第176話 完遂の為に
「ところで貴様は何時までそうしているつもりだ?」
軽くシャワーで汗を流して、のんびりと昼食なぞ頬張り、午後は何をしようかと思案を巡らせていた大和に、おかんむりなのか言葉の端々が妙にとげとげしいスティルの言葉が降った。
「良いじゃないか・・・飯ぐらい普通に食わせてくれよ」
「そういう意味ではないわ馬鹿者」
スティルが問い、少し恍けた様に答えを反した大和に、意図の通じなかったことにさらに罵詈を重ねる。
「何時までここにいるつもりだ? 何時まで先生の望みが叶うことを引き延ばせば気が済むのだ?」
そこまで言われ、ようやく大和も気が付く。
スティルは本日の予定の、時間が押している事を注意してきたわけではない。最近の大和の生活態度から、日本へ帰還することをどうにも拒んでいるようだと看破し、その真意を問いに来たようだ。
大和が帰還することで、スティルの先生である上野悦子の希望が完遂されるのだ。完遂を拒むのであれば、それ相応の言い訳は用意して貰わなければならない。
これが魔王機との戦闘後に交わした、生身の会話であると言うのが妙な距離感を産んでいた。
「確かに私に非もあり、貴様も身体を回復させる必要があった。だが、条件が満たされて三日、動こうとしないのは何故だ?」
「・・・シーゼルの修理だってあったし、子爵領だってやることがあるだろう・・・」
「シーゼルはとうに直って居るし、元々子爵領は私にくれるものだった筈だ。貴様に頼らねばならない事は無い。その為に人材も物資も手配してきた筈だ」
元々の計画では、大和が日本へ帰還する気が充溢していた時には、龍騎士として管理運営を押し付けられた子爵領の運営を、スティルが第三皇女としてではなく、一個人として、もしくはステラ・ルーゲン・ヅィスターバという別の人間として名代になり運営していく手筈だった。
皇帝には直接説明したわけではないが、正確に目的は伝わっており、その援助も受けている。
もっとも皇帝自身は、龍騎士となった大和が、自主的に帝国に留まり交友が続いて行ってくれることを望んでいたので、足留めとなる甘い罠を幾つも紛れ込ませていた。
そうして送り込まれたのが、子爵の館に女中として送り込まれた女性たちである。彼女らは全員が身分のしっかりした・・・帝国貴族の息女であり、子爵どころか伯爵家の出の者も居るほどだった。ヅィスボバルト子爵として見れば、結婚相手に過不足の無い身分の少女ばかりだ。
これも皇族であるスティルに仕えることになっても、作法や礼節がしっかりと教育されており、問題が起き無いような人選であった。事実、下級貴族の息女などは、政略結婚の駒にすらなれない場合があり、上級貴族の家に女中として働きに出ることは割と一般的な事だった。
彼女らの――正確にはその親の――思惑としては、龍騎士の御手付きになり、妾か愛人にでもしてくれれば社交界で他貴族に無い、龍騎士との繋がりを誇示出来るようになると言う下心がある。
そう上手く事が運ばなくとも、龍騎士が領地運営に必要な物資を購入する際に、購入先の選定や商品の紹介をさりげなく行えば、自領との取引を増やせるのだろうと皮算用はしていた。
しかし、色事に関しては、スティルを始め、デリアーナやファルマチアが鉄壁とも言える防壁として機能したので、幸か不幸か大和が男として責任を取らなければならない事態には陥っていない。
「ヅィスタム村やラニのことだってあるし・・・」
「獣人の村などは、今までに一切交流がない訳ではないし、探せば伝手もあろう。保護したラニとやらの妖人はデリアーナと面識があるのだろう? ならば取り敢えずは奴に一任しておけば問題ない。繰り返すがな大和。貴様が残らなければならない理由にしては弱い。貴様でなくても変わりにできる者はいるのだ」
