第163話 決死の敵
魔王機ナグリドルブと宣う機体から発せられる気配は、今まで幽咒機ナグリィムとして放っていた得体のしれない不気味な気配と、黒騎士と読んでいたMSSモトイナークの放つ堅実さ強固さを合わせ、魔王オノザドルブと言う畏怖を感じざるを得ない魔の塊を掛け合わせて出来上がった物だった。
まるで、のたうつ猛毒。
触れれば死に至ると悟らされる程度には、危険な雰囲気を纏っていた。
それに呑まれる様に、ナグリドルブの装甲が変色していく。斑に、蔦が絡みついて行くかのように、呪われ蝕まれるかのように。
だがそれが何だと言うのだ。
血が沸騰したかのように、激しく全身を駆け抜けて行く。怒りと言う感情が、全てを赤く染め上げ、突き上げる情動のまま四肢を行動に移させる。
――殺す!
大和は、敵を“斬る”のではなく“殺す”為に剣を振るう。
それは剣の理から大きく外れていることになるが、それがどうでも良い些事と思えるほど怒りに染まり、至龍王の目もその感情のままに、腫れた様に赤く染まっていた。
膿んだような怒りが零れる。
しかし、ほんの一瞬。切っ先が敵に触れるよりも早く、ナグリドルブの攻撃の方が早かった。
球状から矢のように細長く引き伸ばされ、紫電を迸らせていた魔力弾が、縦横均一に二十発ずつ配置した矢衾が三つ、これが大和が辛うじて認識できた攻撃の準備段階、予備動作だった。
直後。避けると言う概念が存在しないほどの刹那の後、魔力光に呑まれ、機体を激しく揺さぶる衝撃と、けたたましい機体の状態を知らせる警報が鳴り響く。
何が起きたかなど、認識できる隙間は無い。
叫び声を上げる余裕すらなく、ただ歯を食いしばり押し流そうとする奔流に抗う。
『告。機体の損傷が70%を超えました。危険域を超過しています』
シーゼルが淡々と機体の状況を伝える。制御卓には、全身を覆う装甲に傷の無い部分が無くなり、完全に用を成さなくなった装甲部位は五割を超えていた。砕かれたことにより接合する手段を失った装甲や、大きく歪みが発生し固定具が破損してしまった部位の装甲が脱落する。覆われていた機構や骨格が剥き出しとなる。
白銀の装甲を失い、骨格が曝け出された事により、印象も随分と様変わりしていた。
機体の骨格にも損壊が発生し、無視できる損傷はない。
「・・・!? なっ・・・今のは!」
『属性付加された魔力砲弾による攻撃です。もう一度、同様の攻撃を受けた場合、現状では機体が持ちません、撃たせないか必ず回避してください』
シーゼルも中々無茶なことを言う。
衝撃から脳の思考能力が回復するにあたり、あれが――今の攻撃が何なのか考えを巡らせる。
『ほほう、流石は英雄機。今の攻撃にも耐えますか。確実に吹き飛ばすだけの威力を用意したつもりだったのですが・・・』
ルゴノゾールの純粋にこちらを称賛する声が、嫌に癇に障る。
気が付けば膝を着いていた至龍王をどうにか立たせ、状況を確認すると、先ほどの接近戦を挑めた距離からかなり突き放されていた。
我を見失う程だった怒りが逸れ、冷静さを取り戻して行く。
――吹き飛ばされたお陰で・・・威力が削がれたのか!? いや、そんな事よりも今の攻撃は・・・。
全く理解の及ばない攻撃だった。
