第17話 少年たちの反撃
高城美咲は男組に救援を求めるように、女組の組長である荻原莉緒に命じられていた。
しかし、この使命は山岳要塞を包囲する妖魔の群れを、単身で突破しなければならないという危険を孕んでいた。一歩でも間違えれば、それこそ些細なミスが原因で妖魔の捕らえられてしまえば、慰み者となるか餌として食われるかのどちらかだ。
自分たちの、女組全体の命を守るためとは理解している。安全な管理室から出て行かなければならないが、全体のことを考えて追い出さなければならない立場の莉緒のことを想うと、恨み言は一切浮かんでこなかった。
――莉緒のことだから、すごく、葛藤してるって・・・分かるよ。
客観的に美咲と莉緒の身体能力を比べれば、その結果は歴然だ。物音を立てずに移動することや、速く走ること、跳躍能力や木登りの技術など、体を動かすことに莉緒に劣る要素は何もない。危険を承知で行動するならば成功率が一番良い人選をすべきだ。
それに組長の本当の仕事はこの妖魔の襲撃を撃退した後にある。組長は責任者であり、責任者が最後に責任を取るのだ。間違っても、組長が逃げ出したと取られることはすべきではない。女組の秩序が崩壊する危険がある。
能力を評価されての人選だ。覚悟はストンと腹に収まった。
美咲は命令を受け妖魔の侵入状況を確認すると、すぐさま走り出した。幸いにも大和が風呂を探していた時にあちこち歩き回ったことで、要塞内の通路により詳しくなっており、妖魔の侵攻ルートを少し迂回するだけで遭遇せずに外へは楽に出られた。
要塞を出てからは叢の陰から陰へ這うように移動し、時には木に登り猿のように枝から枝に飛び移り、妖魔の目に留まらない速度とルートで男組に急いだ。途中どうしてもカゾリ村の中央部を通過するために通りがかれば、何やら騒がしい。
――まずい。・・・男組も妖魔の襲撃にあった?
それにより、どの程度の被害が出ているかが分からなかったが、無傷では済まないだろうし、村人の護衛もある。当初期待していただけの戦力を借りられる可能性は無くなった。それでも縋る思いで、組長を見つけると付いて避難所に入り助けを乞うた。
そして、結果はこのざま。
女組は役立たずと村人たちに罵られることになった。
――今まで飛竜種から村を守ってきたのは誰だと思ってるの!
叫びたかった、が出来なかった。
それは今必要のない、無意味な行為だからだ。今ここで諍いを起こしても、女組の助けにはならないことを理解しているからこそ、辛うじて感情の爆発を抑え込めた。美咲にできたことは涙を堪え、必死に頭を下げ懇願することだけだ。源田は直ぐに動こうとしてくれたが、村人を無下にできず足が止まった。
終わったと思った。
女組の全滅が脳裏を過る。
これでは男組が動けるようになるまで時間がかかる。説得にしろ組を立て直すにしろ、その要する時間で女組は全滅しかねない。
そして大和が「俺が行く」と声を上げた。・・・嬉しかった。嬉しかったが、それ以上に迷惑だった。
幾ら大和でも無理だと思ったのだ。だが止める間もなく駆け出して行く。そしてそんな大和を仕方ないなと苦笑いしながらついて行く美形の勇者――宮前――を見て、美咲もついて行くことに決めた。ここで置いてけぼりにされるのも、ただ一人生き残るのも嫌だった。
「で大和、君に勝算はあるのかい?」
「宮前、喋る余裕があるなら速度上げるぞ! って美咲も付いてきたのか・・・避難所で休んでるわけには・・・いかないわな。仕方ない、美咲これを使え」
「・・・これ、スポークガン」
