第144話 唯一の成果
見覚えのない鉄塊が、大和とスティルの間を分断する。
――シーゼルから降りた時に、あんな物は無かったぞ!
憤慨するも、それで現実が変わってくれるわけではない。
大和の性格上、見落とした可能性は低い。退路の安全確保の為に、最低限の確認作業は行ったのだ。気配を探り、目視で確認する。先ほどまではあんな物は無かったことを証明するかのように、虚空からそれは姿を現したのだった。
まるで、幽霊のように、それはぼんやりと現れた。
「いやはや、どうにか間に合いましたな!」
安堵し嘆息した声が、鉄塊の奥より僅かに伝わる。
これがルゴノゾールの奥の手、それが彼の思う時機とかっちりと噛み合った結果だ。これがあるから、大和の要求を素直に聞き、事を荒立てずに、魔王の核である赤い宝珠と、魔王の贄たるスティルの両方を手中に収め直した。
一転して、大和は窮地に立たされる。
「くっ! デリアーナ! 行けっ!!」
咄嗟にデリアーナを逃がすために叫ぶ。どうにか傷が塞がったとはいえ、衰弱し意識も無いような状態のハイラが同乗しているのだ、とても戦闘を出来る状態ではない。それに、足の遅いデバイオが逃げてくれないと、大和も逃げられない。
デバイオは逡巡するように、腕を動かしたが、踵を返し格納庫から逃げ出して行く。
これで至龍王に乗り込めれば、どうにかなるだろうと肩の荷が下りたような解放感を僅かに噛みしめる。
ふと出現した大樹を思わせる大型MSSと目が合った。
――マズい!
即座に飛び退くが、人の足でどこまで逃げられるかわからない。
Aランクつまり軍用ないし戦闘用のMSSの眼部にはレーザー機銃が搭載されている事が常識だった。
この世界でも基本的に軍隊や警備隊などの組織の管理下に無い機体の武装は禁じられている。
だがこのMSSは違う、魔王機関と言う反社会的組織に属し、明確に戦闘を意識して建造されている。恐らく搭載されているであろう、レーザー機銃やそれに類する武装の掃射を受ければ、ただの人間の体など肉片も残らない。
だが、その瞬間は訪れなかった。
――撃ってこない?
撃っても効果を期待できなかった、もしくは撃てなかった。大和と魔王機関のMSSの間を、もう一つの鉄塊が遮っていたからだ。至龍王の腕が、大和を守る。
「なんですとな!?」
塞がれた通路の奥に居るはずのルゴノゾールから、驚愕の声が漏れる。この状況を確認できているとは思えないし、大和の耳に声が届くとも思えない。
――このMSSを通して状況の確認はできるってことか・・・。
ルゴノゾール本人が纏う、不気味な悪の魔法使い然とした雰囲気と、このMSSの不愉快さはとてもよく似ていた。この機体はルゴノゾールの乗機であるなら、色々と納得できる部分があった。
しかし、MSSは人が乗っていなければ動かない兵器であると言う大前提がある。MSSの昔の名が魔動機、そしてその高性能機が鎧闘機と呼ばれていることも決して無関係ではない。操縦者を騎士と呼び、その身体を守り強化する鎧なのだ。操縦する巨大ロボットではあるが、在り方は強化外骨格に近い。だから、人が乗らなければ動かないとされているのだ。
「何事にも例外ってのはあるんだよな!」
奥の手として大和が用意していた手段。当然、それに類する力を他者が持っていても可笑しくはない。自分だけが持てる力、唯一無二の存在、そんな物は眉唾だ。自分が出来る以上、相手も出来ると言う考えを持たなければ、破滅するだけだ。
大和は至龍王を見上げる。
その肩に、薄紫色の髪をなびかせた少女が、腕を組んで仁王立ちしていた。
「シュライザ! ぶちかませ!」
連続した甲高い金属同士が当るような音と共に、不可視のレーザーが放たれる。鉄板を金槌で叩くような、無闇にうるさい音を奏で、僅かに魔王機関のMSSが姿勢を崩した。
だが、それだけだ。
衝撃により、僅かに姿勢を崩しただけ。装甲を穿つほどの威力は無く、牽制以上の意味はない。
