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第143話 交換交渉

 大和は魔王の核を握りしめながら、焦りを感じていた。

 魔王の核が予想外に強固だったことではない。


――斬れると思っていたんだがな。まあ、斬れない物もあるさ。


 全ての事象が自分の思い通りに推移すると妄信するほど驕ってはおらず、予想した結果と違った所で癇癪を起こすほど幼くはないと言う事だ。多少なりとも、こうなる未来を予想していたために、狼狽えはしなかった。

 焦りを感じたのは具体的に言って、スティルを奪取する策が尽きてしまったことだ。

 想定外の魔王の触手との遭遇により、引くことも出来なくなり、前進し発生源を潰すことを選択し達成した。だがそのために、持ち込んだ殆どの弾薬を消費してしまったのだ。逆に逃げを選択していた場合も、同様に弾薬を使い果たしていただろう。不意打ち気味に魔王機関に乗り込み、弾薬を使い果たした上に、碌な成果も上げられず逃げ帰ることになる。

 そして恐らく次は無い。

 再度体勢を立て直し襲撃を掛けると言うのは、恐らく不可能・・・と言い切れはしないが、かなりの難物になっていただろう。スティルを攫われたと言う事を隠蔽したいアインラオ帝国は、大和の要求に対して迅速な対応が出来ずに必要な物資の補給は滞る。結果魔王機関側に時間を与えることになり、スティルを別の場所に隠されてしまうかもしれない。最悪の場合は、そこから延々と鼬ごっこだ。

 そして、他国の介入も考えられる。

 帝国内の物資の流れを嗅ぎつけて、スティルが攫われた情報を知られれば、外交的な不利を招く。下手をすれば『魔王機関に手を出すな』と、とばっちりを恐れた国から抗議を受けるかもしれない。

 安全策のつもりで、問題を先送りにすると、どんどん苦しくなっていく。だから無茶でも、何かしらの成果が必要だった。

 現状、唯一の成果はハイラを魔王の核から切り離し、身柄を確保した事だが、大和にとってハイラの利用価値が皆無に等しい。帝国に奪還した人材の価値を評価して貰えるわけでもなく、幼女然とした肢体なので女性としての魅力も乏しい。間引かれて、路傍に打ち捨てられた苗を、そのまま枯らすには惜しいと拾ってしまったようなものだ。

 成果と言うよりは、重荷であろう。

 現在残存している武装は、副武装として装備している拳銃と、その予備弾倉が二個に手榴弾が二個くらいしか武器が無いのだ。

 今からスティルの身柄を奪うために、魔王機関の基地の中を捜索するには、心許ない戦力だ。

 例えば天井と床、左右に壁の有る通路が五十メートルも続いていれば、中ほどまで進んだところで、前でも後ろでも小銃を持った魔王機関の警備兵が現れたら終わる。拳銃で撃ち倒すには少々遠く、近付くにしろ逃げ出すにしろ、相手が余程のバカでない限り、一方的に攻撃を出来る機会を逃すことはないだろう。連射の効く小銃で、しかも通路と言う逃げ場のない場所であると、狙撃を察知し回避することが出来た大和でさえ、放たれた弾丸を全て躱すことは不可能だ。運良く躱せて、最初の数発が限度。

 自力で、捜索するのはかなり厳しい。

 しかも重症のハイラを救出してしまった。もしも、彼女が死んでいたり、助ける気が起き無いような言葉を吐いたりして居れば見捨てることも出来た。ハイラの身柄を保護している以上、デリアーナを戦闘させる訳にはいかない。

 進軍するには彼女の身柄は足枷でしかない。

 だからといって今更捨て去る訳にもいかない。

 矛に出来るもの、盾に出来るものをそれぞれ思いめぐらす内に、ふと天啓のように思い至ったのだ。

 主武装を失い、お荷物も抱えた現状を打破する策を想い付けたのは僥倖だった。


――寧ろ、斬れずにラッキーだったな。


 斬り捨ててしまっていたら、一番大事にしているモノを壊された人間は、やはりどこか人間として壊れてしまうものだ。ルゴノゾールも会話など成立しない狂人に成り果て、何の見返りも求めずこちらの命だけを狙うように変質してしまった可能性がある。

