第145話 影番
プライベートが色々ごたついて申し訳ありません。
今回も分量は多くないですが、ご容赦ください。
まさかアパートが雨漏りするとは・・・。
「この子は、だめぇだねぇ~」
魔法水薬店の店主である猫のような老婆は、ハイラの容体を見るなり、そう感想を述べた。
「この子の、魂の形が、こうなぁ~」
老婆は開いていた掌を、きゅっと握りしめる。
「潰れているから、元には戻らないと?」
大和がそう反すと、老婆はああと頷く。幾ら魔法水薬に因る欠損を補充しながらの回復でも、元の形が歪んでいればどうしようもない。歪んだ形に、なるだけだ。
「・・・元に戻す方法は?」
デリアーナとシュライザは席を外しており、この場には居ないため、知恵を借りることはできないが、そもそも二人にも打つ手なしと降参されてしまっていた。
ダメ元で、縋るような思いで、聞くことしかできなかった。ハイラが助からなければ、今回の行動の全てが無意味になる。それどころか、魔王機関やルゴノゾールに警戒心を植え付けただけで、自分の首を絞めているに等しい。
だから、せめて、ハイラを助けられたと言う成果が、慰みにでも欲しかった。
「・・・ないよ。少なくてもなぁ。騎士様ぁが、この子に生きて欲しいと思っていない内わなぁ。騎士様ぁはそんな思いで助けられて嬉しいかぇ? せっかく助けたのなら、助けられたことを喜んでもらえんとなぁ。死んだ方がまだ良かったと、生き地獄を見せるのではなくてな、頑張って生きれば報われると、思ってもらわにゃあのぉ」
死にそうだったから、助けた。
壊れているのであれば、治せばいい。
そう言う考え方では、いけない。いや、足りないと老婆は言う。
九死に一生を得たのだ、このまま未来に一縷の望みで構わない、それだけでも抱いて生きて行けるようにしなければ、本当の意味で助けたとは言えないと言う。
このままでは、助かってもハイラは辛い一生を過ごす。それに替わりが無くとも、大和に助けられたことが重荷になるか救いになるかで、人生が変わってくる。
物のついでに、お前の命は助かったが、そこに意味は無いと言われて、感謝できるだろうか。もしかすれば、甚振り殺されるために命を繋ぎ止められたのだと、思い込まれてしまうかもしれない。そうでなくとも、どうしてあのまま死なせてくれなかったのかと恨み言を貰うかもしれない。
折角助かった命であるのなら、望まれて助けられたのだと、伝えるべきなのだ。
そう言われ、大和は自分が見落としていたことに気付かされる。
己の評価を守ること、成果を上げることに必死で、ハイラ自身を助けたかった訳ではない。大和の心情としては“ほぼ敵”と言う立ち位置になった存在を、助けてやる義理は無いのだ。ただ、魔王の復活を阻止するため、自身へ及ぶ攻撃を潰すために、ハイラと魔王の核を切り離したに過ぎない。
ハイラの命を救いたくてやった訳ではない。
敵を潰すための行動だ。
そして、何の成果も上げられなかった自分を慰めるために、戦利品としてのみ見ていた。その戦利品が壊れそうだから修理に出した。なるほど、人間を助けるための行動原理ではない。
「俺は・・・ハイラを人として見ていないってことか?」
「いやぁ、個として見ていないと言った所かのぅ?」
第三者に面と向かってそう指摘されると、確かにそれが事実なのかもしれないと思えて来た。
何か大事な物を履き違えていたと、今更のように恥ずかしさを覚える。
「・・・でも。だからといってこのまま放置するわけにもいかないだろうが」
焦りから、色々と思い違いをしていた訳で、それを正すには時間が無い。自分を見つめ直した所で、直ぐに治せるものでもなく、治していいものでもない。
「そうだのぉ。店内で人死にが出るとなぁ、外聞も悪いでなぁ」
老婆は店の奥の戸棚から、手のひらに乗るほどの小さな化粧箱を取り出すと、蓋を開けて大和に見せた。煌びやかな輝きを持つ宝石が一つ、鎮座していた。小指の爪ほどの大きさ、装飾品にするにしても、かなり大ぶりな宝石だ。目の眩むような額を連想して、僅かに頭が痛んだ。