大和が背負っていた荷物の内の包みを一つ美咲は受け取った。男組に報せとして走るのに邪魔なこともあり、大振りのナイフしか持っていなかった美咲には、正規の弓ほどではないが間合いが伸びるだけナイフよりも心に余裕を持って戦える有難い武器だ。
自分の為に一所懸命に作った大和から武器を奪ってしまう形になり心苦しくはあるが、練習の甲斐もありしっくりと手になじむ気がした。
――多分・・・ボクなら大和よりも巧く扱える。
矢となるスポークも軽く百本を超え、その重さが頼もしく感じる。
「宮前は美咲の直衛をやってくれ! 正面は・・・」
「オレと大和のツートップで叩く! いいな!」
「・・・三岡、お前まで来たのかこの馬鹿。フォ・・・巫女様を守ってろよ」
「オレにもオレの事情があってな。男にはあえて危険に飛び込まなきゃいけない時だってあるさ。お前にだって、わかるだろ? それにな、ちったぁ成長してるってところも見て欲しいしなぁ!」
「そうかい! さて、そろそろ妖魔が来るぞ!」
前方を見やれば百体ほどの妖魔の群れが、女組のキャンプから村へ向かって迫ってきていた。
美咲は以前練習したことがあるとはいえ、走りながらの照準というのはなかなかに難しかったが、妖魔もかなり密集しているため外してしまっても完全に無駄にはならないと思い切り、チューブを引いて放つ。放ち放つ。
剣の距離になる前に、少しでも数を減らしたい一心で放ち続ける。
矢は妖魔に突き刺さり、場所によっては貫通し、威嚇のための雄叫び以外の声が混じりだす。それは確実に損害を与えた証左で、即席武器にしては十分な戦果だった。
美咲の放った矢が運悪く急所を貫き絶命した妖魔が倒れる。妖魔の血の匂いが不快だった。
「・・・ゲームみたいに光って消えればいい、のに!」
美咲がやったことのあるゲームでは大概そうだった。倒されたモンスターは経験値とお金に変わり、稀に高価なもしくは有用なアイテムを落とす。恐らく、ほとんどの日本人にとって“モンスター”とはそんな認識しかないだろう。
醜悪な外見、下卑た耳障りな鳴き声。視覚と聴覚に訴えるモノならゲームでも再現できるだろう。しかし、嗅覚、味覚、触覚までは再現できない。それこそ完全なバーチャル空間で遊ぶ様なゲームができても、全ては再現されないだろう。
汚物のような臭い、吐き気を催す空気の味、べちゃりと張付くような肌で感じる空気。
「・・・気持ち、悪い・・・目が、シパシパする。・・・心臓が熱い、お腹が重い。・・・早く終わらせたい」
全てを投げ打って逃げ出したかった。
妖魔の姿も声も何もかも、傷つき苦痛に呻く声すら怖かった。手が震え、意識が纏まらなくなってくる。それでも美咲は矢を放った。命のやり取りは飛竜種相手に数度の経験がある。MSSの装甲に守られて操縦するのと、生身で戦うのは勝手は違うがその経験が戦場にその身を踏み止まらせていた。
それに、失うであろう物の大きさをよく分かっている。
まだ一月も経っていないが、それなりに苦楽を共にした友人たちの命がかかっているのだ、恐怖は我慢できた。
――そう。・・・ここでボク達が妖魔の注意を引けば、剣士隊に掛かる圧力も弱まる。・・・男組が・・・源田さんが、救助隊を編成して、助けに来てくれるまでは、持ちこたえられるかもしれない。・・・だから、逃げない。
気が付けば、美咲は既に目視でいちいち確認せずに矢を番えて放っていた。
恐怖で顔が引きつっていたが、それでも矢を引き搾り妖魔目掛けて放つ。
「・・・負ける、ものか! ・・・絶対に!」
「行くぜ! 聖剣アクスザウパーッ!」
取り敢えず三岡のこの叫びに、聖剣に宿された力の解放とかいう意味は、ない。