 魔王の核である赤い宝珠を大和が確保したことにより、魔王機関と交渉の余地が残ったのだ。

 彼らにとってスティルよりも価値がある物を押さえられた幸運により、どうにか交渉が成立した。


――とりあえず、早くして欲しいな。いい加減・・・右手の感覚がヤバイ。


 まるで溶けない氷を握りしめているような錯覚に陥る。掌からじりじりと体温を奪われ続けるような感覚。神経が凍って行くような鈍痛が、骨の髄まで浸透していく。

 苦痛に思わず眉根を歪めそうになるが、平静を装い続けた。





 程なくして、ルゴノゾールはスティルを連れて大和の前に現れた。


「ご要望通りに、連れてきましたぞ」


 大和とスティル、感動の対面と思いきや、そうことは巧く運ばない。スティルは気力が無いのか力なく項垂れたままだ。下手をしたら大和の姿すら、その瞳に映っていないかもしれない。全体的に細く流れるような線を描く肢体に似合わない武骨な首輪が、嫌が負うにも目に入った。


――なんだ? アレは? 脱走防止用の枷か?


 何をしたのかと問い詰めたい衝動に駆られるが、それは我慢する。今そんな事をしている余裕はない。


「ここじゃ何なんで、場所を移そう」

「・・・く。また歩かせるのですかな・・・」


 ルゴノゾールは、取引場所を変えると提案した大和に対し、純粋に歩きたくないと不満を漏らす。

 その態度を見ても、大和は平静を装い、警戒心を解かずに歩き出す。もちろん、目指す場所は至龍王から降りたMSS格納庫だ。今この場で、スティルと赤い宝珠の交換を行っても、安全に逃して貰える保証はない。せめて至龍王があれば、強引に逃げることが出来る。

 こちらの思惑に気付いているのだろう、ルゴノゾールは苦い顔のまま大和に付き従った。


「あと、スティルの首輪は外しておいて貰おうか?」


 何のための首輪か理解が及ばなかったが、人質に付ける首輪と言えば大概その機能を察することが出来る。

 反抗させないためや、脱走をさせないためだ。居場所を確実に探知する為に発信機を仕込むなど常套手段だろう。

 そして、手足を拘束されていない事から、動きを封じるためのモノではなく、心を折って従属させる方法。逆らえば殺すと脅されれば、反抗心は大幅に押さえ付けることが出来る。スタンガンのように意識を刈取る電流や、圧迫し窒息を促したり、爆発して死傷させたり、命を脅かす何かが発動する罠が仕掛けてあるのだろう。よくある創作物の物語では、特殊な解除暗号が無いと取れないと言うのは鉄板で、逃がさないために使われる脅しとして、基地内で定期的に抑制コードを入力し続けないと罠が発動するとか、起動コードを入力されると罠が発動するとか、そう言う類の物だろう。

 もし仮に爆発物が仕掛けられていた場合でも、首輪に搭載できる爆薬の量は極僅かで、頭を吹き飛ばすだけの爆発力は得られないかもしれない。しかし、実際に殺すことが出来ればいいだけなので、頸動脈を損傷させるだけの威力があれば事足りてしまう。


「分かりました。これで満足ですかな?」


 ルゴノゾールは素直に大和の要求に従い、スティルの首輪を外す。

 ここまで素直に応じられると、返って罠の可能性を考慮してしまう。例えば、連れられてきたスティルが偽物の可能性だ。一般兵や下級騎士では帝国皇女のご尊顔を拝謁する機会は殆どないため、よく似ている偽物を用意すれば誤魔化せてしまうだろう。

 しかし、大和にそれは通じない。

 おっぱい星人としての第六感が、アレは本物のスティル――の乳――だと確信している。


――俺のスケベ心を侮るなよ!?


 因みに大和は知らなかった事だが、この魔法使いに対して魔法を封じる首輪と言うのは、酷く簡単な作りをしている。首に巻くことで、装着者の魔法の発現を封じる魔法的な機能がある訳ではない。確かに過去にはそういう高価な物もあったが、それは構造が複雑かつ大型になってしまう。魔力量の少ない人間ならさほどの手間もなく抑え込めたが、魔力量の多い者、一流の魔法使いと称されるだけの存在の魔力を封じるだけの抑制力は発揮できず、魔力量で強引に内側から吹き飛ばしてしまうことも可能だった。それが魔人と称されるほど魔力量の多いスティルであるなら、最早何の意味もなさない。

