第2話 勇者男組
翌朝、大和の目は死んでいた。
昨晩の出来事で、なんだかよく分からない黒ずくめの少女と、圧倒的に不利な状況下で試合ったのだが、その時の大和自身の服装があまりにアレだったせいだ。
「そんなんで大丈夫か? お前」
昨日に大和を塹壕から助け出した隊長風の男が、打たれ弱いメンタルを危惧して世話を焼いてくれていた。
あの後、蹲ったままの大和に業を煮やし――川に蹴り落とすことで――正気に戻させると、タオルと着替えと寝床の手配を行ってくれた。大和はそこで川での出来事を思い出して悶絶し続け、満足に寝られずいた。
今思い出しても、死にたくなるほど恥ずかしい。
「・・・もうお婿に行けない・・・」
「随分と、余裕あるな」
大和に、見られて喜ぶ趣味が無い上に――当時は意識する間もなかったが――真顔で命のやり取りをしたつもりになっていたのだ、傍から見れば滑稽でしかない。
「・・・消えてしまいたい」
「それは、それで困るんだが・・・」
本来ならば、即座に村長の所に連れて行くべきなのだったのだが、大和のが泥まみれの酷い恰好であったことと、それなりに身綺麗になった時間帯が遅すぎたため、村長への目通りは翌朝へと持ち越された。
そして夜が明け、泥を落としたジャージと、裸足だったために貰った運動靴を履いて、今は村長の家の前まで来ていた。
塹壕のあった前線の後方の野営地、さらにその後方にカゾリという名の村があった。人口は数百人程度の集落で細々とした自給自足の生活をしており、特産品もなく外貨を稼ぐのが非常に難しいとのことだ。
この男の話によれば、代々異世界から勇者を召喚する能力を授かった巫女を祀る村なのだとか。
要するに大和は、この村の都合で召喚されたわけで、本来ならば村長の方から頭を下げに来るのが普通だと思うのだが、村長が余りに多忙なため、こうして挨拶をしに来たわけである。
既に話は通してあるらしく、目通りはすんなりと行く段取りになっていた。村長の家は結構な大きさの平家であったが、通された応接室は異様に狭く感じた。分厚い壁に二重扉がその部屋の特徴であり、防犯の為にいろいろ策を尽くしているのだろうというのが初見の感想であった。
部屋には、初老の村長を始め、年の近い老体が五人ほど待ち構えていた。
どうにも生活指導で先生方に呼び出された時の様な威圧感を感じる。
「彼が昨日、戦地に召喚されたと言う勇者様か? どうなのかねユーデント君」
村長と思われる初老の男性の声に、ユーデントと呼ばれた隊長風の男が答える。この男は村に雇われている傭兵団の班長なのだとか言っていた。
「恐らく勇者様であるというだけです。戦地で発見しただけですので確証はありません。さらに言えば、こうなることを見越して送り込まれた間者の可能性もあります。・・・ただの迷子の可能性も捨てきれませんが」
「なるほどそういう危険もある訳だな・・・」
「やはり魔王の手の者か・・・」
「いや、それよりも帝国でしょう。最近はかなり干渉が露骨になってきています」
「例の組織の密偵の可能性も捨てきれぬ」
恐らく村の重鎮と思われる老人たちが手前勝手な意見交換を始めるが、ずいぶんと警戒を強めているようだった。大和は内心面倒にならなければいいがと、不安を募らせていく。
「まぁこの手の組織にはスパイは潜り込むものだからな。雇われの身の俺もこうして忠実に仕事しないと要らん疑いをかけられる」
それはそうだと、大和は逆に納得していた。
このユーデントという名の男は傭兵で、勇者の補佐をするために雇われているそうだ。実際戦闘に出ることは稀で、勇者がやらかした後始末や、物資の運搬、今回のような世話などが主な仕事であるらしい。
雇われの身である以上、ちゃんと仕事をしていますというアピールは必要だ。
大和自身は召喚を体感しているので、それ自体は間違っていないと思っているが、他人からしたらそれを確認する術はないのだ。ユーデントが左斜め後方で、腰の剣に手をかけている理由がよく分かった。もし危害を加えようというなら、紹介した手前、責任をもって処分しなければならないのだろう。
「・・・では、君。この水晶に手をかざして見てはくれんかね?」
痛んだ茶色のフードを目深にかぶった老人が、高価そうな座布団に乗った水晶球を差し出す。
大和は怪訝な表情を浮かべながらも、素直にその申し出に従った。この狭い室内でユーデントの背後からの一撃を躱して、大立ち回りをするというのは、かなり難易度が高い。無闇に逆らっても何の益もない。
大和が水晶に手をかざすと、僅かに発光しすぐに消える。
――鑑定とかの魔法か?