ただ己を奮い立たせるために叫んでいただけ、言ってしまえばただのノリだ。
三岡も日本に居た頃はそれなりに学生同士で喧嘩はしていた。まれにナイフなんかをひけらかす馬鹿は居たが、斬り合うようなことはなかった。脅すつもりでだしただけ、ナイフによる怪我を連想させ戦意を喪失させるのが狙いだ。
だが妖魔は脅すつもりではない、殺すつもりで刃物を振りかぶる。
産まれて初めて本物の殺気を叩き込まれた。
雑多な、剣なのか鉈なのか、それこそ折れた槍の穂先なのか判別のできない、錆びついた刃物で武装した妖魔と対峙して怖気づいてしまったのだ。あんな物で切り付けられたら怪我では済まないかもしれないと、不安が心の隅に入り込んだ。
怖い、冗談じゃない、死ぬのは嫌だ。そんな感情が心を占めていく。
走る速度を落とさなかったのは純粋に見栄だ。大和に負けられない、結構可愛い女子も見ている、笹沼美鳥に教えてもらった剣を腐らせたくない。そんな思いが背を押し続けていた。
だから叫んだのだ。自分を叱咤するために。
目に力を入れ直し、眼前を睨みつけると数体の妖魔が吐出してきた。覚悟は間に合わない、でも体を縮こまらせては後悔もできなくなってしまう。そして、こいつらを蹴散らさなければ女組のキャンプには到達できない。
女組の窮地は、救えない。
「オレの邪魔をするんじゃぁねーーーーーよぉお!!」
群れから飛び出してきた一体と切り結ぶ。
野球のスイングのような不格好な斬撃で、妖魔の剣を弾くと返す刀で、妖魔の左腕を斬る。伊達に聖剣と言うだけでなく、その斬れ味は凄まじかった。妖魔の骨をまるで豆腐を箸で崩すように斬り飛ばしたのだ。
「おおおおおおおおおおおおおぉぉぉっ!」
あまりの斬れ味に怯んだ妖魔目掛けてさらに追撃を加える。肩口から袈裟切りに斬り裂き、妖魔を追い込むと止めとばかりに刀身をその腹に叩き込む。鮮やかに斬り裂かれた腹から血と内臓をまき散らし妖魔は動かなくなった。素人の剣で四撃、完全に武器の、聖剣アクスザウパーのお蔭である。
命を奪った感触が手に残る。背筋がゾクリと嫌な悪寒を感じた。
「ふん! そんなこと知るか!」
殺した感触に耐えられず気が触れたり、二度と戦えなくなったりするなんて話を三岡も聞いたことはあった。
その答えがこれである。知るか。
そう言う過去の事例や判例、そんなものは知らない。自分の身には関係ないと切り捨てる。
三岡にも守りたいものはある。それが今回は笹沼美鳥という女性の生命だ。極論を言ってしまえば、男ばかりの男組はどうでもいいのだ。この感情は三岡が正常な男子であることに起因し、ただ格好良く、奇麗な立ち居振る舞いをする女性を守りたいと思った。ついでに、勝手に弟分認定していた大和と宮前位は守ってやるという程度だ。
どのみち、命を奪った業に苦悩する時間の余裕はない。直ぐに次の妖魔が襲い掛かってきた。
避けて、いなして、反撃し、斬り付け、追い詰め、止めを刺す。
「なかなかどうして。初陣だってのに、オレもやるじゃないの。・・・ああ、いいぜ? 死にたい奴から掛かってきなッ!!」
最初に有った焦りも、妖魔の見てくれからくる怯えも、斬り伏せていく度に薄れていく。驕りに繋がりかねない危険な感覚であったが、それを自ら諌めることは今の三岡には無理な話だ。このまま増長すれば、いずれ痛い目を見る。それも最も手酷い形で。
だが、そうなる暇は与えられなかった。
天狗になりかけた鼻は、あっさりと叩き折られ、磨り潰される。
「・・・おい、なんだよ、あいつ。妖魔以上のバケモノじゃねーか・・・」
三岡の視線の先には、大和の姿があった。