 スティルが着けさせられたものは、発想の転換をしたもので、装着者が魔力を操作し魔法を使おうとすると爆発をすると言う単純な構造をしている。どんな魔法使いでも頸動脈を絶たれ、冷静に魔法を使うことはできないし、回復魔法も間に合わない。魔法を使えば己の首が爆発し死に至ると言う、恐怖で魔法を扱えなくする装置。

 能力として封じるのではなく、封じざるを得ない精神状態に持っていくという、魔封じの首輪だった。

会話が成立し、近い価値観を共有している人間にしか効果が無いと言う欠点はあるが、その点さえ満たせるのであれば安価で効果的だった。


「持ち運ばれても面倒だ。その場に捨ててくれ」

「随分と用心深いのですな。ですが、度を過ぎれば臆病者と思われませんかな?」


 素直に従って、通路の端に外した首輪を放るのを確認したので、ルゴノゾールの煽りは無視する。臆病者と言われ憤慨するような大和ではない、かつて役立たずと罵られ苦汁を舐めてきた経験が、その程度で怒りを発露させない訓練になっていたとは皮肉なものだ。

 もしくは主導権を握られてしまったことに対する、ルゴノゾールなりの僅かな反抗だったのかもしれない。

 そしてこれだけで、今大和が握っている赤い宝珠の価値が、どれだけあるか如実に分かってしまう。大国と称される帝国を敵に回してでも手に入れたものと比べても、悩む素振りすらないほどに重要な物だ。


――なるほど。魔王の核・・・魂そのものって話、眉唾だったが本当っぽいな。


 後は純粋に代替が効かないと言う事もあるのだろう。スティルの魔法に関する才能は百年に一人の逸材だったかもしれないが、世界に一つしか存在しない魔王の核とは比べるべくもない。

 MSS格納庫に着くまでの時間に、ルゴノゾールの武装――護身用に拳銃を持っていた――を解除させ、念のために格納庫の人払いも命じる。

 通路は狭い為に、誰かが隠れることは難しいため、交差点や曲がり角を注意していれば、まだどうにか対処可能だった。一番危険な地点はMSS格納庫に入り、一気に周囲の空間が開ける事だ。出口で包囲展開されていれば詰むからだ。


「デリアーナ。先にハイラを連れてデバイオに乗り込み、援護してくれ。俺がスティルを取り戻してシーゼルに乗り込むまでの時間を頼むぞ」

「・・・承知しております。ですが、ヤマトさんが先に乗り込んでくれて方が、こちらとしてもやりやすいのですが? 敵の攻撃に晒されても、私ならばそう簡単に行動不能に陥りません」


 確かに加護によって強化された神官戦士の身体は頑丈である。多少の銃弾を受けても、即死しなければ回復は容易く、足止め程度の攻撃ならば無視して突破することも可能だ。


――理論上はそうなんだろうがな。感情論でそれはしたくないんだよ。


「悪いな、今更引けない事情があるし、万全な状態のデバイオがいた方が安全に撤退できるはずだ」


 しかし、大和は女を盾に逃げ延びると言う行動に抵抗を覚え、デリアーナの提案を流す。


――それに、この“魔王の核”ってのが、案外厄介だ。こいつをデリアーナには任せられない。


 直感的にデリアーナが触れることは避けた方が良いと感じていた。魔王の触手にに“聖”属性が毒と成る程の特攻効果があるのなら、その逆もあり得ると言う事を、感で察知していたのだ。


――もう、右腕の感覚もないしな・・・これは駄目かもしれん。


 魔王の核を握りしめた大和の右腕は、掌を中心に黒ずみだしていた。触覚は残っているし、指もちゃんと動くがどこか鈍い、痛覚はすでになく肘の手前位が今は酷く痛む。壊死とは違う気がするが、もう右腕は使い物にならないかもしれないと、大和は覚悟していた。

 そしてこれをデリアーナに押し付ける訳にはいかない。戦闘に置いて二人が怪我をするよりは、一人が全てそれを請け負った方が戦闘能力の維持に貢献できると言う考え方もある。


――最悪右腕が無くなっても、デリアーナがその代わりをしてくれそうだしな・・・。


 と、楽観することでどうにか平静を保っている所もあった。

 MSSで脱出する際に、至龍王とデバイオを比較した場合、基本的に足の遅いデバイオを先に安全圏まで逃がした方が、追っ手を振り切る公算が高いのは事前に示し合わせをしている。