「この精霊石を埋め込むかのぉ、まぁ外法の一つだが構わないわな」
精霊石は、精霊の力を凝縮し結晶化させたもので、一般的な装飾に使われる希少鉱石とは、物質の構成が全く違うらしく、厳密に言えば鉱石ではないらしい。
――精霊の持つ魔力を、物質化するまで凝縮させたもの・・・か。
それがどれだけの費用を要するか、想像すらできない。当然価値も高く、末端価格になればとんでもない額だろう。正直、ハイラに使うことは躊躇われる、こいつに使うだけの価値があるのかと、ほぼ敵である少女を助ける意味があるのかと。
聞けば、昔――剣と魔法の時代では、精霊魔法を操る為や、魔法剣士などが己の魔法力を強化するために行った手段の一つだったそうだ。だが近年では、魔法の廃れと、元から希少で高価だった精霊石を使う事から行った事例は殆どなくなり、古い野蛮な風習のように見られているらしい。
そして、老婆が構わないかと確認してきた意味は、料金がとんでもない額になるからだ。領主と成った大和なら払えなくない額だが、それでも数年払いの借金にしてもらわないと、財政的に圧迫されてしまうほどになる。
だが、今更拒否するのは義理も自尊心も許さない。
――金額に腰が引けたなどと、格好がつかないにも程がある。
それに、この行為は決して無駄ではないと言う、確信も僅かに有った。
魔王を崇拝し、そして望まぬ形で贄にされた少女。それを成り行きだとは言え助けたのだ。それにハイラは、イノンド最後の教え子でもあると言える。ただ身を挺し命を守ることに全力だった彼女の献身に報いたいとも思う。
実際の血縁ではないが、イノンドの血――彼女の得た知識や技術の一部でも残し、後世に伝えると言う意味で考えれば、残す意義がある。
――そう言えば、こいつは俺の筆頭女中だったんだよな・・・。
今更だが、そう言ったことも思い出し、少しだけ情も沸いた。
少なくとも大和に仕えていた時の彼女は、真面目で頑張り屋だった。何となくだがハイラを、助けたいと思う。
「ああ、助けてやってくれ」
「お代は払ってくれるんかのぅ?」
言いながら老婆は、仰向けに横たえられ、か細い呼吸を繰り返すだけのハイラの額に、その宝石――精霊石を置く。老婆が何かしら呪文を呟くと、額の皮膚を溶かすように沈み込み、埋め込まれた。そして、精霊石からの魔力が流れ出て、疑似的に正しい人の姿と言う物を形作る。後は、体力の回復と共に、ゆっくりと復元されていくのを待つことになる。
「当然払うさ。・・・まあ、一括は無理だと思うけど」
「領主様なら徴発という手もあるんだがのぅ」
領主権限で借金をチャラというか、精霊石の購入と施術費用をロハにしろという強権は、昔ならば稀にあったようだ。老婆も過去に、そう言う領主とのやり取りを経験してきたのかも知れない。
「そっちが負けてくれるっていうなら、確かに有難い申し出だけどさ。流石にこの街を実効支配している裏番に喧嘩を売るほど浅はかなつもりはない」
そう、だから病院などにハイラを預ける前にここに連れて来た。
現代医療と神官戦士程度の御業では回復不可能な症例だ、魔法水薬を併用したとしても回復は無理である可能性も考えていた。だが裏番なら、表に出ていない情報をそれなりに抑え込んでいるはずで、もしかしたら別の回答があるのではないかと言う期待もあった。
ここで治療の目星が付けられる情報を得られないなら、本当に手立てがないのだと言う諦める為の論証にもなる。
「ほほぅ・・・、面白い話だのぅ」
「俺はそっち関係の方が聡いんだ。まあ、はぐらかすってんなら、これ以上の追及はしないさ」
老婆はくつくつとした笑みを零しつつ、ハイラの頭を撫でていた。呼吸も安定感を増し、何時消えるか分からなかった灯の不安は薄れた。
そして大和は、老婆の口元が邪悪に歪むのを見逃さなかった。