最初は、妖魔達の注意は鉄の剣を持った二人に集まっていた。
後ろにいる女はよく分からないガラクタを持っているという認識だった。妖魔には“弓”を認識する程度の知能があったので、攻撃が始まると警戒心は“餌”から“邪魔者”に一気に跳ね上がった。しかし、一矢の威力が弱いこととそんなに遠くまで飛んでこないこともあり“邪魔だから早目に倒そう”程度の認識に留まった。
対して、二振りの剣は妖魔達から見ても物欲を掻き立てられる業物で、殺して奪い取るつもりで襲い掛かる。片方が突っ込んでくるので、都合よく一人ずつ仕留めれられると思ったほどだ。
だから前に出てきた男に襲い掛かった。結果として返り討ちに会ったが、剣の斬れ味をまざまざと見せつけられ返って士気が上がった位だ。あの剣を自分の物にできれば、妖魔の群れの中でかなりの上位につけると目論んだ。
そして最後の一人に対しては、愚かにも脅威として認識していなかった。なにせ木の棒しか持っていないのだから、鉄の剣を持った方に注意が集まるのは仕方ないのかもしれない。
だがそれは、妖魔達にとって悲劇となった。
襲い来る妖魔に対し、大和は鋭く木刀を突き入れる。
どっと鈍い音と共にその妖魔は絶命した。大和の突きが的確に咽喉を潰し、その妖魔が崩れ落ちるよりも早く、次の標的の首に木刀を叩き込んで頸椎を砕く。さらに迫りくる妖魔の眼窩に切っ先を突き刺し、そのまま脳を破壊する。
大和に襲い掛かる妖魔、大和に襲い掛かられる妖魔。共に違わず一刀にて命を摘み取られていった。
「敵あれば斬る」
ぼそりと呟く。
それは戦場における大和の心構えであるとともに、一種の自己暗示だ。
“敵”は排除すべき対象で、その処遇について対処法について、良心が口を挟む場所はない。大和は幼い頃からそう育てられ、物心が付いた時には既に剣を振るい、その心構えも骨身に染み込んでいた。
淀むことなく、木刀が振るわれる。
一体の妖魔が肉薄し大和の剣の間合いの内に入り込むが、やおら大和に肩を掴まれ、柄頭で顎を押されるように強打され、鈍い音と共に首がグルリと捻じれて真後ろを向いて二度と動かなくなる。手の届く範囲は死の間合いと化し、躊躇いが生じタタラを踏めば一気に詰め寄られる。
大和が一歩進むたびに妖魔が崩れ落ちる。崩れ落ちた妖魔は息があっても二度と立ちあがれないような致命的な損傷を負っていた。
大和が一歩進むたびに妖魔が絶命する。無駄のない、素早く鋭い一閃が容赦なく呵責もなく命を摘み取っていく。
まるで、耕運機よって刈取られていく稲穂の様に、バタリバタリと妖魔は数を減らして行った。
三岡の手により三体が切り捨てられる間に、大和は十五体ほどの妖魔を地獄に送り込んでいた。そんな大和に戦慄を覚えた三岡が、呻き声のような感想を漏らしていた。
そして、この損害を受けようやく妖魔達の注意が大和に集まった。妖魔達もやっと分かったのだ、この男が一番危険であると。
「言ったろう? 全て蹴散らすって、なぁッ!」
大和の攻撃は至って地味だ。無駄な動作が少なく、容赦なく急所に致死量の衝撃を打ち込むのだ。妖魔の反応速度を上回った剣撃は正確そのもので、なす術もなく妖魔は崩れ落ちていく。
妖魔の攻撃を躱す時でも半歩身をずらし、紙一重とまでは言えないが余裕をもって躱す。そしてカウンターはきっちりと叩き込み、攻撃の代償として命を奪う。
大和が更に一歩踏み出すと、妖魔達は三歩下がった。
しかし妖魔のある一体が吠えると、再び体勢を立て直してくる。隊長格の個体が喝を入れたのだろう。彼我の戦力を考えればまだ妖魔達は二十倍以上の兵がいるのだ、勝てる筈だと考えるのは決しておかしくない。
