第14話 雨天
その日は、朝から雨だった。
大和は早朝鍛錬に出るいつも通りの時間に目を覚ましたが、テントの外の惨状を見てやる気をなくした。土砂降りとまではいかないが、大降りの雨粒が木々の葉を叩く騒音が煩く、舗装されていない剥き出しの道が、流れる雨水を掻き集め川のようになっていた。
「・・・雨か、今日は休みだな。うん、休みにしよう」
大和はあっさりと鍛錬を諦めると、ごろんと寝ころんだ。鍛錬をしないなら体を休める事に時間を費やすのだ。そして、この本来は起きてしかるべき時間に、だらだらと横になっていることが許されるのはとても贅沢な時間の使い方だと思っていた。
そもそも十分な着替えも、体を拭く乾布も、暖を取る火も湯もない現状で好んで濡れる馬鹿はいまい。下手なことをすれば風邪を引くだけでは済まない。なにより、この大雨の中腹を壊した場合が最悪だ。
「雨だと鍛錬に出ないのかい?」
大和の零した声に起きてしまった、先日急遽決まった同居人に突っ込みを入れられる。
眠そうに目をこすりながらのそりと宮前が上体を起こし、欠伸をかみ殺す。線の細い美形の寝乱れた姿というものは、中々に煽情的だったりするが、面倒な情動は無視して視線を逸らした。
「濡れるのは嫌だからな。風邪ひきたくないし」
「君は・・・なんていうか猫みたいな、かなりの気分屋さんだ。・・・確かに、体調管理は死活問題だからね・・・、じゃぁ僕はもう一眠りするよ・・・」
宮前は毛布を被り直すと、すぐに寝息を立てる。
その姿も色々と目の毒だった。
「なんか変な風に懐かれたな。そもそも貞操の危機を感じるなら、素直に女組で匿ってもらえばいいのに。・・・しっかし、なんでこいつココに居るんだ?」
「・・・君は無理矢理襲ってきたりしないだろ?」
「!! 寝たふりかよっ!」
「僕を避けるようなこともしないし、変に近づこうともしないからね。まぁ、君の人付き合いの距離感っていうのが僕に親しみやすい距離なんだよ。そういう意味じゃ、女性は近くに擦り寄りすぎるから苦手かな、ちょっと距離が開くと今度は陰口叩かれるしね」
「いや、むしろ狭いから他の所に行って欲しいんだが」
まだ成長途中の大和と、線が細く華奢な体つきの宮前の二名、その上大した荷物もないため一人用のテントでも十分に体を収めることができた。それでも、狭いことには変わらないが。
――布団だったら完全に同衾の距離だよな。まぁ狭い以外の害にはならなそうだから良いけどさ・・・。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・寝てるし」
宮前の返事を期待していたが返ってくることはなかった。
雨音で他者の生活音と途絶されているため、世界から切り取られたような錯覚に陥り、大和はちゃんと繋がっているか確認するために再びテントの外を見る。
男組のテントは木々の葉影に隠れるように設置されており、キャンバスにはあまり雨粒は当たっていないのが救いだろうか。辛うじて木々の葉影を伝って歩けば、さほど濡れずに隣のテントまでは行けそうだった。
だから、来やがった。
「よし! スリーカード!」
「くっそ。ツーペア」
「僕はワンペア」
大和のテントに、三岡が訪れ、宮前と合わせて三人が車座に座っていた。
そして、暇を持て余した三人は補給物資の中に紛れていたトランプを持ち出して、ポーカーに興じていた。勝敗数を競い、一番の勝者に秘蔵の缶詰を譲るという条件でだ。
「お前ら弱過ぎ、そうだ、次は“おいちょかぶ”やろうぜ?」
「絶対にイヤダ!」
「ごめん、僕ルール知らない」
「じゃしかたねーな、ポーカー続行で。宮前、切って配れよ」
敗者が仕切れ、という条件であるため最下位の者がカードを切る。例えここでイカサマを仕込んでも、勝っている間は次の仕込みができないのでそれなりに公平なシステムではないだろうか。
「・・・で、今朝の飛竜種の巣が見つかったんだって?」
「らしいな。オーディアスも稼動機が全部出払ってる。まともな整備ができないんで長期戦は不利なんだとさ。飛竜種があと何匹居るのか知らないけど、ここで一気に数を減らしたいんだろ?」
「巣を潰せば飛竜種に襲われる心配もなくなる訳か・・・って、オレたち何の役にも立ってなくね? 一枚チェンジ」
「飛竜種に襲われたことないからそう言えるんだ、死ぬほど怖いし、死ぬよりはましだぞ。二枚チェンジ」
「でも、巣が一個しかないって決まった訳じゃないからね、僕らは実物を見たことないし女組のMSS隊に任せておくのが無難だって話だよね。二枚チェンジ」