スティルの弁では、大和が執着を見せている事柄全てに、大和でなければならない理由が無い。確かに効率を重視するのであれば、本人が直接迎え入れられてヅィスタム村や、怪我の面倒を見て匿っているラニなど、大和が居た方が良い。
だが、居なくても何とかできる。
大和でなくとも良いのだ。
現状で唯一大和無しでは考えられない事は、龍騎士としてシーゼルを駆ることになる。しかしそれも、スティルが居ればいい。一応は次期候補に推挙された人物であるため、代役が出来ない事もない。もっとも大和程の戦闘を期待されても、それに応える働きは不可能だが。
だが、魔王機関すら跳ね除けた当代の龍騎士にわざわざ絡んでくる輩が、そういるとも思えない。
大和が龍騎士として残ることを宣言してしまえば、誰も止める事はしないし、出来なくなるが、帝国を始めとするこの世界の各国は懸命に“召喚勇者離れ”をしようと努力に、返って水を差すような事態になるだろう。それを知らされている大和も、その手は使うべきではないと考えていた。
一人の人間の我儘で、何億の人間の決意が無駄になると知っているのだ、自分にそれだけの人の意思を挫く覚悟が無ければ、到底口にできる言葉ではない。
こんな事ならいっそ、魔王機関で誘われた時に、魔王の後継者の座に着いてしまえばよかったのかもしれない。
――今更何を思ってるんだか・・・。
一度砂を掛けた相手と、今更手を取り合うことはできない。
――結局は、覚悟を決めなければならないってことだよな。
覚悟が決まっていないから、口にした言葉で相手を説得できずにいるのだ。
姑息なその場しのぎの言葉しか紡げないのであれば、誰も着いて来てはくれない。
誰も認めてくれはしない。
――覚悟を決める。・・・そして俺にしかできない、俺が帝国に居る理由を告げる。
スティルが求めている事は、大和でなければならない何かを提示する事。
代行、代替できる事であれば元々の住人に任せ、先生の望みを優先して欲しいと言う事だ。
先生の望みを上回る、大和個人の願望・・・いや欲望。
スティルが納得するほどとまでは行かなくても、折れてくれる内容が必要だ。
それを提示しなければならない。
つまりは、大和がスティルに対して抱いている、好意を、感情を伝えるしかない。
しかし、一つだけ予測不可能な障壁が存在する。スティルが大和の好意を受け入れてくれるかだ。
告白して玉砕では、日本に還るしかない。
いや、スティルの性格上、先生の望みを優先する可能性は高い。
例え好き合っているとしても、振られる可能性があった。
――だが、それがどうした。
“それしか手段が残されていない”と考えるのではなく“この手段ならば勝算はある”と思い込むことにする。
急に下っ腹が重くなった。
急速に冷えまるで体の活力が失われていくかのような、膝が挫けそうな緊張が襲い掛かる。
折角汗を流してこざっぱりとしたはずなのに、背中を伝う汗は、騎士相手の模擬戦で掻いた汗を軽く上回る。
心臓の鼓動はまるで自分の物でないように暴れだす。
――逃げたい。むしろ泣きたい。
強過ぎる緊張が、感情の制御を困難にさせる。まだ魔王機を戦った時の方がマシだった。
闘争心や殺気と言った全ての感情を、敵を斬るために一点に集中し尽した時とは全く違う。対象に滾る情熱をぶつけようとしているのだ、真逆と言っても良い。
――スティルに対して抱いている好意があるのはしっかりと自覚したじゃないか。後は好きだと伝えるだけ。
それが出来て第一関門突破。
スティルがうんと頷いてくれれば第二関門突破だ。
玉砕上等と顔を上げる。
少しばかり生意気そうな表情は、真っ赤に染まり、昂ぶった感情が制御できず泣き出しそうな顔へ歪んでいた。
「スティル。俺はお前のことが、好きだ・・・」