フードの老人以外発光に気付いた様子がないので、本当に微弱で僅かな発光だったようだ。
「ほほう。召喚された勇者様というのは本当のようじゃな・・・君、名前は? 次はその木剣を見せてくれるか? ・・・ふむ。ただの木剣じゃな・・・では次に・・・」
続けざまに質問をされ淡々と大和は応えていく。水晶に手をかざしたことである程度は個人情報を読み取っており、それの答え合わせをしているように感じた。
そして・・・、
「ふむ。残念ながら今回の勇者様は能無しじゃな。多少体を鍛えているようじゃが、それだけじゃ。勇者様としてなんの力もないただの子供じゃ」
そう評価された。役立たずと言われた。
「これを持っていなさい、君が召喚された勇者様じゃと身元を証明するものじゃ。これを持っておればこの村の中でなら最低限の生活はできよう」
いわゆるドッグタグを渡された、洋画の兵隊が首からかけているあれだ。4センチほどの小判型で、金属製の鎖が通してあった。すでに決められたナンバリングがされており、訪れた勇者に順番に渡しているらしい。大和が受け取ったものには893と刻印されていた。
凄まじく微妙な気分になる。
大和は勇者として召喚されながらも、勇者として期待されないことに憤りを感じたが「昨日の飛竜種を狩ってきて」とか言われたら泣いて土下座して謝る確信があった。敵の強さを知る前であったなら、それでもやれることがあると食い下がっていたかもしれないが、今となっては逆にホッと安堵してしまった。
「それでも一応、勇者様に召喚の理由を伝え置くことにする。元々このカゾリ村には勇者様を召喚することのできる巫女様が生まれる血筋があったのだ。我々はその巫女様を代々お守りしお世話する者たちの末裔ということだな。そして最近になって急に強力な飛竜種などが姿を現すようになって、巫女様に召喚を嘆願し勇者様に退治していただいている」
しかし、飛竜種は強力で生半可な力では対抗できなかったらしい。飛竜種が村を襲えば一日で壊滅しかねないほどの戦闘能力なのだそうだ。確かに滅亡に瀕していると言える。大和が受け取ったタグに893と刻印があったが、既に892人の勇者が召喚されており、その内の五百名以上が既に命を落としているとか。
――勇者のバーゲンセールかよ。
召喚された勇者の方が、カゾリ村の住人より多いような気がするほどだ。
大和のようになんの力も得られず召喚された者は極稀なケースだが、力を持っていても飛竜種には遠く及ばない者は後方にいるために生き残り、必死に頑張れば飛竜種を倒せるかもしれない程度の力を得た勇者が一番多く命を落としている。
勇者も飛竜種を倒せるだけの力を持つ者と、お荷物の二極化が進んでいるそうだ。
力を持ってさえいれば、鍛え上げることで飛竜種を倒せるようになるらしいが、力を持たない大和に出発点から違う。
カゾリ村の重鎮たちも、これ以上構う理由がない。
「とりあえず配属は男組で良いか、細かい配属は男組の長に委ねる。ユーデント君、案内を任せる」
こうして村長との話が終わり、勇者としての活躍の芽がないことを知った大和は微妙に複雑な顔のままで、退席することになった。部屋を出る時にすれ違いで入室しようとした、怒り心頭と言った感じの女性にぶつかりそうになり睨まれる。扉が閉まりきる前に、先の女性のものと思われる怒鳴り声が響いた。
「うわぁ、おっかねーな。流石女組の組長さんだわ」
「知っているのか?」