一瞬、今までよりも魔力弾の数が多く、数発は食らうことを覚悟しなければと言う程度の予想はしたが、もう少し温いものだと侮っていた。何発かは見切れ避けられると思っていたのだ。現に先ほどは爪で引き裂いて無力化したではないか、今回のも精々魔王機と言い張るだけあって弾数が増えただけ――それでも十分脅威ではあるが――だと思っていた。
それが避ける暇すらない。
砲弾が展開され、一際光ったと思ったら、光の奔流に呑まれ、衝撃に耐久値を削られていった。傍から見れば至龍王は、光の柱に貫かれ、磔にされたように見えていた。
視覚情報として飛来を確認した時には命中している、つまりほぼ光速と言う、初速の魔法攻撃があるとは思っても居なかったのだ。
光速で攻撃が可能と言う利点は、現用兵器に勝っている。これが一般的な魔法であるなら、ここまで衰退することもなかったのではないかと、逆にこの魔法の生い立ちに疑問を持ってしまう。
レーザー機銃は本来防御用の兵装であるため、ここまでの威力は無いし、面制圧として使うにも砲門数が足りない。接近する歩兵を薙ぎ払ったり、ミサイルなどの飛翔体を撃ち落したりするのに使うため、ここまでの高威力は想定されていない。威力よりも小型化に因る命中精度の向上と取り回しの良さを追求したものなのだ。
いや、違う。
一つだけ可能性がある攻撃の情報を持ってはいたが、それをナグリドルブが使えると言う想定をしていなかった。
「今のはスティルの技だろうがっ!!」
彼女が、第三皇女がアインラオ帝国皇城で大和の前で無防備を晒していた理由の一つに、返り討ちにする用意がある為の余裕が含まれていた。自慢げに自身の開発した必殺魔法を語られ、冗談交じりに脅されたことを思い出した。
狭い室内なら、矢衾一つ用意するだけで避ける先は無くなり、確実に仕留められるという自信の裏打ちがあったのだ。
そしてそれを、ルゴノゾールが使ったことが何より気に食わない。
さらにナグリドルブは悠々と両手に長剣を構える。その長剣が僅かに青と赤に光っていなければ、ここまで心を乱さずに済んだかもしれない。
「あれもこれもどれも! スティルの物じゃねーかぁ!!」
満身創痍とは思えない速度で至龍王を突撃させ、その命を刈取らんと言わんばかりに急所を狙うが、二剣により弾き返される。
ナグリドルブは、そのまま回転する動きで連続した剣檄を叩き込んできた。
幸か不幸か、それは既に見たもので、どうにでも対処のしようは有った。だが、想定以上にナグリドルブのフィルドリアの出力が高い。どうにか隙をついて剣の腹や、本体の装甲を狙っているのだが、フィルドリア製の防壁によって阻まれている。
スティルを助けたいのに、彼女の技でそれを阻まれると言う屈辱に塗れる。
だがそれらが、ルゴノゾールの時間稼ぎに使われている可能性を見落としていた。
魔王機ナグリドルブの背後に、先ほどの魔力弾による矢衾が展開されていく。
――な・・・何だあれは・・・、ヤバイなんてもんじゃねーぞ。
見ただけで、視覚情報だけで動悸が激しくなる。
先ほど食らった時よりも、圧倒的に数が多い。それは確実にこちらの動きを捉え、確実に殺しに来ると言うことだ。
噴出した手汗により、操縦桿がぬるりと滑るのが、妙に気持ち悪く感じた。
戦えば死ぬと言う事実だけを突き付けられるような、抗う術など無く、ただ屍を晒せと脅迫されているかのような錯覚に陥る。
――落ち着け! 落ち着け! 落ち着けよ、俺! あれだって人が乗って動かしている機体だ。魔力弾の制御に手間取っているじゃねーか! そこに必ず付け入る隙がある!