今朝の鍛錬を雨天に付き取り止めたが、荷解きの方はサボる訳にはいかなかった。嵐になっている訳ではないので、休む口実には弱いし、腹が減れば人心が乱れるのは世の常だ。ある程度濡れるのは仕方ないと諦めて、本日の作業を熟してきた。幸いにしてゴム長と合羽は支給されていたので、さほど濡れずには済んだが。
そして、例の如く女組に荷を届けた時には既に三機のオーディアスが臨戦態勢になっており、大和の見ている前で慌ただしく出撃して行ったのだ。今回はその出撃を見送った莉緒に話を聞いてみれば、傭兵の斥候部隊が飛竜種の巣の場所の確定情報を持ち帰ったので、女組のMMS隊の第二小隊に当たる徳永小隊が、飛竜種の巣を破壊するために出撃して行った。基本的に今までのように防戦しかしてこなかったので、このように打って出ることは珍しいそうだ。
「いつまでもやられっ放しって訳にもいかないしね。まぁ、雨の中の方が足音とか気配を隠しやすいから、巣を強襲するにはうってつけなのよね。これで、少しは楽させてもらいたいわ」
「空振りでもい~から~、怪我しないで返ってきて欲し~わよね~」
「・・・大丈夫。実力的に、徳永小隊は、女組・・・最強」
聞けば、MSS操縦技術に関しての序列は莉緒がトップで結愛がビリ、美咲も下から数えた方が早いらしくて、千尋はブービー。女組にMSS小隊――操縦者だけだが――は現在三つ存在し、それぞれが持ち回りのシフトでオーディアスを運用している。夜行性の害獣相手に夜通し対策しなければいけなかったり、病気や体調不良もあるので、それぞれが補助に入れるようにしていた。
「そんな訳で今日は整備できるMSSもないから、大和は帰っていいよ。ていうか、徳永たちが帰ってきたら超忙しくなるから今の内に体を休めて英気を養っておいてよ。帰って来れば寝る暇ないから、絶対寝かさないから!」
そう言いながら千尋が陣頭指揮を執り、徳永小隊が帰ってきたらすぐに整備出来るように前もって段取りを取る。必要な物をすぐに出せるようにしたり、体力的に消耗しきっているだろう搭乗者達に栄養価の高い流動食のようなものを用意したり、風呂の準備なんかもしておくと色々と都合が良いらしい。
そして、千尋にも言われたように、今すぐにでも大和が手伝えることはあるが、本当に手伝って欲しい時の為に今日は休んでおくように言いつけられ、自分のテントに戻ればなぜかこうなった。
「いや、だって暇だったし・・・、隣のおっさんが酒臭くて気分悪くなるし・・・、二日酔いで頭痛いから喋るなとか、飯食おうと思ったらケロケロやられるし・・・、なぁ、別に良いだろつーか、匿ってくれ。でないとオレが死ぬ」
三岡が同室になった年上の召喚勇者は酒を良く飲むらしく、テント内に臭いが充満しているので逃げてきたようだ。
「で、この雨だろ? 迎え酒とか言って朝から飲みだしやがったから・・・、ほんと、勘弁してほしいぜ」
「やることないからお酒飲むってちょっと拙いんじゃないかな・・・。はい、スリーカード」
「ちょっと気が緩み過ぎてる感があるな。よし! フルハウス!」
「・・・ぐっ負けた」
三岡が手札を開くと、フラッシュ崩れのブタだった。
だらだらと世間話をしつつ三人で時間を潰す。それから、どれくらいの時間がたっただろうか。
ざわり――と、大和の何かが感じ取った。その嫌な感じは、まるで山で野犬の群れに包囲された時の感じによく似ていた。
「三岡。剣は持ってきているか?」
「ん? あぁ、一応な。なんか持っていないと落ち着かなくってな」
三岡はまるで縫いぐるみがないと眠られない事がばれたような、バツの悪さを顔に出して答える。
宮前は、大和の言葉にハッとして自分の剣に視線を向け、驚愕したように眉を顰めた。剣の柄に嵌まった装飾用と思われた宝石の一つが淡く光りだしていた。
「脅威が・・・敵が来ている!? 拙いことになりそうだよ・・・これは」
「剣の危険感知能力ってやつか・・・便利な機能だな」
「取り敢えず源田のおっさんのテントに行くぞ。何にしても知らせないと」
「さて、召喚勇者どもはどうなるか・・・」
顔をフードで隠した。いかにも怪しいことをしていると全身で表現している人物が言う。その声には、まるで応援しているような期待が込められていたが、酷く剣呑な響きも含んでいた。
「どの程度やれるか見ものだな」