「まぁ・・・あれだ。昨日の飛竜種を一頭狩ったのはあの人だし。ただの傭兵でしかない俺じゃ頭は上がらんよ」
「飛竜種を狩ったぁ? マジで? どうやって?」
「ん? ああ、たしか実剣で首をバサッと斬り落として終了だったかな」
「確かにおっかない。でもおっぱい大きかったから許す」
「・・・お前、やっぱり勇者だわ」
「俺が男組を預かっている、源田仲利だ」
そう自己紹介してくる、四十代くらいの豪快なおっさんがいた。
村の外れの森を切り開いて、テントで寝泊まりしている勇者の集落の、男組。名称は何の捻りもなく男ばかりだから男組。冗談抜きで女性は属していない、むさくるしいが気楽でもある。
勇者の男女比は7:3くらいで男の方が多く、男組は二百人を超える大所帯となっていた。
その男の群れが思い思いの場所に腰を下ろし、昼間っから酒を呷っている。というか、周りの惨状から昨晩の宴会がまだ終わっていなかったと言った方が正しい。
「昨日三頭も狩ったしな。生き残りにも手傷を負わせたんだ、しばらくは襲撃ないと思うし」
とユーデントは比較的、この惨状に寛容な態度だった。飛竜種と言っても所詮は獣で、こちらが強いと思い知らせると暫くは大人しくなるのとのことだった。
「次も生き残れる保証はないわけだし、多少のハメ外しは必要だと思うぜ」
一理あるとは思う。しかし、大和の中では晩酌以外で酒を飲むのはろくでなしであると言う認識があり、頭痛がした。亡くなった両親が酒を飲んでいる姿は見たことがなかったし、現時点での保護者たる祖父も晩酌に軽く嗜む程度だったので、それが普通だと思っていた。
昔からの娯楽で未だ廃れないものと言えば、酒と女遊びと賭博だ。
女勇者は女組で纏まっており、手を出せば男女間で抗争になりかねないため分けられている。もっとも恋愛までは禁止されていないので、熱心に口説いている奴もいるとか。しかし以前には口説いた彼女を男組に連れてきたら、飢えた男共に酷い目にあわされた娘もいたとかで男組に女を連れ込むことは禁止になった。
賭博もそもそもお金がないので賭ける物がない。勇者に支給されているのは食糧等の現物のみで、後は我慢してくれという状態だそうだ。
そして最後に残った酒である。これだけは何とか提供できるようなので、可能な限り振る舞われているのだそうだ。
源田は酔いが良い感じで回っているのか、自慢げに自分の得物を語り出した。
「これが相棒である嵐の魔剣ストムゾン! 昨日も飛竜種の血を吸った業物だ!」
そう言って紹介してくるのは刃渡り二メートルはあろうかという斬馬刀とも鉄塊とも取れる両刃の直剣。どう見ても二百キログラムはありそうだった。とても常人が持ち上げられる代物ではない。
これが勇者の力の一つであるらしい。身体能力が強化され、冗談のような膂力が与えられているのだ。
周りの飲んだくれ達も源田の声に囃し立てる。
実力的に源田が中心人物なのだというのがよく分かった。
――日本刀の百倍以上の重さか、悪夢のような光景だな。それに、重さのイメージじゃ、0.2トンと言った方がそれっぽいよな。
「お前が新人のガキか、名前は?」
豪放と言えば聞こえは良いかもしれないが、傍若無人な態度に眉をひそめる。
しかし相手は年長者であり、所属することになる組織の長であり、一番の武功を積んでいる勇者の先輩である。それなりの礼儀は必要と大和は堪える。
「どんなカオスマターだ?」
――なにそのダークマターの親戚みたいな名前は?