 元々の速力が早く、一般機と比べれば全体的に頑丈な作りの至龍王と、元々の足が遅く、一般機並みの強度しかない飛行用推進器を追加装備しているデバイオ。追撃を受けた場合、どちらがより離脱不能に成り易いかを考えた上での作戦だった。


「なに、奥の手もあるんだ、予定通りに行く」

「・・・承知しました」


 程なくして、MSS格納庫に辿り着く。格納庫に潜んでいる伏兵の気配を探っても、察知は出来なかった。見落としている可能性を否めないが、いないと言う公算が高い。理由は、魔王機関の首領代行を務めているはずのルゴノゾールに、護衛が全くついていない事だ。確かに出迎えられた時は例外としても、魔王の触手を切り伏せハイラを解放した後も、彼を守るための戦力が合流しようとする気配を見せない。

 スティルを連れてきた時も、護衛はいなかった。

 と成れば、護衛を付けられないほど人材が不足しているか、護衛が必要ないほどこの男が強いかだ。しかし、全く侮っているつもりはないが、大和の感覚では後者はあり得ない。ただ、何かしらの手段で身を護る術はありそうだが。


「止まれ! おっさんは取り敢えずそこから動くな!」


 大和とルゴノゾールの距離はおよそ二十メートル、これ以上近付くのも遠ざけるのも、駆け引きがやり難くなると判断した。

 大和とデリアーナは視線だけで軽い合図を送り合い、先行させデバイオに搭乗させる。そして機体の起動が完了するのを待って、ルゴノゾールに声をかけた。


「スティルを放し、彼女自身にこちらへ向かって歩かせろ! 俺の五メートル前まで進んだら、この魔王の核とやらは投げて返す!」


 投げ返し体勢を立て直して、スティルの手を引き至龍王へ走る。これくらいの時間でルゴノゾールは魔王の核を受け取れるだろう。少々暴投気味に放ってやれば、もう少し時間に余裕が生まれる。

 ここでもルゴノゾールは素直に了承し、スティルを放した。

 若干、素直過ぎて気持ち悪さを感じるが、逆に考えれば、それほどまでにこの魔王の核が大事であると言う事なのだろう。

 スティルの歩みが遅いのは、じれったく感じるが、心身ともに疲弊していると容易に想像はつく。お前を魔王復活の贄にすると言い聞かされて、元気溌剌で居られる神経では無いだろうが、スティルの性格ならそれでも気丈な態度を取って居たはずだ。

 大和の顔を見れば安堵を少しだけ覗かせ「貴様! 助けに来るのに何を手戻って居った!」ぐらいの悪態はつきそうだった。だが、実際には大和が顔を見せたことにより、帝国が皇女救出に価値を見出していない。己の存在自体が、帝国の利益にならないと打ちのめされたのだ。

 前回は“死”を利用することで、帝国の利益に繋げようとした。

 今回は存在を無視することが、帝国の不利益を回避することになる。

 明らかに価値が下がっている。

 スティルにとって世界はどうでも良い物になりつつあった。

 それでも、重い足取りで、足を引き摺るように歩みを進め大和の下へ向かう。前進する力の源泉は、大和の指示に従わないのは、彼の好意を無にすることだと理解できていたからに過ぎない。

 スティルはどうにか、のろのろと予定位置まで歩みを進める。


「よし! 退くぞスティル! ・・・受け取れ!」


 受け取れるものならな! と胸中で捨て台詞を零し、魔王の核をルゴノゾールへ投げ返す。

 案の定、上手く受け取れなかったルゴノゾールは、自身の背後に落ちた魔王の核を求めて振り返った。

してやったりと、大和はほくそ笑む。

 これで数秒、さらに時間を稼いだと、スティルの手を伸ばそうとするが、大和の眼前を何かが通り過ぎた。

 それは、のたくった蔦のような意匠の鉄塊だった。

 何所から存在したのかよく分からない。付け根と思われる端は、朧げに掠れ消えている。まるで虚空から突如として出現したかのように、まるで幽霊でも見たかのように。

 それが何であるかは理解できなかったが、それが何の為に出現したのかは理解できた。


「くそ! してやられた!」


 大和はスティル救出の失敗を悟り、悪態を吐いた。

 そして、それは完全に姿を現す。大樹を思わせながらも、神聖さなど微塵も感じさせない、禍々しくも邪悪な雰囲気を纏う大型のMSSが、大和に立ち塞がった。

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