第155話 お留守番
その閃光による一撃は、魔王機関の基地の格納庫より放たれ、外殻にまで損害を与えるほど強力だった。
閃光に照らし出されるかのように、ルゴノゾールの古い記憶が呼び起こされる。
魔力により極限に収束した熱を、口腔を砲身に見立てて放出する攻撃魔法“竜の息”。その系統は、竜語魔法ないし竜言魔法と呼ばれている物だ。竜族に連なる眷属・・・竜人や蜥蜴人が使用した強力な魔法だ。
ただ普通の人間には、顎の形が違う事から呪文の発声が不可能で、種族的に使用できないとされていた――使用に向かないとした方が正確かもしれないが。
種族的な不利を打ち破ったあの少女は、類稀な研鑚者であると言う証明に他ならない。
だからこそ、哀れに思う。
帝国に居ては、一生涯外部に存在が漏れないように幽閉されるか、秘密兵器のような扱いを受け使い潰されるかのどちらかしかない。そして龍騎士に顎で使われていたので、彼女の帝国の立場は恐らく後者だろう。
「なるほど。こちらにお越しいただければ問題はない」
龍騎士の我儘により、その力を――竜言魔法を操れると言う才能を外部に漏らせば、国家間の軋轢を生む種になる。濫りに使って良い力ではないのだ。
まして攻城兵器もかくやという威力を見せたのだ、抑止力として飼われることになりかねない。
魔王機関は少なくとも、彼女を軍事利用や政治利用はしない。確かにある程度、同じ組織に属する者同士が、諍いを起こさないように取り決められた最低限の規則は守って貰わなければならない為、窮屈な思いをするだろう。
「だが、それでも帝国に居るよりは自由だ」
溜まった物を発散するための運動場なども提供は出来るし、その際に必用になる攻撃魔法の的なども用意できる。
だからこそ迎えに行かなければならないと奮い立ったのだ。
だが、現実は甘くはなかった。
聖墓に侵入したまでは良いが、その返礼として放たれたシュライザの撃は、ルゴノゾールが生身で降り立っていたように見せかけた幻影魔法を消し飛ばし、姿を隠していた彼のMSS、いや幽咒機ナグリィムを可視領域へと引きずり出した。
その暴虐を操縦席から確認する。
聖墓の隔壁が大穴を開け、もうもうと土煙を上げている様に、背筋が凍るような思いがした。
どうにか“竜の息”は回避していた。
あんな咄嗟に放ったようないい加減さで、複雑な術式を呪文と言う言霊で紡ぎあげなければならない魔法が、望み通りの結果を出すことはできない。
だが、威力だけは出鱈目だ。幽咒機ナグリィムとはいえ直撃を受ければ無事では済まなかっただろう。中り所が悪ければ、彼女の吐き捨てた願望通りに、この世から消し飛んでいた可能性も捨てきれない。
――あれは中らずに逸れたと見すべきですか・・・。
それもそのはずだ。この世界の魔法はただ魔力を込めれば発動すると言う物ではない。
言ってしまえば魔法は、事象の改変である。
物理法則など、自然界をあるべき姿に留めている力を、意思の力で別の形に問答無用に改変してしまうのだ。
無理矢理に改変を行うための、魔力と言う燃料を消費し、術式と言う機関で稼働する、物理改変法則。故に燃料供給が途絶えたり、機関に不備があったりすればまっとうに動かないばかりか、制御を怠れば本来自然界を安定させるために働いている力が、復元力として働き魔法を飲み込み掻き消してしまう。
それ故に、多少の失敗で自然界に致命的な欠損が発生することはないが、見落としてしまうことがある。
それは、一つの魔法を使う事、つまりは事象を改変する事に、その対となる現象も想定しなければ成立しないと言うことだ。常に反作用と成るモノを想定しなければならないと言うのが常識であり、それらの術式をすべて織り込んだものが、古来より口伝として伝えられてきた呪文の全てだ。
簡単に例えれば、エアコンを想像すればいいかもしれない。電力を消費して、熱交換により室外機を通じて外に熱を排出することで、室内に冷気を送り込める。室内機だけでは稼働できず、室外機を用意しなければならないと言うことだ。
ただし、これも絶対に不可能と言う訳ではなく、魔力の消費量が跳ね上がり効率的ではなく、制御も格段に難しくなるため実用的でもない。膨大な魔力があれば可能な力技である。しかし、人間には限界があり、その限界までの間でいかに効率的に行うかが肝に成るのだ。
単純に魔力で火を起こし、その火で目標を焼き尽くそうとして、魔力を全部火に変換すればどうなるか。
答えは、術者の丸焼きが出来上がる。
術者は自ら起こした火によって焼かれるのだ。
つまりそうならないために、自身の火を防御する術式を展開しなければならない。
それが出来れば次はどうするか、攻撃目的であるなら目標にぶつけなければならない。例えば念力で飛ばすとしても、目標まで飛ばすのに必要な魔力と、その反動を打ち消す魔力を消費する。