ややゆっくりとした速度で汲み上げられていく矢衾に、そう言い聞かせることでどうにか平静を保とうとする。その威容が持つ力に、隙を突かなければならないと悟った事実を見落としたことに気付かずに、隙を突かなければ打開できないと、自覚している事実にだ。
――距離を取って、攻撃の瞬間に反撃に出る。
至近距離での咄嗟の動作と言うのは非常に判別しにくい。そして、攻撃の直後と言うのが一番の隙に成る。
予備動作が見えれば、それなりに対応できるが、近さがその対応力を奪う。
幾らほぼ光速で飛来する魔力弾とは言え、距離を取ればその分避けやすくなる。何より大気に因る減衰や、地磁気、重力などの影響もない訳ではない。一つ一つは取るに足らない物でも、積み重なれば0.1秒くらいの猶予が得られるかもしれない。
そうすれば避けたり、無効化したりする余力に成るかもしれない。避けきれなくとも、致命傷に至らない程度なら構わない。そして、至龍王の非常識な加速力を駆使し、切っ先を咽喉元に突き立てる。
だが、安易に距離を取ることは憚られた。
後ろを見る。
ファルマチアの援護により、数キロメートル四方に渡って地表を剥がされ、泥沼のように変質した元荒野が延々と横たわる。ただの泥に強制的に戻された数百の殺し屋は、僅かな隆起でその痕跡を残していた。見渡した所で、彼女の気配はすでになく、飽くまで地下水を装った行動に徹するつもりのようだ。
そして、その中央。
唯一泥沼に変質せずに、取り残された地表が島のように残っていた。そこにはデバイオが各坐している。操縦士のデリアーナの安否も気になるが、動くことはままならないだろう。逃げることも叶わないデリアーナを見捨てるわけにもいかない。
――駄目だ。下手に退けば、デリアーナが無防備になる。
結果論で言えば、ルゴノゾールが企てた策はきっかりと機能していた。
動けないが生きている味方を守らねばならない状況では、迂闊な行動は取れない。
帝国軍の援軍が来てくれるまで、もしくはデリアーナが自力で離脱できるだけ回復する時間を稼がなければならない。
――こんな時、ユーデントの奴が颯爽と助けに来てくれたら、一生兄貴と呼ぶくらい尊敬できるんだがな。
以前助けられたこともあり、仄かな希望がない訳ではないが、幾ら連中が優秀でも、今この瞬間に手を差し伸べるのは不可能だ。
そんな微かな希望の望みを託さねばならないほど、八方塞がりであることを漸く自覚した。
――いや! そうじゃない! そうじゃないだろう? ええ? 俺はスティルを助けたいんだ! そんな弱腰で! 逃げること考えてどうする!
デリアーナが傷付けられたことに対する怒りは、ナグリィムを亜空間から引き摺り出すことで、溜飲を下げてしまった。更に一撃を加え、自身が優位に、勝利者に成りかけたことで霧散してしまったのだ。
そして囚われのスティルを見せつけられ戸惑い、ナグリドルブと言う圧倒的強者を呼び込んでしまい、及び腰になった。
手痛い一撃を喰らい、至龍王も損傷した。
冷静さを取り戻したと言えば聞こえはいいが、反撃を食らい冷や水を浴びせられた結果の冷静さだ。最初から冷静でありさえすれば、魔力弾をどうにかできた可能性もある。
それらもすでに今更となった後悔だ。
起きてしまったことをクヨクヨしてもどうしようもない。
どうにかして障害を排除し、前に進まなければならない。
――ここで死んでも! 前に出るしかないだろう!
そう、避ければ死ぬ。
敵と戦う気力、強者に抗う気概が確実に死ぬ。
そうなれば生き残ることにあまり意味はないばかりか、重責を幾つも背負って行かなければならない。スティルを救えなかった己の未熟さ、デリアーナを見捨てた己の薄情さ、そう言う自責が決して許さない。
ならば、どうせ死ぬなら、一歩前へ出るしかない。
逃げれば死ぬ。戦って討ち取られるよりも、惨めに、無様に死ぬ・・・自分に殺される。
ならば戦って、虎口に飛び込んで、気高く死ぬしかない。
だが、頭ではそう分かっていても、身体は付いて来てくれない。
それでも生き延びたいと本能が叫ぶ。
死にたくない・・・と。