わらわらと残っている妖魔達が大和を包囲しようと展開しだす。
「それこそ、望むところだ」
隊長格の妖魔は、下っ端を優先的にけしかけているので、妖魔達の肉壁のやや後方に位置していた。一瞬だけ大和と視線が交わると、その妖魔はニヤリと口元を歪めた。指揮官を潰すことで士気と統率の崩壊を狙うのが、これだけの人数差のある戦闘では定石となる手段だと、隊長格の妖魔も知っているようだった。下っ端に喝を入れつつ、士気を下げないように――つまり、下っ端に自分を盾にされたと疑われないように後方に下がることで、指揮官である自分が戦闘するまでの時間を引き延ばす。実力差があろうと体力が尽きればその差も埋まる。今はまだ優勢であっても五分後、十分後なら勝敗も変わってくると見越しての布陣だった。
だがそれでも大和はニヤリと笑う。確かに今は一分でも時間が惜しい、早く女組のキャンプに行く必要がある。しかし、妖魔達は大和のこの戦闘での目的を理解していないか、理解していても実行できなくなっている。包囲して追い込むのではなく時間稼ぎの為に距離を取って戦った方が、大和達には辛い戦いになった。
「お前は最後だ、そこで最期を見て居ろ」
息も合わせたことのない連中と肩を並べて戦うより、敵に包囲されていた方が余計な気を使わなくていい分、大和は気楽なのだ。剣を振り回し中る範囲に居るものは全て敵、全てを薙ぎ払えばいい。
妖魔達に囲まれてなお大和の侵攻は止まらない。妖魔達の攻撃は尽く避けられるのに、大和の攻撃は避けられない致死の一撃だ。この差は埋めようがなかった。
「時間が押してるんでな、手短に終わらせる!」
宮前は他の三人と比べてしまうと、明らかに動きが悪かった。
助けるために来たはずなのに、女組に思い入れもなく命を賭して戦う覚悟というものが一番できていなかった。
――怖い。
妖魔の外見そのものや、行動や挙動に命のやり取りというものが。
そして、それを見て怯えながらも立ち向かっていく三人の後ろ姿を羨ましいとさえ思った。
――僕にはそこまでして守りたいものがない。
異世界に来てまだ日も浅く、この世界との繋がりというものが希薄だ。強いて上げるなら、影崎大和との関係だろうか。友情というか愛情というか、そのような友愛の情で、付いて行きたい置き去りにされたくないといったどちらかと言えば負の情動により付いて来たに過ぎない。
明確な目的が無いのだ。
――嫉妬。ああそうだ、僕は嫉妬してしまったんだ。彼女に・・・、女組に。
仲の良い二人組でも片方に恋人ができると、友情が崩れることがある。恋人のいない方は、恋人が出来た事を羨んだり、恋人に親友を奪われたと妬んだりすることがある。宮前響がこの世界に来て、一番親しい人間が影崎大和という少年だ。その大和が女組の危機というだけで飛び出して行ってしまうほど女組に思い入れがあった。もし自分が美咲という少女と立場が逆なら、大和は助けに来てくれただろうか。負けている要素はあるのは認める、しかし完敗しているとは思わない。
だから大和の一番の理解者になろうとした。
そうなることで距離を縮めたかった。
――ついて行きたいんだろ? 僕は! ならこんな事で怖がってちゃ駄目だろ!
意志をしっかりと握り直すかのように、手にした剣を握りしめる。
邪剣ゴルンイーター。自分に相応しい禍々しい名前だが、今はそんなことは気にしていられない。
大和と三岡が足止めできなかった妖魔が、迫りくる。手をこまねいては男組で犠牲になった者たちの二の舞だ。それだけは避けたいという思いで、無理矢理に体を動かし上段から白刃を叩き込む。
――浅い!