と疑問が顔に浮かんでいたらしく、ユーデントが教えてくれる。
「勇者が召喚されるときに、不思議な空間をくぐる――ここがイデアゴラの門と呼ばれる要するに、異世界同士を隔絶している壁に開いた穴らしいんだが、そこの壁の材質だな。巧く門をくぐる時にそれを掴んでくると、そこの魔剣みたいになるそうだ。で村長の脇に居たフードの人はその辺の判定ができる魔術師なんだと」
「どんな奴でも、僅かにカオスマターを掴んでくるとさ。で、お前さんは? ん、無いのか珍しいこともあったもんだ。仕方ないな後方で兵站だな」
カオスマターによる武装がなければ飛竜種相手に戦うのは無理らしい。
武器として掴んでくるだけではなく、源田のように身体能力が著しく強化されたり、また魔法のような特別な超常の力が使えるようになったりすることもあるそうだ。このどちらでもなければ、飛竜種にあっけなく食われて終わり、大和のように運良く生き延びるという事もそう何回も続くわけはないのだ。
死んで来いと言われないだけ、ましなのだろう。
「つまりは荷運びの雑用係だな」
後方で荷運び。どう考えても活躍の芽はない。
「まぁそんな辛気臭い顔をするな! お前もこっち来て飲め! ここじゃ、ワインしかないがこれはこれで中々だぞ!」
「要らない。つか、未成年に飲酒勧めるんじゃねーよ」
「ここは日本じゃねーし、別に二十歳じゃなくても問題ねーから! 良いから、飲め飲め。そんな下らない法律ねーから気にすんな!」
「法律だから守ってるわけじゃねーよ。合理的でまっとうな規則だと思ったから、俺が守ると決めたんだ。それを指図されたくないね!」
飲酒を窘めるならともかく、勧めるようなバカはどうにも尊敬できない。大和にとって、この源田が年長者であることもどうでも良くなってきていた。
「俺の酒が飲めねーつーのかぁ!」
完全に酔っ払いだった。性質の悪い絡み酒だ。
そしてキレた。
大和の振るった木刀が、簡単にワインボトルを砕く。次はそのどてっぱらにでも一撃をくれてやると狙いを定める。
「やってくれたな! ガキ!」
源田は酔いにふら付きながらも立ち上がり、嵐の魔剣ストムゾンに手をかけると難なく持ち上げた。大和は若干眉をひそめるが、それがどうしたと吐き捨てる。はっきり言って昨日の黒ずくめの少女の方が強いと分かっていたからだ。
「躾はしないとな! 嵐よ薙ぎ払え!」
そう叫んでストムゾンの切っ先を大和から外し、後ろの森に突きつけると、刀身から魔力の風が吹き荒れ竜巻になって木々を吹き飛ばしていく。大和に直接力が振るわれたわけではないが、その余波だけで身体が吹き飛びそうになる。
――これが魔剣の力か、確かにこの威力なら飛竜種を倒せるのも頷ける。
竜巻の通った森はその形に木々を無残に破壊されていた。
「だが、隙だらけだ!」
大和は一気に踏み込んだ。嵐の魔剣の威力は大きい、逆に大きいので対人戦闘には向かない、隙も大き過ぎるのだ。相手を殺すために振るわれるのであれば、確かに素晴らしい力かもしれない。だが、あの巨大な刀身では手加減して切り付けるのにも相当に高い技術を必要とするため、互いに相手を殺さないと言う条件で戦うなら何の役にも立たない武器だった。
そもそも源田に剣の心得はないと大和は見抜いていた、所作が全てにおいて無駄なのだ。
――あばらの二三本は覚悟しろ!
振り抜こうとして、体が動かなくなったことに気付く。
――何が起こった?
激しく動揺するが、源田も同じように動けない。二人の体に緋色の帯が数条、蛇の様に巻き付いていた。踏み込み木刀を振り抜こうとした姿勢のまま、空間ごと固められた様に体が動かなくなる。
――なんだこれは?
緋色の帯は嵐の魔剣ストムゾンの刀身にも巻き付き、森を蹴散らした力を抑え込んでしまっているようにも見える。
「二人ともそこまでです! 源田様もいい加減酒盛りを終わらせてください。女組からの苦情も酷いのですよ」
声の主は村長だった。その手から放たれている緋色の帯によって二人は拘束されていた。
「流石は絶対防御を誇る護法縛帯。飛竜種の動きも封じ込めるという」
「いいえ、流石に飛竜種相手では数秒で限界です。それに人を拘束するにしても、私の魔力では一分と持ちませんよ」
言い終わるが早いか、巻き付いた朱帯がゆるりと解かれていく。村長の額には汗が浮かび疲労が伺えた。
身体の拘束が解かれると、源田は急にもよおしてきたのか「便所行ってくる」と慌てて席を立った。
「源田様も悪いお方ではないのですよ。ただお酒が入ると、どうも自制が効かなくなるようでして・・・」
言い訳じみた評価を聞き、大和は嘆息する。
「それは完全に駄目親父だろうに」
だが、大和が能無しと分かるや後方に回すと言ったことや、無理に酒を勧めたこともコミュニケーションを円滑にするための計らいであるならば、確かに悪人であるとは言い難い。
大和も中学の体育授業でやった失敗を、繰り返してしまったことに気付き、取り敢えず心の中で頭を下げておいた。
「駄目だな俺は、あれから一年も経つのに何にも成長していない」
自身の未熟さを嘆いた自虐的な笑みが、大和の顔に張り付いていた。
2016/09/04 誤字修正 一部加筆