締まらない。そう思いながらもどうにか言葉を、感情を体外へ弾きだす。
不慣れながら、実に無様な告白だった。
「知っている。私も貴様・・・大和に好意を持っておる」
思わずやったと破顔する。
緊張のあまり目に溜まっていた涙が、嬉し泣きを見せようとするが、続くスティルの言葉がそれを遮った。
「それで貴様はどうしたいのだ?」
どうしたいと面と向かって聞かれても困ってしまう。お互いの気持ちを確認し合い、恋人としてお付き合いが始められればいいかなと思っている程度だ。口付けすらまだ遠い未来だ。
「スティルのことは絶対に護る。何があっても・・・だから俺と一緒に居て欲しい。俺がここにいる理由になって欲しい」
絶対護るなどと生半な覚悟では言えない言葉だ。そして大和に至っては、事実それを実行し得る力を持っている。
敵対するなら魔王すら斬って捨てる、己の危険も顧みず、命を賭して守る。
何の見返りも求めない、無償の愛。
その存在の影が微かに視界に移ったような気がした。
それはあり得ないものだと、スティルは知っている。
一般的に言われる無償の愛などと言うものは、存在しない。夫が妻を守るのだとしても、父親が子を守るのだとしても、兄が妹を守るのだとしても、そこには夫婦親子兄弟と言った家族の絆があるから成せる事なのだ。
そしてその絆の形成も非常に難しく、その絆が無ければ、血縁だろうと邪魔者と成れば容易に排除しようとする。
スティルとて、今の皇帝は兄であるが、血縁上そうなっているだけで、兄と慕った記憶はなく、情だけで行動することはないだろう。皇帝に命じられるのであれば従うし、皇帝のために尽くすことも止む無しとも思う。だがそこは無償ではない。皇帝のために働くことが、帝国の為であり、自分の望む結果が得られるからだ。
だが大和は無償で護ると言う。
いや、今までも無償で護って来てくれた。
――私の望みすら踏み躙ってな。
大和は護った代償を求めてこない。
それこそ身体を求められた方が分かり易い。大和がそう言う行動に出てくれていれば、一連の行動が、好意の感情の発露であると受け取ることが出来た。
極論で言ってしまえばスティルを護る事が手段で、その命や体、ないし心を目的として欲せなければならない。
結果として、幸せな家庭を作るとか、それこそ劣情に身を任せ肢体を貪るとか、そう言う目的があるなら分かる。守護対象が大切だから護るという簡単な思考だから、受け入れることも出来る。
大和の思考がそうであるなら、スティルも安心して護られることが出来る。
身を委ねられる。
――だが、この馬鹿者は違う。私を命を賭して護るくせに、私を求めないのは何事か!
それはなんとなくスティルが感じていたことだった。
ただ命を護るだけなのだ。
逆に命を護る為に、心や尊厳、決意と言うものを平然と踏み躙る。
それらにまるで命以上の価値が無いとばかりに無視する。
無自覚に、無遠慮に。
それが鼻につくのも事実だ。
大和の目指している目的が、スティルの望んでいる物ではないのだ。これは致命的な傷になる。恋人止まりなら問題ないだろうが、将来的に結婚を視野に入れた場合、仲違いに発展する目的の乖離だ。
帝国が、皇帝が自分を不要と判断した場合、護る為に帝国へ牙を剥くことは、容易に想像できた。
――大和は私など見ていない。
そう、大和がスティルを護ることで得られている代償は、大和自身の価値だ。
誰か一人、この人と決めた女一人護り切る力。己の利用価値、存在理由を誇示しているに過ぎない。
――それはつまり、強迫観念ではないか! 自分には力があると誇示したい“出来そこない”だの“役立たず”だのと言われた召喚勇者の意趣返し! フォノを護れなかった己の無力を嘆いて、代わりに私を守ることで無力ではないと証明したいだけではないか!