より高威力の武器が使えればよいのだが、例えばショックロアやフローゼントガンと言った武装は、ルゴノゾールのMSSの後方にいる筈のスティル諸共殺してしまう可能性が高い。
余波を考慮せずに使えば、護るべき存在すら消し飛ばしてしまう。無論、生身で側に立ちすくんでいる大和すら例外ではない。
目配せだけで、合図を取り合う。
大和が頷くと、至龍王はレーザー機銃による牽制を止め、掬うように大和を拾い上げる。そして操縦席に潜り込む時間を稼ぐために、シュライザは雄叫びをあげ跳んだ。
「やあぁあああああああああああああああぁぁ!」
拳を握りルゴノゾールのMSSを殴りつける。
「せいやあぁぁあああああああぁぁ!」
その衝撃にMSSはよろけ、壁に突き刺さるように体勢を崩す。
長身とは言え、生身の少女が三十メートルに達しようかと言うMSSを殴り飛ばすと言う現象は、現実味を失いシュールでしかなかった。
「どんだけでたらめだよ!」
大和ですら、自分の行いを棚上げして、シュライザを訝しむ。
しかし、それで隙が出来たのも、また事実だ。
操縦席に滑り込み、操縦桿を握る。
「ぐl!?」
強烈に走った右腕の痛みに、眩暈を覚えた。操縦桿を握れない程度には、状態が悪化していた。
――が、どうにか飛ばすくらいは出来る筈だ!
痛みに声を出すことも出来ず、歯を食いしばる。
外ではシュライザが大きく口を開け、凄まじい熱量を誇る光球を吐き出すように、ぶつけた。
それはルゴノゾールのMSSを掠め、魔王機関の基地の一角を消し飛ばす。いや間違いではないが、MSSに直撃したはずの光球が、球状に展開されたフィルドリアの表面を滑り、明後日の方向に逸れたと言うのが正しそうだ。
――とんでもない威力だな! くそ! 魔法は何でもありか!
魔法の使えない己の身を恥じながらも、それでも対MSS戦において決め手にならない事に驚愕を覚える。結局のところ、MSSを倒せるのはMSSだけと言う事なのだろう。
開け放たれたままの搭乗口から流れ込む余波に乗って、シュライザが操縦席に、大和の膝の上に帰還した。
「ただ今戻りました」
「お帰り・・・じゃあ、引くぞ」
ルゴノゾールのMSSは装甲のほんの一部に傷が付いた程度で健在。体勢を崩している今しか、逃げ出す暇はない。
右手が思うように動くのであれば、止めをさせたかもしれないが、その望みに固執しないように言い聞かせる。まだ黒騎士が控えている可能性もあるのだ。満足に操縦も出来ず、スティルを人質に取られれば、手も足も出なくなる。
断腸の思いで至龍王を飛翔させると、先行しているはずのデバイオを追い、魔王機関の基地を後にした。
幸いにして追撃は無いようだ。あの突如出現したルゴノゾールのMSS以外に、満足に動けそうな魔王機関所属機は見かけていない。
大和の感情によって攻め込んだ強襲作戦は、多大な物資の浪費と、機会の消失、奥の手の発露、そして自身の負傷という手痛い被害を負い、碌な成果も出せずに、完全な失敗に終わった。
大和は這う這うの体で、ヅィスボバルト領に逃げ込む。
ここが安全と言う訳もなく、ただ身を休めさせられそうな場所と言うのが、そこしかなかった。魔王機関の追撃部隊が襲い掛かった場合、どれだけの被害が出るか分からない。
それでも失敗した旨を、アインラオ皇帝ニオルトラートに伝えなければならないだろう。
「ぐっ! ・・・つぅ。ちょっと、色々本気でヤバいぞこれ」
思わず口から零れる苦悶は、肉体的な痛みだけではない。責任を果たせなかった負い目が苛む。
そして、追い打ちをかけるようにデバイオから通信が入った。
『ヤマトさん。回収したアレの調子が悪いです。もう持たないかもしれません』
デリアーナは頑なにハイラを認めず、アレ呼ばわりしているが、そんなことが気にならないほど、声色は緊張を強めていた。
「回復魔法で治したんじゃないのか?」
『申し訳ありません。私の扱える御業では傷を塞ぐのが限界です。魔王により奪われたものまでは治せません』
身体的、精神的、魔法的にも極限までに疲弊しきっている。本当に辛うじて、死んでいないだけと言うのが正しい。