そうやって必要な物をどんどん加算していくと、結局、火を起こすのに使える魔力は目減りしてしまう。
自爆技として使えば家ごと吹き飛ばせるような火を起こせる術者でも、攻撃魔法として使う場合精々人一人に重傷を負わせる程度にまで威力を削がれてしまうのだった。
嘗ての魔法使いたちは、それらをどうにかして威力を上げたり、使い勝手を向上させることに腐心してきた。
例えば簡単に威力を向上させる方法として“魔法を打ち出す”と言う工程を省くという物がある。出来上がった火の弾を投擲してやれば、撃ち出す為の魔力を威力へ回せると言う寸法だ。遠投に自信がないから、持って殴ればいいと言う魔法使いにあるまじき短絡的な発想に至った者や、自身の身体を守るために使われる魔力を削減し、その代わりに体を鍛え筋肉で耐えるなどと言う方法で威力向上を図った猛者もいるほどだ。
つまり、そこまで削がれた魔力で放たれた一撃がこの威力。
魔人と称されたステルンべルギアに比肩する魔力が無ければ、到底不可能な威力だ。
――いやいや! だとしてもこれだけの威力が出る訳が・・・。
それでもMSS用の兵装に耐え得る隔壁を持つ聖墓に風穴を開けるには、一体どれだけ複雑な術式――ギア比を駆使して小さい動力で大きな力を生み出すように、術式を長大にすれば理論上は可能なはずである――が必要になるか見当もつかない。
それをシュライザは一息で行った。
――あり得ない。
シュライザは竜言魔法を扱える、稀有な人間ではない。
もっと別の危険な何かだ。
はたとルゴノゾールの脳裏を、嫌な閃きが過る。
――そもそも竜言魔法は・・・“龍”の生体機能を再現するために開発された・・・。
呪文を用いなければ竜言魔法は扱えないし、所詮不完全に再現したものに過ぎない。
逆説的にそれを完全に再現できると言うのであるなら、彼女の正体は・・・。
しかし、ルゴノゾールの思考がそこに到った時、既に何もかも手遅れになっていた。
土煙を跳ね上げ、拳を振りかぶったシュライザが、幽咒機ナグリィムの眼前に迫っていた。
振り抜いた拳は頬の装甲にめり込むと、物理法則を無視したかのような威力で、頭部の半分を吹き飛ばす。
物理法則などあった物ではない。
いや、魔力でシュライザの足元か背後に力場を作り、その仮装質量がナグリィムの重量を上回り、さらに両者の重みにシュライザの身体が耐えられれば、耐えられるように魔力で身体を強化すれば可能だ。
「だがそれでも! 連発は出来ないのでしょう!」
二撃目が拳であると言う段階であの“竜の息”を連発はできないと看過したルゴノゾールは、シュライザを捕えようとナグリィムの腕を振るうが、その腕が肘の辺りで割断され宙を舞った。
「何事ですか!?」
「デリちゃん!」
大穴の開いた隔壁を超え現れた機体が、手にした長剣を振り抜いていた。
聖鎧機レスピーギ・デバイオ。幽咒機ナグリィムが闇のような存在であるなら、それを払う光に相当する機体である。
シュライザは感嘆の声を上げ、ナグリィムの相手を譲ることにして、距離を取る。
流石に二機のMSSの格闘戦に、生身で割り込むのは厳しい。ニ機の間でもみくちゃにされては、攻撃用に取っておきたい魔力を、防御で使い切ってしまいそうだからだ。
魔力が枯渇した状態では、幾ら身体が――人よりも頑丈に出来ているとはいえ、流石に命が危ない。
それに、デリアーナの駆るデバイオが、シュライザの存在を意識して、変な隙を作ってしまう可能性もあった。宗教庁も神官戦士の育成に、複数機のMSSによる混戦や乱戦を想定した訓練を課しているとはいえ、流石に生身の人間が混じることは想定していない。
確かに、上手く連携が取れればこの上ない戦力の向上に成るだろうが、訓練もなくては自信も持てず、最悪の互いが足を引っ張り合い、実力を発揮できない方が可能性は高い。
「任せるけど、大丈夫だよね」
「任されました! 大丈夫です!」
ナグリィムの機体周辺に現れた、魔力による光弾が次々に放たれるが、デバイオの紫水晶の装甲はそれらを難なく弾いて行く。
「やはり、貴方でしたか。魔法使い殿」
「何が“やはり”ですか? これは仕返しなどと言う子供臭いものではないのですがね。分かりませんか? 彼女の存在は、今の矮小な人間社会には大き過ぎるのです。彼女自身の安寧の為であると言うことを理解して頂きたい」
邪魔をさせないための牽制か、説得のつもりなのか、ルゴノゾールは熱弁を振るう。
しかしデリアーナはそれを聞き流し、襲い来る魔力光弾を、回避ないし防御しデバイオの損傷を最小に抑えるべく、冷静に機体を操縦する。
「こうなることも想定していたんですよ!」