妖魔の鎖骨を一本切り裂いた程度で、致命傷には遠い。一太刀で殺せなくてももう少し深手を負わせなければ、戦闘不能に追い込めない。妖魔は鎖骨を絶たれたせいで動かなくなった右腕から、左腕に剣を持ち替えると諦めず、むしろ狂気を伴って攻撃してきた。
斬撃の軌道に剣を割り込ませ一撃目は弾くが、二撃三撃と続く斬撃を防ぎきることができず、手足に僅かな切り傷を負う。
「・・・ぐっ?!」
あまりの痛みに思わず苦痛の声が漏れる。焼けるような痛みに涙が零れ、泣き出したくなる。
しかし、それは駄目だ。
――今は駄目だ! そんな事をしたら負けちゃうじゃないか! それに、それにだ。この妖魔は僕の攻撃で腕が動かなくなってるんだ、怪我の度合いは向こうの方がずっと酷い。痛いのを我慢して敵である僕に切りかかってきている。掠り傷程度の痛みで負けられない! 負けるわけにはいかないんだ!
咄嗟に薙いだ剣撃が妖魔の左手、剣の柄を捕えるとそのまま柄を砕き、左腕を縦に裂いて、切っ先が肋に潜り込む。
哀れ妖魔は肺を切り裂かれドウと地に倒れ、呼吸もままならない状態でもがき苦しんでいた。完全に致命傷だ。放って置けば直に死ぬが、放置するのは少々人道にもとる、かと言って直ぐ次の妖魔が襲い掛かってくるため、これ以上その妖魔に時間は割けない。
宮前はその妖魔を一瞥すると次の妖魔に意識を移した。
「ごめんよ。介錯してあげる余裕はないんだ」
遅まきながらようやく戦う覚悟が決まった気がした。妖魔と剣を交え切り伏せていく毎に、気分が高揚し生の実感を噛みしめる。脳内麻薬も分泌されているのだろう、数度の妖魔の攻撃を受け切り傷を増やしていたが、傷は浅く出血も少ないためか、傷の痛みはもう感じない。それでいて頭は冷静に辺りを観察していた。美咲に直接襲い掛かろうという輩を、即座に見つけ出して撃退する程度のことは確実に行えている。
そんな頭で戦場を見渡し、つくづく実感してしまったことがある。
――やっぱり、大和の剣の腕はすごい。あんなに殺傷能力の低い木刀で、あんなにも鮮やかに妖魔を倒している。
思わず見惚れてしまいそうな腕前だ。三岡の腕との差は、確かに先に行かれているが、ここ数日の訓練と元々の体格差によるもので、頑張って差を縮めてやろうと思える程度だ。だが大和のは違う、桁が違うのではない、多分強さの単位が違う。もし、聖剣アクスザウパーや邪剣ゴルンイーターを大和が持っていたら、噂の飛竜種も訳もなく切り伏せられるのではなかろうか。
――物心ついた時にはもう剣を振るっていたんだっけ? 流石に地力の差が出てるなぁ。
美咲に強襲をかけてきた妖魔を切り伏せ、強くそう思う。大和ならばこの妖魔も一撃で始末したはずだが、自分では数度切り結び漸く圧し勝という状態だ。もしも男組で、純粋に剣技や格闘能力だけで試合をしたら優勝するのは大和だと思うし、大和の優勝を阻む目がありそうな手はバトルロイヤル形式で全員で潰そうとして動いた場合ぐらいか。
だが、逆に考えればカオスマターというものは、やはり常軌を逸しているものだ。仮に三岡とタッグを組んで大和と殺し合えば勝ち目がある気がするのだ。生身の戦闘能力でそれだけあった戦力差が、立った二本の剣の性能で埋まってしまう。カゾリ村がいかにカオスマターに固執するか、それを評価するか、実際に戦いを見るとよく分かった。
――そう、このカオスマターがあれば・・・、この邪剣ゴルンイーターがあれば、大和の強さにも手が届く。追い付くことも追い越すことも不可能な夢物語じゃない。
そして密かに、宮前の決意が固まった。
206/09/08 誤字修正。一部変更。