それもこれも大和が召喚勇者であるせいだ。
首根っこを押さえつけ、こちらに視線を固定しても、ダメなのだとスティルは悟っていた。
今までは、どうにか大和の行動を御していた。引っ張り回し、引っ掻き回し、意図する方向へ操るように、手を引いていた。だがそれも、何時からか覚束なくなり、今では完全に手を離れてしまっている。予想もつかない方向へ、狂い出していた。
フォノの今際の際の言葉が、呪いの言葉のようにも思えて来た。いや、こうなることが予想できたからこそ、早期に諦めるようにという友人からの最後の忠告か。
どのみち彼女の言葉通り。
勝つと宣言したが、今のままでは難しい。
悔しいが、口惜しいが無理だと思い知った。
それに自分はもはや帝国にとって自分は何の旨味もない第三皇女だ。
このまま生きて散財し、国庫の負担になるくらいなら、さっさと始末した方が良い。だが龍騎士を帝国の客人として留めるための楔として機能するはずだと、自身に言い聞かせてきた。
だが影崎大和は所詮召喚勇者、帝国への帰属意識は無く、自分の大切な物の為に帝国に牙すら剥きかけない危険人物。
それを帝国の心臓部へ固定するような棘になり果ててしまう。帝国の利益を第一に考え生きて来たスティルには、その事実は耐え難い。
――排除しなければならない。
確かに帝国にとって恩人だ。もし大和がいなければ、カゾリ村事件で命を落としていた可能性は高いし、あの事件が連中の思惑に沿って進めば、帝国はそこら中で反乱を起こされ、国体が揺らいでいた可能性がある。
だが今の大和は、帝国の獅子身中の虫となりかねない。
過ぎた薬が、毒へ変容しつつあるのだ。
その害が広まる前の今なら、まだ排除が可能なはずだ。
まだ互いに、決定的な仲違いをする前、お互いに恋心のような物を抱いている今なら、損害が少ない状況で別れられるはず。そう、説得しなければならないと意気込んできたのだ。
そう思い大和がのんびりと、日本へ還る気配も見せず食事を摂っている姿に、苛立ちを覚えてしまった。
そして、何を勘違いしているのか、告白なんぞいうものを寄越す。
好意があるは知っているし、こちらも相応の好意を抱いているのも自覚している。
確かに大和の告白を聞いて、心が弾まなかったと言えば嘘になる。本当に大和が自分の事が好きで、生涯を護ると誓ってくれるのであれば、笑顔で受け入れられただろう。
だが、幾ら一念発起した告白とは言え、それを受け入れる事は出来ない。
「・・・だから俺と一緒に居て欲しい。俺がここにいる理由になって欲しい」
と熱の籠った言葉による、直球勝負だ。
「お断りだ。馬鹿者」
痛烈に跳ね返す。受け取った物が恋文であるなら、目の前で破り捨てるくらいの意気込みで。
「貴様のその感情は男女の好意ではないわ。痴れ者め。貴様のそれはただの強迫観念だ。護れなかったフォノの代わりに私の命を護っていたに過ぎない。後悔と責務の産物だ!」
もっと冷静に、感情を押さえようと思っていたのだが、口を突いて出た言葉は感情の波に呑まれた、淑女にあるまじき見っとも無いものだった。
タガが外れる。
感情が溢れる。
こんなつもりはないと、制御しようとするが及ばない。
代替品として護られ、自己満足に浸っている。そう答えを出してしまったせいで、その想いから逃れられなくなっていた。
大和もスティルの言葉に、一瞬で頭の中が真っ白になり、理解が及ばないのか呆けた顔のまま固まってしまう。
「思い返して見せろ! 貴様が私の気持ちを汲んでくれた事などただの一度もなかろうに!」
思ってもみなかった誤解だ。
そう大和の思考は判断するが、混乱は収束を見せず、言葉にならない。
「・・・そんなことはない。何時だってスティルの身の安全を考えていた!」
「ならばなぜ私を救った! 帝国の為と捨てた命を何故救った! 帝国の為と望んで魔王核になった私を何故救い出した! 何故放っておいてはくれなかった! 何故あのまま殺してくれなかった!」
涙が頬を伝う。
魔王機関による魔王機の運用は、龍騎士以上の抑止力になり、各国は無謀な諍いを減らすはずだった。
目障りな紛争に尽く介入し、鎮圧、平定させることが出来たはずなのだ。
当然、帝国の利益にも繋がる。そう自分に言い聞かせた。
「どんな思いで身を捧げることも飲んだと思っている!」
当時、スティルの身辺を護っていた兵士たちは、玩ばれるように殺された。全ては悪い魔法使いを演じるルゴノゾールによる、スティルの心を折る作戦の一環だった。
そしてスティルも、これ以上の抵抗は帝国軍の被害を拡大するだけだと判断し、自らの意思でルゴノゾールの提案を受け入れた。
帝国の損害を天秤にかけられ、協力せざるを得ない状況に追い込まれたとは言え、自害すると言う手段を選ばなかったことは、反逆行為のであるとも思っていた。
だからか、何食わぬ顔で帝国へ戻ることは躊躇われた。
決別をした。したつもりになっていた。
帝国のためとはいえ、長い目で見れば帝国の利益に繋がると判断した事とはいえ、生まれ故郷を捨てた・・・捨てる覚悟をしたのだ。
それを全て、大和の“気に食わない”と言う感情で、台無しにされたのだ。
仲違いは難しいですね。