大和が駆り出された事で、前回の仕返しを想定しない訳はない。
どうせ移動力で至龍王に追随できないのであれば、聖墓の守りとして待機しておくことにしたのだ。
「それがっ! 姿を隠し不意打ちをするのが貴女方の言う崇高で高潔な正義ですか!」
「違います。主の御名の下で勝つことが正義です」
距離を詰め切ったデバイオが左手に持った戦槌で、ナグリィムの胸を激しく叩き、轟音と共に隔壁の残骸へと叩き付ける。
操縦席に歪みが発生し、圧迫感に焦りを覚えながら、ルゴノゾールは悪態を零した。
「忌々しい宗教庁の神官戦士風情が! 邪魔をするな! 神の戦士などと謀り、邪魔者を消すだけの殺し屋が!」
「邪魔位しますよ。ええ、殺し屋ですもの、その看板に見合った仕事も!」
地べたに転がり、体勢を立て直す暇を与えられずにもがくナグリィムに、一気に詰め寄る。
のたくった蔦を束ねたような剣がデバイオを死角から襲うが、長剣と戦槌を駆使して受け流す。
それは尾のように、ナグリィムから生えた触腕の先端だと、初めて視認できた。
「・・・っ!?」
決死の一撃であった不意打ちを躱されたルゴノゾールは、驚愕に言葉を失う。
「あることを知っていれば、来ることが想定できていれば、多少見えて居なくとも何とかなるんですよ!」
近接戦闘能力に劣り、操縦士も接近戦が不得手であるなら、追い詰めた時は不意打ちに因る逆転を狙うしか勝ち目は薄いと読んでいた。不意打ちでしか使わない、いや、不意打ちでしか使えない。魔王機関の基地で、生身のルゴノゾールを見た時に、それほど身体を鍛えているようには見受けられなかったことも、判断材料の一つに成っている。
全うな剣檄なら、訓練を積んでいるデリアーナに分があり、デバイオと対峙した瞬間に使ってこないのであれば、次の機会は追い詰められた時と想像に難くない。
そして最近は、常識外れな大和の剣技を見て、それに学び取り込もうと自主鍛錬を怠らなかったお陰だろう。その機会を寸分の狂いなく読み取り、無力化に成功したのだ。
そしてもう一つ。
尾のように生えた触腕が、のたくった剣の正体であるなら、それを精緻に扱うことは難しい。
何故なら人間に尾はないからだ。
MSSは操縦士の機能を拡張するが、操縦士に備わっていない機能の拡張は出来ない。
武器が己の身体の延長であると感じられるほどに鍛錬を積むことで、初めて使い熟せるようになるのと同じで、相当の訓練時間を要するのだ。
それはデリアーナ自身が身を持って体験した事であり、自分がまだ未熟であると痛感させられることでもある。
「それではこれはどうですか?」
その声と殺気は、ほぼ同時に発せられた。
いや、もしかしたら、殺気の方が随分と速く発せられたのかもしれない。
ナグリィムの隠していたもう一本の触腕が、デバイオに向かい突き出される。
それは容赦なく操縦席を貫こうとする、必殺の軌道に乗っていた。
「言ったでしょう? 想定はしていると」
触腕を一本しか使わないからと、一本しかない保証にはならない。
ルゴノゾールの触腕の操作技術が未熟であり、不意打ちでしか操作できないのであれば、触腕が複数本装備されていても同時には使えない事は明白だ。今まで使っていなかったからと、その機能が無くなる訳ではない。
逆に言えば、一本目が攻撃を外した場合、二本目による攻撃の可能性はあると言うことだ。
発せられた殺気に鋭敏に反応し、デリアーナはデバイオの機体を捩じ込むような動きで、更に足を進める。突き出された触腕は、装甲板の丸みを利用して滑らせるように威力を逸らし、致命傷を回避するのと同時に、肩から激しく体当たりを敢行する。
金属同士を強く叩きつけた響音が、空間自体を激しく揺らしているようだった。
聖墓の隔壁と、デバイオの装甲により挟まり潰される様にしてナグリィムは動きを止めた。
度重なる戦闘による衝撃は、操縦士にすら深刻な被害を及ぼす。気を失うならまだましな方で、骨折なども容易に起こり得た。そのまま死んでしまうことだって、ざらにあり得るのだ。
大して体を鍛えていないルゴノゾールには、相当堪えることになるだろう。
機体を覆うフィルドリアの出力が、消えかけの蝋燭のように弱々しく揺らぎ、消える。操縦士が一時的な気絶では起きない現象だ。完全に意識を失い昏倒したか、死亡している。
だが、デリアーナはそれで満足はせず、油断もなくナグリィムの操縦席のある胸部にデリアーナは長剣を突き立てた。
まるで絶命する生物であるかのように、数度激しく痙攣をするとナグリィムは動かなくなった。
「取り敢えず、これでお留守番くらいはできると証明できますよね」
不意を打って襲ってきたルドノゾールを倒したことで、どうにか自身の存在証明が出来そうだと満足げな言葉を漏らした。