暗い実験室でモニター越しの観察だ。自身の身の安全は確保されているのだろう、完全に他人事のスポーツ観戦、いや闘牛でもテレビで見るような非現実感が声から滲んでいた。
「しかし、貴方が協力して下さるとは思いもしませんでした」
「利害関係の一致と言うやつだ。この協力は我々の悲願の架け橋にもなる」
フードの人物の後ろに控えるように立っていた男が言う。その男の肌は白く澄み通り、とても美しい肌の色だった。煌びやかに垂らした金の長髪の間から覗く耳の先も尖り、普通の人間ではないことは明白であった。
「さて、勇者どもに勝てそうか?」
「恐らく今回の策では無理でしょうな。ですが次回以降に繋がればよいのです。それにもしも勇者どもが全滅したならば、この策がとても効果的であると証明されるだけのこと。勇者どもの生死などそのための評価基準でしかありませんよ」
フードの人物はそう言い放つ。別に勝ち負けなどどうでもいいのだ、今回のこの策がどの程度の効果があるか分かればいい。要は実験なのだ、結果が出ればいい。そして採点できればいいのだ。その点数が良かろうが悪かろうが、それを今は問題視しないというだけだ。若干悠長にも感じるが、ぶっつけ本番で事を進められるほど豪胆ではなかった。
それよりも、懸念事項がある。それはこの実験を自分たち以外の者も観察しているはずだということだ。実験自体を隠し通すことはほぼ不可能。ならば、実験の意図を悟らせぬようにしなければならない。
「そんなことよりも、例の連中も動いているのでしょう?」
「当然であるな。彼奴等が動かぬ道理があるまい。彼奴等の偽善ぶった面は吐き気をもよおすほどの不快だがな。まぁ、だからと言って何ができるわけでもないがな。・・・しかし、それよりも良いのか」
「何がですかな?」
「この件は確実に帝国を敵に回すことになるぞ。君にその覚悟があるのかということだ。帝国は強いぞ。生半可なことで打ち倒すことなどできまい」
「そのような些末なことは織り込み済みです」
この件で帝国を敵に回すことなど、本当にどうでもいいことだった。この計画の最終段階は帝国を打ち倒すことなのだから、敵に警戒されたところで何の障害にもならない。いや、この段階で警戒させたいのだ。
「いえ、違いますな。むしろ帝国が敵に回ってくれた方が良いのです。その方が混乱は大きくなり、こちらの策も成功し易くなるでしょうな」
「ふん。こちらとしては人間が多く死ねばいいのだ。一人でも多く・・・な」
フードの人物の顔は見えないが、金髪の男の方は一言で言えばエルフだった。妖精とさえ称される美男美女揃いの亜人種で、抜けるような白い肌に、青く澄んだ瞳、黄金のような煌びやかな金髪、端の尖った耳。贅肉の殆どない引き締まった肉体を持ち、細ながらも運動能力に長ける森の狩人。
この世界では亜人種に分類される種族であったが、現在では国を構えている人類からは蛮族として蔑まれている。文化圏からは追いやられ、世界の隅で細々と生きながらえているだけの種族だった。
――安い復讐心だな。怨敵である人の命が一人でも多く失われることを望むなど。
フードの人物はそう結論付けた。約五十年前に起こった人類が滅亡しかけた戦争よりも、遥か昔に起きた別の大戦争。現在では神話として伝わっているような戦争であるが、それにより世界の主導を担う知的生命体は人に決まったという話だ。その時に人に組しなかった種族の幾つかは滅ぼされるか、隷属させられたという。かつては森の妖精として、人から羨望と畏怖を受けていた彼らエルフはその戦争から目を背けたために、蛮族と蔑まされるような立場に転げ落ちたのだと言われている。
もう二千年以上も昔の話だ。真実を知っている人は居ない。
――寿命を持たないとされる長命な彼らエルフならば、当事者が今もまだ生きているのだろう。だからこそ、今もその恨みがあるのだろう。なんと愚かで進歩しない連中か。そんなだから蛮族と蔑まれるのだ。
「それにしても、今回の協力の報酬として、こちらが贄として要求したものについて、本当に良かったのか? 本心を明かせばもっと惜しむと思ったのだがな。拍子抜けするほど容易く応じたであろう」
「構いませんよ、あんなものなど幾らでも替えが効きます。むしろこちらがお聞きしたいぐらいですよ、あんなもので満足されるのですかな?」
「我らが主に捧げる贄としては相応しいと判断している。問題ない」
利害が一致し、互いに協力し合う。そして互いが望むものを報酬として都合し合う。
二人は静かに暗く、嗤った。
2016/09/07 誤字修正。




