悩を分かってやれ。
「ヒィッ! ば、ばかな・・・こんな・・・んっ・・・ぐ」
勝負はついた。結果は余りにも一方的だ。
ほぼ無傷の大和と、護法縛帯を半壊させられ、数か所の骨を砕かれ、全身を痛打する熱に悶えるニタム。
地に塗れ怯えた老人がそこに居た。
血を吐き、痛みに混乱し、哀れで薄汚い詐欺師の成れの果て。滲み出る哀れみが、大和の殺意を鈍くする。
――くそ、斬る価値もない。
「・・・勇者がこんな、所業をして、許されると・・・思っているのか! 誰が召喚してやったと思っている! 誰のおかげでその暴力を振るい腹癒せに殺戮が出来たと思っている! ・・・おのれ、どいつもこいつも私から奪うのか! なにもかも!」
大和はただ冷酷に見下ろす。油断なく構え、ニタムが何か怪しい動きをしようとしたら、腕の一本でも切り落せばいいと考える。
「その考えがおかしいだろ。なぜ勇者が絶対服従しなきゃならん。自分の目で何が正しいか見極めてこその勇者だろう? 斬られるべき悪に落ちたのはあんただ。あんたが進んで俺の敵に成っただけじゃねーか」
「おのれカゲサキ! お前もか! お前も我らを裏切るのだな!」
ニタムの言葉の出所も、感情の意味もなんとなく察していた。
恐らく、大和の祖父である影崎大造は勇者として召喚され、終末戦争に参加している。その過程で、もしくは召喚そのものにより、当時のフォノと好意的な面識があったのだろう。先ほどニタムが語った恋仲と言うのは別人の可能性もあるが、影崎大造はフォノと別れ日本に帰っている。その際に帝国も、祖父に協力していたのだろう。そして日本で結婚し、子供――大和の母に当る娘が生まれた。
ニタムはそれを裏切りと捉えているのだろう。
「勇者として活躍させてやったのだから死ぬまで尽くせとでも言いたいのか?」
ニタムの言葉は身勝手で傲慢だ。大和が侮蔑交じりに吐き捨てると、完全には的外れな言葉ではなかったようでビクリと肩を震わせる。
「ふふふふっ、幾ら私でもそこまでは思わぬよ。だが奴は、裏切ったのだ。人類を! 支えた全てを! 姉も! 何もかもだ! 奴は全てを裏切り魔王となった!」
「・・・・・・・・・はっ?」
流石に、大和の思考も及ばなくなった。
――そんな馬鹿な。あれは確かにバケモノじみた強さを持っちゃいたが、ただの爺だぞ? 魔法なんて使えないはずだし、角もないし・・・健康診断フツーに受けてたけど何も問題になってないしな。
「だから魔王の子よ! 死ね!」
叫ぶと同時にニタムは懐から拳銃を取り出すと、大和に向け引金を引いた。
乾いた破裂音が当たりに轟く。
祖父が魔王と呼ばれたことと、恐らくそれを含めてカゾリ村での大和の扱いが悪かったこと、そして銃で武装しているとまで思慮が及ばなかったことが重なり、躱すことすらできず銃弾を胴体に受け、大和は力なく崩れ落ちる。
足元が喪失したかのように力が抜ける。
――ヤバイ・・・う、撃たれた? ああ・・・くそ・・・いてぇ・・・力が・・・血が・・・抜けて・・・。
衝撃で気を失い、その直後に痛みで覚醒させられる。
銃で撃たれた経験はこれが初めてだ。多少の痛みに対する耐性は剣の鍛錬で身についていたが、銃弾による痛みはあっさりとそれを凌駕した。
ジーンズ風のジャケットは防弾仕様のはずなのだが、どの程度威力を減衰してくれたのかが分からない。まだこうして意識が辛うじて残っている程度、即死しない程度には身体を守ってくれたのだろうか。
――・・・ああ、いてぇ。痛い・・・これは死んだか・・・な。
薄れゆく意識で、認識できたのは、かなり傷が深く恐らく致命傷である事と。ニタムのやってやったと言うよりはやってしまったと言う顔に歪める表情だった。
視界が白く霞んでいく、死をしっかりと認識した。
やり残したことに対する後悔が膨れ上がる。
しかし何もかも今更だ。
――・・・こんな事なら・・・スティルのもん・・・どきゃよかっ・・・。
2016/09/15 誤字修正。