回復魔法と一口に言っても、その効果は様々だった。
デリアーナの扱える治癒の御業は、己の持つ魔力と言われるような精神エネルギーを供物として神に捧げ、対象の傷を癒すと言う物だ。御業を受ける側にも、ある程度の体力が残っていなければ、傷を治癒することはできない。奇跡と呼べるほどの高位の御業であれば、即時回復が可能であるらしいが、そもそもトリケー教皇庁内で下っ端であるデリアーナには、能力も伝手もない。
スティルが以前使った回復魔法は、また別の論理で傷を癒す。あれは魔力に因る刺激で、人体の自然治癒能力を増大させ強引に傷を癒す。例えば致命傷でも、即死でなければ死ぬまでに猶予があり、その間に傷を塞いでしまえば死なないで済むと言う考えだ。当然、回復魔法を受ける方の体力、傷を修復させるだけの活力を持っていなければ、回復しきれない。外科手術を魔法で代行するようなものと考えればいいだろう。
また、魔法に因る回復では、傷は癒せても失った血を戻すことが出来ないと言う話はよくあるが、それは間違いである。傷が出来ていると言うだけで、傷口の細胞は破損し死んでいる物もある。それらを魔法によって復元・再生させる訳だが、その為のエネルギーは回復を受ける人間、つまり患者の脂肪や筋肉内に蓄えられているエネルギーを使う。蓄えが無ければ傷を癒すことが出来ないのだ。
要するに致命傷を負った、骨と皮だけのような人と、肥満体の人では同じ傷でも成功率が変わってくるのだ。体細胞を再生させるエネルギーを蓄えている肥満体の人の方が、成功率は高い。
失った血液は、結局体内で生産される物である以上、血液を生産する器官に魔法で刺激を与えてやれば、通常よりも速い速度で造血することが可能だ。だが液体である血液は、流出速度が速い為に、小さい傷でも失う量は多い。傷よりも回復させるのに大量のエネルギーを消費し、貯えを枯渇させてしまうため、失った分を補填できない事が多いのだ。
なお、血が戻せないと思われていた背景は、医学が未発達だった過去において、どこで血が造られているか分からなかったため、魔力による効果的な刺激をどこに与えればいいか分からなかったせいだ。血を作っている器官に刺激を与えられなければ、造血されないからだ。
そして、ヅィスタム村のエルフが使った回復魔法は、生命の精霊に依頼して、傷を負う前の元の状態を読み取り、復元すると言う方法だったために、医学知識や効率的な魔力刺激を必要としない魔法だった。
体力を限界まで消費し衰弱しきったハイラを救う魔法は、エルフの回復魔法しかないと思うが、今度はそれをシュライザが否定する。
「無駄、だと思いますよ。魔王によって生命の精霊力自体が衰弱しています。幾ら精霊魔法でも回復は出来ないでしょうね」
精霊魔法と呼ばれるエルフたちの使う魔法は、生命の正しい形、つまり鋳型のような物を読み取り、傷によって萎んだり潰れた命を鋳型の形にまで戻すと言う考え方だ。だがこれも、生命力と言う蓄えが必要であることに変わりはなかった。
――あの人の治癒の力なら、治せる傷だろうが! 召喚勇者の・・・カオスマターの力ってのはどこまでもチートだな!
ハイラを助ける可能性のある人間に思い至るが、その人はもうこの世界には居ない。
神官の御業、古代魔法、精霊魔法のどれも回復させるのにはエネルギーが必要なのだ。それを吸い出されガリガリに痩せ細ったハイラには難しい。外部から、つまり食事を通して補給しなければならないのだが、まともに食事も出来ないほどに体が弱っている。
逆に考えれば、外部から強制的に補給してやれれば、回復魔法で治ると言う事になる。
「・・・魔法水薬か。ポーションが有ればハイラを助けられるかもしれない。デリアーナ。聖墓に帰るのは後回しだ、そっちに先に行くぞ」
ハイラは、今回の行動で、唯一大和が手にした成果と言って良い。
ここで失えば、全てが完全に徒労になってしまう。それだけは避けねばならなかった。