デリアーナとシュライザは、街の広場に無理矢理下ろしたデバイオと至龍王の中で、のんびりと経過を待っていた。流石に街中で放置するのを躊躇った為である。
『それにしても、なんでデリちゃんは大和様の側に居ないの?』
「・・・今のアレは、もうそこまで危険もないですし。機体をすぐに動かせる状態で維持する方が優先されると判断したからです」
二人は短距離のレーザー通信で、持て余した暇を潰して・・・いや、互いに現状把握の齟齬の擦り合わせを行っていた。
「そう言うシュライザさんこそ、何故ヤマトさんに着いて行かなかったのですか?」
『ん~・・・、下手に私が行くと問題が爆発しそうだったから? だって、あの人・・・ああ魔法水薬の店主ね。あの人、この街を実効支配している人だから、私が行って喧嘩になっても拙いでしょ?』
シュライザの口振りから、彼女が大凡正確に状況を知っているのだと、デリアーナは判断した。
『下手に刺激したら、街の人が皆人質にされちゃうしね。そうなれば大和様の足を引っ張る』
「貴女ならそれでもどうにかできるのではなくて?」
デリアーナは大和からそれとなく、魔法水薬店の店主がこの街の最重要人物であると知らされていた。そして彼女の性格と職務上、それを鵜呑みにはしなかったが、警戒すべき人物である程度に認識は持っていた。
確かに魔法水薬店の店主なら、不特定多数の境界防衛軍――冒険者との接点があって当然であると言う立場だ。裏の情報を集めることも容易いだろうし、不審がられても、情報やと冒険者の区別は付け難い。
しかも、魔法大系が廃れた現在では、戦場で手早く傷を癒す手段は魔法水薬以外にありえない。冒険者も対妖魔戦が殆どであるとはいえ、実戦経験が一番豊富な部隊であり、実質この街の最大戦力でもある。そこの元締めのような老婆であるなら、冒険者を傀儡にして、街を掌握することも可能だろう。
デリアーナも魔王機関での顛末で、シュライザがかなりの攻撃魔法を操れることは理解できた。ただ、問題があるとすれば、その攻撃魔法が、デリアーナが得た知識や、閲覧が許された資料に一切記載されていない魔法であると言う点だ。
だが、あの魔法を使えば、人間の部隊を蹴散らすことは造作もない。
――人殺しが許容できればなんですけど・・・。
『デリちゃんは意地悪だなー。できればやってるよ』
確かに、民衆の命綱を握っている人間と敵対すれば、立つ瀬と言う物が無くなってしまう。あの店主との敵対行為には、街を灰燼に帰すだけの覚悟が必要だろう。
そう言われると、デリアーナの気持ちは打ち沈んでいく。
あれだけの魔法を使えるのに、それより相手が上手だと認識しているのだ。つまりは自分より正確に敵の強さを認識していると言う事になる。
――ううっ・・・、たぶん、ですけど! 多分私が一番弱い・・・。
剣の腕前で言えば、主である大和には敵わない。魔法ではスティルに及ばない。戦闘では二人に敵わないと言う認識だったが、更にそれを上回るようなシュライザの存在に、気が滅入るのだ。
この場に留まっているのも、シュライザを監視する為だったのだが、自暴自棄に成って来た。
そして、素手でMSSをぶん殴って怯ませられると言うのは、一体どういう力学が働けば可能なのだろうか。膨大な魔力を持ち、それを的確に使用できるのであれば可能性があるのかもしれないという仮説ぐらいしか思い浮かばない。そして、そんな拳で殴られれば、MSS用の砲弾の直撃の方が、マシな死に方に思えるのだ。
――何で、こう、バケモノばっかり集まるの? 私にどうしろっていうの?
彼女の所属元であるトリケー教皇庁からは、彼らが人道に反する存在になるのであれば、最悪の場合は殺してでも止めろと指示を出されているのだが、誰を相手にしても無理筋であると思えてならない。
『首切られても死なないデリちゃんに、バケモノ呼ばわりされるのもどうかと思うよ』
現実逃避気味に、頭を抱え込んでいたデリアーナの耳には、その呟きは届かなかった。




